親睦会
──〇〇電工 本社ビル
「ちょっとした親睦の場なので、気楽にどうぞ」
案内された会場は、思っていたよりもずっと広かった。
新たに取引を開始した〇〇電工との親睦会。
場所は、本社ビル最上階の多目的ホール。
柔らかな照明の下、立食形式のテーブルに軽食とドリンクが並ぶ。
三十名近い〇〇電工の社員がすでに集まっていた。
男性が圧倒的に多い。わいわいとした談笑の声がホールに響く。
こちら側の参加者は三人。
営業担当の佐川さん、私(藤原結衣)。
そして技術部からもう一人。
「……賑やかですね」
思わずそう漏らすと、佐川さんが小さく笑った。
「ついにここまで来たかって感じですよ」
佐川さんの目に感慨の色が滲んでいた。
〇〇電工は、佐川さんが何度も足を運んで開拓した取引先。
その努力が、ようやくひとつの形になったのだと思う。
親睦会は順調に始まった。
佐川さんは皆に挨拶回りをして、すっかり馴染んでいる様子だった。
仕事の話も活発で、笑い声も混じる良い空気。
けれど――その空気は、すこしずつ変わっていった。
最初は、本当にただの世間話だった。
プロジェクトの進行、過去の実績、社内の文化。
けれど、誰かがふと口にした。
「それにしても、こんな美人が会社にいるなんて、ずるいですよ……」
その瞬間、空気が少しだけ傾いた。
「休みの日って、どんなことされてるんですか?」
「彼氏、いたりするんですか?」
「結婚願望とかあります?」
冗談交じりの笑顔の裏に、本気の気配が混じり始める。
気づけば、三人、四人と私の周囲に集まりはじめていた。
軽食を取りに立ち上がれば、すぐ誰かが声をかけてくる。
「藤原さん、俺が持ってきますよ」
「甘いもの好きですか? ケーキありますよ」
「今度、ぜひカフェでもご一緒に」
どこに動いても、逃げ場がない。
まるで合コンの中心にでも放り込まれたようだった。
佐川さんは少し離れた場所で、〇〇電工の専務と話し込んでいた。
何度かこちらを気にしている素振りはあったが、状況的に離れられないのは明らかだった。
私はというと、笑顔だけは崩さずに応対していた。
矢継ぎ早の質問に戸惑いながら――
愛想よく、失礼のないように返していく。
「映画ですか? 最近はあまり行けてませんが、ミステリーは好きですね」
「食べ物は……甘いものが好きかもしれません」
「タイプですか? ええっと……仕事ができる人、ですかね」
そのたびに、誰かの目がキラッと光るのが分かる。
社交辞令が希望に変換されていくのを、私は何度も見てきた。
「藤原さんって、占いとか信じます? 僕と相性、絶対良いと思うんですよ」
(いやいや占いで相性確信しちゃうやつ初めて見たわ)
そんな中、ひとりの若手社員が、妙に真剣な顔で言った。
「俺、最初に見たときから、ずっと気になってて……」
(ちょっと待て、ずっとって初対面だよね?)
「普段こういうこと言わないんですけど……たぶん、直感なんだと思います」
(直感って万能かよ……!)
「このあと……少しだけでもお話できたら、うれしいです」
(やばいやばいやばい! 来た! 本気アプローチきた!)
(このあと“もう少しお話”ってどういう意味!? 二次会!? タイマン!? 逃げ道ゼロ!?)
表情は崩さずに、声のトーンもそのままで返す。
けれど、内心では警報が鳴りっぱなしだった。
「お話できてうれしいです。今日みたいな場はあまり慣れていないので……」
丁寧に、でもメンツを潰さないように。
相手は取引先。
ストレートに断るのは、正直リスクが高い。
(……お願いだから、もうこれ以上踏み込まないで!)
(心の中では正座して全力で詫びてるから、それで許して!)
そんな心の声を押し殺しながら、笑顔を貼りつける。
そして――その瞬間。
「君たち」
柔らかいが、空気を裂くような声が響いた。
一斉に静まり返るホール。
振り向けば、〇〇電工の長谷川専務が静かに立っていた。
「ずいぶんと親しげな交流をしているようだね」
口調は穏やかだったが、その目は笑っていなかった。
「綺麗な人に夢中になるのは分かる。……だが、その情熱を少しは仕事にも向けてくれると助かるんだがね?」
一瞬、空気が凍る。
「藤原さんは、相手先の代表として来てくださっている。その立場、忘れてはいけないよ」
静かに、だが確実に、社員たちはたじろぎ、後ずさっていく。
ほんの数十秒で、私の周囲には誰もいなくなっていた。
長谷川専務は私にだけ、静かに頭を下げた。
「ご気分を害されていたら、申し訳ない。……今後ともよろしくお願いします」
「いえ、とんでもないです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ぺこりと丁寧に頭を下げた。
ようやく手元に戻ってきたグラスに、そっと口をつける。
少し遅れて、佐川さんが駆け寄ってきた。
「すみません……離れられなくて」
「ううん。専務が全部、持ってってくれた」
私は軽く笑って言った。
ようやく、呼吸ができる空気が戻ってきた気がした。
「佐川さんが居てくれると安心しますね」
──男だったら、絶対に起きないやつだこれ。
(佐川目線)
……うわ、もう完全に囲まれてる。
目の前に広がる光景は、もはや親睦会でも何でもなかった。
立食パーティの一角、藤原さんの周囲にできた輪。
話しかけてるのは、ほとんどが若手。
しかもみんな目がマジだ。
「映画とか何観ますか?」
「カフェ、お好きなんですか?」
「休日ってどう過ごされてるんですか?」
──いや、それ仕事の話じゃないですよね!?
けど、俺は今専務と立ち話中。
今ここで「すみませんちょっと失礼を」なんて言えない空気。
しかも藤原さんが、ちゃんと笑顔で対応してるから余計に止めにくい。
(……ああもう、ぐぬぬぬぬぬぬ)
胸の奥がモヤモヤする。
勝手に嫉妬するのもおかしいってわかってる。
でも、あれだけ囲まれて、藤原さんがニコニコしてるの見ると、もう……。
それにしても、ほんとすごい人だ。
どんな質問にも柔らかく答えて、全然嫌な顔ひとつしない。
“できる人”って、こういう人のことを言うんだろう。
……でも、それはそれとして。
誰だよ「最初に見たときから」とか真顔で言ってるやつ。
「俺、こういうの普段言わないんですけど……」じゃないのよ。
いきなりアプローチすな。
俺は、もうほんとに心の中で念仏唱えてた。
(どうか撃沈してくれ。どうか……)
──その時だった。
「君たち」
静かな、でも鋭く通る声。
会場の空気が、一瞬で変わった。
長谷川専務。登場と同時にすべての流れを断ち切った。
声のトーンも、言葉も、完璧すぎるタイミングだった。
(専務、神……!!)
周囲がぱっと散って、ようやく藤原さんの視界が戻る。
俺は心の中でガッツポーズを決めながら、急いで向かった。
「すみません……離れられなくて」
藤原さんは、やれやれと笑っていた。
「大丈夫。専務が全部、持ってってくれた」
……いやほんと、マジで。
俺はまだドキドキしてた。
けど藤原さんは、普通の顔で、飲み物を口にした。
すごいな。かっこいいな。
そして……やっぱり好きだなって思った。
「佐川さんが居てくれると安心しますね」
──心臓が高鳴った。
その言葉が、やたら心に響いてくる。
よし。帰ったら、例の“藤原さん褒められ帳”にしっかり記録しておこう。
家で褒められ帳を見ながら…ふと思い返した。
あれ?あの後どうなったの?
その後のことはよく覚えていない…
でも自信持って言える。
最高の一日だった。
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