45 悪役令嬢回避ガイドブックを読み返す
「うーん、惚れ薬かあ~」
空は雨模様なので、今日は自室のベッドに横になって過ごしている。私のベッドは、かつて父の姉が使っていたものだ。古いマホガニー材の深い色味と艶が上品で、ベッドボードに菫やクロッカスなど春の花が装飾されている。
「そんなものでアッサリ惚れますかねー」
思っていたことが、また口をついて出る。これまで毎日誰かとおしゃべりをしていたから、今日はつい独り言が多かなってしまう。
マダム・フェリシティが言っていた「惚れ薬」についてぼんやり思い出すと、色々な思いが目まぐるしく駆け抜けた。惚れ薬って本当に効果があるのかな。買う人は、そんなものに頼って、どうするんだろう。
惚れ薬ね。惚れ薬。――何か引っかかる。うーん、何か大事なことのような。
ベッドの上をダイナミックに転がりつつ考えるが、これといって去来する記憶はない。だけど、何か気になるんだよね。
枕な顔を埋めていると、いいことを思い出した。
私は勢いを付けて上体を起こしベッドから降りて本棚に駆け寄る。
こーいう時のために11歳から書き溜めた例の名著があるんですよ。
私は久しぶりに自慢の一冊「悪役令嬢回避ガイドブック」を開いて、何か気になる記載がないか、読み返してみることにした。
久しぶりにページを繰る。11歳の自分が書き残した走り書きや、きれいにまとめられた年表、様々な挿絵。そして。そこに目が留まった瞬間、私は自分の能天気さに自らをぶん殴りたくなった。
――大変だ。
そこには、こう書いてあった。
「3年生の夏から秋にかけて、古代魔法研究家が開発した強力な惚れ薬をレイラが入手し、秘密裏に攻略対象に一服盛ろうと企てるが、それをヒロインに見咎められた上、取り上げられてしまうイベントが発生」「惚れ薬はキャンディに似せて作られている」
文章の横には、「惚れ薬」の外観の挿絵が書かれている。ごく普通の飴っぽい。中身のキャンディを薄い紙が覆い、その両端をねじって止めてある。絵には、矢印の先に特徴の補記がしてある。「粒は小さめでピンク」「包み紙もピンク」
待って。
記憶の点が一つずつ繋がり線になっていくと同時に、自分の鼓動が高まってくる。
このキャンディ、きっと、アレだ。パティと私が囚われた部屋にあった、アレ。キース先生の部屋にあった、あの飴。そして、図書館の古書室。あのときアルバートとセシリアが使っていた机に広げられていたお菓子の中にもこのピンクの見覚えのある包み紙があった。
なぜ気付かなかったんだろう。そうだ、原作ゲームで登場するチートアイテムの惚れ薬。まさに、あの飴。ゲーム内でもピンク色のキャンディが描かれていた。ますます動悸が激しくなる。
そうか、そういうことか。
なぜ、原作ゲームの中で「レイラ」が惚れ薬を手に入れることができたのか、それは、彼女の領地内でたまたまそれが売られていたからだ。ゲームの中の彼女は、惚れ薬を手に入れて、アルバートに食べさせようと試みる。「レイラ」のお粗末な工作はすぐにバレてしまい、大事な惚れ薬はヒロインの手に渡ってしまって、ヒロインの好感度を上げるために使われてしまう。
もし、あの時閉じ込められた部屋の段ボール箱に入っていたあの飴が惚れ薬だったとしたら…。原作ゲームでは「レイラ」が最初に発見した惚れ薬だったが、私が生きているこの世界では、既に誰かが惚れ薬の存在を発見し、学園内に大量に持ち込んだということ? そんなことを、誰が、何のために?
脳裏に浮かぶのは、セシリアだ。もし、彼女が何らかの方法で惚れ薬を入手して、アルバートに食べさせていたとしたら、これまでの疑問に答えが出る。
裏庭でのキスイベント。なぜかアルバートが原作ゲーム以上に盛り上がっていた。あれは、好感度を上げ過ぎてしまっていたからではないだろうか。
学園内で人目も憚らずにイチャついているアルバート。あんなに分別がない行動も、薬の効果だとしたら納得がいく。
ベクスヒルで売られている惚れ薬が、原作ゲームで描かれているものと一緒なら…。
「確かめなきゃ…!」
私は焦る気持ちを押さえられずに、部屋を飛び出した。外は雨。我が家からベクスヒルまでは馬で二十分くらいの距離だ。そんなに遠くないが、道がぬかるんでいる時に馬に無理をさせるのは、脚の故障の原因になる。そんなことを我が家の大事な馬たちにはさせたくないが…。どうしよう。でも、一刻も早くベクスヒルに行って確かめないと。
全速力で階段を駆け下り、勢いよく応接間の扉を開ける。
部屋の中には、兄がいた。長椅子に寝そべって本を読んでいる。素敵な金色の前髪が斜めに瞳にかかって、一段と見目麗しい。どっこい、今はそんな兄の美貌を堪能している場合ではない。
「お兄様! よかった、お兄様を探していたんです。今から、お兄様のバナナを貸してください!」
駆け寄って、兄の前で跪いてお願いする。もちろん「バナナ」というのは兄の愛馬の名前である。文脈によってはとんでもない下ネタのようになりがちなので厄介な名前だ。
「どうしたの、レイラ」
「バナナをお借りしたいんです。今からベクスヒルに行ってきます」
「この雨のなか?」
「そうです。でも早く行かなきゃ!」
「待って、レイラ。これから雨はきっと本降りになるよ。ベクスヒルまでは山道が多いし、レイラ一人じゃ危険だ」
「でも…」
「それに、あんなド田舎に、何の用事があるの?」
ベクスヒルは「ド田舎」という言葉がぴったりな鄙びた集落だ。確かに、今ま自発的にで行きたいと思ったことは一度もない。
「えーっと、ちょっと買いたいものがあって。ベクスヒルにしか売ってないんですって」
言い淀んでしまったけど、嘘ではない。怪訝そうな兄の表情が和らいで、ため息交じりに続けた。
「どうしても?」
訝し気な表情。何の理由も説明せずに、雨の中馬を貸してほしいと言われたら、誰でも困惑すると思う。
「どうしても、です!」
「わかった。明日、僕も一緒にベクスヒルに行くよ。その代わり、今日はだめ。それでいいね」
眉根を寄せて、兄がため息をつきながらかぶりを振った。結局妹を甘やかしてしまうお兄様。いい兄を持ったな。
「わあ、お兄様も来て下さるんですか」
「行くよ。レイラはバナナに乗っていい。僕はティモシーに乗って行こう」
ティモシーは老馬で遠乗りには向かないが、落ち着いた気立てのいい牝馬だ。かつては兄も私もティモシーで乗馬を練習した。襲歩さえさせなければ、往復して一時間程度の移動なら全く問題ないだろう。
嬉しい申し出に、私は焦っていた気持ちを落ち着け兄の手をがっしりと握った。
「お兄様、ありがとうございます。お兄様最高!」
兄は眉をひそめて言う。
「レイラは現金だな。用事がない時は僕には見向きもしないくせに」
「そんなことはないです。いつもお兄様の事を考えています」
「――どうだか」
兄が冗談っぽく私を睨みつける。明日は兄と久しぶりに馬に乗って出かけることになって楽しみではある。だけど、兄に「ベクスヒルで何を買いたいのか」を聞かれたときに、惚れ薬の話を説明するのは少々気が重い。
明日までに、何かいい言い訳を考えないと。
(2020/10/3 9:36)ご指摘を受けて文章のおかしいところを修正しました!ご指摘本当にありがとうございます。
そして、最近Twitterに、「段落文頭の字下げしてないやつは素人!ごみ!ばか!ぽんこつ!」みたいな記載を発見したため、今更こっそり字下げ中です。
読み辛いところなどがありましたら改善していきますので、気軽に指摘いただけると幸いです。
今まで字下げもなく読み辛かったのに、ここまで読んで下さりありがとうございます。好き!!!!




