美少女になっちまったよ
俺――田中誠一、40代のしがないサラリーマン。
その晩、俺は嵐の中を傘も差さずに駅へと急いでいた。終電ギリギリ、部長の長話、全身ずぶ濡れ。最悪な一日だ。
――でも、本当に最悪だったのは、そのあとだった。
バキィィィィン!!
空が裂けるような音と同時に、目の前が真っ白になった。
「っ……!」
耳がキンと鳴り、空気が焦げたような匂いが鼻を突いた。痛みはない。ただ、雨が妙に冷たく感じた。
「今の……雷、か……? 俺に……?」
ふらふらと家に帰り、風呂に飛び込んだ俺は、疲れもあってそのまま浴槽で寝落ちした。
目を覚ましたのは、翌朝。
「……っっつ、寝ちまってた……って、えっ?」
手が細い。爪がやけに整っている。視界に髪がかかっている。
立ち上がって脱衣所の鏡を見た瞬間、俺は全身の血の気が引いた。
「だ……誰だこれ……!?」
そこに映っていたのは、どう見ても20代前半の――とんでもなく可愛い女の子だった。
ぱっちりした目、白い肌、胸元には見慣れないふくらみ。
慌てて体を触る。どこもかしこも、俺じゃない。
「……嘘だろ……マジで、俺なのか……?」
何度顔を叩いても、変わらなかった。
時計を見る。遅刻寸前。
「……とりあえず、会社……行くしかねぇ!」
男物のスーツを無理やり着込む。シャツはブカブカ、スラックスは腰で止めるしかなく、革靴もガバガバ。歩くたびにカポカポ鳴る。
それでも、出社するしかなかった。
駅に着いた時点で、視線が刺さる。
「誰あれ……めっちゃ可愛い……」
「新宿の読モか……?」
会社のビルに着き、所属フロアのドアを開けた瞬間――
「えっ? 誰?」
「新人? ちょっとレベル高すぎじゃない?」
とにかく、注目の的だった。
俺は意を決して、震える声で課長に話しかけた。
「……お、俺です。田中です。昨日、雷に打たれて……こうなってて……」
最初は鼻で笑われたが、過去の案件、内部の事情、部長の酒癖などを事細かに話していくと、課長の顔色がみるみる変わっていった。
「……社長室、行こう。俺も訳が分からん……」
社長室に通され、藤原社長に状況を説明。
俺の顔を見た社長は、しばらく言葉を失ってから叫んだ。
「田中!? マジで田中なのか!? ……なんだその顔……アイドルかお前は……」
その時、内線が鳴った。
『“田中さんの件で”政府関係者が来られています』
応接室に現れたのは、無表情なスーツの男だった。
「まずはお詫びいたします。今回の件は、我々が進めていた極秘実験――生体再構成技術のエネルギー漏れにより、田中誠一さんが巻き込まれたものです」
社長「生体……再構成……?」
「はい。肉体構造に変化が起こり、結果として女性の姿になったのです」
俺「は、はああああ!?」
「これは国家機密です。情報が外部に漏洩した場合は、対象者を“消します”」
俺と社長は凍りついた。
だが、政府職員は淡々と続ける。
「ただし、田中氏の保護を望む立場として、貴社に“庇護・偽装”をお願いしたい。代わりに、国家主導の特別案件を最優先で提供いたします」
「年間の契約規模は……数百億円に上る見込みです」
社長の目の色が変わった。
「数百億……それが……うちに?」
「はい。御社が協力を続ける限り、安定した大型案件が継続されます」
社長は数秒黙った後――笑った。
「よし。こいつは今日から――うちの“姪”だ!」
「……は?」
「身内にしときゃ誰も疑わん。姓は俺と同じ“藤原”。名前は……そうだな、“結衣”。藤原 結衣だ。政府さん、戸籍とか整えてくれるんだろ?」
政府職員「問題ないです。では親族でいきましょう」
社長「完璧だ。お前はもう、藤原結衣。異論は認めん」
直後、社長は俺の出社に居合わせた者を社長室に呼び集めた。
「今から話す内容は、絶対に口外するな。」
事情を説明
「外に漏れたら……お前ら、消されるぞ」
ざわつく空気。
「だが、安心しろ。今回の件、秘密保持に協力してもらう者には――給料を10倍にする!!」
一瞬の沈黙。
「うおおおおおお!!!」
「マジで!?」
「何も見てないです!!耳も塞ぎます!!」
「漏らす奴は俺達が処しておきますぜ!!!」
社長室は一気に熱狂の渦に包まれた。
こうして俺は、“藤原結衣”としての人生を歩むことになった。
……といっても、雷に打たれた翌朝、突然女性の姿になった俺が、すぐ社会復帰できるはずもない。
政府の「保護対象」として、俺は一人暮らししていたアパートを離れ、郊外に用意された一軒家に強制引っ越し。
監視付き、住所非公開、完全非公開のシェルター暮らしだ。
だが、もっとキツかったのはそこからだった。
女性としての訓練が始まった。
「まずはメイクの基本を覚えてください」
「結衣さん、歩き方が男性っぽいです」
「パンプスはかかとを擦らないように」
「口角をあげて、“自然な笑顔”を意識してください」
政府が手配した専門スタッフの指導は、軍隊並みに厳しかった。
そもそもパンプスなんて履いたことない。眉の描き方? 知らん。
ファンデーションの塗り方すら初耳だ。
「……これが俺の新しい人生って、本気か……?」
限界が近づき、思わずため息をついたとき、玄関チャイムが鳴いた。
来たのは――藤原社長だった。
「様子を見に来てやったぞ。どうだ、順調か?」
「いや……正直、もう無理です。こんなの、自分じゃないし……女として生きるって難しすぎて」
そう絞り出すように言った俺に、社長はジッと視線を向けて、きっぱり言った。
「バカ言うな」
「え……?」
「お前は今、うちの――最強戦力だ」
「は……?」
「国家プロジェクトだぞ。お前が前線に立ってくれるから、俺たちは動ける。
政府も会社も、社員も全員、お前を応援してる。
弱音吐くな。やれ。やりきれ。――これはもう、業務命令だ」
社長は、それだけ言って背を向けた。
口調はいつもの冗談っぽいものじゃなかった。
(くっやるしかないのか・・・)
一カ月後
最低限の知識と所作を習得した俺は、正式に“社長の姪・藤原結衣”として出社することになった。
初出社。
何とか慣れたパンプスの足取りでオフィスフロアの自動ドアをくぐった瞬間――空気が変わった。
「……誰?」
「うちの会社にあんな子いたっけ?」
「初めて見る顔……めちゃくちゃ可愛い……!」
フロア中から視線を感じる。まるでアイドルでも来たかのような注目っぷり。
正面から歩いてきた営業の男性社員が、俺の顔を一目見るなり、
「お、おはようございますっ!」
と、明らかに緊張して挨拶してきた。
俺は作り笑顔で軽く会釈しながら、自分の席へ向かった。
(うわ……めっちゃ見られてる……)
パソコンを立ち上げる前に、早くも“接触第一号”が来た。
「は、初めまして!営業部の林です。えっと、今日からですよね? 何か困ったことがあれば、何でも!」
「あ、はい……藤原です。よろしくお願いします」
「これ、よかったら……ちょっとした差し入れなんですけど……」
そう言って差し出されたのは、コンビニのスイーツとカフェオレ。なぜこの人、朝からそんな手が早い?
そこから、まるで噂が噴き出したように次々と男性社員が声をかけてきた。
「開発部の杉浦です! 社内案内、僕でよければ……」
「よかったらランチ、ご一緒しませんか? 近くに女性に人気のカフェがあって――」
さらには名刺を持ってくる者、近所のスイーツを差し入れる者、机に“おすすめの文房具セット”を置いていく者まで現れた。
昼休みには、明らかに俺を囲う形で食事に誘う男たちが3人以上いた。
「うちの部署、今日寿司取ってるんですけど、どうですか?」
「自分はカフェ予約しました! 一緒にどうですか?」
「いえいえ、うちの方でパフェケータリングあります!」
もはや昼飯をかけたバトルロワイヤル状態。
午後になってコピーを取りに行けば、「持ちます!」と声を揃えて手を差し伸べてくる3人。
コップを落とせば即座に4人が拾いに屈む。
「いいよいいよ」
「ケガは無いかい?」
エレベーターでは開ボタンを押し合い、「どうぞ」「いえ、そちらこそ」と無駄な譲り合いの応酬。
(いや、俺……昨日まで40代のオッサンだったんだけどな……)
可愛いというだけで、世界はこんなにも変わるのかと――俺は実感していた。
そして、その視線の渦の奥から、にやにやと笑みを浮かべて近づいてくる男がひとり。
営業部の井口。
この男の登場が、のちに社内を騒がせる“ある噂”の引き金になるとは――
俺はまだ、知らなかった。