47 惚れ薬屋
「ええっ!? 惚れ薬?」
バートラムさんに教えてもらった山道を歩きながら、とうとう兄に「惚れ薬」を探していることを打ち明けてしまった。木漏れ日で明るい林の中に、兄の声が響いている。その大声に、私は思わず周りを見回してしまうが、幸い木立に囲まれた田舎道には誰もいなかった。
「しー! お兄様、声が大きいです」
たしなめる私の言葉なんてなかったように兄が矢継ぎ早に質問を繰り出す。
「ねえ、レイラ。それ、買ってどうするの? もしかして殿下以外に好きな人ができたとか…」
「まさか、違います!」
「じゃあ、殿下に惚れ薬を一服盛りたいとか?」
「そんなバカな! ぜっっっったいに違います!」
腹筋を十分に使い、絶対、に力を込めて発言する。私の必死の否定に目を細めるお兄様。疑惑の眼差しが痛い。
「ではなぜそんな薬がほしいの?」
「それは…」
正直に答えるには、長い話をしなければいけない。学園内の誘拐に端を発した「惚れ薬キャンディ」の発見について話してみようと思ったが、そのキャンディがどうして「惚れ薬」とわかったのか、それについてはどうしても答えられない。言い淀んでしまうと、兄は「それ見たことか」と言う顔で畳み掛ける。
「誰に使うかは言わなくていいよ。それに、お父様に言わないって約束するから、僕には本当のことを教えてほしい。――誰か相手がいるんでしょ」
「もう、本当に違います!」
ふーっと大きくため息ひとつ。いつになく強い表情の兄は、簡単に引き下がりそうにない。いっそ、このまま兄に事情を全て打ち明けてしまおうか…。一瞬そんなことが脳裏をよぎったが、やめておくべきだとすぐに気付いた。学園内で度々見かけた「キャンディ」が「惚れ薬」なのでは、という話を始めると、「アルバートが惚れ薬の効果でセシリアと過剰に学園内をイチャついている(と予想している)」という説明までしなくてはいけなくなりそうだ。そもそもアルバートが学園内で他の女子と親密にしていることだけでも我が家にとっては大事件だ。こうしたややこしい話を今この場で兄に打ち明けるべきか、咄嗟に判断できない。
心配してくれている兄には申し訳ないけど、バートラムさんのところで思い付いた言い訳を継続することにした。
「――友達に、あげたいんです」
「レイラの友達?」
一瞬、怯んだ兄。チャンス。このまま、「友達作戦」で突っ切ろう!
「そうそう、片思いをしているお友達に!」
「友達、ね」
その表情は納得しているものではない。
「レイラ、その友達ってまさか…」
兄が言いかけたその時、道の先の木々の隙間からピンクの煙突が生えた建物が見えてきた。目を凝らすと、木立の奥に、建物があるのが分かる。
「――あれ、ですかね」
「かなりなんて言うか…特徴的な建物だね」
兄の言葉に私も深く頷いた。開けた場所に建っている簡素な造りの石と漆喰の家だが、その壁面は鮮やかなサーモンピンク色に塗られている。三角の屋根には赤茶色の瓦が乗って、その屋根からはビビッドなショッキングピンクの煙突が天高く伸び、その先からは微かに煙が漏れているようだ。森の中には似つかわしくない、鮮やかな色彩の建物だ。
「なんだか、想像してたのと違いますね」
「そうだね。とにかく行ってみよう」
少し歩くと、建物の全体が見えてきた。建物の周りは小ざっぱりと整えられていて、様々な花が植えられている。近づくにつれて、全体がよく手入れがされているのがわかった。豪華さはないが、愛情を感じる庭だ。建物の数メートル手前に薄紅色の花弁を放射状に開いたハニーサックルのアーチがあり、その周辺には小さな黄色や赤の菊が可憐に咲いている。菊の隣の深紅のコスモスは伸び伸びと太陽を浴びて気持ちよさそうだ。
建物の派手なピンクと庭の花。一見ちぐはぐな組み合わせだが、ここにいるとなんとなく調和しているように見える。
「可愛いお庭」
「本当だね。誰が手入れしているんだろう」
庭の通路には枕木が敷かれていて、緩やかなカーブを描いて建物のアプローチにつながっている。庭を歩きながら、兄も意外な光景に周りを見回している。花やハーブや所々に野菜が植えられていて、どれもコンディションがとてもいい。いい庭師がいるのだろうか。
バートラムさんによると、「この道の先にはその店しかないから、行けばすぐわかるはず」とのことだったから、多分ここがその店に間違いないだろう。もっとおどろおどろしい雰囲気を想像していたから拍子抜けしてしまった。惚れ薬を売っている店、と言われてイメージするような怪しげな廃棄物や実験器具の類も転がっていない。
それに、人気店と聞いていたのに、建物の周りには人気が全然ない。そういえば、ここに来るまでの道でも、誰ともすれ違わなかった。大人気だった惚れ薬は、早くも飽きられてしまったのだろうか。
一段高くなった玄関前のアプローチを上がり、これまたピンク色に塗られた玄関ドアの前にやってきたが、表札や看板の類は一切ない。建物の窓は天窓しかないらしく、建物の中の様子は全くわからない。ふと横を見上げると、心配そうな顔をしている兄が自分が声をかけるべきなのか迷っている表情を見せていた。お兄様、大丈夫です! 兄に笑顔を見せて、私は声を張り上げて扉を叩いた。
「御免下さーい!」
兄はたしなめるような仕草をしているが、私にはここは危険ではないという確信があった。原作ゲームで惚れ薬を私が購入するシーンは描かれていないが、その薬を最初に手に入れるのは悪役令嬢の私だ。原作ゲームの私に買えて、今の私に買えない、なんてことは無いはず。
なんてことを考えていると、勢いよく扉が開いた。
建物の中で仁王立ちしていたのは、髪の毛を真っ赤に染め、サーモンピンクのジャンプスーツを着た三十代くらいの強面の男性だった。恐らく顔面の素材は悪くなさそうなんだけど、派手な髪色と、とんでもなく派手な服装のせいで顔の情報が全く整理できない。兄と同じくらいの身長で、兄よりも筋肉質に見える。
男性は、一瞬じろっと私と兄を一瞥したかと思うと、素っ頓狂な裏声で話し出した。
「あらあらあらー。お客さん? でももうここ、お店はやってないのよお」
おお、口調が完全にお姉さま。兄が警戒して私の前に立ちはだかろうとしてくれるのを制して、努めて冷静に尋ねた。
「こんにちは。あの、お店はやってないってどうしてですか。
ぜひ分けていただきたくてやって来たんですが。街ではまだこちらの『惚れ薬』のウワサでもちきりですよ」
「あらそーお? でもね、ごめんなさい。最近大口顧客が現れたから、もう個人相手には売らないことにしたのよ」
「大口顧客?」
つまり、大量に仕入れてくれる客が現れたということ? 私は、先日連れ去られた際に部屋にあった段ボールの中の大量の飴を思い出す。
「そう。一気にたーくさん買ってくれるから、お店にも全然在庫がないのよ。本当に、ごめんねえ」
両手を頬に当て、可愛い仕草で会釈をすると、扉に手をかけて「じゃ、そゆことでー」と言いながら扉を閉めかける赤毛の男性…いや、女性? まあ、それはどうでもいい。目の前の赤毛さんがドアを閉めようとしている。
「ちょっとちょっと、ちょっとまってくださーい!」
私は閉まりかけているドアに足を挟んでガードし、ドアを無理やり開きなおした。「おいレイラ、だめだ」と私を止めようとするお兄様を振り切って、赤毛でお姉さま口調の店主に更に問いかける。
「あの、大口顧客って、それを買っていった人は、どんな人でしょうか」
明らかに嫌そうな顔の赤毛の店主。ため息交じりにもう一度扉を開くと、頭を振り振り答える。
「守秘義務よ。お客の情報をペラペラ言えるわけないでしょ」
「うう、そうですよねー」
顧客の秘密を守ることは当然と言えば当然だが、こんな奇抜な人物から常識的な言葉が出て来ることが意外である。
「じゃあ、惚れ薬について、教えてもらえませんか。サーモンピンクの包み紙の、飴みたいな薬だってきいたんですが、本当ですか」
「そーよ。味も普通においしいんだから。こだわり抜いたイチゴ味よ」
頭の中でパズルのピースがぱちんぱちんと音を立てて嵌っていく感覚がする。私はここぞとばかりにポケットに忍ばせていたキャンディ――キース先生の研究室で一粒もらったものだ――を手のひらに乗せて、赤毛の店主に見せてみる。
「それは、これのことでしょうか」
差し出した飴を見つめる赤毛の店主。茶色の瞳が鋭く光って、私の手のひらから素早く飴玉をつまみ上げる。
「――何よ、持ってんじゃない」
摘まみ上げた飴をくるりと回してつぶさに観察する店主。やはり。学園内で見かけた飴は「惚れ薬」だったんだ。
指先で飴を検分していた赤毛の店主は、そのまま私の手から摘まみ上げた飴を自分の胸ポケットの中に収めてしまった。
ああ、大事な一粒が!
「あの、返してください」
「あのね、この製品には厳格な消費期限があるの! いつ手に入れたのかわからないけど、うちの薬なら、返してもらうわ。
それに、お嬢さんの口ぶりだと、自分で買ったものではなさそうだし」
「そんなあー」
貴重な資料の一粒が、彼の手に渡ってしまった。
しかし、それよりも気がかりなことを聞いた。この薬には、「厳格な消費期限がある」と。
なんらか健康に害を与える成分が入っているのだろうか。
その薬は継続して摂取してもいいのだろうか。アルバートは、セシリアと過ぎしている時間、日常的にその薬を口にしている可能性がある。急に不安になって尋ねた。
「どうして、飲んだ人は誰かを好きになるんですか。薬は毎日飲ませても大丈夫なんですか」
「だめよ!」
急に声を張り上げた赤毛の店主。顔つきも真剣になる。
「ダメ、絶対に続けて使っちゃダメ。継続的に使ってると依存症が出ちゃうかもしれないわ。…ああ、そうだ惚れ薬は長期服用しちゃダメって取り扱い説明書に書いておかないと…。
言っておくけど、そういうことを考えている人にあの薬は絶対に売らないからね。
あたしの高尚な発明が下卑た目的で使われるのはこりごりだわ!」
私が尋ねた「毎日飲ませてもよいか」という質問は、私がそんな風に使うことを想定しているように誤解されてしまったらしい。目を怒らせた店主が扉を閉める手に力を入れた。仕方なく扉に強引に挟んでいた足を下げ、最後の質問をぶつけた。
「すいません、最後に一つだけ。 あなたのお名前を、教えていただけないでしょうか」
私の質問が意外だったのか、一瞬驚いた表情を見せ、赤毛の店主は扉を閉めながら大声で答えた。
「フローラよ。天才お花博士のフローラ様!」
フローラ。天才お花博士。
天才の真っ赤な頭は乱暴に閉められたドアによって見えなくなった。隣で肩をすくめている兄を見て、少しほっとした。激辛ラーメンを食べた後に、冷えた牛乳を差し出されたような癒しの風貌だった。
「お兄様、今日はありがとうございました。帰りましょう」
「そうだね。帰りにベクスヒルで野菜を買って帰ろう」
兄は私を励ますように明るく答えてくれた。良い兄を持った。
惚れ薬について考えなくてはいけないことが多すぎるけど、今日付き合ってくれた兄と楽しく家まで帰ることに専念しよう。




