プロローグ『誕生の呪い』
ある長閑な村の二階建ての石造りの家の一室では、
1人の女がこの世に赤子を産み落とそうとしていた。
部屋の家具が全て隅に退かされ、
天井の梁に括られ、
垂れ下がった綱に掴まり力む女の周りには、
村の助産師と、
その助産師に対し、
あまりにも妻が心配だから一緒に出産に立ち合えないかと頼み込み、
直前でようやくそれを許可された女の夫がおり、
まさに三位一体の状態で、
3人の大人が1人の赤子に全力を尽くしていた。
そしてとうとう赤毛の赤子が産まれ、
助産師の手によって臍帯が切られ、
赤子は無事取り上げられた。
女は乱れた息を整えながら、
木の桶に張られた産湯に浸かる我が子をジッと見つめ、
情け無く泣き叫ぶ夫とは対称に、何かを噛み締める様に静かに涙を流していた。
誕生から数か月後
ステイシオスと名付けられた赤子は、
両親の溺愛(主に父の愛)で育ち、
時折姿を消しては、
どこからともなく現れ、
その度に包まっていた布がどこかに行ったり、
それが汚れたりしていた。
それは段々と頻度を増していき、
遂には両親の目の前でスッといなくなり、
不思議な事に別室から彼の泣き声が聞こえるというのが相次ぎ始めた頃だった。
これはおかしいと彼の両親は思い、
村の教会にいる神父にその旨を伝えると、
「呪いですか?最近は病も少なくなってきたと言います。そのようなモノはきっと気のせいでしょう。病は気からとも言いますし、ねぇ?」
「ですが、本当なんです。神父様、どうか私のステイシオスをお救いください」
「本当なんですか?そこの赤ん坊も至って普通……」
と、
最初は信じていない様子だったが、
これまた話の最中にステイシオスが目の前でスッと消え、
どこからともなく現れると、
その様子を見た神父は少したじろぎ、
「ある本を持ってくる」と言って、
教会の奥へ引っ込んでしまった。
そして数分後、
少し角が汚れた、
薄茶色の革で装飾された埃の被った、
分厚い本を持って来た神父は、
彼に起きた現象について、
本の内容を交えながら説明し始めた。
神父によると、
それは誕生の呪いで、
ほとんどの場合は名も無い神々の無害な祝福によるものだが、
ステイシオスにかかった呪いはそんなものでは無く、
ドス黒い悪魔による仕業だと言い、
本のページを捲り、
悪魔のような姿をした化け物が描かれた絵を見せてくれた。
それは転移の悪魔と言い、
遠い昔にあった魔人戦争で猛威を振るった悪魔で、
それによる『転移の呪い』が彼にかかっていると話した。
転移の呪いは、
誕生した世界を起点として、
さまざまな世界へランダムに転移してしまうという呪いで、
行先は分からないが必ず元の世界へ戻って来るという、
だがそれも不確かで戻って来なくなることもあると神父は話した。
そしてその呪いは、
今の人類では解呪する事が出来ないという、
両親にとっては絶望的な一言が添えられていた。
そこから更に数年が経った頃、
両親の以前の数倍にも増した愛を受け取りながら、
無事に育ったステイシオスは赤子から少年となり、
遂には言葉も介するようになった。
「パパ!ママ!見てー!」
「あっこら、ステイシオス!」
「変な生き物~!」
「ステイシオス!また転移したのか!?それは禁止したはずだぞ!」
「えへへへ、ごめんなさーい」
そして驚くべき事に、
彼は昔神父によって申告された転移の呪いを、
もはや日常の道具として、
それこそ息をするように使っているという事だ。
少し目を逸らすとどこかに転移し、
何かを持ち帰って来る我が子を見て、
両親はとても気が気じゃなく、
その度に彼を叱り付けていたが、
彼にとっては産まれた時から身近にあるモノなので、
それを使い叱られる事が不思議でならなかった。
そしてある日、
またもや自らにかけられた呪いを使い、
どこかへ転移したステイシオスは、
そこで思いも寄らぬ出来事に遭遇する。
それは転移後すぐに現れ、
彼の額を斬り裂きどこかへ消えて行った。
突然の出来事による衝撃と、
額に感じる鋭く熱い痛みに耐え切れずに、
泣き叫びながら元の世界に帰った彼は、
すぐに村の診療所で適切な治療を受けたが、
あまりのショックにその以前の記憶が曖昧になってしまった。
当然両親に小っ酷く怒られた彼は、
記憶が曖昧で、
なぜ自分が怒られているのかを理解していなかったが、
きっとこの額の傷によるものなんだなと、
感じていた。
そして、
記憶の曖昧さが功を奏し、
転移の呪いを忘れ、
更にはそれが発動しなくなった。
呪いが発動しなくなって安心した両親は、
その呪いの事をステイシオスには話さないよう決めて、
今まで通り愛情を込めて育て始めたのだった。
あの出来事から数年後、
10歳になったステイシオスは、
呪いを知らない平凡な男の子として日々を過ごしていた。
昼間は村の子供達と遊び、
村の教会が行っている授業を少しだけ受け、
帰って来てから夕飯を食べ、
寝る。
両親は、
我が子が呪いとは無縁の平凡な暮らしを享受出来ている事に、
心から安堵していた。
しかし、
呪いは完全に消えたのでは無く、
鳴りを潜めて転移の力を貯めているに過ぎなかった。
そしてとうとう転移の呪いが暴走し、
両親が恐れていた転移が発動してしまったのであった。