【短編】獣人が愛する運命の匂いは死の香りを招いた
獣人の国、アニモー。
この国の大半の住人は獣の顔に人間の体を持つ。
そして「運命の番」というもので人生の伴侶を決める習性があった。
アニモーの獣人たちは特定の異性に出会うと凄まじい興奮を覚える。
特別な匂いが相手の全身から香ってくる。それを獣人は「運命の匂い」と呼んだ。
目眩がするほど甘く、思考を奪う程濃いそれを鼻一杯に吸い込むと獣人は正気を失いそうになる。
そして相手を自分のものにしたくてたまらなくなるのだ
ちなみにアニモー国の女性の出産率は非常に高い。
この国で一番多いのは狼の獣人。続いて獅々だ。
一度の出産数が多い上、生涯の出産回数も多い。
更に男の獣人は戦闘力が高い者も多かった。
その為この国は土地が足りなくなると周辺の国を攻め滅ぼし領地を増やしていった。
滅ぼした国の住人は殺すか奴隷の二択だ。
そしてその過程である異変が起きた。
一部の獣人が、ただの人間に運命の匂いを嗅ぎつけるようになったのだ。
しかしそれが理解出来るのは獣人だけ。
相手の人間は突然獣人に発情され夫婦になれと迫られる。
当然殆どの人間は拒否するが、力ずくで手籠めにされた。
権力と腕力、その双方で獣人は運命の相手を従えていたのだ。
そんなアニモーの王太子、獅子の獣人であるレオはある日外遊先で「運命の番」を見つけた。
相手は隣国ミントの第一王女ベルガモット。彼女は誘拐同然にアニモーへと連れ去られた。
今まで他国の王族や貴族に運命の匂いを嗅ぎつける獣人はいなかった。
殆どは奴隷や貧しいものたちだった。
だから強引な連れ去りが大問題に発展することはなかったのだ。
抗議に対しての報復が苛烈過ぎて抵抗を諦めたという事情もある。
しかしベルガモットは次期女王候補。
ミント国は戦になることを覚悟の上でアニモーへ抗議した。
だがそれはベルガモット王女本人からの手紙で撤回されることになった。
書面には彼女は自分の意思でレオ王太子の妻になることを決意したとあった。
それから十年が経過した。
今、大国アニモーの王都は血と悲鳴に塗れていた。
しかし血生臭さと共に不思議と爽やかな香りも漂っている。
「獣人どもは俺たちの香りに弱っている、恐れず攻めろ!!」
そう叫び兵士たちを鼓舞するのはミント国の将軍だ。
傍らには軍服に身を包んだ美しい女性がいる。
バレンシア第二王女だ。
今回戦を仕掛けたのはミント国。
ベルガモットを救って欲しいとアニモー国から一通の手紙が来たことが理由だった。
獅子の獣人であるレオに熱烈に求められ正妃になったベルガモットだが、子供が出来る事は無かった。
それを理由にアニモー国で冷遇されるようになったのだ。
彼女が離縁を求めても国王になったレオはそれを決して許さなかった。
更にベルガモットだけを運命の番として求める彼は側妃を置くことすら拒否した。
結果、王妃は重臣の一人に暗殺されかける。
その重臣は一族まとめて王に処刑されたが、ベルガモットが妃である限り又同じことが起こるだろう。
それに王妃は激し過ぎる寵愛のせいで窶れきっている。これ以上は耐え切れないだろう。
ベルガモットの腹心の侍女は母国にその旨を伝え、助けを求めた。
彼女は王女がレオに攫われる時に、主人を守ろうとして片目を失っていた。
そして誘拐を阻止できないとわかると、目を奪った相手であるレオに頭を下げて一緒に連れて行ってくれるよう頼んだ忠臣だ。
父であるミント国王は娘を返してくれるよう貴重な贈り物の数々と共に遣いを出した。
しかし、その遣いはレオ王の手で引き裂かれ無残な姿で送り返された。
結果、ミント国は王女奪還の戦を仕掛けたのだ。
アニモー国に響き渡る悲鳴は殆どが獣人たちのものだ。
戦闘力が高い筈の獣人の兵士たちは何故か、殆ど抵抗も出来ずミント国の兵士に倒されていった。
「な、なんだこの匂いは……ギャッ」
「あ、頭がボーッとして、指先が震え……ウッ」
そう言いながら狼や獅子の獣人たちは殺されていく。
ミント国の兵士たちからは甘く爽やかでどこか複雑な香りが漂っていた。
匂いの元は国から支給された香油だった。ミント国の第二王女が指示した調合で作られたものだ。
ベルガモットの妹、バレンシア第二王女。彼女は姉と手紙で交流を続けていた。
その中で獣人たちが好む匂いと苦手な匂いを知ったのだ。
彼女は姉が国を守るために望まぬ結婚を受け入れたことを理解していた。
ベルガモットは泣き言を一切手紙に書かなかった。
けれどバレンシアは姉を取り戻したいとずっと願っていた。
彼女程、ミント国を愛していた人は居ないのだからと。
そしてベルガモットが地獄の中にいると侍女からの手紙で知り、願いは獣人国への殺意に変わった。
バレンシアは姉からの情報を元に幾つもの香油を試作した。
アニモー国の主な戦闘兵は狼と獅子だ。彼らさえ無力化出来ればいい。
姉の教えてくれた獣人の好む匂いを突き詰めれば、頭を蕩けさせ手足を震えさせる媚薬になった。
嫌う匂いを寄せ集め凝縮すれば嗅いだだけで気を失う劇薬になった。
彼らの嗅覚は普通の人間の数千倍も鋭敏なのだ。
だからこそ運命の匂いなんてものに固執するのかもしれない。
実験材料には困らなかった。
アニモーの獣人は、獣人以外を舐めている。
そしてここ数年やたらとミント国を訪れて悪さをするものが増えていた。
王妃にして「やった」ミント国の女に子が出来ないことへの抗議だと知ったのは侍女の手紙でだ。
「予想以上の効果ね。奴らの怪力も鋭い牙も、頭が働かなければ何の意味もないわ」
幸い香油の材料となる果実や植物はミント国には豊富にあった。
獣人の国はアニモーだけではない。
そして獣人の横暴に耐えている国はミントだけではない。
今回の件で世界の勢力図は大きく変わるだろう。バレンシアは予感する。
「姉様を取り戻したら、アニモーの獣人どもでもっと実験を繰り返さなくちゃね」
そして二度とこんな悲劇が起きないようにするのだ。
人間様相手に運命の番などとほざく獣が出ないようにしてやる。
ミント国の次期女王は香りの良い軍服に身を包み、姉が囚われている王城を目指す。
この国を制圧したら香油の材料となる果実の生る木を山ほど植えてやろう。
その上で奴隷にした獣人たちを住まわせるのだ。
バレンシアはそんな悪趣味なことを考えてニヤリと笑った。