嘘つき魔術師、おのれの境遇を打ち明ける
イシュダヴァが魔族に目をつけられている――伝説にいう「魔族の花嫁」であるという話は、秘匿されていた。
それはそうだろう、そんな危険人物を都に置いておけないとか、さっさと魔族に差し出してしまえとか、あるいはうまく利用しようとか――そういった問題が起きるに決まっている。イシュダヴァが保護された当時の魔術師団長が根回しの鬼といわれる傑物で、必要最低限の部署にのみ話を通し、それ以外、あっちにもこっちにもうまく隠してくれた。
それから三十年ほどが過ぎ、辺境の村がひとつ消えた話など誰も気にしなくなった。イシュダヴァは魔術師団にいて当然の、風変わりだが強い魔術師とだけ認識されている。
だから今、イシュダヴァは生き延びている。
そして、魔族を倒しつづけている。
隠しつづけるのが当然のことと、無意識に思っていた。
……とはいえ、彼女の護衛騎士にはそろそろ話しておくべきだろう。どれだけ救われない絶望的な状況であるかは、知っておいてほしい。
――よくて相討ち。
師団長の評価を、イシュダヴァは思いだす。
自分は、かまわない。あの日に死んだも同然の身だ。ここまで生き延びて戦えていたことを、誇らしく思うのみだ。
だが、周囲は違う。
あの魔族は、存在そのものが脅威だ。魔力の圧だけで、人間を殺してしまう。立っていられる魔術師など、イシュダヴァと師団長以外に何人いることか。あらかじめ防護の魔術をほどこしていても、護衛騎士なら死なないだけで上等だろう。動くことなど期待できない。
誰も死んでほしくなかった。自分が原因となるなら、なおさらだ。
ルジェリには、しっかり認識してもらいたかったのだ――彼女を守ることなど、不可能だと。竜を駆って随伴するのも、控えてほしい。
イシュダヴァは、奴となら差し違えても本望だ。
だが、それに余人を巻き込みたくない。誰ひとりとして。
イシュダヴァのせいで死者が出るなんて、もうたくさんだ。幼い日に、一生ぶん経験した。あんなこと、二度とあってはならない。
そういうわけで、イシュダヴァは彼女の護衛騎士に事実を告げた。
自分は上級魔族に徴をつけられた存在だと。かつて彼女のもとを訪れた魔族は、それだけで村人も、彼女の家族もすべて殺してしまうほど強かった。常時魔力を発しており、術を使うときだけ魔力を乗せる人間の魔術師とは違うのだ、と説いた。
当時の記憶はあちこち欠けておぼろげになっていたが、奴がほざいた言葉は忘れられない。少し早過ぎた、といったのだ。もっと育ってからまた来る、と。
目隠しを取り去って、徴も見せてやった。魔力に乏しいルジェリにどう見えるかは知らないが、それでも察するものはあるだろう。
奴は、イシュダヴァの魔力が増えるのを待っている。そのために徴があって、彼女は奴と繋がっている。
だから、わかる。奴はすぐ近くに来ていて――今度こそイシュダヴァを我がものにするつもりだ。
わたしを奪いに来るのだと話すと、ルジェリは迷いなく答えた。
「奪わせません」
――そう来たかぁ……。
彼我の戦力差を説明したつもりだし、わきまえてくれると思ったのだが。
考えれば、わかることだった。少し前、イシュダヴァが死んだ場合の手続きの話をしたら、護衛騎士の方が先に戦死しますと応じたくらいなのだ。
彼がわきまえているのは、護衛騎士とは担当魔術師を護るものという職務であって、敵戦力が過剰かどうかは別の問題なのだった。そうだ、ルジェリはそういう若者だ。
それでもなんとか説き伏せようと、かさねて指摘した。
「君の手に負える相手ではない」
「無論です。魔族の相手はイシュダヴァ様のお役目です。勝ってください」
役割分担を認め過ぎていて、いっそ潔い。
――若者、まぶしい……。
人型の虚無は、べつに光を発してはいない。なのに、そうとしか表現できない。まぶしい。
結局、イシュダヴァは彼を説得することができなかった。逃げろといっても逃げないだろうくらいのことは覚悟していたが、上級魔族との戦闘を避けろと伝えたら、そこは任せますと来るとは想像していなかった。
ルジェリは論戦に強過ぎる。
彼が士官学校で学んだのは、単なる武官としての戦闘技術や知識に留まらなかった。社会でのふるまい、関係の観察や構築、その他諸々――イシュダヴァが放り投げて久しいものを体得しているのだと、納得せざるを得なかった。
結局、イシュダヴァはさっさと寝かしつけられてしまった。早寝早起き推奨なのは、ここまで来ても変わらないようだ。
――自分にできること、ぜんぶやって生きています。
ルジェリの言葉を、イシュダヴァは思い返す。
そんなに頑張って生きてきた彼を、明日には死なせてしまうかもしれない。
耐え難かった。
――あなた様も、やっておいでだと思いますよ。ご自分におできになること、すべて。やり遂げられた上で、生きておいでです。
そんなことはない、とイシュダヴァは思った。
自分にあるのは魔術だけだ。それに関しては頑張ったと思うが、できることすべて、なんて発想すらしたことがなかった。
イシュダヴァは、やわらかな寝具の上で身体をまるめた。
なにもかも、もう自分が耐えられる限界を超えていると思った。
早く、明日になればいい。明日になって、奴をブチ殺すか殺されるかの勝負に身をまかせたい。
そうしたら、なにも考えずに済む。
――奴に身を捧げるだけで、ほかに犠牲を出さずに終わらせてくれるというなら……わたしはそうするだろうか?
否、と魂が燃えた。否! 否!
おのれの浅ましさが苦しい。
天秤の反対側になにを載せたとしても、奴を殺したいという望みに釣り合うことはない。
イシュダヴァは、決戦の場が用意されることを望んでしまった。イシュダヴァが奴を殺し切ることができなければ、多くの兵が犠牲になるだろう。
師団長は、もっと頼れと彼女にいう。でも、無意識に頼っているのだ。でなければ、こんなことにはなっていない。
誰も死なせたくないと思いながら、団員を引き連れて来てしまった。奴の手下どもに、対応してもらいたかったのだ。作戦に参加した団員はまるごと、彼女の護衛騎士のようなものだ。
ルジェリの言葉が頭に響く。
――自分の役目は、イシュダヴァ様が後顧の憂いなく戦えるようにすることです。そちらは、おまかせください。
ああ、そうだ。皆を連れて来てしまったのは、そのためだ。
気づいてしまった事実を、早く忘れたい。でも、どうしてもできない。忘れるのは得意なはずなのに。
クソだ。自分はクソだ。さっさと死んでしまえばよかったのだ。
そう思うのに、奴を殺すまでは死ねないとわかっている。死にたい。でも死ねない。奴に殺されればいいのか。でも、殺される前に殺してやる。
どんな犠牲も払う――奴をこの世から消滅させるためならば。
けれど、彼女が支払う犠牲は自身の命だけではない。今になって実感した。だからといって、やめられない。
今すぐここを出て、うんと遠くへ行けばどうだろう? 奴はイシュダヴァを追い、この野営地のことなど忘れてくれるかもしれない。あるいは、ひとりでも奴を倒せるかも?
無理だ。奴はそんなに甘くない。手下も引き連れてイシュダヴァを追うだろう。物量で攻められたあとで奴と対峙して、勝てるわけがない。美味しくいただかれてしまうだけだ。魔術師団は必要だ……。
これ以上小さくなれないほど身を縮こめ、イシュダヴァは自身を呪った。
ルジェリの言葉が脳裏によみがえる。
――上官が戦死なさる前に、自分が戦死するはずです。
なにが、士官候補生のまま魔術師団に置いておくのはもったいない、だ。イシュダヴァのせいで、彼は明日にも死んでしまうかもしれない。
ほんとにクソだ。最低だ。こんなこと、もう耐えられない。
あと一日で終わるのだけが救いだ。




