48 20年前の事件
長々とお待たせしてしまってすみません。まだ読んでくれる方がいると信じて書きました!!!!
「今日は久しぶりにレイラと馬で出かけられて良かったよ」
ベクスヒルまでの帰り道、再び木立の中を歩いていると改まった調子で兄が言った。
「――多分、レイラは来年から乗馬が禁止されるだろうからね」
「えっ、なぜですか」
咄嗟にそう返してしまったが、兄の言葉は、それほど意外ではなかった。どちらかと言うと、本心は「とうとう来たか」。随分前から、母は私が馬に乗るのを止めたがっていたし、高位令嬢の中には、小さい頃から乗馬を禁じられている子達も多いと聞く。確かに乗馬の事故は命に関わる惨事に繋がりかねないし、そもそもこの世界では女子に乗馬スキルなんて必要ない。女性が一人で、そして自力で遠出する手段は不要というのがこの世界の価値観だ。
わかってはいるけれど、息の合った馬を駆る爽快感や、大きな瞳を覗き込みながら馬の暖かい首筋を撫でる感覚は何物にも代えがたい。
このままでは、この美しい生き物ともいずれ距離を置かないといけないらしい。
足元の小石を思わず強く蹴ってしまう。
「そりゃそうでしょ。今まで何も言われていなかった方が不思議だよ」
兄は頭をふりふり、言葉を続ける。
「この前お父様に聞いたんだけど、殿下は学園を卒業したら早々に王太子に叙されるって噂だよ」
「なんと、アルバートが、王太子に…」
初めて聞いたその情報に、更に眼前が暗くなった。そんなことが計画されているとは。
兄が枝を払いながら続けた。
「王太子の婚約者となれば、レイラには警備も付くだろうし、安全対策だって厳しくなるはずだしね」
なるほど。だから来年から乗馬禁止か。
現在、アルバートは王位の第一継承者ではない。王位継承権第一位におられるのは、現国王の双子の弟のルーク大公殿下である。
今後アルバートが王太子に叙される、ということは、正式に王位継承の地位を確立するための叙勲の式典が行われ、そこで彼は正式に王位継承権第一位となってしまう。それが、アルバートの卒業後、早々に計画されている。
婚約者であるアルバートが王太子となれば、結婚後の私の地位は王太子妃。これは色々と面倒なことになりそうだ。乗馬の禁止以外にも、厄介な制限が出て来る可能性が高い。
しかし、あのアルバートは王太子なんて器なのだろうか。自己中心的で、他人の気持ちなんて考えられない彼が王太子。
忘れていた煩わしいセシリアやアルバートのイチャつきの記憶が一瞬、脳裏をよぎる。
そんなことを考えるのは止めよう。
とにかく、アルバートが王太子だなんて、この国の未来は暗いわ。
「まだ公表されていないから、このことは他言無用だよ」
「…もちろん。でも、なぜ早々に、なのですか。何か急ぐ理由があるんでしょうか」
「そう。ルーク大公殿下がご健在だし、僕もアルバート殿下の叙勲はまだまだ先だと思っていたけどね」
「そのとおりです! それに、アルバートに王太子なんて務まるとは思えません! 」
私の強い語調に兄は苦笑しつつ、声を潜ませた。
「それが、ルーク大公殿下が政から完全に離れたがっているっていう噂なんだ。アルバート殿下が卒業されたら、完全に研究に集中したいと仰っているらしい」
ルーク殿下は研究者としても名高い人物だ。魔道具の原料になる様々な材質の鉱物の第一人者でもあり、昔から政治より研究を好まれていたらしい。ある悲惨な事件以来、政治とは距離を置いていて、殿下の研究分野以外では表舞台でその名を聞くことはほとんどない。王宮内の研究室に籠って自身の研究に没頭しているという噂だ。
本来であれば、王族が「政治から距離を置く」ことを望んでも、叶わないのが通例だと思う。ただ、ルーク大公殿下の場合は特別だ。国民もきっとルーク大公殿下の意思を支持するに違いない。
あんなことがあったら、誰しも王族や政治、自分の血脈から遠ざかりたいと望むだろう。ルーク大公殿下を襲った悲劇は、今でも国民の同情を誘う事件として語り継がれている。
その大事件のことを思い起こしてみる。私が生まれる前に起きた事件だが、いまだにウワサや続報が報じられるため、概要だけは知っている。
発端は二十年ほど前。前国王が急病により崩御された直後だ。
現国王のフェリクス陛下――アルバートの父上――とルーク殿下――アルバートの叔父上――、その二人がお世継ぎ候補だった。
当時の王位継承順位第一は当然長男であるフェリクス現国王陛下で、順当に考えれば、次期国王はフェリクス陛下である。しかし、貴族や議会の中にフェリクス陛下を王位に就かせまいとする勢力があった。フェリクス陛下は前国王陛下とともに、貴族や富裕層に対する増税政策を推し進めていたため、これに反対する一部の有力者が、ルーク殿下の王位継承こそ正当だと主張したのだ。
王家の血を引く男子にのみ受け継がれるされる「炎の力」を理由に、この国では厳格な男系での王位継承が古来より貫かれている。王家の血筋と「炎の力」を絶やすことはこの国の根幹を揺るがしかねないため、王族に男児が生まれることを国中が望んでいる。当時フェリクス現国王陛下のご夫妻はお世継ぎに恵まれなかったが、一方ルーク殿下にはご長男がいらした。これを理由に、反フェリクス陛下の勢力はルーク殿下こそが王座に相応しいと主張していたのだ。前国王の崩御から約一年近く、戴冠をめぐる有力者同士の闘争が続いていたという。
そんな中、悲しい事件は起きた。
ルーク大公殿下の妻、ハーリーン妃とまだ幼かったその長男が王宮内で亡くなったのだ。不幸なことに、幼い王子の誕生日を祝う席で。
その日、何が起きたのかは一切公表されていない。ただ、ハーリーン妃と幼い王子がなくなったことだけが、翌日国民に知らされた。王家からの公式の発表ではないが、何者かがハーリーン妃と王子の命を奪ったのではと憶測されている。
妻と幼い王子を失って以来、ルーク大公殿下は政治とは決別し研究のみに没頭するようになった。深い悲しみから、妻と我が子の葬儀にも出席されなかったらしい。
その後、この不幸な事件を受けて、弱腰に事態を見守っていた中道派の貴族や議員たちが発起し、事態の収束を図った。過激にフェリクス陛下の戴冠を妨害していた貴族や有力者たちは国外に追放されたことで、急速に国内はフェリクス陛下即位に向け動き出したらしい。フェリクス現国王陛下は無事王位に就かれ、今に至っている。
この事件から二十年近く経ったが、それ以来、王室は大きな事件に見舞われていない。
「ひどい事件だったもの。アルバートが年頃になるまで待って、ルーク殿下は身を引くことをずっと考えられていたんだわ」
長い沈黙の後、独り言のように私が呟くと、兄が心配そうにこちらを見ていた。
「レイラ、また蒸し返すようで悪いんだけど。殿下とは、いや、――本当は誰か好きな人がいるんじゃないの」
兄は私をまっすぐ見て足を止める。またその話か、と思ったが、お兄様は本当に私を心配してくれているのだ。でも、残念ながら勘違い。私はずっと自問自答を繰り返していたある考えを、努めて自虐的にならないように明るい声で話した。兄にわかってもらうためにゆっくり、言葉を選んで。
「お兄様、私、好きな人なんていないです。
それに、私のことを好きになる人なんて、この国にはいないんですよ。王子の婚約者なんか、恐ろしくて好きになるわけないじゃないですか。
あとね、私が誰かを好きになったとしても、そんなの相手に迷惑を掛けるだけなんです。思いは実るわけないですし、相手にとっては気まずいだけです。
なので、私はそういうこと、もう考えないようにしてるんです」
口に出すと、自分で思った以上に悲壮感が漂う内容になってしまった。兄は心底悲しそうな瞳で私を見ている。
いやいや、そんな風に同情されるのは本意じゃない。私はただ、思っていたことを伝えて、この話をおしまいにしたかっただけなんだけど。
踵を返した兄が目頭を押さえていた気がする。余計に心配を掛けちゃったかな、と思ったが、更に言葉を繋ぐと余計に不自然な気がしてそのまま再び無言で歩き出す。
帰り道、お兄様はいつも以上に優しかった。




