44 マダム・フェリシティのアトリエ
翌日。アルバートと宰相、風紀委員のメンバーは午前中のうちにそれぞれ馬車に乗って岐路についた。アルバートには形式的なお見送りのみ、風紀委員のメンバーは、私の家族やスタッフ総出の暖かい見送りで送り出された。
アルバートとは花火の道中の馬車で言葉を交わしてから、会話らしい会話はしていない。あんなにお供をぞろぞろと引き連れて、私の家に何をしに来たんだろう。それにクリムト宰相がアルバートに同行した意味もわからない。
アルバートは私に謝りに来たのだと思っていたけど、それも違ったということなのだろうか。
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残り僅かな夏休みだが、私には最後の大仕事が残っている。
夏休み明けに開催される学園主催の舞踏会で着るための、ドレス作りだ。友達が一気に帰宅してしまったのは寂しいけど、このドレス作りという楽しみがあるので気分は上がりっぱなしだった。
学園に通う三年生の女子生徒は、学園の舞踏会を皮切りに王都で日夜開催される舞踏会やパーティに出席することが許される。この日は三年生の女子にとって社交界デビューの瞬間であり、嫁入りレースの本格的な幕開けの日でもある。
この舞踏会では、デビュタントである三年生の女生徒は全員白のドレスを着ることが慣例になっている。それ以外の生徒たちは、白以外のカラードレスで参加することが習わしだ。
学園に入学して以来、本格的にドレスを仕立てる機会は、唯一、この舞踏会だけになってしまった。素敵なドレスを仕立てることが生きがいな私は、約半年に及ぶ構想を経て今年のドレスも入念に完成イメージを練り上げている。
今日は、ドレスを仕立てに、我が家が懇意にしているオートクチュールドレス専門のアトリエにやってきた。小さい頃から私の世話をしてくれている、ペニーも同行してくれている。
母もラヴィニア家に嫁いでからずっとここを贔屓にしていて、同じく私も小さい頃からお世話になっている。親子共々デザイナーでオーナーのマダム・フェリシティの抜群のセンスに惚れ込んで、何かある時は彼女のアトリエに駆け込めば抜群におしゃれにしてくれる、という絶対の信頼を置いている人物だ。
彼女のアトリエの外観は一見事務所のようだ。店の外に看板は何もなく、商店街の一角にひっそりと建っている。しかし、地味な外観とは裏腹に、店内はマダム・フェリシティの魔法に掛けられて素敵な空間が広がっている。
店内の壁と天井は色調が抑えられた牡丹色。アトリエは画廊を改築して作られていて、かつて絵画や彫刻が掛けられていた場所に、まるでアート作品のような色彩鮮やかなドレスやアクセサリーが美しく飾られている。床にはふわふわした真っ白な絨毯が敷かれ、大きな姿見や、ドレッサー、商談用のテーブル、ソファなどの調度品は白と金を基調にしたシンプルだけど感じのいいデザインばかり。天井から吊り下げられた豪華なクリスタルのシャンデリアが美しい光彩を放ち店中に雫のような光を落とし、見上げていると光のシャワーを浴びているみたいな気分になる。
店には様々なデザインのドレスのサンプルや布地、アクセサリー、ヘッドドレス、帽子や靴が用意されていて、その中からマダム・フェリシティが根気よく一番似合うデザインや色を探してくれる。時には、新しいパターンを引いてこれまでにない新しいドレスはもちろん、アクセサリーや靴まで作ってくれるのだ。
さらに、店内はベルガモットの爽やかで清純な香りが充満し、BGM代わりに流れているのはアンティークの手巻きオルゴールの音色…。
端的に言って、この空間にいるだけで幸せになれる場所。それがマダム・フェリシティのアトリエだ。
ペニーと一緒にこのアトリエに入ると、この店の主であるマダム・フェリシティが迎え入れてくれた。絨毯が敷かれた店内は土足禁止。私とペニーは入り口で靴を脱いで絨毯に上がる。
「いらっしゃいませ、お嬢様、ペニーさん。お久しぶりです」
マダム・フェリシティは、背が高く、やせ型の赤毛の女性だ。今日も背筋をしゃんと伸ばしている。トレードマークの赤いフレームのメガネの奥の瞳は鋭いけど、実直で暖かい人だということを私は知っている。今日はすっきりとしたデザインの黒いワンピースにベージュと赤のスカーフを首に巻いて、ネイルはブラウンに染められている。秋を先取りした、おしゃれな出で立ちだ。さすがセンスの塊。
「マダム・フェリシティ、お久しぶりです。ずっとここに来るのを楽しみにしていたんですよ!」
再会が嬉しいのと、新しいドレスの話が早くしたくて、マダム・フェリシティの差し出した手を握りしめてぶんぶんと振ってしまう。そんな私の令嬢らしからぬ行動にもにっこり微笑んで応えてくれるマダム・フェリシティ。彼女はいつもステキなフレグランスを付けていて、近づくと官能的で繊細な花の香りがする。
「きっと今年も斬新なアイデアを練っていらっしゃるんでしょ。私も楽しみにしていました」
マダム・フェリシティが店の奥のテーブル席にペニーを案内している間に、私は言われてもいないのに、そそくさと姿見の前で今日着てきたドレスを自ら脱いで下着姿になる。ドレスを作る際は、毎回採寸から始めるからだ。店の奥からメジャーを持って現れたマダムが下着姿の私を見て意外そうに呟いた。
「あら、少しグラマーになられたみたい」
あちゃー。やっぱりバレたか。ここで言うところの「グラマー」とはつまり、ぽっちゃりということ。少々自覚はあったけど、他人に指摘されるとは…。
「やっぱり、太りましたよね?」
「いえいえ、そうじゃありません。女性らしい体つきになられた、という意味です」
慌てて否定したマダム・フェリシティの言葉にソファに腰掛けたペニーも同調する。
「そうですとも、お嬢様はもっとしっかり食べてお肉を付けたほうがよろしいんです」
二人の年上の女性に言われて、私は肩をすくめて鏡の中の自分を見た。相変わらず、成長の感じがれない胸。少々ボリュームが増したお腹とお尻周り。うーん。なぜ私は胸だけ肉付きが悪いんだろう。巨乳代表女子として、ふとセシリアを思い出してしまう。世の中にはあんなに手足が細くて胸だけやたら肉感的な女子もいるのに、我が胸はなぜ。
そうこうしている間に、マダム・フェリシティは手早く私の体の採寸を終えた。ドレスを再び着て、私はペニーの横のソファに腰掛ける。
「それで、今回はどんなドレスをご所望で?」
マダム・フェリシティは大きなクロッキー帳を広げて私に尋ねた。私は今回の構想を順番に伝えていく。
「色は、こう、エメラルドグリーンというか、緑と水色の間くらいの曖昧でかわいい色がいいんです。シルエットはシンプルなAラインで…」
マダムはクロッキー帳に私の言った内容やイメージをメモしながら、時折質問を交えてヒアリングして私のイメージするデザインに近そうなパターンを見せてくれ、更に生地、リボン、刺繍、色を大量のサンプルから選ばせてくれる。
私が今回イメージしているドレスは、前世の記憶の中にあるアラビア風のお姫様が着ていたものに着想を得た、恐らくこの世界では誰も着ていないデザインだ。
ドレスはシンプルだが、ドレスと同じ色の透ける素材の布を肩から垂らして、踊るとそれがひらひらと舞うようなものを考えている。ドレスの肩から後方に垂れる短めのヴェールのようなデザインだ。
なかなかイメージの趣旨を言葉で伝えるのは難しい。クロッキー帳を借りて絵を描いてみたり、言葉で補ったりしながら自分の考えている理想の一着の内容を伝えていく。
マダムは技術的、機能的にできないことを指摘しつつ、的確に私の要望を吸い上げ、さらにドレスが美しく見えるアイデアや助言をくれる。
日が傾き始めた頃、とうとう私たちが納得がいく最高のデザインが見えてきた。
協議の結果、ドレスはターコイズブルーのシルクオーガンジーの上にエメラルドグリーンのオーガンジーを重ねて、南の海のような明るくて美しい色合いにした。二色の透ける布を重ねると、歩くたびに重なる布の位置によって色が変わる楽しいドレスになるらしい。
ターコイズブルーのオーガンジーの下はたっぷりの白いレースで美しい左右対称のAラインとなるように作りこんでもらう。ドレスの裾には、金の細い糸で細かい花をの刺繍を刺してもらい、更にアクセントにクリスタルカットのラインストーンをあしらう。
ウエストの切り返し部分には、ドレスと同じ刺繍を大ぶりに配し、クリスタルは少な目に。胸元にかけてグラデーションになるように大粒のクリスタルを散らすことにした。そして今回のドレスの最大の挑戦、ドレスの胸の上部分から肩、背中と、体の半周にかけてエメラルドグリーンのオーガンジーを肘が隠れるくらいの長さで垂らしてオーガンジーのオフショルダーのヴェールのような飾り布を付ける。このオーガンジーの裾には、同じくクリスタルを雨露のように縫い付けてもらう。
ドレスに合わせたヘッドドレスは、クリスタルと鮮やかなピンク色の珊瑚を飾った金地のものを新調することにした。夜会巻きに結い上げた髪に合う、シンプルだけど繊細なヘッドドレスになりそうだ。
胸元のネックレスは、お母様からの借り物の大ぶりのエメラルドのネックレスが合いそうということで、今回は注文しないことにした。
何枚も書き直してくれたクロッキー帳にとうとう完成形のドレスが描かれ、マダム・フェリシティはすっきりとした笑顔を浮かべて私に尋ねた。
「では、これでお作りしますね。何か言い忘れたことはございませんか」
「いえ、マダム。要望はぜーんぶお伝えしました。完成が心の底から楽しみです」
「二週間後くらい、学園に立たれる前に一度店にいらしていただけますか。ほぼ完成していると思いますが、細かい微調整を行いますので」
「いつでも伺いますわ」
マダム・フェリシティは私たちが店を出る前に、香り高いハーブティを淹れて、私と待ちくたびれているペニーを労ってくれた。三人でお茶とお茶菓子を囲む。
「あのドレスでしたら、どんな殿方でもイチコロですわね」とペニー。
「どうかしら」
私はアルバートの冷淡な表情を思い浮かべて、げんなりした。絶対に、ドレスに対する感想なんて言ってくれないだろう。目も合わせないかもしれない。
婚約者を想像して表情を曇らせた私に、マダム・フェリシティがいたずらっぽい笑みを浮かべて話し出した。
「そうだ、最近この辺りの若い子たちの間で、『惚れ薬』がうわさになっているの、ご存知ですか」
初耳だ。ペニーも同じだったようで、思わず二人で身を乗り出して聞いてしまう。
「何ですか、それ」
「どうやらベクスヒルの森の中に、そんな怪しげな薬を売っている薬局があるとか。効果があるのはかわかりませんが、その店は日夜行列になっているらしいですよ。一日に数個しか売らない薬みたいで、うちのお客さんも何度も並んでようやく手に入れたそうです」
ベクスヒルとは、私の家から北に数キロに位置する小さな集落だ。大きな産業も目玉となる観光名所もない地味な場所だったと記憶している。
「へえー。ベクスヒルにそんなところがあるんですか」
「なんだか怪しい店ですね」
「ほんとに。でもこの辺りじゃその薬の話でもちきりですよ」
そんなものが手に入ったら、世の中の恋愛事情は余計に複雑になってしまいそう。生憎、もしくは幸いにも、私には「惚れ薬」が必要になることはなさそうだ。そんな怪しげな薬に手を出してまで、どうしても自分に気持ちを向けたい相手がいる人がちょっと羨ましい。
一瞬、「惚れ薬」と聞いて、大変なことを忘れているような焦燥感がこみ上げたけど、いただいたお茶菓子が美味しくて私はその気持ちの正体を突き止めることはなかった。
レモンピールのクッキーと紅茶の組み合わせって最高。マダム・フェリシティはお菓子のセンスも抜群だ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。
薬が売っている場所の名前を「ベクスヒル」に修正しました。
こっちの方が田舎っぽいかなあと思ったので。




