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豪奢な天幕で、イシュダヴァは語った。例によって、美酒を満たした盃を手に。
「わたしは生まれながらに魔力が強い。強過ぎて、魔族に目をつけられた。まだ魔術の修行もなにもできていなかった幼子の頃だ。魔族はわたしのもとに来て、こうほざいた――少し早過ぎた。もっと育ってからまた来る、と」
家族はもちろん、村は全滅だった。上級魔族の「訪問」とは、そういうものだ。魔力の圧で、すべてをつぶしてしまう。
人間の魔術師は、術をもちいるときだけ魔力を使う。無駄に魔力を放出することなどない。だが、魔族は違う。自身の力をつねに誇示し、慎みもなにもなく解放している。それをしても尽きない魔力がある、ともいえた。
上級魔族の魔力にあてられた場合、魔力のない一般人は即死しかねない。多少の魔力があったとしても、死ぬのが早いか遅いかの差でしかなかった。訓練された魔術師でもなければ、上級魔族の存在そのものに耐えられないのだ。
それをイシュダヴァは生き延びた。生まれ持った魔力のおかげで。
魔力の変動を察知した近在の騎士団が駆けつけて、イシュダヴァを保護した。彼女は両眼を失っており、額に痣のような、彫り物のような模様があった。解析した魔術師は、魔族による呪いだといった。今の人間に、これを解くすべはない。
「痛みはなかった。見えていたものが見えなくなったのは、おどろいた。だが、それまで見えなかったものが見えるようになっていた。魔力だ。周りの誰がどれくらい魔力があるのか、質はどうか、そんなことがすべてわかった。目で見ていたときより、ものごとの本質を感じているように思った」
ルジェリの予測は当たっていた。その力の来歴は、さすがに想像の埒外だったが。
見せてやろう、と。イシュダヴァは、あの大きくて分厚い目隠しを外した。
イシュダヴァの眼は、閉じられていた。その瞼の下に眼球がないことは、なんとなく察せられた。額には、彼女がいった通りのものがあった。痣のような、彫り物のような――うごめく紋様だ。
「嘘ではないと、わかっただろう」
イシュダヴァは目隠しをもとに戻した。
少し乱れた髪がなければ、目隠しをはずしたことさえ幻覚だったように思われた。
「嘘だとは思っていません」
「そうか? わたしは嘘つきだぞ」
「存じております。ですが、重要なことについては事実だけをお話しになります」
「……まぁいい、とにかくだ。適度に育ったものと考えて、奴はわたしを奪いに来る。今まで戦った中でも、最上級の魔族だろう。この額の紋様を通して、奴はわたしを感じとることができる。逆も真なり、だ。術者である奴には精度で及ばぬだろうが、被術者であるわたしも奴を感じることができる」
あそこにいる、とイシュダヴァは顎をしゃくった。天幕の外、山がある方向だった。
「奪わせません」
「君の手に負える相手ではない」
「無論です。魔族の相手はイシュダヴァ様のお役目です。勝ってください」
は、とイシュダヴァの口が開いた。わずかに息が漏れただけで、言葉になっていない。
ルジェリは言葉をつづける。
「自分の役目は、イシュダヴァ様が後顧の憂いなく戦えるようにすることです。そちらは、おまかせください。ですので、勝利して無事に帰還しましょう」
対決は避けられないものと心得た。であれば、勝つしかない。
まだ言葉がないらしいイシュダヴァに、自分は、とルジェリは話しはじめた。
「平民ですので、士官学校では差別を受けていました。それでも主席で卒業できたのは、あらゆる嫌がらせを回避し、あるいは実害がない程度に受けることで相手に溜飲を下げさせて油断を誘い、叩きのめせるときは実力差をわからせ、闇討ちができないように立ち回ったからです」
「……君はなにをやっているのだ」
「生きています」
ルジェリは答えた。
それこそ胸を張って、自信満々で。
「自分にできること、ぜんぶやって生きています」
ふたたび言葉を失ったイシュダヴァの手をとり、ルジェリは盃を卓上に置かせた。
「……おい、なにをする」
「こぼすのは、もったいないですから」
「変なところがこまかいな」
「こまかいから、主席で卒業できたのです。今も上官の護衛騎士がつとまっているのと同様です」
「参ったな。君のそれ、護衛騎士の職分を逸脱しているのではないか?」
「逸脱するくらいでないと、イシュダヴァ様の護衛騎士はつとまりませんので。それとイシュダヴァ様」
「なんだ」
「あなた様も、やっておいでだと思いますよ」
「なにをだ」
「ご自分におできになること、すべて。やり遂げられた上で、生きておいでです」
イシュダヴァはかるく話したが、視力を失うことも、魔力感知でそれを代替することも、並大抵の経験ではなかっただろう。その上、家族がすべて死んだのだ――自分ひとりを残して。
押しつぶされても不思議ではないが、イシュダヴァは耐えた。
いずれ途轍もない上級魔族に襲われると知っていて、彼女は自身の技術に磨きをかけた。無詠唱などは魔族の呪いの副産物である可能性が高いが、与えられたその力を使いこなしているのは、イシュダヴァ自身だ。
その力と技術で、ずっと皆を守ってきた。戦い抜いてきたのだ。
もっと誇れ、とルジェリは思う。特異な能力の由来など、関係ない。力は力だ。それをイシュダヴァがどう使ってきたかが問題なのだ。
そして、これからどう使うかが。
「諦めるのは早計かと存じます」
「しかし――」
「おひとりで戦おうというお考えを、お捨てください。どうか、皆の力をお借りになってください。あなたの力がなければ失われていた命も、数多いはずです。今まで救ってやった恩を返してもらうとでも、お考えになればよいのです。借りを作った方だって、返す機会がないのは困るのですから」
「――君はほんとうに口が回るなぁ」
「光栄です」
「褒めてないよ」
「いえ、褒め言葉です。ありがとうございます」
明日にそなえて早く寝てくださいというと、イシュダヴァはまだ飲みたいだのなんだの駄々をこねたが、諦めて就寝用の天幕に向かった。論戦ではルジェリに勝てないからだ。
後片付けをしつつ、ルジェリは唸った。死にたがりの原因はわかったが、想定を上回って突き抜けていくような、途方もない話である。
文句をいっていいならば、もっと早く明かしてほしかった。調査や対策に時間をかけられたからだ。いざ決戦前のこの段階では、できることに限りがある。
とはいえ、イシュダヴァとしては知られたくなかったのだろう――魔族に徴をつけられた人間。もっと美味しくなってから食べにくると予告された、悲劇の登場人物。
そういえば、昔話にそんなのがあった。絵本にもなっていた。『魔族の花嫁』という題名だったか。女の子たちが、かわいそうなお話として好んでいたやつだ。かわいそう、かわいそうと涙をこぼしていたから、魔族に食べられて終わるのだろう。ルジェリは「かわいそう」にも「花嫁」にも興味がなかったので、読んだことはなかった。あれも、読んでおけば参考になったかもしれない。
悔いることはいろいろあるが、今それをするのは時間の無駄だ。この先のことを考えねばならない。手持ちのすべてで戦うしかないのだから――彼の魔術師を守るために。