舞踏会前日(1)
イーシャは朝の冷たい空気の中、父アルベルトと共に剣の修行を行っていた。父の教えは厳格で、貴族の家系に生まれた彼女にとっては日常の一部となっていた。しかし、他の貴族の娘たちが優雅に舞踏会やお茶会に興じる中、彼女が剣を握っていることには少し違和感を感じていた。
「女性が剣を学ぶことは珍しいわ」と、彼女は内心でつぶやいた。剣を振るうたびに感じるこの違和感は、彼女にとってもはや避けられない現実だった。
「何を考えている、イーシャ。」父の厳しい声が彼女を現実に引き戻した。「集中しろ。敵はお前が女性であることを考慮してはくれない。」
「はい、お父様。」イーシャは深呼吸をし、再び剣に集中した。しかし、その目はどこか遠くを見つめていた。
修行が終わると、アルベルトは彼女の様子に気づき、厳しい口調で言った。「イーシャ、この修行がなぜ重要か理解しているか?」
「…正直に言うと、少し分かりません。」イーシャは素直に答えた。
「貴族の身であろうとも、我々には自分の身を守る責任がある。この世界には剣を持つことのできない者たちが多い。だが、剣を持つ者は自分だけでなく、他者をも守る力を持たねばならない。お前がその力を持てば、多くの人々を守ることができるのだ。」
アルベルトの言葉は厳格でありながらも、その背後にある責任感を感じさせるものであった。しかし、イーシャはまだ完全に納得できていなかった。
彼は少しの沈黙の後、さらに説明を加えた。「イーシャ、オルフェ家にはかつて強力な魔法を操る者たちがいた。先代の者たちはその力でこの地を守り、名を馳せていたのだ。しかし、ある時期を境にその魔法能力は次第に薄れていった。理由はわかっていないが、その影響で我々は現在、魔法の力をほとんど失ってしまった。」父は改めて説明してくれた。
それから程なくして修行が終わり、イーシャは昼食を取っていた。食卓に並ぶ豪華な料理の香りが漂う中、彼女の心にはまだ疑問が残っていた。
「エリナ、ちょっと聞いてもいい?」イーシャはフォークを手にしながら尋ねた。
「もちろんです、イーシャ様。何かお困りのことでも?」エリナは微笑みながら答えた。
「剣の修行のことなんだけど…本当にそれが私に必要なのかしら?」イーシャは神妙な面持ちで尋ねた。
エリナは一瞬言葉を詰まらせた後、真剣な表情で話し始めた。「イーシャ様、お父様があなたに剣を教えているのは、大切な理由があるのです。」
「理由…?」イーシャは疑問を深めた。
「お母様が…何もできずに命を奪われたことは、お父様にとって非常に辛い経験でした。」エリナの声には悲しみが滲んでいた。「お母様が自分を守る術を持っていれば、結果は違っていたかもしれません。」
その言葉にイーシャは黙り込んだ。エリナは彼女の手を優しく握り、続けた。「お父様は、その時のことを非常に後悔されています。あなたが自分の身を守る術を持ち、二度と同じ悲劇が繰り返されないようにと。」
「だから、お父様は私に剣を教えてくれているのね…」イーシャは深く頷いた。
エリナは優しく微笑んだ。「はい、イーシャ様。お父様はあなたを大切に思っています。それを忘れないでください。」
イーシャはエリナの言葉に感謝し、初めて父の厳しさの裏にある愛情を理解した。
その日の夕方、イーシャは父の書斎を訪れた。彼女は父の説明を聞きたいと願っていた。
「お父様、私に魔法の能力があるかどうかは、まだわからないのでしょう?」イーシャは真剣な表情で尋ねた。
アルベルトは深くため息をつき、イーシャに視線を向けた。「そうだ、イーシャ。成人の儀で初めて魔法の能力があるかどうかが明らかになる。それはあと5年後だ。」
「でも、お父様は…私にはその力がないと思っているの?」イーシャは尋ねた。
アルベルトは少しの間沈黙した後、重々しく答えた。「正直に言えば、その可能性は高い。オルフェ家の魔法の力は徐々に薄れている。お前にその才能がないとしても、それはお前の責任ではない。」
「そう…ですか。」イーシャは深く考え込み、再び口を開いた。「でも、お父様は剣の修行を続けさせてくれるのですね?」
「もちろんだ。魔法がなくとも、自分を守る術は必要だ。特に、お前のような立場にある者には。」アルベルトの声には確固たる決意が感じられた。