④ 霞肉
全てのモンスターは死ぬと急激に腐敗する。これによってモンスターと普通の動物は区別できる。
モンスターの腐敗速度はとても早く、死んだ瞬間から目に見える早さで腐っていき、すぐに土になってしまう。だからモンスターは死体が残らない。そういう観点から骨魚はモンスターではなく、迷宮に生息しているだけのただの動物だと言えよう。
ただ少し例外があって、特別生命力が強く強靭なモンスターは死んでも体の一部が腐敗せず残る。そのような残留品は強力な魔道具や武具の素材になるため高値で取引されるそうだ。
生命力の強いモンスターは普通のモンスターに混ざって時々現れる他、倒されても倒されても一定周期で復活する各階層の主、通称「門番」はこの生命力が強いモンスターに該当する。
門番は浅-中層、中-深層など、階層を隔てる扉を守っているので、冒険者は浅層門番を倒してやっと中層に足を踏み入れた中堅冒険者になれるワケだ。
しかし残念ながら門番の残留品は剣や斧、杖、盾といった品なので食べられない。
いわゆるボスレアドロップの食材なんてものが迷宮にあるなら、是非仕入れて食べてみたかったのだが。無いものは仕方あるまい。そんな希少食材無くても十分酒場はやっていけるし。
最近ウチの酒場は次々出す迷宮料理新作が客を呼び寄せ、手狭になってきたので拡張工事をした。隣の雑貨屋店舗を買い取って、大工に頼んで廊下で繋げてもらい、客席数は二倍になった。
金物屋に新しい調理器具や時短アイテムを作ってもらっているし、給仕娘のウカノが八面六臂の働きをしてくれているので、客が二倍になってもまあさばけるだろう。
店舗面積二倍! 客も二倍! 儲けも二倍! 勝ったなガハハ!
という皮算用は驚くべき事に現実になり、店舗拡張後の滑り出しは順調そのものだった。桃を使った冒険酒は特に若者と女性冒険者に人気で、冒険酒を飲みたくて荒くれ冒険者がたむろするウチに通いはじめた美食家までいるぐらいだ。
メイン料理に骨魚。ツマミにうまクルミを食べながら冒険酒を喉に流し込む。
これがこの街の冒険者の最高の晩飯だという噂だ。
例によって冒険酒売り出しと入れ違いに骨魚の調理法を他の酒場や料理店に売りつけたのだが、冒険酒が飲めるのはウチだけ。客足は途切れない。
だが全てが好調に進み続けるという事はない。
店舗拡張後しばらくして、ウカノが体調を崩した。
最初は働き過ぎだと思った。
いくらウカノがパワフルでスタミナ抜群とはいえ、まだ10歳になるかどうかの子供だ。
毎日冒険者どもの給仕で飛び回っていれば疲労も溜まる。客が二倍になれば疲労は二倍以上だ。
ウカノは「お手伝いできる、大丈夫」と言ったが明らかに具合が悪そうだったので休ませた。なんでウカノが悪い事しちゃったみたいな顔するんだよ。無理させちまった俺が悪いよ。
自慢の尻尾の鱗はツヤを失い、枝分かれした二本の角も心なしか萎びて見える。顔色だって悪い。俺はベッドで安静を言いつけて、大量の桃の皮を絞って作った特製桃ジュースや身だけほぐして塩を振り盛り付けた骨魚を食わせ滋養をつけさせた。
だが、体調は一向に良くならない。それどころか少しずつ悪化しているようにも見えた。
ひょっとしてタチの悪い病気か呪いにかかったのでは?
心配になった俺は医者を呼び診察してもらったのだが、原因はハッキリしないという。
少なくとも呪いではないとの太鼓判をもらったが、病気かどうかは断定できない。
強いて言えば栄養失調の症状に近いように見えると言い、医者は帰っていった。
でもウカノはちゃんと食べてるんだよな。野菜も肉もパンもモリモリ食べてる。栄養不足とは思えないのだが……
俺がウカノのベッドの端に腰かけ、小さな手をにぎにぎしながら首を傾げていると、ウカノは俺の顔色を窺いながら恐る恐る言った。
「ヨイシ……あのね、私、肉が食べたい」
「肉? ああ、分かった。今日の飯は肉にしよう。豚がいいか? 鳥? 牛?」
俺が姫の要望をお尋ねすると、ウカノは首を横に振り、緊張した様子で言葉を重ねた。
「ちがうの。モンスターの肉じゃないとダメなの。モンスターの肉を食べれば元気になれると思う」
「ほほう」
モンスターの肉が食べたいと来たか。
こいつは難しい注文だな。なんせモンスターは死ぬと凄い勢いで腐っていく。
いまだかつて腐っていないモンスターの肉を食った奴はいない。
「どうしてモンスターの肉じゃないとダメなのかは聞かないで」
「ん? ああ分かった」
ウカノに言われて初めてなんでだろう、という疑問が頭に浮いて出てきたが、気にするほどの事でもない。アレルギーで特定の食べ物を食べられない人がいるんだから、逆アレルギーで特定の食べ物しか食べられない人がいるってパターンもあるのだろう。たぶんね。知らんけど。
「ウカノはモンスターの肉が好きなのか?」
「好きっていうか……ヨイシに拾ってもらうまではよく食べてた」
「ほー。どうやって? モンスターって死ぬとすぐ腐るだろ」
「うん。だからモンスターに飛びついて、ガブーって噛みちぎってた」
「すげー」
めっちゃワイルド~。
でも今は無理そうだ。体調を崩したウカノを迷宮に送り込んでガブってしてこいとは言えない。
ここは俺がひと肌脱ごうではないか。
父さんが必ずモンスターの美味しい肉を食わせて元気にしてやるからな!
さて。
店を開け、好き勝手に注文を叫ぶ冒険者をさばききり、冒険者達から看板娘への見舞いの品を二階で静養しているウカノに届け、自分を給仕として雇って欲しいとほざく酔っ払い野郎を店から締め出し、真夜中過ぎに帳簿を付けて本日も店じまいと相成る。
いつもなら病気や呪いに効く薬草の勉強をしてから寝るところだが、今日からは霞肉の調理法を探す。
モンスターの肉は、料理業界では霞肉と呼ばれる。
料理しようとしても霞のように消えてしまう幻の肉というわけだ。
倒しても倒しても無限に勝手に湧いてくるモンスターの肉が食えれば、市場の肉供給事情は激変する。古くから商人や商売っ気のある冒険者、仕入れ値を抑えようとした料理人などが霞肉の調理に挑戦しては破れてきた歴史がある。
俺はいつものようにユグドラ&セフィに依頼し、「跳び兎」という迷宮浅層序盤に出没するモンスターを生け捕りにしてきてもらった。
跳び兎はその名の通り跳躍力の高い兎モンスターで、飛びかかって噛みついてきたり、体当たりをしかけてきたりする。
跳び兎は飛びかかりを回避されると、壁や木に頭をぶつける事がある。すると気絶する。
気絶状態の跳び兎は簡単に始末できるボーナスモンスターと化すのだが、今回は足を縛って持ち帰ってきてもらった。
上手く殺さず気絶させて縛り上げるのは難しいらしく、三羽しか捕まえられなかったと謝られたが十分だ。俺だったら一羽も捕まえられない。
俺は一度だけ迷宮に入った事がある。コイツに腹タックルもらって肋骨を折り胃の中身全部ぶちまけたのは苦い思い出だ。他の冒険者はひょいっと避けるか喰らってもイテーなコラァ! って感じなのに。俺、弱すぎ。
早速調理を試していくのだが、テーブルの上の跳ね兎はとっくに気絶から覚めていて、俺を「絶対殺してやるからな!」と言わんばかりの血走った赤い目で睨み、拘束された足をギチギチならしてばったんばたんと暴れている。
ワ、ワァア……! 怖い。暴れないでくれ。マジで。
俺は十字を切ってから跳び兎を抑えつけ、慎重に処置にとりかかった。
実のところ霞肉の調理法は「これなら行けるんじゃないか」という目星がついていた。
ざっくり言えば、活け造りである。
死ぬと腐敗し肉が食べられないなら、生きたまま食べればいい。あるいはそれに近い事をするのだ。
俺は日本人の変態調理技術が可能にした「鯛の活け造り」を知っている。鯛を生きたままさばき、刺身にして食べるびっくり調理だ。食べる時、ご本人のギョロギョロ動く目とバッチリ視線が合うサプライズ付き。
魚でできるなら兎でもできると思います。
美食漫画で読んだが、生きたまま獲物を捌く時はなんか……神経中枢? みたいなところを針でドスッと突いて麻痺状態にしてやるとスムーズにヤれるらしい。
俺はこのうろ覚えの知識を骨魚で試し、モンスターでない兎でも試して既に神経締めを習得している。
神経締めで麻痺させたら、生きたまま素早く皮を剥ぎ、内臓を傷付けないよう肉を切り分け、調理する。これなら生きたまま調理できるから、理論上は腐らない。
ただし時間との勝負になる。神経締めは万能ではない。いくら麻痺していようが、皮を剥がれて肉を切り取られたら遠からず死ぬ。だから跳ね兎の体の構造を把握し、素早く正確に解体するのが重要だ。
今までの迷宮料理は発想と工夫で解決してきた。
しかしここに来て純粋な調理技術がキモになった。
練習はした。でも跳ね兎に通用するかどうか……
深呼吸をしてから、一羽目の跳ね兎の神経に取り掛かる。
狙いを定め、耳の後ろから針を突き刺す。跳ね兎の体の構造が普通の兎と同じなら、これで神経締めできるはず。
針を刺すと、跳ね兎はビクンと痙攣して動かなくなった。祈りながら見守るが……体がボロボロと崩れ腐りはじめる。失敗だ。神経締めが失敗したのか? それとも神経締めには成功したが腐敗してしまったのか?
俺は失敗をただの失敗で終わらせないため、腐って何が何やら分からないぐちゃみそになる前に急いで解剖し跳ね兎の神経位置特定に取り掛かった。
結局、完全に特定できないまま腐ってしまったが、神経中枢が胴体にない事はわかった。
たぶん、コイツの脳は頭にある!
いや、馬鹿にできない発見だ。モンスターの生態は複雑怪奇。迷宮深層のモンスター、ケルベロスはマジで脳が腹にあるらしいからね。三つの頭部には全部心臓が収まっているのだとか。
跳び兎二羽目と三羽目は神経の位置特定に費やした。何しろ死ぬとすぐに腐敗してぐちゃぐちゃになっていくものだから、迅速に解剖しないと手がかりが失われていく。気分は料理人というより解剖医だ。頼むブラックジャック連れてきてくれ。宇宙人の手術できるならモンスターの解剖ぐらい楽勝だろ。
だが俺は神業の名医ではないから地道にやるしかない。
翌日と翌々日に仕入れた跳ね兎と合わせ、合計11匹の解体を経てやっと神経締めを習得した。
神経締めをした跳ね兎は俺の推測通り、腐らなかった。1時間が過ぎると流石に事切れてそこから一気に腐敗が始まったのだが、一時間腐らなければ十分食える。成功しても少し腐敗を遅延できる程度と思っていたから意外だ。
モンスターは普通の動物よりしぶといから、そのせいかも知れない。
12匹目の跳ね兎は生きたまま解体し、取り出した肉を煮る、焼く、蒸す、燻すの四種類で調理。すると、兎本体が死亡しても調理された肉は腐らなかった。
これは嬉しい発見だ。食べたところで胃の中で一気に腐って土になったら腹壊すからな。
で、問題は味だ。
幻と言われた霞肉の味はいかほどで?
臭くて食えたもんじゃないとか、味がしない恐れも十分ある……
火を通した跳ね兎の霞肉の見た目は普通の兎肉と変わらない。食べてみると脂少な目な淡白な味わいで、複雑で奥深い独特の野生味があった。
よく舌の上で転がして味わってみると果物の風味とナッツ系の香ばしさが見え隠れする。さてはこの兎、石胡桃と糞桃食ってるな? 他にも何種類か味が混ざっているようだが流石に分からない。
だが、旨い! 文句なしに旨い! これぞジビエって感じのワイルドで食べて楽しい味わいだ。獣臭さもハーブで十分取れる範疇。そのままでも気にならない人や、むしろこれが良いと言う人もいるだろう。
俺は早速跳ね兎の霞肉をワインで柔らかく煮込み、ハーブで香り付けした兎のワイン煮を作り、病床のウカノへ持って行く。
部屋の扉を開けると、ウカノはばっちり目を覚まし、鼻をすんすんさせそわそわしていた。
「それ、食べたい!」
俺が何か言う前に、ウカノは目を輝かせ前のめりに言った。
俺は微笑み、スプーンを添えて食欲を刺激してやまない香りと温かな湯気漂うワイン煮をウカノに差し出した。
「熱いから気を付けてな。おかわりもあるぞ」
ウカノは勢い込んで肉をかき込もうとして、ハッとして止まり一度皿をおいた。
そして合掌し、目を閉じて真摯に言う。
「いただきます」
その言葉はきっと俺の真似っこをしたのだろうけど、確かに無上の感謝が込められていた。
人間にはない濃い緑の髪と不思議な角を持つ少女のその姿はまるで神の祈りのようだ。
だが息を飲むような神秘的な雰囲気は一瞬で消え、欠食児童が表に出る。
ウカノは一口食べ「おいしい……」と呟くなり、夢中で肉を貪った。
一皿二皿三皿と空の皿が積み上がる。俺はせっせと料理を作る。兎ステーキ、野菜炒め、肉詰めパイ。どの料理もウカノは本当に美味しそうにガツガツ食べてくれた。
数年何も食べていなかったようなすんごい食いっぷりを見せたウカノだったが、流石に七匹も平らげると満腹になったらしい。
お腹はすっかり丸くなり、幸せそうな顔は健康に紅潮している。
「腹いっぱいになったか?」
「うん。お腹いっぱいになったよ。美味しかった!」
「そりゃよかった。今日はゆっくり眠りな」
体調を崩してからしなしなと垂れ下がっていた尻尾が元気にゆらゆら動いているのを見て安心する。もう大丈夫そうだ。
俺は皿を持って部屋を出ようとしたのだが、服の裾をウカノに掴まれて立ち止まる。
見ると、ウカノは何か言いたそうにモジモジしていた。
なんだろう。実はまだ食いたいとかだったら、もう跳ね兎の在庫がないから明日の仕入れを待ってもらわなきゃならんが。
「あの、あのね……」
小声で言い淀むウカノの前にしゃがみ込み耳を寄せると、ウカノは口を耳に寄せて恥ずかしそうにコソッと言った。
「ありがとう、お父さん」
迷宮食材名鑑No.4 霞肉
迷宮で採れるモンスター肉の総称。浅層の霞肉は跳び兎が代表的。
生きているモンスターに噛みつけば誰でも食べられるが、それはモンスターの反撃を受けながら生臭い血も一緒に啜る蛮行である。
生け捕りにしたモンスターはヨイシの酒場に持って行くと肉に加工してくれる他、買い取りもしてくれる。値段はそれなり。モンスターの種類によっては加工や買い取りを拒否されるので注意。
跳び兎の霞肉は淡白な味わいだが、複雑で奥深い独特の野性味がある。
何より冒険者に喜ばれるのは、携行のため燻製肉にしても柔らかさと味がほとんど変わらない事だ。ゆえに他の燻製肉とは一線を画す。
ヨイシの迷宮料理は冒険中「女神の涙」以外で疲労値を回復する唯一の手段である。冒険出発前に「肉持った?」の確認を忘れないようにしよう。