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虹の欠片6

【アヤカ】


 私が生まれて初めて鳴らした楽器は、父のギブソンレスポールシグネチャーモデルだったらしい。その太く甘い音色を聴くと、どんなに泣いていても泣き止んだそうだ。

 ギターで最初に弾けるようになった曲は、母が作ったヒット曲だった。

 クリスマスには毎年父の歌声が街中で流れて、夏の終わりになると母の歌声がテレビやラジオで流れた。一年中、父か母が作った曲が、常にどこかで流れていた。

 自宅には録音スタジオがあって、三人でよくセッションをやった。あの二年間もそうやって過ごした。弟の奏太がドラムを叩けるようになってからは、四人でセッションをした。その頃は本当に楽しかった。


 中学生になって、理科でメンデルの遺伝の法則を習った時に気付いた。AB型の父とO型の母から、O型の私が産まれることはないことに。奏太はA型だから、二人の子供。私は恐らく別の父親の子供。

 よく考えたら、父はカスタムされたレスポールは持っていたけれど、シグネチャーは持っていなかった。ネットで調べたらシグネチャーモデルを持つことを許された人は、世界に六人しかいなかった。その中で私が産まれた頃に日本で活躍していた人。

 この人が私の本当の父親。実感がわかなかった。会ったことも話したこともない人。顔だって今初めて見た。記憶にすらない。育ててくれたのは今の父。音楽を教えてくれたのも今の父。今の父以外の人を父親だと思うことはできない。私の父親は今の父。それでいい。血が繋がってないかもしれないけれど、そんなことはどうだっていい。そう思った。だから16歳になって両親から本当のことを打ち明けられても「そうなんだ、それがどうかした?」という、どんな会話も終わらせられる最強の言葉で、話に終止符をうった。

 18歳になって両親から「プロになって音楽をやっていく意志はあるか」と聞かれた。「ある。やりたい」

 父の個人事務所に所属することになって、すぐにテレビ出演とデビューが決まった。

 最初のテレビ出演は日曜夕方の音楽番組だった。父の曲と母の曲を弾き語りで一曲ずつ歌った。みんな褒めてくれた。

『歌声が母に似ていて、上手い』

『ギターのクセが父っぽくて、良かった』

 デビュー曲は父が作曲して母が作詞した曲だった。『あのギタリスト』と『あのベーシスト』の間の子供が衝撃デビュー。そういう触れ込みだった。もちろん売れた。でも世界はすぐ気付いた。

『母の声で歌い、父のギターを弾くただのコピー』

 母の声が聴きたければ母の歌を聴けばいい。父の演奏を聴きたければ父の曲を聴けばいい。私の歌や演奏を聴く必要はどこにもないということに。

 1億足す1億が、1億では人は納得しない。私には2億の才能が求められた。それを持っていないことに気付かれ、飽きられ、やがて佐倉綾香というアーティストは完全に忘れられた。デビューしてから一年も経っていなかった。

 私の歌は決して母には負けていないし、私の演奏は決して父には負けていない。私は世界がイメージする佐倉綾香に負けたんだ。

 私が私として生き続ける方法はただ一つ。それは佐倉綾香ではない別人になることだった。名前を捨てることだった。私は父の事務所を辞めた。

 音楽は嫌いじゃないし続けたい。でも音楽は聴く人がいないと成立しない。

 私は自宅にほど近い駅前で、ギターを引きながら歌った。足を止めて聴いてくれる人もいたけれど、ほとんどの人はチラ見して素通りして行った。もっと人が集まるところへ行こうと思った。

 大型商業施設の駅前で歌ったら、近くの交番から警察官が飛んできてすぐに止められた。

 池袋まで出て西口公園で歌った。ここも、警察官ではないけれど、巡回している人に注意された。

 渋谷駅前は人が多すぎて演奏する場所がなかった。新宿東口でもすぐに止められた。西口は工事中で場所がなかった。西武新宿線の駅前が空いていたので、そこで歌った。

≪今日私の心は死んだ。粉々に砕け散り 大きな音と共に崩れ落ちた 思い出と亡骸を箱に詰めて燃やし 煙が立ち登る中それは白い灰になった 空っぽの鳥籠のような躰を抱えて私は歩く≫

 たくさんの人が集まってくれて、手拍子を打って聴いてくれた。

≪この広い東京を コンクリの箱庭を あてもなく彷徨い歩く I wonder in Tokyo.I……≫

「ちょっと君。ここは公共の場所だから、人が集まると通行の妨げになるので、移動してもらえるかな」

 ここもだめか。どこへ行けばいいんだ。

 ぐうとお腹の虫が鳴いた。とりあえず何か食べよう。ふと母が焼いてくれたたこ焼きを思い出した。母はたこ焼きを作るのが得意で、よく焼いてくれた。たこ焼きが食べたい。

 マップアプリで検索すると、近くにたこ焼き屋があった。歌舞伎町の映画館が入っているビルの一階だった。

 私はたこ焼き屋では、ねぎ塩ポン酢を一個ずつ穴を開けて、よく冷ましてから食べることにしている。なぜなら、すぐ食べると口の中をヤケドするからだ。何かの気の迷いで明太チーズにしたりすると、熱々のチーズが口の中に貼り付いて危険度は倍加する。というわけで冷めるのを待っていると、周りがカップルだらけということに気が付いて、なんとなく居づらくなった。

「すみません、ビールください」

 飲みながら外を眺めていると面白いことに気が付いた。渋谷や池袋は若い人ばかりだけれど、ここは色んな年齢で色んな格好の人が色んな方向に向かってせわしなく歩いている。

 そろそろいいかな。口にたこ焼きを入れる。しまった。ちょっと早かった。急いで口の中をビールで冷やす。危ない。これはちょっとした凶器だ。ヤケドが続くとガンになるというから、発がん性物質ともいえる。

 念には念を入れて、二杯目のビールといっしょにゆっくりとたこ焼きを食べた。

「ありがとうございましたー」

 さてどこへ行くか。左はお店ばかりだった気がする。右は行き止まりになっていて分からない。私のようにあちこち遍歴することを西行というらしい。なら、ここは西へ行ってみよう。角を曲がってみると、地べたに座った人たちが大勢いた。なるほど、トー横ってここか。人混みの間を突っ切ると、どうやらホテル街になるようだった。こっちじゃなかったか。

 ふと音楽が聴こえてきた。ヒップホップ系の曲。もうちょい西か、行ってみよう。

 そこはストリートミュージシャンやそれを聴いている人たちが大勢いる通りだった。標識を見ると、ミュージシャン通りというらしい。ここなら歌っても注意されないかもしれない。よし。

 端の空いている場所に陣取って演奏を始めた。すぐに人が集まってきた。ノッてくれている人もいる。持ち曲を全部歌い終えると大きな拍手をもらった。しばらくここでやってみよう。

 何日かして、見ていた瑠璃という同い年の子から名前を聞かれた。言いたくなかったけれど、下の名前だけなら大丈夫だろう。

「……アヤカ。私もハタチ」

 よし。ここはあの曲でいくか。

≪砂埃舞う荒野 僕は旅をする 昼はただ歩き夜は火をたき そして眠る≫

「ねえ、横で踊ってもいい?」

 そんなことを言われたのは初めてだったけれど、とりあえずうなづいた。

≪どこからやってきて どこへと向かうのか 風に聞いてくれ≫

 瑠璃のダンスがスゴい。素人じゃない。体を動かす度に音が鳴る様に感じる。まるでセッションしているみたいだ。

≪決して寂しくはない 風の音炎の音が音楽を鳴らすから≫

 若草色のワンピースの人がハモリ出した。確かにこの曲は二人で歌うバージョンの方が有名だけれど、そっちのパートを完璧に歌っているのは、本人たち以外では初めて聴いた。この人もスゴい。

≪WOW WOW ムジカ WOW WOW ムジカ 雨が地を叩き 風が吹き荒ぶ それに合わせて僕は歌う これが世界の終わりのムジカ≫

パチパチパチパチ……

気が付くとたくさんの人が集まっていた。これだ。一人じゃなければ。私が欲しかったのはこれだ。


 毎日やっている内に三人の呼吸が合ってきて、それに伴って楽しさが増した。

 ある日、瑠璃が踊らないので、不思議に思っていると、突然泣き出した。何があったのか分からないけれど様子がおかしい。このまま一人にしてしまうのはまずい気がして、二人きりになるまで歌い続けて、いっしょにネカフェに泊まることにした。

 とりあえずタバコを吸おう。今、東京で火をつけるタバコが吸える場所は、パチンコ屋かネカフェ、大きな駅の喫煙所くらいだ。まあ、体に良くないし、値段が高いからこのぐらい厳しく取り締まられていた方が本数がいかなくていい。税金だって値段の6割はだっていうからバカバカしい。自分で「高額納税者かよ!ザ・セレブかよ!」とツッコミたくなる。機会があればやめようと思う、機会があれば。まあお酒は辞めないけれど。

 あれ?瑠璃?どこへ行くんだろう。

 あっ!バカ!ヤバい。窓枠によじ登っている瑠璃を引きずり下ろした。

 死なれてたまるか。悲しいし、寂しいし、何より楽しくなくなってしまう。せっかく音楽が楽しいって再発見したんだ。その大事な相方を失いたくない。何を言っているのか自分でも分からなくなったし、涙も出てきたけれど、とにかく思いつくことを言って必死で止めた。

「分かった。アヤカの言う通り生きてみる」

 良かった。


 しばらくして、元気になった瑠璃が琴美という子を連れてきた。この子の歌とダンスもスゴい。瑠璃に負けていないし、二人で踊ると息がピッタリだからか相乗効果で、スゴい迫力だ。楽しさも三人の時より増した。

 見ている人や聴いている人も楽しんでいる。そうか。人が増えるのに比例して楽しさも増すんだ。演っている人も、見ている人も。

 みんなで音を楽しむ。これが音楽なんだ。

「君たち……」

 またか。スーツ姿の男性に声をかけられた。せっかく見つけたここも追い出されるのか。どこへいけばいいんだ。

 それはその男性が教えてくれた。

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