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46 ベクスヒル

 昨日の豪雨が嘘のような快晴の下、私は兄の愛馬――バナナ号――でベクスヒルに向かっている。二馬身ほど前には兄が乗るティモシーが軽快にトロットで走る。ベクスヒルまでは、この調子で進めば二十分もかからないだろう。緩やかな登りが続く道の両脇は見渡す限り草原。昨日の雨で力を得たのだろうか、草花は勢いよく茂っている。のんびり乗馬を楽しむにはうってつけの長閑な田舎道だ。

 眩しい日差しを遮るため、今日は乗馬用の帽子を被って出掛けているがそれでも眩しくてサングラスがほしい。この世界でサングラスを見かけたことがないから、今度先生に相談して作ってもらおうか。


 私は今、少々困りごとを抱えている。一つは、結局兄に何をしにベクスヒルに行くのか、まだ伝えていないということ。もう一つは、そもそもこれから行く「惚れ薬を売る店」がどこにあるのか、正確な場所を知らないこと。


 二つ目の店の所在地については、この先の喫茶店で情報を仕入れるつもりだ。マダム・フェリシティの耳に届いているくらいだから、惚れ薬の情報はこのあたりの住人なら誰かは知っているはず。そうすると結局、ベクスヒルに何を買いに行くのかを兄が知るのは時間の問題だ。

「惚れ薬を探している」なんて私が言ったら、兄はどうするだろう。案外、兄もいくつか欲しがるかもしれない。お兄様だってお年頃だもんね。そういえば、お兄様の縁談はいつ頃決まるんだろう。


 小高い丘の上に、少しずつ民家や商店が見え始めた。ベクスヒルだ。訪れたのは十年ぶりくらいだが、以前の印象からまったく変わらない。牧歌的な田舎の村。道の真ん中で猫が寝て、アヒル数匹が放し飼いになっている。恐らくもう少し進むと家畜の牛やロバも登場すると思う。こんな鄙びた村に、怪しげな惚れ薬を売る店があるなんて全く想像ができない。

 古びた「ようこそ、ベクスヒルへ」の看板を通り過ぎると、喫茶店「ホテルバートラム」の青い屋根が視界に現れ始め、前を走るティモシーが常歩(なみあし)にスピードを落とした。兄が振り返り、私の様子を確認している。私もバナナの手綱を緩め、常歩に速度を落としながら、「問題ないよ」というように手を振った。


 ◆


 ホテルバートラムは、「ホテル」と名乗ってはいるけど、軽食とお茶を提供する普通の喫茶店だ。店に入ると、二十席近い座席の半分以上埋まって店内は賑わっている。地元住人の憩いの場となっているようだ。空いている窓際の席に兄と向い合せで腰を掛ける。


「疲れた?」


 兄が帽子で乱れた髪を直しながら尋ねた。汗に濡れた金髪、乱れた前髪。我が兄ながら色気を感じてしまう。

 私はかぶりを振って兄の言葉を否定した。


「いえ、これくらい平気です」


 そこに一人の農家風の出立ちの中年男性が現れ、兄に声をかける。


「おや、久しぶり、ラヴィニアの坊ちゃんじゃないですか」

「ああ、バートラムさん、お邪魔してます」

「今年は綿の収穫はもう少し先ですんで、今日は何か別の用事ですかい?

 おっと、…こちらの可愛らしい方はもしかして?」


 バートラムさん、多分この店の主が、私をチラッと見ながら尋ねる。


「いやいや、違いますよ。妹のレイラです。レイラ、こちらはこの店のご主人バートラムさんだよ」


 紹介を受けて、私は席を立ち会釈する。


「レイラです。兄と父がいつもお世話になっております」


 顔を上げると、バートラムさんの相好が崩れた。


「いやあ、そうでしたか。大きくなられて。むかーし

 うちの店にも一度来られて、その時は全くのおちびさんだったのに、こんなに立派になられて。俺も歳を取るわけですね。

 いらっしゃい、お嬢様。どうぞ掛けて下さい」


 ここに立ち寄った記憶はないが、小さい頃の私を知っているというのは少々照れ臭い。その頃の私は控えめに表現しても、手のつけられないクソガキだったと記憶している。なにか嫌な思いをさせていないといいけど。


「ありがとうございます」


 促されて再び椅子に座ると、バートラムさんは手に持っていた水のボトルとフォーク、ナイフをテーブルにセットしながら兄に話し掛ける。


「それで、お揃いでこちらにいらしたのは何かあるんで?」

「それがね…」


 答えた兄はチラリと私に視線を移す。渡りに船だ。バートラムさんに例の薬のことを聞いてみよう。


「実は、この村のある薬局にすごい薬が売っていると聞きまして、友人のために少々譲ってもらえないか訪ねてみようと思っているんです」

「ほっほう、あの薬を!なるほど!」


 急にバートラムさんの顔がニヤつく。


「なるほど、なるほど」


 何が「なるほど」なのかはわからないが、バートラムさんはしきりに頷きながら続けた。


「それなら、村役場の手前の側道を十五分くらい登ったところにありますよ。一本道ですが途中ちょっと足場の悪いところがありますんで、ここに馬を置いて歩いて行ったほうがいいでしょう。ちょっと前は村中その店に行く若い子が大勢詰めかけてましたけどね」

「あれ、その子たちはもう来ていないんですか」


 マダムの話では毎日行列ができているってことだったけど。


「さあて、最近はそんな客も来なくなりましたね。店は相変わらずあるみたいですが」

「そうなんですか」


 おかしいな。人気絶頂だったはずなのに、なぜ客足が途絶えているんだろう。


「そんな薬をご所望とは、お嬢様もお年頃ですなあ。

 ――おっと、お喋りばかりすみません。すぐに軽食とお茶をお持ちしますね。じゃあ、ごゆっくり」


 バートラムさんが私と兄に笑顔を向けテーブルを去った。その後ろ姿を見送った後、話しについてこれなかった兄がとうとう口を開いた。


「ねえレイラ、一体何を買おうとしているの?」

「う~ん、お兄様、それはお店を出た後歩きながら説明するっていうことでもいいですか」


 軽食、と聞いて急にお腹が減ってきた。出て来るのはサンドイッチとスコーンかな。兄は釈然としない表情だ。ここまで付き合ってくれた兄には悪いけど、もう少し我慢してもらうことにしよう。

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