お酒と被害者
金曜の夜
昔なじみの居酒屋で、久々の一人飲み。
ナンパはちょっと不安だけど…
知ってる店ならまあ大丈夫。
ハイボールと焼き鳥で乾杯。
……はい、優勝!
……そして、その直後だった。
「こんばんは、おひとりですか?」
左隣から聞こえた声に、私は反射的にそちらを見る。
三十代中盤くらいのサラリーマン。
スーツはくたびれているが、笑顔はやたらとフレンドリーだった。
「お酒、何飲んでるんですか?」
(まあ、少しくらいなら。酒の肴に話し相手ってのも悪くないかも……?)
「いやあ、こういう店で綺麗な人を見ると、ちょっと緊張しちゃいますね」
笑いながらそう言って、左隣の男はグラスを持ち上げた。
私は苦笑いで軽く会釈を返す。
「一週間、長かったですよね~。僕、営業で外回りばっかで。
この時間が一番ほっとするんですよ、ほんとに」
私(内心)
──うん、悪い人じゃなさそう。
“普通の世間話おじさん”ってやつだな。
軽く相槌を打ちながら、私は焼き鳥のねぎまを口に運ぶ。
「でも、こういうのって、誰かと一緒の方がもっと楽しくないですか?」
「よければこのあと、もう一軒だけでも……」
──あー、出た出た。
さっきまで世間話だったのに、急に空気が湿ってくる。
──いや、ほんとに一人で飲みに来てるだけなんだけど。
「すみません、今日は一人でゆっくりしたい気分なんです」
私は表情を崩さず、やんわりと返した。
男は「あ、そっか、ですよね~」と笑いながらも、ちょっと口元がひきつっていた。
ビールを飲み干すと、ちょっとだけ間を置いて、伝票を手にした。
「じゃ、俺、先に……。じゃあ、また」
──ようやく、去っていった。
胸の奥でひとつため息をつく。
やれやれ、ようやく焼き鳥に集中できる……そう思った、その瞬間。
「すみません」
右隣から、やや低めの声。
私は箸を止めてゆっくり顔を向ける。
仕事帰りらしい若めの男性。
ネクタイはまだきっちり締めたままだ。
「さっきから思ってたんですけど、すごく雰囲気いいなって……。ここ、よく来られるんですか?」
(定番のファーストコンタクトか。とりあえず最小限でいこう)
「たまに、ですね」
私がそう返すと、男は嬉しそうに身を寄せてくる。
間合いが近い。さっきの“世間話おじさん”より距離感が狭い。
「へぇ! 僕も最近見つけてハマってて。
よかったら次来るとき、ご一緒できたら──」
──右からも来たか。ターン制バトルってやつか?
私(内心)
さっきのおじさんと同じルートは勘弁。
“綺麗ですね→一緒にどうですか”のテンプレ2連発とか、胃に悪い。
「すみません、今日は仕事帰りで疲れてて。ひとりでゆっくりしたいんです」
丁寧に微笑む。が、男はむしろスイッチが入ったように畳みかけてきた。
「そうなんですね。じゃあ、少しだけでも──」
「ちょうど僕もハイボール頼もうと思ってたんで、ご一緒に――」
(聞いてないな、これ)
私は残りの焼き鳥を口に放り込みつつ、スマホを取り出す。
画面を伏せたまま LINE を開き、送信相手を “橋本” に。
来て
奢る
助けて
──送信。
──橋本宅
「焼きそばパンか、冷凍炒飯か……」
冷蔵庫を開けたまま、晩飯の選択肢とにらめっこしてた時だった。
スマホがブルっと鳴る。LINEの通知。
差出人は──結衣さん。
来て
奢る
助けて
……え?
あまりにも情報量が少ない三行。
けど、文面からにじみ出る“静かな緊急事態”感。
店の位置は、駅前のあの居酒屋。
昔、まだ“先輩”と“後輩”だったころ、何度か一緒に行った馴染みの店。
橋本(内心)
「……よっぽどのことだな」
「でも奢り!? え、うれしい……ご飯確定じゃん……っしゃあ!」
即、着替えて家を飛び出した。
冷凍炒飯、また今度な。
店に入ってカウンターを探す。すぐに見つかった。
結衣さんが焼き鳥を前に、気まずそうな笑顔を浮かべている。
右隣の男は距離が近くて、目の奥だけが無表情だった。
ああ、これか…。
俺はすっと結衣さんの背後に回り、小声で声をかける。
橋本「こんばんは。間に合いました?」
結衣「ナイスタイミング。助かった」
そのまま、男に目を向けて会釈しながら――
「あ、すみません。これ、ウチの人なんで」
──ぴたり、と空気が変わる。
男の表情が、ほんの一瞬だけこわばる。
でも俺は笑顔を崩さず、続ける。
橋本「たぶん話しかけにくい雰囲気だったと思うんですけど、
声かけてくれてどうもです」
社交辞令で包んだやんわり防御壁、完成。
男はグラスを飲み干して、苦笑しながら立ち上がる。
ナンパ男「いえいえ、じゃ、お邪魔しました」
結衣「どうも、ありがとうございました」
静かに戦闘終了。
俺はようやく席に座る。すぐにハイボールが2つ届いた。
──結衣目線
ハイボールのグラスが2つ、カウンターに静かに並ぶ。
そのひとつを手に取り、橋本の方を見る。
「ほんと助かった。ありがと」
「いえいえ。俺でよければ、いつでも」
そう言って橋本は、自分のジョッキを持ち上げた。
グラスを合わせる、軽い音。
カラン。
「いやー、ナンパ撃退、成功ですね」
「なにその、軽いノリ」
私が苦笑すると、橋本はどこか誇らしげな顔をした。
「いやだって、俺、今日なにもしてないっすよ?
『ウチの人なんで』って言っただけで、あの人スーッと帰りましたからね。俺、魔法使いかも」
「うるさいわ」
笑いながら言いつつ、心の中では――
(……さすが橋本)
あの一瞬の判断力、言葉選び、立ち居振る舞い。
見事すぎる。
あの距離感。
「てか、あれっすよね。“ウチの人”って言ったとき、結衣さんちょっと引いてませんでした?」
「いや……まあ……ちょっとだけな?」
「うわー! やっぱり! 俺もちょっと気まずかったですよ。でも、あれ効果抜群だったでしょ?」
「うん。正直、完璧だったわ」
そう言いながら、私はようやくハイボールをひとくち。
ぷはぁ。
ようやく、落ち着いて飲める。
「今日はさ、ちょっときつかったんだよな。二人連続でナンパは、さすがに精神削れるっていうか」
「そりゃそうですよ。美人がカウンターに一人でいたら、そりゃあ寄ってきますって」
「お前までそう言うか」
「いえ、俺は事実を述べてるだけです。論理的に」
「論理的うるせぇ」
私がグラスを持ち上げると、橋本もすっと合わせる。
「奢るから好きに飲んでいいよ」
「やったーーー!! 奢りきたーー!!」
「静かにしろバカ」
さすが橋本。
面倒な空気を切ってくれて、ちょっと笑わせてくれて、
そして何より、頼りになる。
こんなふうに頼れる後輩がいるって、悪くないな。
……って、なんだ私、しんみりしてんの。
もう一口、ハイボールを飲んだ。
──帰り道
「今日の橋本、マジで百点だな~~」
「ありがとうございます。俺も自分でそう思ってます」
「調子乗んな……」
ふらふらした足取りをなんとか保ちながら、私は橋本の腕に寄りかかる。
「歩くのは……問題ない。けど靴が悪い。これはたぶん靴のせい」
「はいはい、靴のせい靴のせい」
道端の明かりがやけに眩しく見えて、世界がちょっとグラグラしてた。
でも、まあ大丈夫――な気がした。
「お前の家、そっちだっけ……?」
「違いますけど、今それ聞きます?」
「ちょっと座りたい……っていうか……あれ……?」
……
…………
………………
……まぶしい。
柔らかすぎる枕。知らない天井。静まり返った空気。
体を起こすと、さらさらのシーツがずるっと肩を滑った。
ベッドは、広い。
部屋は、きれい。
そしてその横で、男が――寝ている。
橋本。
……え?
瞬間的に心臓が跳ねた。
(なに……これ……)
昨日の記憶を、急いで巻き戻す。
……焼き鳥食べた。
……ナンパされた。
……橋本が来た。
……歩いてた。
……座った。
――その後、記憶がない。
「……え???」
自分でも驚くくらいの、間の抜けた声が出た。
橋本が、ごそごそと目をこすりながら起き上がる。
「ん……あれ、結衣さん。おはようございま──」
「なんでお前、隣で寝てんだ!?」
「ち、ちちち違いますからね!?!?!?!?」
橋本、跳ね起きる。完全にパニック。
「違うんですよ! まったくやましいことはなくて!!」
「……説明しろ!!」
「はいっ!! 昨日の帰り道でベンチに座って“ちょっとだけ休む……”って言ったじゃないですか!」
「言ったっけ?」
「言いました! しかもそのまま寝落ちして動かないし、俺、置いて帰れないじゃないですか!?」
「…………」
「だから、仕方なく近くのホテルに部屋取ったんですよ! 俺の自腹で! ほんとですからね!?」
「まじか…」
「で、“別々の部屋は寂しいだろバカ”って言われて!!
それで腕つかまれて、ベッド引きずり込まれて!! 俺、完全に被害者なんですよ!?」
「……………」
「ほんとですってば!!」
「うるさい。落ち着け」
(自分にも言い聞かす)
「すみません」
私は、毛布の中をそっと確認する。
服は……ちゃんと着てる。とりあえずそこは安心。
「……はぁ……」
頭痛とは別に、じんわりと額に汗がにじむ。
橋本はベッドの端で正座して、めちゃくちゃ神妙な顔になっていた。
「な? なにもしとらんよな?」
「してません!! 寝ただけです!! 俺、清廉潔白!! 今後の人生かけて誓います!!」
「うるさい……っつってんだろ……」
酒って、怖い。
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