③ 糞桃
因果は巡るらしい。
ある日突然この世界にやってきた俺を拾ってくれたのは、酒場の店主の爺さんだった。
爺さんは逝って、今は俺が酒場の店主。
そして俺は今日、店の前の物陰に座り込みグゥグゥ腹の虫を鳴らしていた女の子を拾った。
薄汚く匂うネズミ色のボロ切れを着て、子供には高すぎる椅子にちょこんと腰かけ夢中で骨魚とパンを水で口に詰め込んでいる女の子を見て俺は「爺さんも俺をこんな風に見ていたのかな」としみじみ感じ入った。
こんなん腹いっぱい食わせてやりたくなるよ。
骨魚を骨ごと口一杯に頬張り、俺に目もくれず急き立てられるようにもっちゃもっちゃしている女の子は8、9歳ぐらいに見える。お尻に生えた爬虫類系のかわいい尻尾の鱗は痛ましく剥がれ、割れ、ボロボロだ。頭は枝分かれした二本の短い角がちょこんと生え、まるで鹿のよう。髪は濃い緑色だ。
亜人ちゃんだ。初めて見た。すげー!
迷宮にゴブリンやオークがいるぐらいなので亜人はいるはずなのだが、行動圏が街中しかない狭い世界で生きている俺は今まで一度も亜人を見たことがなかった。
なんの亜人だろう。鹿とトカゲのハーフとかかな。でも聞くのは失礼かも知れないからやめとこ。まあ人間と同じ飯食うなら実質人間だろ。
女の子は最初に一口骨魚を恐る恐る食べ、目をかっぴらいて「おいしい……」と呟いてから何も喋らず無限に口に食べ物を詰め込んでいる。そして俺は無限に給仕している。
よく食べるね君。もっと食えもっと食え。おかわりもいいぞ。
巨漢冒険者もかくやという大食いっぷりを見せつけた女の子だったが、流石に胃袋は無限じゃないらしい。
骨魚を20匹も食べ、すっかり丸くなった腹をさすりながら満足そうにケフっと息を吐いた。眠そうに半目になりあくびをしはじめたので、おねむの前に聞いておく。
「名前は?」
「ウカノ……」
「お父さんかお母さんは?」
「…………」
ウカノは黙って首を横に振った。
そっか。孤児か……
もう少し身の上話を掘り下げて聞いておきたかったが、グッとこらえる。
もちろん彼女には彼女なりの事情があったに決まっている。
爺さんは俺を拾った時、根ほり葉ほり聞かなかった。俺が自分から話すのを待ってくれた。それがどんなにありがたかった事か。
だから俺は深く聞かず、重要な事だけ聞いた。
「なあウカノ。ウチに住むか?」
「住まない」
「ウチで飯食べるか?」
「食べる」
「ウチに住むと腹いっぱい食えるぞ」
「住む」
こうして亜人のウカノちゃんはヨイシの酒場に住む事になった。
タライに張ったぬるま湯で身体を綺麗にして、蚤の市で買ってきたチュニック&ズボンを着たウカノは見違えるほど可愛らしくなった。痛々しく傷ついていた尻尾もガツガツ食べて栄養補給したおかげか三日で生え変わり綺麗な艶を出し始めた。
いいとこの亜人のお嬢様でござい、と紹介しても通じるだろう。
ウカノは最初こそ警戒した様子で口数少なく物陰に隠れていたが、すぐに俺にちょこちょこついてきてはやることなすことじーっと見つめ、あれはなんだ、これはなんだ、と説明をせがむようになった。
ウカノは物覚えが抜群に良かった。ズボンに尻尾用の穴を空けるやり方も俺がやっていたのを一度見ただけで覚えたし、うまクルミの仕込みもすぐに覚えて暇さえあれば延々と胡桃割りをするようになった。お手伝いがしたいというより、ただ胡桃割りが楽しいだけのようだ。
俺の行動圏が酒場周辺に限られるため、ウカノが見聞きして真似するのも必然的にそのあたりになる。
これっていいのかなぁ、と少し不安になる。
子育てした事ないからわからん。大丈夫なんすかね。
子供ってもっと同年代の子と遊ばせたり、遊園地とか連れてったり、絵本読み聞かせてあげたりした方がいいんじゃないのかな。
ウカノが遊んでるのは酒場に来る若い冒険者だし、連れて行くのは食料市場だし、読み書きなんて酒場のメニューとか俺が作った料理法覚書で覚えてるぞ。
でもウカノは楽しそうにしてるんだよなあ……出会った時の死んだ骨魚の目はどこへやら。毎日目をキラキラさせている。
まあいいや。なんか他のことやりたいって言い出したらその時は応援するぐらいで大丈夫だろう。
ウカノが俺の周りでウロチョロするようになると、自然と酒場に来る冒険者達とも知り合う。
冒険者達は角と尻尾が生えたウカノを見ると大抵びっくりして、あの角と尻尾はなんだ、と聞いてくる。逆に俺が知りたい、あれって何? と聞き返すと、冒険者達はわからん! と口を揃えた。わからんかー。じゃあしゃーないな。
中にはひょっとして人型モンスターじゃないだろうな、と煙たがる奴もいたが、ウカノが皿に盛った骨魚のオイルマリネを持って行き、尻尾で器用に手渡すとニコニコしてお駄賃を握らせていた。いいぞウカノ。可愛さで全てをねじ伏せていけ。
酒場のお手伝いからあれよあれよという間に看板娘に昇格したウカノは、可愛さだけでなく腕っぷしでねじ伏せる一面も見せた。
ウカノは小さい見た目に反してパワフルだった。
酒場で喧嘩が起きたり、酔っ払いが暴れ始めるとだいたい俺が止めに入りぶっ飛ばされていたのだが、ある日酔っ払いに俺が突き飛ばされ鼻血を出したのを見たウカノは、突き飛ばした酔っ払いを「めっ」の一声と共に尻尾のひと叩きで店の外までぶっ飛ばした。
それ以来、ウチの酒場の客は誰もウカノに逆らわない。店の壁に空いた人間の形の穴を見れば誰だって逆らう気を無くすってなもんだ。
亜人つえ~。亜人ってみんなこんなストロングなの?
さて。
店を開け、冒険者に美食を布教し、割れて床に散らばった皿の破片を掃き集めて捨て、酔いつぶれたフリをしてタヌキ寝入りしていたふてぇ野郎をウカノが脅して歩いて帰らせ、真夜中過ぎに帳簿を付けて本日も店じまいと相成る。
いつもならウカノを風呂に入れて寝かしつけるところだが、今日は俺が新商品の開発を始めるということで、ウカノは眠そうな目をこすりこすり厨房に居座った。
骨魚料理の売れ行きは好調で、ウチの看板商品・代名詞の名を欲しいままにしている。
骨魚料理の発売と入れ違いにうまクルミの製法を他の酒場や料理屋に明かして技術情報料をせしめたので、金物屋に新しいちゃんとした金庫を注文する必要があったぐらい儲かっている。
だが初心忘れるべからず。ウチは儲け第一の酒場ではない。美味い飯第一の酒場なのだ。
うまクルミに続いて骨魚を売り出した事により、ウチは「迷宮料理」という新ジャンルの最先端を行く店だと噂され始めた。
誇らしい事だ。これからも迷宮料理の最前線を切り開く食の開拓者であり続けたい。俺は止まらねぇからよ。
というわけで新しい迷宮料理の開発にとりかかる。
今日から調理を試していくのは糞桃だ。
糞桃は迷宮浅層で採れる桃である。その上品な甘みと香りは野生の桃でありながら王族の祝いの席で供されるレベルの最高級品に勝るとも劣らない。
そんな美味しい桃だが、糞桃という最悪な名前で呼ばれるのには理由がある。
一口でも食べると間もなく丸一日続く強烈な下痢を起こすのだ。
食べるとクソ垂れるから糞桃。そのまんまである。
一応、この桃を食べても強力な治癒魔法をかければ下痢にならないのは知られている。
だが糞桃に治癒魔法をかけると味と香りが無くなるし、そもそも強力な治癒魔法の使い手は希少だ。もっと誰でもちゃんと食べられる方法を見つけたい。
「それ知ってる。糞桃でしょ。食べるとうんち出るから食べちゃだめなんだよ」
「それを食べられるようにするのが俺の仕事だ」
テーブルに並べた甘い香りの糞桃を見てウカノが教えてくれる。
ウカノ、俺も教えてやろう。食べられない食材を美味しく食べられるようにするのが真の料理人なんだ。俺の生きざまを見よ!
「よーしやるぞ。まずは低温調理してみよう。普通の加熱は昔痛い目見たからな。どれ、一口……うん、美味い!」
「オゲーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ウカノ、本日休業の看板出してくれ……俺はトイレから出られない」
「だいじょうぶ?」
「昨日は酷い目に遭った。逆に凍らせるのはどうだろう。熱に強い成分でも冷却ならむしろ。どれ、一口……うん、美味い!」
「ゲロローッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ウカノ、本日休業の看板出してくれ……俺はトイレから出られない」
「わかった」
「昨日は酷い目に遭った。前は経営が厳しくて仕入れられなかったが、今なら超高価な砂糖がある。砂糖漬けはどうだ? どれ、一口……うん、美味い!」
「グエーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ウカノ、本日休業の看板出してくれ……俺はトイレから出られない」
「また?」
「昨日は酷い目に遭った。解毒系の食材と混ぜてみよう。胃腸に良いハーブと細かく刻んだ殺菌作用がある根菜を果肉と混ぜてシャーベットに。どれ、一口……うん、美味い!」
「ゲボーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ウカノ、本日休業の看板出してくれ……俺はトイレから出られない」
「吐くの好きなの?」
糞桃調理は失敗が続き、流石にグロッキーになった。
何が辛いって下痢がマジで辛い。酒場の冒険者が迷宮で腹が減り過ぎて糞桃を食べ地獄を見た話をしているのを聞いてアホだな~と思っていたが、今は心底同情する。腹もいてーしケツの穴もいてーし散々だよ。なんなら眉根を寄せたウカノにぼそっと「くさい」と言われ心まで痛い。泣いちゃうよ。
しかし糞桃は逆に言えば食べられるもんなら食べたいとみんな思っている食材という事なのだから、これを調理できたらデカい。
数々の実験と休業を経て、俺は糞桃の下痢成分は果肉に含まれているのを突き止めた。
皮や種を食べてもなんともないのだ。
でも食べたいのは果肉なんだよなあ。美味いもん。
なんとかして食べられないかとあれこれ試すも、だんだん心が荒んできた。
一回試食するたびに下痢で尊厳破壊されるのが本当に辛い。
当初の意気込みはすっかり萎え、試食が十回を超える頃には糞桃調理の前に怖気づく心を奮い立たせなければならなくなった。
客にも心配された。
今までずっと毎日店を開けていたのに、最近は隔日休業。
店を開ける日も顔色が悪い。そりゃ心配もされる。
病気とかトラブルではないから、と説明していたのだが、ある日とうとう心配が限界に達したらしいユグドラとセフィに止められた。
「ヨイシさん。きっと料理人の誇りがあるんだと思いますけど、引くのも勇気ですよ」
「冒険者と一緒です。引くべきところで引けない冒険者は早死にしちゃうんですよ」
「そんな事言ってもな。お前らは進み続けてるだろ」
ユグドラとセフィの快進撃は留まるところを知らず、破竹の勢いで迷宮を進んでいた。
浅層の攻略も後半に差し掛かり、装備もいっぱしの冒険者といった風体だ。ユグドラはきちんと油を差したブロードソード。セフィは鈍い色合いながら綺麗に加工された魔石杖に加え、いつでも取り出せるようポケットから巻物が覗いている。
その上、鋲を打った靴やベルトの小物入れなど、随所に冒険のための細かい工夫が見て取れた。
今二人が攻略しているあたりで頭打ちになる冒険者は多い。冒険者は浅層の中・終盤を一生うろうろしている奴らが一番多いのだ。
しかし二人はそこを乗り越え、中堅冒険者として遠からず名乗りを上げるのだろうと思わせる勢いがあった。俺も負けてらんねぇ。
しかし、ユグドラは首を横に振った。
「いいえ。僕たちも敗走した事があります。迷宮に珍しい雨が降った日があったんですが、その日はモンスターがめちゃくちゃで。中層にいるモンスターが浅層に上がってきていたんです。僕たちは増長していました。挑んだ敵に必ず勝ってきたから、相手が中層モンスターでも勝てると思ってしまった……」
「ユグは魔力が尽きて気絶した私を背負って、なんとか逃げてくれました。私たちは負けました。でも何も得られなかったわけじゃない。私は魔力が尽きた時のためにスクロールを持つ大切さを知りましたし、私たちが時間を稼いで削ったおかげでその中層モンスターは別の冒険者が倒せたそうです」
ユグドラは黙って聞く俺にゆっくり言った。
「ヨイシさんも、桃にいろいろ試してみて何か得たのではないですか。今手に入れた成果を握りしめて撤退すれば、またいつかもっと成長した時に再戦できます。まだ行けると思った時は、もう危ない時なんです。ヨイシさん、どうか体を大切にして下さい。ウカノちゃんもいるでしょう?」
俺は酒場のテーブルの間をとっとこ歩き回って料理を運んでいるウカノを眺め、しばらく考え、頷いた。
仕方ない。お前には負けたよ糞桃。
だがタダでは負けんぞ。これは完全敗北じゃない。戦略的撤退だ。
撤退を決めた七日後から、俺は酒場に「冒険酒」の新メニューを出した。
糞桃の果肉は食えなかったが、皮と種は使える。
糞桃を茹で、剥きやすくした皮をツルリとむいて、種と一緒に酒に漬ける。
すると桃の上品な香りと甘みが酒に移り、フルーティーな果実酒が出来上がるのだ。
冒険酒の評判は上々。
今回は大成功とはいえないが、酒場として酒のラインナップを増やせたのだから悪くない。
冒険者も料理人も、時には負けを認めるのが大切だ。
迷宮食材名鑑No.3 糞桃
迷宮浅層の樹林で採れる桃。上品な香りと甘みの小振りな桃で、思わずかぶりつきたくなる。
そのままでも食べられるが、食べて間もなく丸一日続く強烈な下痢を起こす。
ヨイシの酒場に持って行くと冒険酒に加工してくれる他、買い取りもしてくれる。値段はほどほど。毒耐性(酩酊耐性)の強いメンバーで攻略を進めているなら、浅層は冒険酒一択。
冒険酒は桃の上品な甘みはそのままに、浮足立つような高揚感のある酔いがくる。この酩酊感は迷宮で財宝を見つけたあの感じに似ていると冒険者は言う。冒険酒はどれだけ飲んでも悪酔いしない。
ヨイシの迷宮料理は冒険中「女神の涙」以外で疲労値を回復する唯一の手段である。冒険出発前に「酒持った?」の確認を忘れないようにしよう。