⑥ 王侯蜂蜜
「ウ、ウカノちゃん。お魚のバター焼き食べるかい?」
「食べる」
「ここ座って。おじさんのホットミルク飲むかい?」
「飲む」
「へ、へへへ。ウカノちゃんはかわいいなあ……!」
「お触りはダメ」
ウカノを飯で釣り、胸を触ろうとした不届きな酔っ払い冒険者は尻尾で叩かれ天井に突き刺さった。
酒場のよくある一幕である。
白濁樹液の乳製品を出すようになってから、酒場の客層が少し変わった。前からその傾向はあったのだが、駆け出し冒険者が来なくなり、代わりに旨い飯を求めた中堅から上位の冒険者が増えた。
金があって腕も威圧感もあるツワモノ冒険者ひしめく酒場に、新人はなかなか飛び込もうという気にならないようだ。俺からすればみんな同じ酒好きの荒くれものなのだが。天下の深層冒険者様もセクハラおじさんと化してウカノにぶっ飛ばされるぐらいだ。
一流冒険者はヨイシの酒場で飯を食う。ヨイシの酒場で飯が食えるようになったら一人前。という謎の冒険者流儀すらできていると聞く。なんだそりゃ。
別に誰でも気軽に食べに来てくれりゃあいいんだけど、尻込みする新米冒険者たちの気持ちもちょっと分かる。アレだろ、芸能人とか有名人がよく来る店にボクなんかが気軽に入っていいのかなあ? みたいなやつだろ。わかる~。入りづらい空気にしてごめんな。
俺が迷宮料理の製法を広めているおかげで(先日霞肉の調理法も公開した)、街全体の料理レベルは上がっている。別に俺の店じゃなくても駆け出し冒険者は骨魚ぐらいありつける。
古参面冒険者などは新人に「お前本当に良い時代に冒険者になったなあ。もっと自分の幸運に感謝した方がいいぞ」なんて説教を垂れるぐらいだ。やめーや。
良い時代になったのは否定しない。
チーズとバターが手に入った俺は無敵だ。グラタンを作れる。もっちりチーズピザだって作れちゃう。最高かよ。うっひょひょい!
ウチの酒場の絶品料理の味の噂は上位冒険者の口伝に上流階級に伝わり、なんと先日王族の方からお声がかかった。
なんでもウチの特製シチューに興味を示されたとかで、宮廷料理人がレシピを聞きに来たため喜んで教えた。冒険者ギルドを通じた食材仕入れルートも紹介した。
いいよいいよぉ。王様も旨い飯食ってくれ。
王様が食に目覚めて食を広めてくれれば、俺がせこせこ頑張るよりずっと早く広く深く美味しい料理が世に普及する。
食料生産政策とか俺にはどうあがいても手が出ないからね。
そして宮廷料理人が帰ってから数日経った今日、俺は嬉しい返礼を受け取った。
王様は迷宮シチューを大層お気に召したらしく、褒美に王侯蜂蜜の仕入れ販売許可を貰ったのだ。
現物も気前よく大瓶三つ下賜された。今から店を閉めた後の味見が楽しみで上の空になってしまう。
王侯蜂蜜とは、その名の通り王侯貴族が好む高級蜂蜜である。
迷宮産の食材だが加工しなくても素晴らしい味わいで、昔は貴族や商人の賄賂として使われていたという。
現在、王侯蜂蜜は塩と同じ戦略資源扱い。専売制が敷かれ、許可なく仕入れや売買を行うと重い罰が課される。ゆえに王侯蜂蜜を出す店は紛れもない一流店と言えよう。
ウチもこれで王様のお眼鏡に叶った一流酒場かあ。すげー。一流店でも客は荒くれ冒険者なんですけどね。
爺さんが生きてたら喜んだかな。
さて。
冒険者が熱燗だの冷だの人肌だの細かく注文をつけてくる酒の温度を調整して出してやり、酒代として渡された使い道も分からん魔道具を倉庫にしまい、足がフラフラで帰れないから泊めてと言い出した酔っ払いをウカノが担ぎ上げピューっと走って宿に届け、真夜中過ぎに帳簿を付けて本日も店じまいと相成る。
いつもならウカノの髪を梳いてやり寝かしつけるところだが、今日は俺が貴重な食材を仕入れたという事で、ウカノは眠そうな目をこすりこすり厨房に居座った。
目の前の王侯蜂蜜はどーんと大瓶三つ。瓶の蓋には王族認可の札がついている。
一瓶蓋を開けてみれば、途端にあふれ出る香しさ。咲き乱れる花畑に飛び込んだみたいだ。
匂いをたっぷり吸い込んで、蓋を開けた途端に尻尾をピンと立て覚醒しそわそわし始めたウカノにスプーンで一杯すくって渡してやる。そして俺も一口。
「あまい……」
当たり前の感想がこぼれた。
砂糖とは違うまったりとしてコクのある甘み。水あめのような粘り気が舌に絡み、千変万化の芳香と春の花畑を思い起こさせる風味が一瞬で舌と鼻腔を駆け抜けた。
蜂蜜のピンキリなんて気にしたことなかったけど、これは上物だと一発で分かる素晴らしい味だった。
でも一口だけだと王侯蜂蜜の奥深さを捉えきれないな?
俺がスプーンで二口目をいくと、ウカノが無言でおたまを持ってきてどばっといった。
食べすぎ食べすぎ。高級品だぞこれ。
味見は止まらず、俺達はパンに塗ったりミルクに混ぜたり果物にかけたりしながら一瓶を空にしてしまった。こんなに食べるつもりはなかった。美味いのが悪いんだ。俺は悪くない。
幸せそうにお腹をさするウカノは物欲しそうに残りの王侯蜂蜜をチラ見しながら言った。
「また人気料理になっちゃうね」
「ああ、いや……王侯蜂蜜はな。食えるけど食えないんだ」
「食えるけど食えない? どういうこと?」
怪訝そうに首を傾げるウカノに俺は説明した。
王侯蜂蜜は迷宮中層のモンスター、巨大火蜂が作る蜂蜜だ。この王侯蜂蜜を食べると巨大火蜂にはそれが分かるらしい。人間には分からない体臭変化を感じ取っているという説が有力だが、とにかく巨大火蜂は蜂蜜を喰らった者を執拗に襲うようになる。生産者の方がお怒りだ。
迷宮の外にまでは追ってこないものの、冒険者にはたまったもんじゃない。一口王侯蜂蜜をペロっただけで臭いが消えるまでの数カ月から一年も迷宮で蜂の大群に襲われ続けるのだから。そんなの冒険にならねーよ。
だから冒険者は王侯蜂蜜を食べない。食べてしまったら迷宮に行けなくなる。
ウチの客はほとんど冒険者だから、王侯蜂蜜は店で出せないのである。絶対に危険な迷宮なんて行かない王侯貴族御用達の蜂蜜というのにはそういう理由もある。
説明を興味深そうに聞き終わったウカノはあっけらかんと言った。
「じゃあ、これからお父さんは王侯蜂蜜を冒険者でも食べられるようにしてあげるんだね」
「お? あ、おう。そうだな!」
俺は最初からそのつもりだった体を取り繕って力強く頷いた。
酒場で冒険者に出す食べ物としては値段が張りすぎるし、個人的に楽しむだけのつもりだった。
しかしウカノに言われては敵わない。
次の迷宮料理は卵にするつもりだったが予定変更。俺は王侯蜂蜜の調理に挑戦する事にした。
王侯蜂蜜の調理の難しさは糞桃タイプだ。
何も手を加えなくても既に美味しいが、副作用をなんとかしないといけない。
俺は同タイプ食材の糞桃に一度敗北している。大丈夫かな……
翌日、俺は酒場で霞肉のチーズ巻に舌鼓を打っているユグドラとセフィに聞き取り調査した。
二人の装備は武器も防具も装飾も魔法の輝きを帯びていて、いっぱしの中堅冒険者らしい装いになっている。中層で採れる王侯蜂蜜についても知っているだろう。
「なあ、王侯蜂蜜って知ってるか」
「王侯蜂蜜ですか? 巨大火蜂のですよね。知ってますよ」
「というか今日ギルドに卸したばっかです。それが何か?」
「あ、ウチも販売許可手に入れたから次からウチにも卸してくれると助かる。それでなんだけどな……」
「ええっ!?」
「王侯蜂蜜って貴族のお店かギルドにしか売れないんじゃ?」
驚く二人に事情を説明してから、俺は改めて聞いた。
「それでさあ、実際どんなもん? その、巨大火蜂に襲われるのは。ひっきりなしに来るのか? 煙で燻して追っ払えるぐらい?」
巨大火蜂に襲われる、と聞いてはいるが、どんな感じで襲われるのか俺は知らない。
尋ねられた二人は、僕たちも実際に襲われたわけじゃないですけど、と前置きしてから答えてくれた。
「実は中層で有名な変わり者の冒険者パーティーがいてですね。その人たちは毎日王侯蜂蜜を食べて、わざと巨大火蜂をおびき寄せて狩りまくってるんです」
「エグ」
なるほどね。寄せ餌。そういう考え方もあるのか。
「火蜂狩りの人たちは巨大火蜂専用の装備で、専用の戦略を組んでやっと襲撃と撃退が釣り合ってるように見えました。それでしばらく狩ったら遺留品の針とか火魔石を拾って帰るんです」
「火蜂狩りのおかげでこの街では注射器とか暖房が安いみたいですよ」
「マジで?」
もしかして他の魔石より火魔石が安いのはそれが原因? いつもコンロの燃料代が安上がりで助かってる。ありがてぇ~。
「じゃあ準備してれば襲われても平気なのか」
「いえ、普通は無理です。あの人達がちょっとおかし……特別なだけで」
ユグドラは途中で言葉を礼儀正しく言い換えた。
ほな無理かあ。
「二人はさあ、もし巨大火蜂に襲われないなら王侯蜂蜜食べたい?」
二人はもちろん、と口を揃えた。
「私は冒険者になって良かったって思ってますけど、貴族の御令嬢が喫茶店で蜂蜜レモネードを飲みながら蜂蜜ケーキ食べていらっしゃるのを見るとやっぱりいいなあって思っちゃいますよ」
「火蜂狩りのおじさんたち、冒険中も王侯蜂蜜の瓶持ち歩いて他の冒険者に見せつけながら美味しそうに食べるんだよね……」
総じて「食べられるものなら食べたいけど、普通は無理」という結論のようだ。
俺は二人から火蜂狩りの冒険者が泊まる宿を教えてもらい、翌日火蜂狩りを訪ねた。専門家に話を聞くのが一番だ。
毎日王侯蜂蜜を食べているせいか、実年齢より若々しく見える火蜂狩りのおじさんたちは手土産の霞肉バターサンドイッチに喜び、サンドイッチに蜂蜜をかけて食べながら快く話を聞かせてくれた。
彼らは蜂蜜好きが高じて火蜂狩りになったらしい。王侯蜂蜜の副作用を無くせないかという試みは彼らも通った道で、数年試行錯誤したものの失敗に終わり、発想を変えて火蜂狩りを始めたのだとか。
その発想転換はスゲーよ。思いついてもやらない。
彼らはウチの店の迷宮料理の評判を知っていて、俺が数々の迷宮食材を食べられるようにしてきた料理人その人だと分かると、分厚い王侯蜂蜜の研究資料を見せてくれた。
た、助かる~! やっぱ迷宮食材の研究をしてる先人っているところにはいるんすねぇ!
資料によれば、王侯蜂蜜の副作用は蜂蜜酒にしても発動し、白濁樹液の解毒薬でも取り除けないのだそうだ。香水で匂いを上書きするのも無理。巨大火蜂の着ぐるみで仮装しても見破られる。普通の蜂蜜を食べて迷宮に潜っても巨大火蜂は無反応だから、巨大火蜂が王侯蜂蜜にのみ反応しているのは間違いない。加熱しても凍結させても、数年寝かせてから食べても無意味。
『巨大火蜂の目の前で巣を壊し取り出した王侯蜂蜜を見せつけながら舐めるといつも以上に怒り狂う』というドン引き実験データすら記されていた。わーお。完全に畑泥棒にブチ切れる農家の方じゃん。そりゃ怒るわ。
資料には俺が思いつく調理法があらかた記されていて、その全てが失敗に終わっていた。
しかしデータを隅から隅まで読み込んだ俺は一つの新しい仮説を導き出した。ひょっとしてこれならいけるんじゃなかろうか。
俺は火蜂狩りにひいきの養蜂家を紹介してもらい、厚く礼を言って宿を辞した。
街の郊外に養蜂場を構える養蜂家の人は、大口取引先の火蜂狩りの紹介で来た俺に蜂蜜酒を出してもてなしてくれた。店頭に並んだ蜂蜜製品の数々は王侯蜂蜜と比べると断然リーズナブル。
ただ、それでも庶民にはなかなか手が出ない値段だし、養蜂家曰く生産量は決して多くないそうだ。魔の大迷宮の悪影響でこのあたりは植物の生育が悪く、花もあまり咲かない。迷宮の中が生態豊かな代わりに、迷宮の外は貧相ってわけだ。
俺はひとしきり雑談した後、話を切り出した。
「今王侯蜂蜜の副作用を無くせないか考えててな。一つ思いついた事があるんだ。それについて意見を聞きたい。前提として蜂蜜は蜂が花の蜜を集めて、口移しで濃縮してできるわけだろ?」
「そうですが……お詳しいですね」
養蜂家は俺の知識に怪訝そうだ。ネットサーフィン万歳。
「蜂は他の蜂の蜂蜜を集めるのか?」
「……と、言いますと?」
「例えば王侯蜂蜜をその辺の壁に塗りたくったとしよう。普通の蜂がその王侯蜂蜜を集めて巣に持ち帰る事はあるのか?」
「あー……そうですねぇ。それは分かりませんが。近い事例なら、ミズバチがカゼバチの巣を襲って蜂蜜を奪っていく事はありますね」
「ほう」
蜂が花の蜜ではなく蜂蜜を収集する事もあるのか。それが分かれば十分だ。
「じゃあ、こういうのはどうだ? まず普通の蜂をおびき寄せる造花を大量に作る。で、造花に王侯蜂蜜を塗る。蜂は王侯蜂蜜を巣に持ち帰って、自分達の蜂蜜にする。その時に王侯蜂蜜は口移しでいくらか濃縮されたり成分が変わったりするだろう。たぶん。そうやってできた王侯蜂蜜を改めて採取すれば、巨大火蜂はもうそれが自分達の蜂蜜だって分からなくなるんじゃないか?」
つまり、産地偽装を仕掛けるのだ。
生産者の方が怒り狂うなら、これお宅の蜂蜜じゃありませんけど? 普通の蜂が作った普通の蜂蜜ですけど何か? という顔をしてやればいい。別物ですぅ! 言いがかりやめて下さぁい!
養蜂家は失敗した時の損害を気にして話に乗り気じゃなかったが、費用は全部こっちが持つからと説得し、養蜂場の隅っこで実験的にやってもらう事にした。
すると実験開始の翌日、養蜂家が酒場まですっ飛んできてこの事業に本腰を入れたいと興奮して言って来た。
造花に王侯蜂蜜を塗って様子を見たところ、蜂は普通の花の蜜を無視して王侯蜂蜜に群がり、あればあるだけ集めて巣に持ち帰ったという。
更に養蜂家は気が早すぎる事に危険を冒して俺の仮説を体を張って検証してくれていた。
養蜂家は産地偽装王侯蜂蜜を食べ、単身迷宮に潜ったのだ。しかし、巨大火蜂は全然寄って来なかった。
あぶねぇーッ! 超あぶねぇ。なんて事するんだ。アンタ巨大火蜂が産地偽装に気付いていたら死んでたぞ。
ともあれ仮説は立証された。
王侯蜂蜜、食べれます!
俺はすぐに養蜂家と業務提携の約束をし、酒場の入口に養蜂場の出張蜂蜜販売所を置く取り決めを交わした。ウチが冒険者から王侯蜂蜜を仕入れる→養蜂家が産地偽装を施す→販売許可を持っているウチが売る、という形だ。
素晴らしい。これで普通の冒険者も王侯蜂蜜を食べれるようになった。良かった。危険を冒して蜂蜜を迷宮から取ってくる冒険者本人が蜂蜜を食べられないなんておかしいもんな。
今回の王侯蜂蜜は多くの人の助けで調理成功にこぎ着けた。
みんなで力を合わせて成し遂げるってのは良いもんだな。
迷宮食材名鑑No.6 王侯蜂蜜
迷宮中層の蜂の巣から採れる黄金の蜜。王侯貴族御用達の高級品。
そのままでも食べられるが、食べたが最後迷宮にいる間ずっと蜂蜜の生産者である巨大火蜂に執拗に襲われる。この追跡は数カ月から一年の間終わらない。
ヨイシの酒場に持って行くと無害な蜂蜜に加工してくれる他、買い取りもしてくれる。値段は高い。贈り物としても使いどころが多いので、採れる時に採って損はない。
蜂蜜は舐めれば千変万化の芳香と春の花畑を思い起こさせる風味が一瞬で舌と鼻腔を駆け抜ける。主張し過ぎない甘さは様々な料理を一段上の味に引き立てる。
冒険中、他の冒険者から分けてくれと頼まれる事もあるだろう。「蜂蜜ください」の要望に応えると、きっとお返しに良い物を貰える。