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美人はつらい

――休日



久しぶりに家を出た。


Tシャツにカーディガン、黒のパンツ。


(今日はやってみたかった事……。)


洒落たカフェに一人で行ってみる!!



男時代にはおっさんが一人で行くのは気恥ずかしい気がした。

でも本当は行ってみたかった。


今日こそデビューするぞー!ふんっ(心の中の鼻息)



だが、駅を出た時点で――

男女問わず、すれ違う人が振り返る。

スマホをいじるふりをして、視線だけ向けてくる者もいた。



(毎度の事ながら……やたら見られるな…)




思わず目を伏せ、早足になる。


ようやくたどり着いたのは、駅ビル裏にある落ち着いた雰囲気のカフェ。

(おぉ…ついに一人で来たぞ!)


空いていた窓際のカウンター席に座り、ホットサンドとカフェラテを注文した。


(ついにやった…!)



スマホをいじりながら待っていると――


「すみません、隣、空いてますか?」


隣席にいたはずの客が退席した後、すぐに声がかかった。


見れば、20代後半くらいの男性。スーツ姿で仕事帰りらしい。


「あ、はい……どうぞ」


無難に応じて、視線をそらす。


その後も、数分おきに視線を感じた。

カップを取るたび、スマホをいじるたび、なんとなく視られている。


(頼む、話しかけてくるなよ……)


と願った直後、


「あの……お一人ですか?」


「えっ、はい。そうですけど……」


「外から見かけて、つい……声、かけちゃいました」


男は少し照れたように笑った。


「あ、そうでしたか。ありがとうございます」


(出た、“見かけてつい”パターン……)


笑顔だけは崩さずに、ラテをひと口。

目をそらせば終わると思った――けれど、そうはいかなかった。


「えっと……もし良かったら、なんですけど。連絡先、聞いてもいいですか?」


(うわ、まじか)


カフェの中。周囲に他の客もいる。

けれど男は、ほんの少しだけ声のトーンを落として、こちらの目をまっすぐ見ていた。


(……こういうの、男だったから分かるけど“すげぇな”)


見ず知らずの女性に、こんな堂々とナンパ出来るなんて…。

断られるかもしれない、冷たくあしらわれるかもしれない――そのリスクを超えて、声をかけてくる。

その行動力だけは、ちょっとだけ尊敬できる。


(まあ……やられる側としては困るけど)


結衣はふっと笑みを深め、申し訳なさそうに小さく首を振った。


「ごめんなさい。そういうのは、ちょっと……」


「そっか。ですよね。突然すみませんでした」


男は名刺を出しかけた手を引っ込め、苦笑いで軽く頭を下げると、

「じゃあ、おいしいラテ、ゆっくり飲んでくださいね」


気まずそうにその場を離れていった。


テーブルに残されたカップは、少しだけぬるくなっていた。

結衣は静かにため息をつく。


(……ちゃんと断れた。うん)


コーヒーだけで帰るのは物足りなくて、もう一つ“やってみたかったこと”を思い出した。


(ケーキ、買って帰ろ)


甘いもの――実は昔から好きだった。

けれど、男の頃はなかなか堂々と買えなかった。

コンビニスイーツならともかく、洒落たケーキ屋に一人で入るのは抵抗があった。


(……本当はさ、モンブランとか、いちごタルトとか、大好きだったんだけどな)


今なら別に気にしなくていい。

むしろ、好きなものくらい堂々と楽しみたい。


(今日は絶対、いいの選ぶぞ……!)


駅からケーキ屋までは徒歩五分ほど。

歩道沿いのガラスに映る自分の姿を確認しながら思う。


(確かに……かなり可愛いな、これ)

(……ナンパしたくなる気持ちも、まあ……分からなくもない)

とか思っていたら…


「すみません、お姉さん!」



反射的に足を止めると、二人組の男性が近づいてきた。


「これからちょっと時間あります? 良かったら近くで――」


「ごめんなさい、急いでるので」


そう言って歩き出そうとすると、片方が慌てて前に回り込む。


「五分だけ! 名前だけでも教えてもらえたら嬉しいんですけど」


(名前だけって……)


「ほんとにすみません。人と待ち合わせてるので」


「じゃあLINEだけでも――」


「スマホ、仕事用しか持ってなくて」


「マジっすか? じゃ、Instagramは?」


「SNSやってなくて……」


(本当はバリバリ見るけど、“断るテンプレ”って便利だな)


男たちは顔を見合わせて肩を落としたが、まだ諦めきれない様子で食い下がる。


「じゃあ……またこの辺で見かけたら、声かけてもいいですか?」


「その時、急いでなければ。失礼しますね」


丁寧に会釈し、足早に歩き出す。

背後で「いや~今日イチ緊張したわ」「でも玉砕だったな」という小声が聞こえた。


(……男目線で分かるけど、確かに勇気いるよなぁ)




ようやく目的のケーキ屋が視界に入り、胸を撫で下ろした。

ショーケースには限定ピスタチオシューと、艶やかな苺のミルフィーユ――


(ふふ、甘い物タイム確定!)


気疲れも、砂糖の力で帳消しにできる──そう思いながら歩き出したその時


「すみません、お姉さん!」


(……またかよ)


反射的に足を止めた。けれど今回は、声の主を見て目を見開いた。


男時代、社会人フットサルチームの後輩――山岸だった。


(……山岸。うわ、なつかし)


だが彼は、結衣の正体にまったく気づいていない。


「なんか……すっごく綺麗な人だなって思って、つい声かけちゃいました」



「ありがとうございます」

(ほんと気づいてないんだな……。いやまあ、そうだよな)



「綺麗なんで、街中にいたら絶対声かかるでしょ」

山岸は少しだけ照れたように笑った。



「ああ……まあ、はい……ちょっとだけ」



「ていうか、今お時間あります? もしよかったら、この近くでコーヒーでもどうですか」


(きたなー、王道パターン)



今回は好奇心が勝った。


(……こういうの、正直ちょっと興味ある)


結衣はほんの一瞬だけふっと笑って小さく頷いた。


「……じゃあ、少しだけなら」


「マジっすか? ありがとうございます!」


嬉しそうに笑った山岸を見て、思わずこちらも口元が緩む。


(ナンパについていくとか、絶対しないつもりだったのにな……)

(これはもう、好奇心が勝っちゃったな…)


そう自分に言い訳して、結衣は自然な足取りで彼のあとを追った。



二人で入ったのは、駅近くのカジュアルなチェーンカフェ。

席についてからも、山岸はどこかそわそわと落ち着かない様子だったが、すぐにスイッチが入ったように語り始めた。



「最近フットサルやっててさ」


「へえ、そうなんですか」


「こないだもさ、俺が後半で三点決めて逆転勝ち出来たんだ。皆から“エース”って言われて、正直ちょっと照れた(笑)」



(……おい)


結衣はカップを持ち上げたまま、吹き出すのを必死でこらえた。


(お前、俺と同じでド下手だったろ……)


(トラップもできない、パスもズレる、走ったらすぐバテる――だったろお前)



「今のメンバーも上手いやつ多いんだけどさ“頼れる感”があるらしくて」



(頼れるも何も、後ろで息切らして立ってるだけだったくせに……)



「今なら“魅せるプレー”もできるし」



(誰に見せてんだよ)


思わずラテをひと口、長めにすすってごまかす。


「すごいですね。フットサル続けてるなんてカッコいいです」



「ほんと? まあ、趣味の範囲だけどね。皆に“山岸さんいないと締まらない”ってよく言われるし!」



(山岸…相変わらず明るい奴だな…)



心の中でツッコミを連発しながらも、結衣は懐かしさと面白さに、口元を緩めた。



(ちょっとからかってやるか)


「じゃあ――今度、見に行きますね」


にこりと笑って、そう言ってみた。




山岸は一瞬で固まる。


「……えっ?」


「フットサル。見学くらいなら出来るかなって」


「い、いやいやいや、いやいやいや!」


山岸はなぜか手をぶんぶん振った。


「いや、それはその……男ばっかだし! 汗くさいし! あと、見ても全然面白くないっすよ!? ほんと、しょぼいチームなんで!」


「でもエースなんですよね? 三点決めたって……」


「い、いや、それはその……たまたま! まぐれのゴールなんで! ぜっっったいに、来ない方がいいです! マジで!」



(あー、盛ってたって自覚あるんだな)


「そっかぁ……じゃあ、またの機会にしますね」


いたずらっぽく笑うと、山岸は目に見えてホッとした顔をした。




結衣はラテをひと口飲みながら、内心でふっと笑った。


(ほんっと面白い奴だなぁ。まさか、こんな形で再会するとは)





――カフェの前、夕方の風が少し冷たくなり始めた頃。


「今日はありがとうございました。楽しかったです」


彼女がそう言って軽く頭を下げた瞬間、山岸は思わず背筋を伸ばした。

どきりと心臓が跳ねる。


「い、いえ! こちらこそっ!」


――ほんの数時間前までは、彼女の名前すら知らなかった。

それなのに今、別れの瞬間がこんなにも惜しいなんて。


会釈を交わして歩き出そうとした時だった。


「そうだ。山岸さんって、次いつフットサルの試合あるんですか?」


不意にかけられたその声に、山岸は振り向く。


「え? えーと……来月あたまに、たぶん練習試合が…」


「今度試合あったら、呼んでくださいね!」


にこ、と無邪気に笑う彼女。


――その一言で、胸が、心臓が、一気に跳ね上がる。

ドクン、と音が聞こえた気がした。


「ま、マジですか? あ――あの! 絶対呼びます! ぜっっったい!」


声が裏返ったのも、言葉が多すぎたのも気づかない。

山岸の視界には、彼女の笑顔しかなかった。





翌朝 6:00 近所の河川敷コート


「……よし!」


山岸がひとり、ボールを蹴り出した。

パス練、シュート練――どれもぎこちない。

けれど昨日までとは、明らかに熱量が違う。


(“エース”って言っちゃったからな……)

(呼ぶときは、本当に上手くなっとかないと!)


その場で勢いで話した“かっこいい俺”。

あの嘘を、本当にする為のスタートラインだった。


同じ頃、チームのグループチャットには彼の連投が並ぶ。


山岸:おいみんな、来月の練習試合、本腰入れようぜ!

山岸:来週の朝練、7時集合どう?

山岸:夜もコート取った!


突然のやる気に、仲間からは「どした笑」「雨降るのかな?」とツッコミが飛ぶ。

それでも山岸は食い下がらない。


山岸:いいから来い! 俺、シュート練200本やるから!


まだうまくいかないプレーばかり。

でも、それでもやる。やるしかない。


汗で前髪が張りつく頃、ようやく朝日が昇った。

腕時計を見ると、出社ギリギリの時間。それでも足取りは軽い。


(盛った話を、本当にするために)

(絶対に、今度は“見せられる自分”になってみせる)


その胸の奥には、昨日の彼女の笑顔と、たった一言――

「今度試合あったら、呼んでくださいね!」

あの笑顔と、その一言――あれは、ほんと魔法だった。



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