緊急事態
──社長室・午前10時。
「……こりゃもうダメだな」
藤原社長は進捗表を睨みつけながら、缶コーヒーを無言で空けた。
工数は限界。案件数は膨張。
“さしすせそ”と“歩合”でなんとか持ちこたえてきたが、とうとう破綻寸前だった。
社長は内線に手を伸ばす。
「人事部長、今すぐ来い。急ぎだ」
ノックの音に続いて、人事部長が入室した。
その顔は、どこか覚悟を決めたような色を帯びている。
「失礼します。やはり来ましたか」
「……お前も気づいてたか。限界だ」
社長はスケジュール表を指で叩いた。
「もう今いる戦力だけじゃ回らない。とにかく採れ。手当たり次第だ」
人事部長は即答した。
「了解です。ただ……どこまで攻めます?」
「働けるなら全部拾え。未経験でも、転職回数が多くてもいい。手を動かせるなら問答無用で採用しろ」
「現場の教育、回りませんよ?」
「育て方はある。あとは配属後に動かす。まずは応募を増やせ」
社長は、デスク横に積まれた資料の束から一枚を取り出し、差し出した。
「求人サイト、全力で更新しろ。今まで通りの掲載じゃ足りない。枠を広げてバナーも打て。関連検索に“未経験OK・高歩合・安心の職場”を必ず仕込め」
人事部長は紙を受け取りながら、驚きもせず頷く。
「……本気ですね」
「本気だ。“会社説明会”も今月中にやる。日程を決めて会場を押さえろ」
「え? 説明会って……今、新卒は完全に時期外れですよ?」
「狙ってるのは“今すぐ働きたい”って層だ。転職希望者でも未経験でも構わん。選考から外れた連中が、働ける会社を探してる。そこにうちが突っ込む」
「……了解しました。すぐ動きます」
後日
──会議室
社長、人事部長達が、手元の資料に赤ペンを走らせている。
プロジェクターには「会社説明会構成案」と書かれたスライド。日付は、二週間後。
「内容は大まかにこれでいいと思うんですが……問題は“誰が話すか”ですね」
「そうなんですよ。現場社員の声って、やっぱり一番響くんで…」
藤原社長の鶴の一声
「その件だけどな、結衣を出せ」
全員「あぁ~なるほど」と納得。
***
社長室にて
「……本当に、私がやらなきゃダメなんですか?」
結衣は社長の顔を真正面から見つめ、深い溜息をついた。
「前に出るタイプじゃないんですよ。そういうの、得意な人いくらでもいるじゃないですか」
「お前が適任だ。そして不安だろうからこれを渡しておく」
社長はきっぱりと断言し、デスクの引き出しから手書きのメモを取り出す。
その紙には太マジックで大きく三行――
・ストーリーテリング
・認知バイアス
・自己重要感
と書かれていた。
「……何ですか、これ」
「人が動く三大原則だ」
「……へぇ」
結衣は無言でメモを見つめたあと、心の中で静かに叫んだ。
(……絶対さっきググっただろ、これ)
社長は自信満々の顔で言い切る。
「この三つを意識して喋れ。伝わり方がまるで変わるからな」
「……もう、いいです。分かりました。やります。やればいいんでしょ」
「うん、それでいい」
***
──会社説明会・当日 13:00、都内レンタルホール
会場入口ではスタッフが慌ただしく追加の椅子を並べていた。
予定していた定員をはるかに超える来場者。スーツ姿もいれば、私服の転職希望者も多い。
「……まさかこんなに来るとはな」
社長は腕を組み、ざわつくロビーを見渡しながらつぶやく。
「“キーエ◯ス超え”の条件だって話題になってます。“実際に話を聞いてみたい”って声がSNSで拡がってるようです」
人事部長がタブレットを見せる。
「よし……いい傾向だ」
──14:00・説明会本編開始
司会の進行で、まずは会社概要の説明。
そのあと、スクリーンに切り替わり、社内の様子を撮影したVTRが流れ始める。
──活気ある会議室。
──笑顔で働く社員たち。
──現場のモニターに映る進捗管理画面。
さらに、社員インタビュー。
「成果を出せばちゃんと返ってくる」
「評価が早くて、気持ちが続くんです」
「まだ入って数ヶ月ですが、毎日手応えがあります」
ざわついていた会場の空気が、少しずつ変わり始める。
メモを取り始める者、うなずきながら聞き入る者。
“本当にアリかも”という空気が、じわじわと染み込んでいく。
――登壇パート
司会が壇上から声を上げる。
「それでは、実際に現場で活躍されている社員の方から、お話をいただきます。藤原結衣さん、お願いします」
ライトに照らされ、壇上に現れたのは――白のブラウスに深い紺のスカートをまとい、柔らかな雰囲気を纏った女性だった。
数名の男性参加者が、わずかに息を呑んだ。
女子大生らしき参加者が、そっと隣の友人に耳打ちする。
「……あの人、絶対モテるタイプだよね。社内バチバチじゃない?」
その声には、どこか好奇心と警戒が混じっていた。
そのまま、結衣はゆっくりと壇上中央へ進み、マイクを持つ。
――壇上
「こんにちは。藤原です」
緊張を感じさせない、落ち着いた第一声だった。
練習してきた通りの抑揚。姿勢。目線。
「私は現在、現場スタッフとしてこの会社で働いています。いわゆる“責任者”ではありません。普通に、一社員として、日々現場に出ています」
客席に数人のうなずきが見える。
「最初は正直、かなり大変でした。覚えることも多く、ミスもして……でも、それでも続けられたのは、理由があります」
一呼吸。
「“ちゃんと見てくれる”人がいる。それだけで、案外、頑張れるんです」ほんのわずかな間に、彼女は社内で出会った人達の顔を思い浮かべていた。
花田さんや橋本……。 誰かが見てくれている。 それが、今の自分を支えている。(……私、本当にいい人たちに囲まれてるな)結衣はやわらかく微笑んだ。
――その瞬間、前列の数名の男性が、目に見えて反応した。
無意識に背筋を正す者。
ペンを手にしたまま、ページをめくるのを忘れた者。
隣の席との距離を、ふと意識したように詰め直す者。
彼らの視線は、壇上に立つ一人の女性に釘付けになっていた。
それは、ただの“美しさ”ではなかった。
その言葉と表情には、作られたものではない“真実”が宿っていた。
最初は「待遇がいい会社だ」と興味本位で足を運んだ。
だが今、頭で描いていた条件表などはどこかに霞み、
気づけば――心が、静かに動かされていた。
言葉の選び方。
落ち着いた声のトーン。
そして、語り口に滲む、誠実な人柄。
それらが合わさった瞬間、一つの印象が、静かに心の中に積もっていく。
――この人の言葉なら、もう少し聞いてみたい。
そんな気持ちが、いつの間にか芽生えていた。
澄んだ声と、理の通った語り。
堂々としながらも柔らかな佇まい。
そこに映っていたのは、“この会社で働いている人間の姿”そのものだった。
もちろん、整った容姿は目を引いた。
だが誰もが理解していた。
言葉の重みを支えているのは、美しさではなく――その“真摯さ”なのだと。
美しさが、それを際立たせていた。
その程度だった。
だからこそ、多くの人の心に届いた。
ただ綺麗なだけではない。語る姿が、誠実だった。
壇上の藤原結衣は、会場全体をゆっくりと見渡しながら、静かに言葉を続けた。
「皆さんもきっと、頑張った分を認められる社風を探して来られたのだと思います。高歩合、柔軟な制度、早い昇給。たしかにそれは、私たちの強みです」
ほんの短い間を置き、結衣は優しく微笑んだ。
「でも、最後のひと押しになるのは、“人”だと、私は思っています。
働くなら、誰と、どこで、どんなふうに。
……私は、ここでそれを見つけました」
そして、その想いがそのまま宿ったまなざしで、結衣は正面を見据えた。
――それは、まっすぐな目だった。
媚びるでもなく、気取るでもなく、ただ誠実に、静かに――
それでいて、なぜか目を離せない。
その視線を浴びた瞬間、会場のいくつもの席で、ほんのわずかに空気が変わった。
筆を止めた者。
口を結んで深くうなずいた者。
そして、ふと力が抜けたように肩を落とし、微笑んだ者。
先程の女子大生も、気づけば息をひそめるように壇上を見つめていた。
スマホをいじっていた手が止まり、口元の笑みが、ほんのわずかに引き締まる。
彼女の視線の先には、ただ美しいだけでなく、“ちゃんと届く言葉”を話す人がいた。
誰に指図されたわけでもない。
けれど、心の中で音もなく、確かな“決断”が下された瞬間だった。
応募フォームに向かう指が、今、迷いなく動こうとしていた。
* * *
──数日後・社長室
届いたばかりの応募データの束を眺めながら
「……おかげで応募数、跳ね上がったな」
うんざりした表情で椅子に沈んでいる結衣に藤原社長は満足げに呟いた。
「完璧だったろ? 俺の“方針”は間違ってなかった」
「ほんっともう……あれ、何十回リハーサルさせられたと思ってるんですか」
「感動スピーチっぽく仕上げたいって、目線から手の動きまで細かく注文つけてきて…」
「よしよし、視線も揺れてなかったし、“ちゃんと見てくれてる”ってセリフ、あれは刺さったな」
「……それ、社長と橋本と三人で、夜な夜なホワイトボードの前で唸りながら考えたやつですよね? “ちゃんと見てくれてる”の言い回しだけで、何時間もかけたし」
「おかげで名台詞になった。俺のセンスに感謝してくれ」
「いや、最終的に決めたの、橋本でしょ。“湿っぽすぎる”って、社長の原案ほぼボツにされてたし」
「ふふ、まあ誰の案でもいいさ。刺さったんだから結果オーライだろ?」
社長は勝ち誇ったように缶コーヒーを開け、にやりと笑う。
「……なんかもう、全部“計算通り”って顔してますけど」
結衣は呆れつつも、どこか楽しげに机へ突っ伏した。
「バレなきゃ本物、バレたら演出。それだけのことだろ」
「……名言っぽく言いましたけど、それただの開き直りですよ」
「ていうか橋本、途中から完全に乗り気でしたね。“間”のタイミングとかめちゃくちゃ細かくて」
社長は缶を置きながら、ふっと笑った。
「あいつ天性の人たらしかもな」
──橋本視点
あれは、たしか説明会の一週間前くらいだったと思う。
いつものように定時で帰ろうとしていたら、社長に声をかけられた。
「おい橋本、ちょっと手伝え」
話を聞いた瞬間、心の中で絶叫した。
(あ、帰れないやつだ……)
案の定、会議室に連行されると、ホワイトボードとマーカー、腕を組んで難しい顔の結衣さんが待っていた。
「この言い方、ちょっと弱いかなぁ……どう思う?」
最初は「意見だけでいいから」って言われてたのに、
気づけば話の構成から語尾のトーン、マイクの持ち方、手の角度に至るまで一緒に考える羽目になっていた。
そして、なぜかその日だけじゃ終わらなかった。
翌日も、また翌日も…。
定時過ぎたら「じゃあ続きやるか」と当然のように呼び出されて、
帰る頃には終電ギリギリ。
気づけば一週間、連日だった…。
しかもなぜか自分でも段々ノッてきて、
「そこの“間”、もう少し取った方が自然ですね」とか、
「笑うタイミング、今のはちょっと早かったかもです」とか、
ド真面目にアドバイスするようになっていた。
(……俺、なんでマッキー持って立ってるんだろ)
社長は社長で、いちいち細かいくせに、満足げに「いい感じになってきたな」ってニヤついてたし。
(俺がいちばん働いてないか……?)
そんな数日を経て迎えた本番――
会場が静まり返って、全員が前を向いて。
あのセリフ、「“ちゃんと見てくれてる”人がいる」が響いた瞬間、
明らかに空気が変わったのが分かった。
前の席の人がふっと肩の力を抜いて、何人かが目線を上げたのを、俺は見た。
(……ほんとに、刺さったんだ)
本当にすごいな、と思った。
……自分の才能が。
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