また無茶ぶりかよ!
最近社内の雰囲気はどこか慌ただしかった。
求人強化の効果で、新人が一気に配属された。
現場の声は「活気がある」を通り越して、もはや「誰が誰かわからん」状態。
だが、その裏でひっそりと問題が浮上していた。
──新人営業、成果低迷中。
「やっぱ、営業は育成に時間かかるな。数字見てると、全然ダメだ」
「動いてんだけど、決まらねぇんだよな。空回りしてる感すげえ」
「営業だけはな…すぐ出来るもんじゃないよな」
──そんな中、一本の大型報告が舞い込んできた。
「佐川って新人、○○電工に顔出してたら、なんか興味持たれたらしくてさ」
「おいおい、マジか……あの専務、そう簡単に動かねぇだろ」
「でも、連絡来たんだよ。“もう少し詳しく話を聞きたい”って。
なんか佐川、やたら熱く語ってたらしい。『御社と仕事がしたいんです!』ってな」
まさかの大型案件接触。
社内にざわつきが走る。
だがタイミングが悪いことに、今ベテラン営業達は他の大型案件の山場と重なっていた。
──そんな昼下がり。
社長は静かに決断を下した。
「……結衣、同行してくれ」
「は? 営業の話ですよね? やったことないんですけど?」
「知ってる。でも、もう誰も空いてないんだよ。ベテラン勢もアポ詰まってるし、新人に任せるにはまだ早い」
「……いや、それにしても…」
「ダメ元でいい。どうせ行ける奴いねえんだ。お前、話の内容は分かってるし…初対面の印象も悪くない。」
その理屈の乱暴さに、思わず絶句する。
さらに社長は、机の引き出しから一冊の薄い冊子を取り出し、結衣に手渡した。
『すぐに使える! 営業トーク入門マニュアル』
「……なにこれ」
「読んどけ。読んだだけで営業できる本や」
「いやいやいや……」
はあ、と結衣はため息をついた。
(またかよ。毎度の“現場ぶっこみ”パターンだな……)
──同行営業は佐川にも知らされる
「え、マジっすか? 藤原さんと同行ですか?」
思わず声が裏返った。
先日、自分が汗だくになりながら訪問したあの会社。
「新人なりに出来ることを」と考え、準備して、緊張しながら足を運んだ。
その場で伝えた熱意が、ほんのわずかでも届いていたのだとしたら──それだけでも嬉しかった。
(……あれが、ちゃんと繋がったんだ)
焦り、興奮、そしてほんの少しの期待。
(これ、もしかして……うまくいったら、俺、褒めてもらえるんじゃないか?)
──そして、頭の中で勝手に再生される、都合のいい社内の未来図。
『佐川さんじゃないと、ここまで持ってこれなかったですね』
『あのタイミングで、あの熱意で話しかけられるって、普通できないですよ』
『結果的に大きな流れを作ったのは、佐川さんです』
『──さすが佐川さんです!』
(言われてみてぇぇぇええ……ッ!!)
こみ上げる謎の感情に、脳内がわけの分からん祭り状態になる。
ドーパミンだのアドレナリンだの、正体不明の脳内物質がドバドバ分泌されてる気がする。
思わずその場でガッツポーズしそうになって、必死で自制する。
(いやいや、調子乗るな俺。まだ何も決まってない)
──けど、心のどこかで期待している自分がいるのも事実だった。
喉の奥が熱くなる。
自分が目指しているのは、数字じゃない。ただ、ただ──
(絶対に藤原さんに“良いところ”を見せたい)
藤原さんの記憶に、「佐川」の名前を刻む!
***
一方の結衣視点
──どう考えても、荷が重すぎる。
営業の経験なんて一度もないのに、いきなり大型案件の打ち合わせに同行しろなんて。
どう考えても無理がある。
(……いやいや、私が行ってどうすんのよ)
少しでも不安を減らそうと、結衣はパソコンを立ち上げ、社内フォルダから○○電工の資料を探し始めた。
──そして見つけてしまった。
『○○電工・失注報告書(3年前)』
(営業に行ってダメだったことあるんだ……)
軽い気持ちでファイルを開いた。
そこには、かつての社員が商談に行ったものの、うまくいかなかった経緯が書かれていた。
『提案内容がふわっとしていて、詰めが甘いと言われた』
『数字の説明が分かりにくい、理解が足りない、と厳しく指摘された』
『相手の専務、長谷川さんに「話をするだけ時間のムダ」とまで言われた』
(……うわ)
さらに読み進めると、もっと怖いことが書いてあった。
『その場で資料を読み込まれ、細かい部分まで突っ込まれた』
『ちょっと世間話をしようとしたら、「余計なことはいい」とピシャリ』
『一度ダメだったら、よほどの理由がない限り取り合ってもらえない』
(ど、どういうこと……?)
背中に冷たい汗がにじむ。
──つまりこの人、まったく笑ってくれないタイプだ。
──しかも、こっちがちょっとでも準備不足だったら、すぐ見抜いてバッサリ切ってくる。
資料の中に載っていた顔写真も、白髪混じりの渋い表情で、まるで人を値踏みするような目つきだった。
(……無理無理無理無理)
頭を抱えたくなる。
接待もダメ、雑談もダメ、雰囲気で押すのも当然通じない。
(自分が行っても出来ること無いじゃん……)
思わずパソコンをパタンと閉じる。
「絶望って、こういう時に使うんだな……」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりとつぶやく。
手元には、社長から渡された“営業トーク入門マニュアル”が、ペラペラと風に揺れていた。
(……社長、また雑に放り込んできたな)
けど、代わりに行ける人はいないってのも、分かってる。
だから――
(はあ……とりあえず、出来ることだけはやっとくか)
絶望を飲み込みながら、結衣は資料を手に取り直した。
──そして当日。
商談の場には、佐川と結衣の二人。
佐川が進行を担当し、結衣はサポート役として同席していた。
応接室に入り、軽く名刺交換を済ませた後、結衣が柔らかく一礼する。
先方も長谷川専務と女性社員。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
その瞬間だった。
○○電工の専務、長谷川の動きがぴたりと止まる。
「……」
ほんのわずかだが、明らかに表情が固まった。
鋭い目元がわずかに緩み、無意識に姿勢を正す。
(……あれ? 今、一瞬空気がやわらいだ……?)
(……この柔らかい雰囲気、やっぱり効いてるのかもしれない)
そんな和やかな空気に乗って、佐川の第一声もすんなりと通った。
序盤のやりとりはスムーズで、想定よりもずっと好感触だった。
「こちらの提案は、御社で日々の作業にかかる手間を、少しでも軽くできないかと考えてまとめたものです」
隣に座る結衣は、サポート役として、にこやかな表情と丁寧な相づちを欠かさない。
柔らかな笑みと穏やかな仕草が、どこか空気を和ませていた。
その場にいるだけで、重たくなりがちな商談が、少しずつ“会話”に近づいていく。
その様子に、長谷川専務が時折視線を送っていた。
穏やかにほほえむ彼女の姿が、硬い雰囲気を少しずつほどいていく。
──緊張感のある打ち合わせの場で、ふと息がつけるような存在だった。
佐川の説明は続く。
「これまでは、同じ作業を三度確認しなければならなかったそうですが、
今回のご提案では、それを一度のチェックで済む形に見直しています。
やり方を省くのではなく、無理のない形で集約した設計です」
長谷川が、資料をじっと見つめながら言った。
「……たしかに。こういう作業、毎回うんざりしていた。
誰かが改善案を持ってこないかとずっと思っていたんだ」
「ありがとうございます」
佐川が深く頭を下げる。
長谷川は続けて尋ねる。
「で、その新しい方法……精度は?」
結衣がふっと微笑みながら、落ち着いた声で応じた。
「大丈夫ですよ。精度は、ちゃんと保てます」
やわらかな口調と笑顔で答える。
その言葉には不思議な安心感があり、場に温度が戻る。
長谷川が資料から目を上げ、結衣をじっと見つめる。
目元の鋭さが、ふとわずかに和らぐ。
そして、ふっと息をつくように言った。
「……そうか。分かりやすい説明だ。」
──場が和んでいる。
佐川はそれを肌で感じながら、横にいる藤原結衣の存在の大きさを改めて実感していた。
ただ隣にいて、相手のガードを解いてくれる。
それだけで、話の流れがすこぶるスムーズになる。
(……すごいな、この人。自分はただ必死に喋ってるだけなのに、藤原さんが横にいるだけで、言葉がちゃんと届いてる気がする)
そんな佐川の小さな感嘆とともに、商談は想定以上の順調な滑り出しを見せる。
──商談は順調に進んでいた。
佐川の説明は丁寧で、相手の反応を見ながらテンポよく進められていた。
そして隣に座る結衣の柔らかな笑顔が、場の雰囲気を穏やかに保ってくれている。
大きな声では語らないが、要所要所での相づちや一言が、打ち合わせ全体に安心感を与えていた。
(……この流れなら、いけるかもしれない)
佐川の中に、ほんの少し希望が灯る。
だが──
「一点、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
声を発したのは、長谷川の隣に座っていた女性社員だった。
年齢は40代後半、落ち着いた声と姿勢の整った所作。
現場での実務を知り尽くしているような、説得力のある空気をまとっていた。
「今回ご提案いただいた内容ですが、全体としては効率化されているように見えます。
ただ……具体的に落とし込むと、他部門側の作業量が増えるようにも感じられるのですが、その点はどうお考えですか?」
長谷川も資料に目を落とし、ページをめくる。
「……ふむ。たしかに、ここの処理が増えるな。調整は必要だろう」
場の空気が、静かに、しかし確実に変わった。
和やかだった空気が引き締まり、視線の温度が数度下がる。
結衣が、姿勢を少し前に寄せる。
笑顔は崩さず、穏やかな声で口を開いた。
「ご指摘、ありがとうございます。たしかに手間は増えるところもあります。
でも……全体としては、負担は軽くなるように組んでいます」
やわらかく、丁寧な口調だったが──
「失礼ですが、“ように”というのは少々曖昧ですね。
可能であれば、部門ごとの数値や根拠をご提示いただけますか?」
女性社員の口調は冷静で、落ち着いていた。
だがその分だけ、空気の重さが増していく。
長谷川も静かに資料をめくる。
言葉はないが、その目は厳しい。
(……空気が、一気に変わった)
佐川は、隣で結衣が少しうつむいたのを、見逃さなかった。
彼女は責められているわけではない。だが、自分の言葉が届かなかったことを、どこか申し訳なさそうに受け止めていた。
(……藤原さんに、あんな顔をさせたくない)
胸の奥に、静かな炎のようなものが灯る。
佐川は言った
「──補足させてください」
声は大きくない。だが、芯が通っていた。
会議室の空気が、ほんの少し動く。
「ご指摘いただいた点、ごもっともだと思います。
現場の方にとって、作業が増えると感じられる部分があることも、重く受け止めています」
佐川はそう言って、一度視線を落とす。
すぐに顔を上げ、真っ直ぐに長谷川を見つめた。
「……自分がこう言うのは、おこがましいかもしれません。
ですが、御社ときちんと向き合いたくて、考えて、準備してきました」
手元の資料には触れない。ただ、言葉で伝える。
「今回のご提案で、一番大切にしたかったのは、“妥協しない品質基準”です。
一部の工程で作業が増えるのは事実です。でも、それによって手戻りや二重確認が減れば、最終的に現場の負担は確実に軽くなると考えました」
言葉を選びながら、それでも真っ直ぐに。
「なぜこの案を選んだのか──それは、御社が長年守り続けてきた“妥協しない品質基準”に、真正面から向き合いたかったからです」
長谷川の目が、わずかに細められる。
黙ったまま、資料に目を落とす。
ページが一枚、静かにめくられる。
反論も賛同もない。ただ、確かに“聞いている”空気。
「一方的な提案になっていないか、不安でした。
けれど、今こうして向き合っていただけていることに、感謝しています」
その声に、嘘はなかった。
やがて、長谷川が資料から顔を上げた。
無言のまま、じっと佐川を見つめる。
その目に、さっきまでとは違う、何かが宿っていた。
結衣が、そっと佐川の背中に視線を送る。声はかけない。
──空気が、変わっていた。
***
「──決まりました」
営業フロアに戻るなり、佐川がまっすぐに山本課長の元へ向かい、はっきりと告げた。
「え? 本当か!?」
「はい。先ほど正式にご連絡いただいて……契約、成立です」
一瞬の静寂ののち、周囲がざわめき出す。
「○○電工!?」
「え、あの専務から取ったの!?」
「佐川、マジでやったのかよ……」
次々に声が上がるなか、山本課長が驚いたように隣の結衣へ視線を向ける。
「藤原さん、あの空気でよく通ったな。途中、かなり厳しかっただろ?」
結衣は少し肩をすくめて、苦笑した。
「……ほんと、やばかったです。序盤はいい流れだったのに、途中で空気が一気に変わって、押し切られるかと思いました」
そして隣の佐川を見ながら、笑顔を向ける。
「でも、佐川さんが、きちんと相手と向き合ってくれて。
あのときの言葉、すごく真っ直ぐで、力がありました」
結衣の言葉を聞いた瞬間、佐川の脳内で何かが爆ぜた。
(ちょっ……待って、それ褒めてるよね? 今の完全に褒めてくれてたよね!?)
「……いや、自分なんか、ただ必死だっただけです」
口ではそう言いながら、内心ではもう爆発音が鳴り響いていた。
(“真っ直ぐで、力があった”って……え、なにその最高難度の褒め方……!)
平静を装っているが、顔が若干赤い。
「佐川、顔、赤くない?」
「だ、大丈夫です!」
動揺して声が裏返る。それを見て、結衣が小さく笑った。
空気に少し笑いが戻り、報告を受けた山本課長も満足そうに頷いた。
「とにかく、よくやった。二人とも、でかい仕事だ」
──その日の夕方、社長室。
「──本当に受注したのか?」
デスク越しに報告を受けた藤原社長が、目を丸くして結衣を見つめた。
「はい。先方から正式にご連絡をいただいて、契約、成立しました」
そう答える結衣に、社長はしばらく無言でフリーズしたあと──
「……○○電工? あの専務? いやいや、えっ……マジで? ほんとに?」
「マジです。書類も揃っています」
「うわ、マジか……うちの営業、仕事できるじゃん……!」
「課長が聞いたら怒りますよ、それ」
結衣が肩をすくめると、社長はふいに手を打って言った。
「いやー、やっぱあれ効いたんだな! あの『すぐに使える! 営業トーク入門マニュアル』!」
「いや、佐川さん、一つも使ってませんでしたよ?」
「え? 嘘でしょ? マニュアル無しで? 素でいったの?」
「はい。誠実に、まっすぐ向き合ってました」
「いまどきそんなの通るの……?」
社長がぽりぽりと頭をかきながら椅子にもたれかかる。
「いやー、でも……なんだな。冗談で同行させたら、まさか本当にうまくいっちゃうとはな……」
「冗談だったんですね?」
「いや~、ちょっと場が和むかなーって思って同行させただけなんだけど……まさか本当に決めてくるとはな」
「……社長、それ本人の前で絶対言わないでくださいね」
午後の社長室には、ひと仕事終えたあとの緩い空気が漂っていた。
──そして翌月。
昼休み、社内の食堂の隅っこにある長テーブルには、同期の男たち四人が集まっていた。
佐川、高梨、岡崎、大橋。それぞれトレーを手に、いつもの“定位置”に腰を下ろす。
「よっ、佐川。先月の明細、見たか?」
開口一番にそう言ったのは岡崎だ。
カツカレーの湯気をものともせず、ニヤついた顔が目の前にある。
「……さっき見たとこ。」
佐川はラーメンのスープをすする。顔が若干こわばっていた。
「で、歩合いくらだったんだよ。白状しろ」
高梨が前のめりに聞いてくる。
目の奥が本気でざわついていた。
「……70。ちょっと超えてた」
「はあああ!?」「マジで!?」
大橋の箸が宙で止まり、岡崎のコップがカタリと音を立てる。
「え、お前あれでしょ? 社内速報に出てたやつじゃん、○○電工の……」
「うん、まあ……たまたまだよ。あのときの流れが良かっただけで」
佐川は視線を落としながら答える。
浮かれる様子はなく、少し照れたような顔だった。
「藤原さんと一緒に行った商談か」
一呼吸おいて、佐川はぽつりと続けた。
「そう」
「正直、途中でダメだと思った。マジで心折れそうだったんだけど……」
「でも……隣で藤原さんが…この人に悲しい顔はさせたくないって、思ったんだよ」
その一言に、テーブルが一瞬静まり返る。
「……お前、どこのドラマの主人公だよ」
「なにその熱量……」
「お前ファンタジーしてんな……」
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