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転生悪役令嬢の後始末【後日談追加】

作者: 黒須 夜雨子

転生した悪役令嬢かもしれない令嬢のお話です。

恋愛要素がほぼ皆無。王太子?いたな、そんなものレベルです。

いつもながら誤字報告職人の方には感謝です!

2024/10/22 後日談を追記しました。



「ルイ元王太子殿下の婿入り先は、オリアーヌに譲ろうと思うのよ」


場所はリュクサンドル王城内、王妃の為にと手入れされた庭園にあるガゼボにて。

そこには四人の令嬢達がお茶の席に着き、周りでは数人の侍女が無駄なく動き、護衛達は付かず離れずの距離で見守っている。

王太子の妃候補として選ばれていた令嬢達によるお茶会は、周囲の忙しない空気から遮断され、周囲からは優雅な時間を過ごしているように見えるに違いない。

本当にそうであったら良かったのに。

リュクサンドル王家とは親戚にあたるシャンボール公爵家令嬢ガブリエルから始まり、堅牢な守りで名高い騎士団の頂きを輩出するカステリオン侯爵家令嬢アレクサンドリーヌ、ヴィリエット辺境伯の掌中の珠と呼ばれる末っ子令嬢ロクサーヌといった、そうそうたる顔触れが揃うことは当分ないだろう。

王国の絢爛たる花々に交ざるオリアーヌは、歴史だけは古いランブール伯爵家の次女だ。

派閥の主家となるシャンボール公爵令嬢のサポートにと、周囲への配慮を怠らない努力家なところを買われ、縁の無いはずだった王太子妃争奪戦にねじ込まれただけにすぎない。

そして紆余曲折はあったものの、全てが恙無く終わりを迎えようとしていのに。


この一年の間に起きたことに対して、これ以上騒動が広がることのないようにと多くの者が動いている。

それは王城内で働く者だけではなく、派閥を問わず多くの貴族にまで影響を及ぼしている有様で。

そんな一連の騒動が起きた一因を担っていたのが、その公爵令嬢であるガブリエルだ。

彼女が至極当然といった様子で口にした言葉と指名に、当の本人であるオリアーヌは驚きを表面上には出さず、「まあ」とだけ言葉を返して口元に揃えた指先で触れた。

きっと同席している他の令嬢達も驚いているだろう。似たような仕草で首を傾げている。

もし驚きではないならば、胸にあるのは自分本位な発言に対する呆れだろうか。

けれど、誰もが感情を露わにすることなどせずに微笑みだけを浮かべていられるのは、長きに渡る王太子妃教育の賜物といって過言ではない。


それよりもガブリエルの発した言葉に至る、そんな事の発端はどこまで遡ればよいだろうか。

オリアーヌは思い返そうとして、そんな長考をするより先にガブリエルの無作法を窘める方が先だろうと、掘り起こしかけた記憶を追い払った。

「謹慎されていらっしゃるルイ王太子殿下の処遇はまだ発表されておらず、ゆえにあたかも王太子としての役割を解かれたかのように、婿入り先をなどと軽々しく話されるべきではありませんわ」

オリアーヌが嗜めるように言えば、他の令嬢も笑みは絶やさぬままに頷いて同意する。

「噂を真に受けられての言動、ガブリエル様の品位を落とすだけでしてよ」

ガブリエルとは別の派閥をまとめるカステリオン侯爵の一人娘、アレクサンドリーヌが美しい所作でケーキを細切れにしていた。そつのない侍女が手元のお皿を入れ替えて、新しいケーキをサーブしてくれる。

「でも、先日の婚約破棄騒動で王太子妃教育は無くなったじゃない」

「ガブリエル様、王太子妃教育は無くなったのではありません。終了したのですわ」

その違いがわからないのか、それともわからない振りでもしているのか、ガブリエルはきょとんとした顔でただ見返すだけ。

「本当にガブリエル様は小鳥のようですわね」

アレクサンドリーヌが微笑みながら言うのを、私も小鳥は可愛いから好きよと言って笑い返すガブリエルには真意など伝わらないだろう。

小鳥は親鳥に餌を求めて声高に囀る。

つまりは煩いから喋るなという意味だ。

長らく領地で過ごしていたことから少しばかり風変わりな令嬢に育ったからか、それとも元来の気質か、編入という形で在籍していた学園では常に成績は上位に入っているぐらい優秀だったのに、そのくせこういった貴族の社交はあまり得意ではない。

自分本位にころころと変わる会話からも一目瞭然だった。

「どっちでもいいけど、王家からお詫びとして新しいご縁が貰えるわけじゃない!」

身を乗り出してきたガブリエルの手元で、華奢な輪郭を持つティーカップが微かに揺れてカチリと音を立てる。

「今回の騒動の責任をと、ルイ元王太子殿下が廃嫡されて公爵家に婿入りする噂があって迷惑なのよ!

我が家の跡継ぎには可愛い義弟がいるから、私はどこかに嫁ぐつもりなのに!」

「ガブリエル様、誰から聞いたのかは知りませんが、噂などと根拠の無いものに踊らされてはいけません。

今後については今日お話を伺う予定で、まだ何の結果も私達は聞かされていないのですから」

今の城内では余りに多くの噂が真偽を確認されることなく出回っている。

ガブリエルの言ったことも、多くある噂の一つに過ぎない。


「そうなんだけど、オリアーヌの相手って辺境伯なのよね?」

「皆様のお相手の一人、ですわ」

本当に誰から聞いたのやら。

ガブリエルにいらないことばかり吹き込んだのが誰か、少しばかり調べる必要がある。

そして仲良く囀る小鳥達が喧しいのであれば、相応の罰も必要となるだろう。

確かに城内では明るい話がほしいのか、婚約者候補達に王家が用意した縁談の噂は、思いのほか早く出回っているようだ。

隣国の裕福な侯爵嫡男や小国の第五王子といった中に、辺境伯の名前はリストに連なっていたのも事実ではある。

「オリアーヌは大人しいから、きっと穏やかでいい方なんでしょうね。

もしくは頼りがいのあるしっかりした大人の男性かしら」

そっとロクサーヌへと目を向ければ、扇で口元を隠しながら目を細めた。

見えぬ口元は声を出さず、ガブリエルを罵っているのだろう。

「誠意には誠意を、礼節には礼節で返す、優秀な方をこよなく愛する方ですわ」

いいじゃない、と胸の前で両手を打ち鳴らしたガブリエルは、とても満足そうな笑みを浮かべている。

お茶会が始まってから終始ご機嫌だったが、これは彼女の思惑のままに事が進んでいるということだろうか。

「よかった!私、不誠実な人って嫌なのよね。

貴族として生まれたからには仕方ないのだと、ルイ元殿下の婚約者に選ばれた以上は責任を果たそうと思ったのに、私が気に入らないのか冷たい態度ばっかり。

こっちだって王太子妃教育で忙しい中で時間作っているのに、お茶会をしてもすぐに切り上げて席を立つし、国の為になるような施策を提案しても、ちゃんと聞きもしないで議会に申請するようにって言うだけ。

その上、聖女だといって異世界転生してきた子をいつも連れ歩いて、どう考えたって王道の婚約破棄ものじゃないの!

いくら王命だからといって、互いに支え合うつもりのない方と家族になんてなれないと思うのは当然でしょう」

「異世界転生が何かはわかりませんが、アカネ様は聖女ではなく聖霊でいらっしゃいます」

そんなのどっちでも変わらないわと言って、ガブリエルがカップを手にする。

「つまりは王太子の不貞からくる婚約破棄からの追放失敗系で、他国の王子とか辺境伯からの溺愛モノで確定だし。

私がピンときた人でいいのなら、行先は辺境伯で決定かな。

妹になるロクサーヌ様が私を嫌っているのがネックだけど、そういうのも山場として必要だから仕方ないものよね。

ロクサーヌ様のお兄様といえば『氷の騎士様』って有名だから、本当それっぽい」

小さな声のそれは、他の令嬢達に聞かせる気があるのかないのかわからない。

そんなガブリエルの言葉にはいくつか意味の分からない単語があったが、簡潔にまとめれば、『自分の言うことを聞かない相手など必要なく、悲劇の主人公ぶって適当に辺境伯地にでも嫁げば勝手に大事にしてもらえると思っている』ということだろうか。

ガブリエルの発言には色々と訂正をしなければいけない箇所があるのだが、もう何を言っても都合の良いようにしか受け取らないのはわかっている。もしくは都合の悪いことは一切耳に入らない。

やる気さえ出せば全てが完璧であるはずなのに、どうして思考と言動がこうも残念なのか。


頭が痛くなる主張の前でも溜息は喉の奥へと押し込み、笑顔は絶やしてはならない。ぐっと姿勢を正して、穏やかに見えるよう微笑みを浮かべたまま。

「今のお話はシャンボール公爵様にはされていらっしゃいますか?」

彼の人は妻に似たという愛娘に弱い。同時にそれさえなければ大変有能な方だ。

公爵家としての立場はある程度守りつつ、上手く立ち回ってくれるだろう。

これ以上、主家の失態は見たくない。

「お父様は好きにして構わないと言ってくれているわ」

ならば、彼女が辺境伯領に嫁ぐのは確定事項。

このお茶会の意味が無くなってしまったが、久しぶりに婚約者候補時の同志であったご令嬢方と会えたのは良かった。

「ガブリエル様のご要望は理解しましたわ。

辺境伯領へ嫁がれることを要望されるのでしたら、どうぞよしなに」

これで話はおしまい。

オリアーヌが穏やかな声で言葉を紡げば、ガブリエルは満面の笑みを隠すこと無く立ち上がると挨拶だけは美しく、そのくせ軽いステップでも踏みそうな足取りを隠そうともせずに侍女を伴って立ち去っていった。

侍女が冷えた眼差しをオリアーヌに向けたが、彼女もガブリエルを好ましく思っている手合いかもしれない。

もしくは主家の令嬢に対してへりくだる態度を見せない、たかだか寄子の伯爵令嬢に対しての苛立ちか。はたまた大切な主が辺境伯領に嫁ぐのを止めなかったことへの怒りか。

何故か彼女は周囲の、特に使用人といったあたりに好意を持たれやすい。

多くの使用人が親しみやすいからだと言っているけれど、それが異常なことだということに気づいていないのだ。


ご機嫌なガブリエルの姿が完全に消えるまで見送り、護衛騎士から「もう大丈夫です」と言われた途端、令嬢達は誰もが深い息を吐いた。

「不誠実な方がお嫌いって、まさか自己紹介をされるとは思ってもみなかったわ。

ルイ王太子殿下が謹慎となった状況に追い込んだ元凶なのに、全く反省する様子も見せないのはどうなのかしら。

私たちがここを去る前にお茶会を希望されたかと思えば、自分本位な話ばかり」

オリアーヌの横でアレクサンドリーヌが呆れを隠さず扇で自身を煽ぎながら隠す気もなく棘だらけの言葉を吐く。少し行儀が悪いがガブリエルが立ち去った今、内輪だけの席になったのだから無礼講で問題ないだろう。

「ご自分のされたことに自覚が無いのでしょう」

そう返せば、反対隣に座るロクサーヌもテーブルに肘をついて盛大に溜息をつく。

彼女の目の前のケーキには、デザートナイフが垂直に刺さっていた。これは大分お怒りだわと、オリアーヌは心の中で溜息を落とす。

「あの方は辺境伯領がどんな場所なのか、本当に理解していらっしゃるのかしら。

王都で蝶よ花よと育てられたご令嬢が、あの環境なんて耐えられずに早々に心が折れると思うけど。

それに随分と勘違いされていたけれど、リストに載っている辺境伯は我がドーヴェルニュ領ではないことにいつ気づくのかしらね」

現地に着くまで気づかないかもよと言って、アレクサンドリーヌがそよそよと手持無沙汰に扇を揺らした。

「気づかれないままがよろしいでしょう。ロクサーヌ様のお兄様も、私のお兄様も既に婚約者がいて心底ホッとしたもの。

一体何に固執されているのかわからないけれど、これ以上振り回されるのはもう沢山」

これにはオリアーヌも頷く。


この一年にも満たぬ期間で、誰もが彼女に振り回されたといって過言ではない。

王家とオリアーヌに至っては、それよりもずっと前から。

「それにしても、まだ婚約破棄なんて言葉を口になさるのね。

いくらシャンボール公爵家が主家とはいえ、本当にオリアーヌ様は苦労なさいましたこと」

「いえ、本来ならば私からガブリエル様にきちんと伝えるべきところを、皆様にご協力頂いてもこの有様。

恥ずかしい限りですわ」

言いながら口にしたお茶は香り高く、名ばかりな伯爵家の娘でしかないオリアーヌでは飲めないものだ。

これを彼女達と何度飲んだことだろうか。

「謝って頂くことではないわ、あの方を制御するなんて不可能ですもの」

大きく息を吐いたロクサーヌが目を眇めて、ガブリエルが消えていった先を見る。

彼女を幼い頃から知っている。

王家に王女がいないことからお姫様扱いで、天真爛漫でありながらも立場をよく理解した少女だった。

溌溂とした態度と賢さの滲み出る言葉に、将来は王妃か女公爵かと言われた程だったのに。


オリアーヌは近くに控える侍女達を見る。

アンリと呼べば、一人の侍女見習いが前に進み出た。

「公爵家に居着いた猫に、彼女の日記を持って屋敷を出るように伝えて頂戴。

昨日と少し前の辺りまで。きっとガブリエル様の思惑が書かれているでしょう」

侍女見習いは一礼して、オリアーヌから離れていく。

彼女から彼女の生家、そこから彼女の母君のご実家である子爵家を通してシャンボール公爵家に潜り込ませた使用人に指示が回され、逆の手順を辿って手元に報告がくる。

少し日数はかかるが危険を避けるためにも多少の回りくどさは必要だ。

けれど、今日でその必要はなくなる。

国王陛下との謁見はもう暫く。

撒き餌の成果は上々であるし、後は大人が上手くやってくれるはず。

ようやく全てを終わらせることができるのだ。




*-*-*-*




時は少しばかり遡る。

社交シーズンが始まってそれなりに日々が過ぎ去った頃、第二王子が御年14歳となる生誕を祝う夜会は、自分の娘こそが第二王子の心を射止めるのだと異様なまでの熱気に満ちていた。

王太子は健やかであれども、いつ何が起きるかわからない。

既に大半の貴族達が、この半年の間に王太子妃となる候補達の教育に支障が出ていることを知っている。

もしかしたら自分の娘が王太子妃になる、という可能性もあるのだ。王になれなかったとしても王家と縁が持てるのは多くの栄誉と利益を得ることができるだろう。

王太子妃候補に加わるには年の足らなかったご令嬢達も、第二王子殿下であれば十分釣り合う。

扇の下に、社交的な笑顔の下に野心を隠して始まった夜会は、すぐに全ての野心がガブリエルの起こした喜劇によって木端微塵にされるなんて知らないままに。


「人目を避けて別室で話したいなど、殿下にやましいことがあるからではないのですか?」

唐突に上がった声は夜会の場に響き、誰もがダンスや歓談を止めて声の主へと視線を向けた。

アレクサンドリーヌやロクサーヌと話していたオリアーヌもその一人であったが、声の主を見つけた瞬間に笑みが消え失せるのを止めることはできなかった。

二人と目配せをして、急ぎこれから起こる喜劇の舞台へと向かっていく。

皆の視線の先にはルイ王太子とガブリエルだ。

「他者に聞かせる話ではないのだから、応接室で話したいと言っているのだ。

何度呼び出しても体調が悪いと断られているゆえ、今宵姿を見かけた以上は話をする必要があると声をかけただけに過ぎない」

「そんな風に言って、自分に後ろめたいことがあるから証拠に残らないよう、人目を避けているだけではありませんか」

ルイ王太子は溜息を落としそうな顔でガブリエルを見つめ、「愚かな」と言葉を返す。

「王家に対しての侮辱と取られかねない発言は慎むといい。

それに未婚の女性に対して二人きりで話をすることなどせず、城内であるがゆえに私にも必ず誰かが付き添っている。

近衛騎士が近くにいるのも見えているだろうに、彼の騎士道精神を侮辱しないでもらいたい」

けれど、ガブリエルはルイ王太子の言葉に臆することなく口を開いた。

「殿下の話し方は、さも私に非があるような印象を与えますが、あいにく私には殿下に呼びだされるような何かをした覚えがございません。

それに人に言われて困るようなことも。

さあ、この場で遠慮なく仰ってください」

こうなれば売り言葉に買い言葉である。

「既に公爵家には通達を行い、正規の手順にて貴女は私の相手から外される」

ルイ王太子の口から滑り落ちた言葉は取り消しのできないものとなり、ガブリエルが淑女らしからぬ笑顔で応えた。

「謹んで婚約破棄を受け入れますわ」


その瞬間、周囲の空気が変わった。

婚約破棄だなんて、と微かに聞こえた声はアレクサンドリーヌのものだ。

オリアーヌ達は王太子妃候補であり、誰もが婚約など交わしていない。

王太子妃候補として切磋琢磨した結果、誰か一人か、王太子妃一人では厳しい場合は側妃が選ばれ、選ばれなかった令嬢も今までの苦労を讃えられて身分に応じた縁談を王家から用意されるのだ。

そのため、王太子妃候補は誰もが内定されるまで婚約者ではない。

誰もが知っている常識であり、だからこそ公爵令嬢であるガブリエルがそう発言したのならば、既に内定されていたのだという誤解が生まれてしまう。

確かに王太子妃の内定はされていた。けれど、それはガブリエルではない。

余りの発言に、咄嗟に王太子殿下が反論できずにいたのも悪かった。

「婚約破棄、結構ですわ。殿下が私を厭うように、私は不誠実な人が大嫌いなのです。

私だけではなく他のご令嬢方とも会う時間を作られず、他の世界から呼んだ女性を片時も離さず侍らせて、周囲に寵愛する様を見せる始末。

これを不貞と言わずに何といいますか!」

貴族達の間に流れている空気が更に変化する。

ガブリエルはあまり社交界に姿を見せないことから、彼女の可憐な外見、そして目に涙を浮かべながら他の令嬢を庇うかのような発言に、決して彼女の正義を信じきってはいないが王太子殿下の不誠実さを疑い始めている。

「更には身分の釣り合わない令嬢を王太子妃に迎えようと、我が公爵家に養女の打診をしているとか。

これを裏切りと言わずに何だと言うのですか!」

どこから漏れたのか。

これは後でシャンボール公爵に報告しなければならない。

でも、先にしなければならないのはルイ王太子の近くに参り、誤解だと主張することだ。


「これは一体何事か」

どこまでもタイミングの悪い陛下の入場に、ガブリエルが美しいカーテシーを披露した。

「王国の輝ける太陽、国王陛下にご挨拶を申し上げます。

第二王子殿下のおめでたい席にも関わらず、この場で王太子殿下より婚約破棄を言い渡されただけですわ」

なんてことを。

婚約破棄を除けば、言っていることはおおむね事実ではある。

けれど、あらぬ誤解と偏見を与える一番最悪な伝え方だ。

陛下は状況を理解されているとはいえ他の貴族達はそうではない。最初のやり取りを見ていなければ、夜会という場で王太子妃として内定したガブリエルに婚約破棄を言い渡した愚者だと思われる。

彼女の言葉を訂正するために発言の許可を頂かねばと、貴族達の間を縫って急ぐも間に合わない。

「婚約破棄を言い渡されたこの身では今宵の祝いに参加するのも憚られましょう。私はこれにて失礼致します。

お話し合いの場が必要でしたら後日父にでも。

それでは、御機嫌よう」

優雅な足取りで去っていくガブリエル様を止めることはできず、ようやく貴族の輪から抜け出したオリアーヌ達だが、長年尽くした王太子殿下からガブリエル同様に裏切られたのだと憐れみの視線を浴びるだけ。

今の時点で何を言い募っても、誤解を訂正しても、信じてもらえるのか疑わしい状況であり、何より第二王子殿下のめでたい席を台無しにしてしまったことから、ルイ王太子殿下と共に夜会を退場することとなった。


その翌日からの処理は目まぐるしいものだった。

まずはおめでたい場での失態によるルイ王太子殿下の謹慎。これは貴族達の誤解が解けるまでとされている。

それから異例ともいえる王家から公爵家への抗議文と、今季の社交シーズンに王家で主催される夜会への参加不可の通知が正式文書として送られた。

王家に一切の非が無いというアピールだ。

実際、周囲の貴族からの証言を集めてみれば、ガブリエルから話しかけたかと思えば、ひたすらに聖霊たるアカネ様とのあり得ぬ不貞を糾弾していたという。


王家にここまでの不敬を働いたのであれば、本来ならガブリエルを伴って公爵は王城へと推参するべきなのだが、夜会でのことがショックで体調を崩したとして事前に用意していたかのように翌日の早朝には領地へと移動している。

領地に着いた瞬間に領内で流行っていた風邪に罹り、現在は移動もできない程に衰弱しているとのことらしい。

ここまであからさまな嘘をつかれるとは思わず、貴族達の間で噂となっている。

現陛下と公爵夫人がご兄妹であらせられるが、既に降嫁した身であり、どれだけ尊き血が流れていようとも臣下でしかないのだ。

王都に公爵は召致に応じて参じているらしいが、そこでどんな話がされたのかは語られず、それが益々貴族達の間で巡る噂に尾鰭を付けていく。


曰く、本当に王太子殿下は不貞をしており、不誠実にも婚約破棄を起こしたので内密に慰謝料が用意されたとか。

曰く、ガブリエル公爵令嬢は領地に恋人がいるため、こんな喜劇をでっち上げたとか。

曰く、王太子妃に見合う令嬢が誰もいなかったため、王太子がガブリエル公爵令嬢に頼んで全てがご破算になるように演出されたとか。


実に不愉快な噂が蔓延する中で、それでも関係者は黙秘を貫き、ガブリエル公爵令嬢の帰りを待つ。

既に彼女の日記は王家の手にあり、オリアーヌ達も一通りは目を通している。

余りの内容に眩暈を覚えたが、それよりも感じたのは怒りだった。

ガブリエルのいる領地は、彼女に甘い侍女に嘘を吹き込んで迎えに行かせた。

上手に言いくるめて連れて帰ると返事が届いたのは三日前。領地との距離を考えると、後一週間もすれば彼女の乗った馬車は王都に帰ってくるだろう。




*-*-*-*




城の侍女に誘導されて入室した謁見の間には、陛下とルイ王太子殿下、それから国政を担う重要人物が顔を揃えている。

一足先に入室していたのか、ガブリエルが楽し気な表情で立っていた。

三人が礼をすれば陛下が頷き、そこでオリアーヌ達はそれぞれの親の元へと向かう。

王の目の前に立つのはガブリエルとシャンボール公爵だけだ。

さて、と陛下が貴族達を見据える。

「先だって王家主催にて催された夜会にて誤解が生じ、あらぬ噂が立っていることから改めて宣言しよう。

シャンボール公爵令嬢については再三に渡って通達するも王太子妃教育に参加をせずにいたこと、ようやく一年前より登城していたが王太子妃教育が終了する見込みがないという判断の元、既に婚約者候補から外れている。

それを正式に通達しようにも再び登城に応じぬことから、あのような結果に至った」

咳払いが一つ。

「ただし、内容はどうであれ夜会の場を騒がせたのは事実であることから、現在ルイ王太子は謹慎処分としている」

ルイ王太子は小さく頭を下げ、そうしてから何も無かったかのように顔を上げた。

「シャンボール公爵令嬢、先日の夜会での騒動について当日周囲にいた貴族達に聴き取りをした結果、そなたに問題があると判断せざるを得ない結果となった」

「私は、私の意志を貫いたまでですわ。

処罰を下されると言われるならば、甘んじてお受けするだけのこと」

陛下の言葉に毅然とした眼差しで返すガブリエルには、きっと確固とした意志があるのだろう。

もう十分だ。どれだけ彼女に強い想いがあろうとも、誰も彼女を許さない。

「何が問題であったか一つずつ説明しても、今更時は戻らぬので敢えては言わぬ。

とはいえ、そなたは王族に近き者であり、私にとっては唯一の姪である。

長きに渡って貢献してくれた公爵家に処罰は与えることなく、成人したそなたが先日の騒動の責任を取ることを落としどころとする。

自ら望んだということだが、辺境領に嫁すということで異存はないな?」

「はい、異存はございません」

微笑みを浮かべたガブリエルの横で、彼女の父であるシャンボール公爵が曖昧な輪郭で笑みだけ作っていた。

横に立つ娘を一切見ることなく、これが予定調和なのだと物語るように頭を下げる。

「そなたが罪を受け入れたのだと判断し、辺境伯への嫁入りを認めよう。

これは王家に連なる家系であり、そして国の軸となる公爵家の地位が揺らぐことで混乱を招かぬように、比較的穏やかな罰で済んだのだと肝に銘じ、日頃から口にしていた画期的な改革を先ずは国境にて起こしてみせるとよい。

だが王太子が王となって特赦が出るまでは、都に戻ることは許さぬ。

またシャンボール公爵からも今より家族としての縁は切るとのことだ。貴族籍に名を残すことを許したことには感謝するように」

「それが王命でしたら」

どこまでも優雅に、まるでこうなることを待っていたかのような。

いや、こうなることを待っていたのだ。

彼女の幸せはここから始まるのだと信じて。

変わらず美しいカーテシーを披露して彼女は去って行く。

唯一の味方であったはずの父親すらも置いて、廊下に出た彼女に駆け寄るのは侍女やガブリエルのための執事で、それも扉が閉まることで視界から消え去っていった。

父親であるはずのシャンボール公爵は後を追うことなく、ゆるりと視線を陛下へと戻す。


「シャンボール公爵令嬢の処遇が決まったところで、改めてルイ王太子の妃となる令嬢を発表する」

前へと言われ、再び三人は家族と共に王の前に立つ。

オリアーヌは父であるランブール伯爵とシャンボール公爵に挟まれた状態だ。

「先ずは今まで王太子妃教育を受けてきた令嬢達に感謝を述べよう。

誰が選ばれるかわからない中、裏表無く切磋琢磨してきたことを皆が知っている。

王太子妃となれずとも、誰もが我が国の輝ける至宝となるだろう。

選ばれなかった者にも相応の縁談を用意している」

労りの言葉に唇に微笑みだけを乗せ、誰もが美しい礼を披露する。

「ランブール伯爵令嬢、そなたには特に多くの苦労をかけた。

本来妃としてはありえぬ家格ではあるが、誰もがそなたを推挙する程の器へと育ったことは事実である。

何より、ルイ王太子と心を通わせた上に他の令嬢とも交友を深め、なおかつ有益な国策を提案し、施行にまで至った手腕は王妃として相応しい」

どよめきに囲まれる中、この数年のことがぐるりと巡る。

辛くなかったなんて言えば嘘である。

誰よりも家格が低いゆえに、誰よりも努力が必要だった。

寝る間を惜しんでの予習と復習。家での食事や休憩のお茶ですら行儀作法の場となった。

学園への通学中の馬車では詩を諳んじ、時には気分が悪くなるまで活字をなぞる。

出かけるときは必ず流行を追い、領地に帰る時に他領を通るならば視察の気持ちで観察し、その土地の人々にも質問をした。

数少ない王家以外でのお茶会は三人で固まることなく積極的に他のご令嬢へと話しかけ、情報を持ち帰っては共有する。

誰もが王太子妃に選ばれるという気持ちで臨んでいたのだ。

だから誰が選ばれても恨みっこなしねと、ロクサーヌが笑って言い、私じゃなくても許せるわとアレクサンドリーヌ様がツンと澄ました顔で言う。

三人で走り抜けた大切な思い出だ。

「シャンボール公爵家に養女として入り、王太子妃となる準備を進めるとよい。

これは王命である」

「謹んで拝命致します」

小さく始まった拍手が大きくなる中で、オリアーヌは胸を張って立ち続けた。




*-*-*-*




公爵家の応接間で公爵夫妻と向かい合うようにしてオリアーヌは座っていた。

「この度は養女として迎え入れて頂き、ありがとうございます」

オリアーヌの言葉に公爵夫人が寂しげに笑う。

「いいのよ。貴女は幼少の頃からここに遊びに来ていたのだもの。

娘同然なのだから嬉しいわ。

今でもガブリエルと楽しそうに遊んでいたのを思い出すのは簡単ですもの」

ガブリエルは間もなく出立の日を迎えるので忙しそうにしているが、公爵夫妻はどちらも顔を合わせていないらしい。

公爵夫人は娘を二度失うことになる。

最初は人が変わったようになった時、そして今。

ガブリエルの容姿は母親似だが、髪と目の色は父親似だ。

中身が違ったとしても娘の姿をした者を失うのは辛いだろう。

対して、シャンボール公爵にあるのは怒りだった。

「私はね、本当にガブリエルを愛していた。

急に態度が変わった時も、心境の変化があったのだと受け入れようと思っていたのだよ」

なのに、とシャンボール公爵の握ったこぶしに力が入る。

「外側はガブリエルの、中身は得体の知れない誰かだったなんて、神が許そうとも私は許さないと決めたのだ」

吐き捨てるように言われた言葉には、憎悪が塗り込まれているかのよう。

シャンボール公爵の言葉にオリアーヌも頷く。

「仰る通りです。私も絶対に許さない」


ガブリエルの変化に気づいたのは、彼女の侍女とオリアーヌが最初だった。

シャンボール公爵の派閥に属する伯爵家でガブリエルの一つ上に生まれたオリアーヌは、華々しい未来が予想された可憐な公爵令嬢のサポートができるよう、早い内から引き合わされて姉妹のように育った。

週末ともなれば公爵家に向かい、小さなお姫様を守るためにオリアーヌが奮闘するのを、誰もが微笑ましく見守っていたものだ。

夏季の休暇ともなれば、交互に互いの領に訪れては双方の家族と過ごすのが当たり前で、ガブリエルが王妃や女公爵になろうとも、ずっとそんな関係が続くとオリアーヌは思っていた。

八歳を迎えた頃、彼女が誤って玄関の段差に躓き、頭を強かに打つまでは。

家族や使用人達が心配する中、目覚めた彼女は驚いたように周囲を見渡し、一過性の記憶障害を起こしていた。

それから少しすれば落ち着いたようにも見えたのだが、一緒に過ごす時間が長かったオリアーヌと当時の侍女は違和感を覚えたままで。

どこか掛け違えたボタンのようで、余所余所しさはないけれども今までとは違って使用人にばかり話しかけ、外に飛び出すようになってしまった。

当たり前のことを急に確認し、逆に彼女の成長過程ではまだ必要のないことを質問してくる。

公爵夫妻は元気になったのならば良かったと見守っていたが、理由のわからない気持ち悪さを抱えたままのオリアーヌはガブリエルの侍女から日記の存在を報告された。

どことなく迷いながら差し出された日記に後ろめたさを覚えながらも目を通せば、まだ幼いオリアーヌは戸惑いながらもガブリエルが『転生者』という者の魂と入れ替わったのだと知ったときには、驚きや恐怖よりも怒りが勝った。

ガブリエルは大切な妹のような存在だ。

そんな彼女が『悪役令嬢』にされる未来ゆえに回避しようと書かれていたが、オリアーヌから言わせれば、何も決まっていない将来を勝手に決めつけた挙句にガブリエルの体を乗っ取って好き勝手をしているのだ。

他にも日記に書かれた王太子による冤罪からの婚約破棄、『ヒロイン』と呼ばれる存在、そして悍ましい『悪役令嬢』や『ざまぁ』という言葉に込められた意味。

すぐにオリアーヌは公爵夫妻に報告する。

最初は信じられない様子だった公爵も、侍女以外に間諜に長けた者を監視に付けた結果、少女らしからぬ言葉使いや出会ったことも教えたこともない貴族の令息令嬢の名前が大量に出てきたこと、見たこともない料理やお菓子を長年の経験者のように作っては使用人にだけ披露している姿、聞き覚えのない用語をふんだんに使った日記の中に書かれた不思議な名前に、彼女がガブリエルではないと理解してくれた。

そこからは関係者全員が荊の道を踏むかのような想いだった。


ずっとガブリエルの体を好き勝手に使う『転生者』に憎悪を燃やしながら、その素振りを見せないように注意し、王家も公爵家もガブリエルを元に戻す術を探していた。

王太子妃候補には入りながらも王太子妃教育から逃げ出した偽者を、そのまま監視の目を付けるだけにして領地で過ごさせていたが、いつか戻ってくる本物のガブリエルが悲しまぬように、以前使っていた本物の彼女の部屋はそのままに残して違う部屋を当てがってある。

最終的には元に戻ったとしても公爵令嬢としての教養を学ぶ期間を失った場合は、地位を気にせず好きな相手と結婚して静かに領地で過ごせるように小さな屋敷だって用意していた。

本当のガブリエルを知る者は誰もが彼女の帰りを待っていたけれど、とうとう彼女は戻らぬままに成人を迎えてしまった。

そして、『転生者』が書いた日記には事が上手く進んでいるのかわからないこと、自分がどういった世界に転生したのかわからないから、もしかしたらガブリエルは悪役令嬢ではなかったのかもと書かれているのに絶望がオリアーヌを襲い、悪役令嬢でなかったかもしれないが結果的にそれっぽくなったので問題無いと書かれたときには日記を放り投げて号泣した。

これが神の思し召しかはわからない。

もしそうなのだとしたら、ガブリエルに何の落ち度があったというのか。

公爵令嬢だから『悪役令嬢』で転生者が乗っとるべき対象だというのならば、オリアーヌは神ですら許すつもりはない。

そんな者のためにガブリエルが生まれ、そして全てを奪われたのが当たり前だとするのならば、どうしてそんな歪な侵入者のために幸せを望めようか。

ガブリエルの皮をかぶった悍ましい魂に、ガブリエルが享受するはずだった幸せも、『転生者』とやらが想定していた幸せも与えるつもりはない。


ガブリエルはロクサーヌが生まれたヴィリエット辺境伯領に嫁ぐと勘違いしていたが、向かう辺境伯領は国の一番北に位置した全く異なる場所だ。

この国は縦に長いため、土地ごとの寒暖差は大きく異なる。

王都より南にあった気候穏やかな公爵領で過ごしていたガブリエルには厳しい土地となるだろう。

シャンボール公爵は辺境伯との婚約にあたって白い結婚であり、最低限の貴族らしい生活を保ってくれれば苦情を申し入れることはしないという契約書と多額の支援金、ガブリエルの個人資産を少額だけ用意していた。

連れていく侍女も今の彼女を崇拝する者を一人だけ、荷物を載せた馬車も二台だけという。

公爵家から嫁すにはあまりにも貧相だ。

そして領地暮らしが長くて王都の噂に疎いガブリエルには知らされていないが、北の辺境伯は既に愛人が二人程いる。もしかしたら三人になるかもしれないが。

あの地では子沢山であるほどいいと、地位のある者ほど愛人を多く囲う。

辺境伯は合理的で効率的であることが好まれるので、良い施策を出せるならば重宝されるだろうが、それも雪にまみれた土地でいかに寒さに強い短期間で実る農作物を育てられるかや、木材や薪を早く乾燥させられるかといったものが重要視される。

彼女の提案は決して悪いものではないのだが、「郵便制度」や「光熱費」と呼ばれる生活費用を公共が管理する体制は国で行われるべきであり、けれどそんなことができるのは成熟した文化があればこその話である。

彼女の生きていた世界では国民が個々に通信機器を持てる、高水準な生活を送れる土壌があればこそであり、手紙を出す以前に識字率をいかに高められるかが課題の時点で採用される国策とはならない。

当然、彼の地でも採用されないと思われる。

北の辺境伯が三人目の愛人として迎えると噂されているのが、あの地にしか生えない薬草の研究をしていた第一人者の孫娘だ。

おそらく辺境伯邸の鍵を預かるのはガブリエルではないだろう。


「オリアーヌ、あれが出立する日には見送りに行くのかい?」

シャンボール公爵の問いかけに首を横に振って返す。

「いえ、あの方は私が妹のように思っていたガブリエル様ではないのです。

私が尽くす相手は今も昔も変わりません」

『モブ令嬢』か『サポーター』だから王太子妃になどなれっこないと見下していたオリアーヌが、王太子妃になるのに身分が釣り合うようにとシャンボール公爵家の養女となったのだと知った時、あの偽者がどんな顔をするのか。

そして自分が辺境伯領に嫁ぐのは、日記を読んだ周囲に謀られた結果だと知るのはいつだろうか。

『ざまぁ』が永遠に起こらないことに、辺境伯邸で一人寂しく暮らすことを理解するのはいつだろうか。

その姿を見られないのが少しだけ残念であるが、もうガブリエルではない者になど用は無い。

いつか、もし本当のガブリエルが戻ってきたときには、一番に迎えにいくつもりだ。

それまではガブリエルが生きるはずの人生を、オリアーヌが代わりに生きていく。

唯一無二のお姫様が、昔のようにオリアーヌの名前を呼んでくれるのを待ちながら。

秋はもう終わろうとしている。

外の枯葉が落ちるのを眺めながら伯爵家に戻る馬車の中で一人、ガブリエルの名前を呼ぶ声は静かに消えていった。





*-*-2024/10/22 追記-*-*


初めて出会ったとき、彼女こそが一緒に国を繁栄させるべく切磋琢磨できる伴侶になるのだと思ったのだ。



季節は緩やかに秋から冬へと変わっていく。

庭で行われていた婚約者とのお茶会も、寒さを感じ始めてからは応接間に場所を移している。

だが今日はお茶やサンドイッチなどの軽食、焼き菓子やケーキではない物が並べられていた。

そういった物は全てワゴンで控えたままになっている。

代わりに並べられているのは幼い子どもが喜びそうな品々だ。

猫のぬいぐるみ、可愛らしい挿絵の絵本、幼少期に流行した記憶を残すお茶の缶、蓋に乾いたインクが僅かにこびりついたインク瓶。それ以外も。

「シャンボール公爵様がガブリエル様の形見分けを行うと。

いくつか品々をお預かり致しました。

殿下にこれという物があるようでしたら、お分け致しますと」

オリアーヌが悲痛な声で告げる。

彼女は未だガブリエルが戻ってくるかもしれないという僅かな希望に縋っている。

シャンボール公爵が諦めてしまったことに理解はしつつも、それでも自身の希望を打ち砕かれた気もしているだろう。

けれど、それのどちらが悪いというものでもない。

「そうか。シャンボール公爵には後で感謝の手紙を送っておく」

手元にあるガラスペンを手に取る。

避暑地で出会った時に、反射する光が綺麗なのだと嬉しそうに見せてくれた姿を思い出す。

大切そうに箱へと戻す慎重な手つきも、物を大事にするのだと良い印象だった。

今のガブリエルはガラスペンなどといった繊細な筆記具は使わない。

作業するのに手に馴染んだものがいいと、薄く伸ばした金属を加工した筆を使い、インクの色一つにも気をかけなかった。

「そういえば偽者の近況は聞きたいかい?」

「ガブリエル様ではない者に興味はございませんが、あの御体に何かあってはいけませんので把握しておきたいと思います」


ガブリエルの体を使っている『転生者』には、辺境伯の許可を得た上で監視をつけている。

直近の報告で、辺境伯がガブリエルとの婚姻前に三人目の愛人を迎え入れたらしい。

これで辺境伯領は新たな特産品を生み出すことができるだろう。

新しい愛人も研究の出資者がいることで、心置きなく研究に打ち込めると感謝しているそうだ。

どの愛人たちも立場はわきまえているので、元公爵令嬢ではある『転生者』に粗相をする様子も無い。

正妻とわきまえた愛人達。

貴族であれば、事を荒立てる必要のない円満な関係性だ。

それを『転生者』とやらが理解しているかは別だが。


当の『転生者』だが、想定していた辺境地と異なることに、さすがに驚きを隠せなかったようだ。

こちらも何も言わなかったが、辺境地など複数あって当たり前なのだから確認しなかった方も悪い。

一応シャンボール公爵は本人に言うことはなく、ガブリエルの少ない個人資産から勝手に外套を買い足しておいたらしいので、風邪をひくことはないと思う。

王太子妃教育を受けていたのだからと早々に知恵をと求められ、ジャガイモを栽培することを提案したとのことだが、あまりの程度の低さに辺境伯も失笑していたと報告書には書かれていた。

そんなもの、既に試しているに決まっているだろうに。

土地が貧しい地域は率先して支援し、農耕が可能な作物を試行錯誤で試している。

農耕が駄目なら酪農、それも駄目なら林業や鉱業、工芸品の作成など、多くを試した結果だということは王太子妃教育の初歩で学んでいるはずだ。

だから、求められるのは何を栽培するかといった初歩的なことではない。いかに多くの収穫を上げられるのかが大事になる。

オリアーヌならば目を見張る成果はないものの、長い目で見れば優良な提案をしてくれる。

現状では同じ物を育て続けると害虫の発生率が高いことに目をつけ、作物の種類を増やして入れ替わり育てる方法を試しているが、これがなかなかに有効だと評価されている。

現在はどういった作物がより有効なのかを確認中だ。


次に『転生者』はジャガイモを薄く切って揚げた菓子を披露したそうだが、これも勿論不評だ。

ジャガイモは他領へ出荷すると同時に、余った分は領民達の主食となる。

麦の小作ができない以上、ジャガイモを菓子に食べるという選択肢は除外される。

後、そんなものの為に大量の油と塩を使うのも頂けない。

この辺りはアレクサンドリーヌ嬢がいかにジャガイモを使った主食を作れるかということを試してくれていた。

日常的にはマッシュポテトを食べるのだが、慶事向けにとバターと卵黄を使って絞り出し、菓子のように焼いたものを提案している。

バターは高価だが、結婚式の祝いなどでは使われるので、美しい形をした食事として持て囃されている。

これも彼女が勉学に励んだ成果だ。

そんな彼女は他国の王子に望まれて、一年したら嫁ぐことになっている。

温暖な地ではあるがゆえの問題も多いらしく、彼女は培った知識で改善に取り組んでくれるに違いない。


最後に美しい湖に目をつけて、貴族達の避暑地にしようという提案をしたそうだが、それも却下だった。

当然だ。あの地にある湖は確かに美しいが観光に向いていない。

近くの水源から流れ込む水が、魚を死に至らしめるため領主が手を付けなかったことから周辺が荒らされることなく綺麗なままだっただけだ。

水源地の水の研究すらままならないというのに、その状況で安全の確保もなく避暑地になど出来るはずもないし、そんなことに使うのならば少しでも領民の懐が暖かくなるような施策が望ましい。

そもそも湖しか見るべきものがなく、王都にいた方がよほど美味しいものが食べられるというのに、どうして避暑地といった発想になるのか。

同じ辺境領としての経験からか、ロクサーヌ嬢からは人材の育成にも力を入れるように勧められていた。

急に大きな学校を建てても誰も通えないことから、地方で教師を退職した者を集め、仕事が終わる夕方頃から少しずつ文字や計算を教える小さな場所を用意して三年。

懐が痛まぬ程度の施策によって領民の一部は商人に騙されることなく買い物が出来るようになったとのことだ。

そんなロクサーヌ嬢は候補にはいなかった地質学者を一人勧誘し、辺境伯領へと連れて帰っていった。

学んだことを故郷で活かすのだそうだ。


結局何をしても空回りしていた『転生者』は珍しく落ち込んで部屋に籠っていたのだそうだが、誰もが忙しいので気にもかけないでいたそうで、途中で怒り狂ったらしい。

愛人達に物を投げつけるまでに至ったので、現在は辺境伯の命によって部屋から出されずにいるという。

だがそれだって、ガブリエルではないのだから可哀想だとは思えない。

向かいに座るオリアーヌだってそうだ。


手に取っていたガラスペンをテーブルに戻す。

貰うのは彼女との思い出がある物がいい。

「……私の初恋はね、ガブリエルなんだよ」

「存じております」

オリアーヌが微笑みを浮かべる。

「そんな王太子殿下だからこそ、私はお支えする役割を誰にも譲るつもりが無かったのです」

嫋やかな笑みはガブリエルが成長したら、そうしたであろうという想像から作られたもの。

彼女の完璧な行儀作法や些細な仕草ですら、ガブリエルならという想定で身に付けられたものだ。

私が初恋に囚われた愚か者であるならば、彼女は敬愛するガブリエルへの狂信者だろう。

その姿が美しくさえ見えるのは、全てがガブリエルの為だという一途な想いからか。

「ガブリエルは幼いにも関わらず聡明な淑女だった」

「ええ、誰よりも公爵令嬢らしい方でした」

私とオリアーヌの中にいる彼女は、間違いなく同じようにいないからこその理想で膨れ上がった虚像でしかない。

「彼女となら一緒に国を治めていけると思ったんだ」

「私もそう思います」

だが、それを否定できる者とていないのだ。

「私がまだガブリエルを想っているとしても、君は許してくれるのだろうね」

「勿論ですわ。

どうかこれからも命ある限り、私達のガブリエル様を記憶に留めてくださいませ」

冬が終わればガブリエルだった者は辺境伯の妻となる。

形ばかりのそれは、誰の心を救わないと同時に、誰の心をも壊すことはないだろう。

『転生者』を除いて。

「誰にも殿下のお心を邪魔させませんわ」

オリアーヌの言葉に頷きながらテーブルを眺めて、ガブリエルとの思い出にゆっくりと浸り始めた。





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珍しい角度の作品、楽しく読みました。 私も年頃の娘を持つ身。 親御さんの悲しみが心に痛いです。
2人の間に子供として生まれ直して記憶有で激重父母と過ごして欲しいなと思う気持ちと、下手に似た子供として生まれて余計なもの背負わされるくらいなら無関係でいて欲しい気持ちと、もういっそ全然別のところで転生…
正直に個人的に感じたことを言うと、恋愛モノではないかなと。 異世界恋愛ものが読みたくてランキングで検索したのに、全然恋も愛も始まらなくて、どこまで読めばヒーロー出てくるの?と思い続けていたら終わりま…
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