試合観戦
──トラストキックジム・土曜
「ワン、ツー、はい、ナイス!」
ミットを構える西野の声が、ジムに心地よく響いた。
結衣の拳がリズムよくミットに吸い込まれる。
軽く息を切らせながら、額の汗を拭う。
「……いい感じですよ。バランスも安定してきましたね」
「ほんとですか? ありがとうございます!」
「かなり動けてますよ」
にこっと笑って西野が言う。
そしてふと思い出したように言った。
「そういえば……来月、皆で試合出るんですよ」
「へぇ、そうなんですね」
「よかったら、見に来ます?」
すると、後ろでストレッチをしていた神谷が、即座に反応した。
「え、マジで!? めっちゃ面白そうじゃん!」
他のメンバーも乗ってくる。
「行く行く! 試合って一回見てみたかったの! 見に行こうよ、みんな!」
「え、ほんとに? 試合とか観たことないけど……」
木下が戸惑いながらも、目を輝かせる。
「私は行きたい! ねえ、結衣ちゃんも一緒に行こうよ!」
神谷が目をキラキラさせて振り返る。
「うん。せっかくだし……応援、行こっか!」
結衣がそう答えると、自然と全員の視線が集まった。
「決まりだね!」
「これ、実はプロ手前の大会で…活躍するとプロの試合出られたりするんですよ。だから応援来てくれるの嬉しいです!」
西野が少しだけ照れながら試合のチラシを渡す。
「わぁ!それは楽しみですね!」
女子たちは皆わいわい楽しんでいる。
──その日の夕方ジム
「じゃあ、また来週〜!」
結衣たち4人がジムを後にし、自動ドアが閉まる。
西野が周囲へ軽く声をかけた。
「……おい…」
「来月の試合、藤原さんたち見に来るって」
「………………」
「……え?」
「マジで?」
一瞬、空気が止まり――
「……しゃああっっ!!」
誰かの叫びを皮切りに、一気に火がついたようにジムがざわつき始めた。
「全力で仕上げるわ!」
「フォーム確認だ!動画撮ってくれ!」
「勝つしかねえだろ!!」
「俺メニュー倍にするわ!」
誰も「モテたい」なんて一言も言わない。
でもその目は全員、やたらと真剣だった。
「……よし、お前ら勝ちにいくぞ!」
拳を突き出す誰かの声に、次々とタッチされる拳。
「これで盛り上がるのアホだな俺ら!!」
スタッフが苦笑しながらも応援する。
「…今度の大会はプロ目前の相手ですからね!しっかり仕上げて下さいね」
ジムの空気はまたもや熱くなった。
全員が“最高の自分”を目指して動き出した。
──日曜・特設リング
会場の入り口には既に熱気が漂っていた。
その中を歩くのは、4人の女性たち。
神谷、中村、木下、そして結衣。
全員、普段のトレーニングウェアではなく私服。
それぞれ軽い巻き髪やら何やらで、ちょっとした“お出かけ仕様”になっている。
「うわー、けっこう本格的な大会なんだね……!」
「これ、どこ座る? 真ん中の方、空いてるよ!」
「うちわ出していいかな? 名前入りの」
「作ってきたの!? 」
「今日は全力応援だから!」
神谷が嬉しそうに“西野推し”うちわを振ると、結衣は小さく吹き出した。
(……なんか、文化祭っぽいな)
席についた4人は、会場を見渡してはしゃいでいた。
結衣はその空気を楽しみつつも、どこか一歩引いた視線で、静かにリングを見つめる。
(この中に……いつも一緒に汗かいてる人たちが出るんだよな)
なんとなく不思議な気持ちだった。
──その頃・選手控室
「藤原さんたち。4人とも……来てたぞ」
控室の空気が、一瞬にしてピリついた。
「うちわ持ってた……西野って書いてた……!」
「推し活かよ!」
「私服だったぞ。しかも、全員……なんかちょっと、可愛かった!」
ゴクリと誰かが唾を飲み込む音が響いた。
その直後……
「出番まであと何試合?!」
「ちょっとアップ付き合って!!」
「あ~早くやりてえ!」
殺気立つ選手たち…
トレーナーがタオルで汗を拭きながら、ボソッとつぶやいた。
「ったく……大丈夫かこいつら…?」
でも、その顔には確かに笑みが浮かんでいた。
試合
リングの上では、開始のゴングが鳴り響いた。
第一試合。
トラストの選手が、開始10秒でいきなりワンツーからのロー、さらに右のミドルを決める。
相手はあまりのスピードに防戦一方。
結果、1R TKO勝ち。
──観客席。
「えっ、すご!? 強すぎ!」
「ちょっと、えぐくない? 何あの動き!」
中村と木下が思わず身を乗り出す。
続いて第二試合。
「相手は…カウンター狙ってるか……?」
そう思った次の瞬間、ジャブから一瞬の前ステップ――
右ストレートがクリーンヒット!
相手が尻もちをつくと、会場から「おぉ……!」というざわめきが広がった。
「ちょ、うちのジム……めちゃくちゃ強くない!?」
「何これ、こんなレベルだったの……?」
神谷が目を輝かせながら、うちわをブンブン振る。
「カッコよすぎるんだけど……!」
(練習のときよりすごい迫力…)
第三、第四試合も同様。
スピード、パワー、スタミナ、どれも隙がない。
「ヤバかったね…」
「西野さんも強すぎ!」
結衣がこくりと頷く。
(……いつもと全然違う空気。動きのキレもすごい)
──控室
「よっしゃ! 全員、一回戦突破!!」
「今日も完ッ全に仕上がってるな」
「見たか、観客の反応……ざわついてたぞ」
拳と拳をタッチしながら笑うメンバーたち。
もう、かっこつけたいだけの舞台じゃない。
積み上げたすべてを賭ける場所――
全員本気だった。
──午後、準決勝
準決勝まで進むと、明らかにレベルが一段階上がった。
スピード、技の切れ、駆け引き――すべてが違う。
プロ手前の大会ということもあり、少しのミスや焦りが、そのまま勝敗を分ける。
そんな中で、ジムの選手たちは、一人、また一人と敗れていった。
最初に負けたのは、長身の選手。
リーチを活かせず、詰められてはポイントを重ねられる展開。
判定が下った瞬間、天を仰いで肩を落とし、そのままコーナーへ戻ってタオルで顔を覆った。
わずかに震える背中が、何より悔しそうだった。
続いて、ミドルキックが鋭かった選手も――
序盤は優勢だったが、相手の対応に詰まり、反撃を受けて試合を落とした。
リングを降りた後、背後から仲間が何か声をかけている――。
それに対して、小さく、静かにうなずいていた。
口を固く結び、堪えたはずの涙が頬を流れていた。
──観客席
「……悔しそう……」
木下が、声をひそめてつぶやいた。
神谷は無言のまま、胸元に握ったうちわを見つめていた。
隣に座る中村が、そっと袖で目元を拭っているのに気づく。
「……泣いてるの?」と神谷が声をかけると、
中村は少し照れくさそうに笑って、小さくうなずいた。
「……だってさ、本気でやって、負けて、悔しそうで……」
その言葉に、神谷も木下も静かに頷く。
結衣も、言葉には出さなかったが――
リングの選手たちに、まっすぐな視線を向けたままだった。
(あの人たち、本当に……全部出し切って、戦ってるんだ)
拳をそっと握ったまま、じんわり胸の奥が熱くなるのを感じていた。
その余韻の中でも、試合は淡々と進んでいく。
気づけば準決勝も終盤。
ジムの選手たちは全力を尽くしたが、次々と敗れていった。
その中には、西野の姿もあった。
序盤は互角の展開。
着実にペースを握っていたが――
終盤、相手の意地と爆発力が、ほんのわずかにそれを上回った。
僅差の判定。
コーナーに戻った西野は、しばらく天井を見上げたまま動かなかった。
「……すみません、負けました……」
そうつぶやく声に、悔しさが滲んでいる。
それでも、下を向くことはなかった。
その姿に、仲間たちは何も言わず、拳をそっと当てていく。
その一つ一つが、無言の「ナイスファイト」だった。
──そして、準決勝最後の試合。
最後にリングへ上がるのは、同じジムの芹沢という選手だった。
「……あの人も、トラストの人だよね」
木下がそっと呟く。
「うん……この人が最後」
結衣も静かに答える。
──ゴングが鳴る。
立ち上がりから、芹沢はじりじりと前へ出る。
無駄な動きは一切ない。
ただ、重たい“圧”だけで相手を下がらせていく。
そして――
左ジャブで顔を上げさせ、すかさず右ストレート。
さらに、ボディにミドルを叩き込む。
「うわっ……速い!」
観客席から思わず声が上がる。
芹沢の的確なコンビネーションが序盤から光っていた。
相手をロープへ追い詰めていく。
しかし――
下がっていた相手が、反撃に転じた。
芹沢のガードを弾き、続けざまのボディ、フック、膝蹴りが襲いかかる。
「っ……!」
芹沢が押し込まれる。
「芹沢さん……!」
神谷が声を上げる。
ロープを背にし、苦しい防戦が続く。
ジム仲間たちが、一斉に声を張り上げる。
「下がるな、芹沢!!」
「負けんな!!!」
「いけー!!」
誰より近くで努力を見てきた仲間たち。
その声に、芹沢の瞳がわずかに光を宿す。
耐える。
下がらない。
流れを、奪い返すために。
そして――相手の手数が落ちた、ほんのわずかな隙。
一歩踏み込み、鋭い左ボディ。
体勢が浮いた相手の顔面に、すぐさま右のショートアッパー。
「おおっ……!」
観客席がどよめく。
そこからは、まるで流れるような攻防だった。
左ロー、右ストレート、ボディ、フェイント、ハイ――
相手がついてこれないほどの正確さとテンポで、一気に流れを取り返す。
最後は、左ジャブで視線を逸らし――
振り抜かれた、渾身の右ストレート。
鈍い音が響いた。
相手の身体がよろめき、そのまま崩れ落ちる。
レフェリーが即座に割って入り、両手を広げた。
──試合終了。
静まり返った会場に、遅れて大きな拍手が広がっていく。
芹沢は一歩引いて深く一礼し、ゆっくりとコーナーへ戻っていった。
「勝者――赤コーナー、芹沢選手!」
「……うわ、決勝進出だ!」
神谷が思わず声を上げる。
「すご……! 決勝だよ!!」
中村が息を呑みながら呟いた。
結衣は、静かにうなずいた。
リングの上、芹沢は一礼し、歓声にも浮かれず、淡々とコーナーへ戻っていく。
その背中は、ただ静かに次の戦いを見据えていた。
――仲間たちの想いも乗せて。
──しばらくして、会場アナウンスが響く。
「続いての試合――いよいよ、決勝戦です!」
アナウンスの声に、場内の空気が一気に引き締まる。
「赤コーナー、トラストキックジム所属――芹沢 誠!!」
観客たちの視線が、一点に集中する。
一緒に戦ってきた仲間たちも。
応援に駆けつけた結衣たちも。
皆の胸に、自然と同じ言葉が浮かんでいた。
(──勝って!!)
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