40 ファレル・エドマンド
ドン、と体に響く低音に続いて、夜空を明るく染め上げるピンク色の花火が上がった。
久しぶりの花火だ。花火を見なくても夏は夏だけど、やっぱりこれがないと、本当に夏を迎えた気がしない。
大好きな花火が頭上に上がっているが、今の私は、それを楽しめる状況ではなくなっていた。
夜空を見上げる人々でごった返す中、私は友人たちともアルバートともはぐれてしまって、周りを見渡しながら立ち止まっている。
一際大きい花火が上がると同時に湧き立つ歓声。思わず空を仰ぎ見ると、金色の火花がきらきらと散りながら落ちていくところだった。
やっぱり花火はいいな。一瞬の力強さと煌めき、あっと言う間に消えてしまう光の中にドラマがある気がする。
花火はこんなに見事だし、実はこの辺から見る花火が特等席なのに。
うーん、どうしよう。みんなどこに行ったんだろう。
◆
ここは、我が家の領地内の一番大きな町、ファレル・エドマンドだ。ラヴィニア領地内では最大の町だけど、人口は王都の十分の一程度の長閑な町で、家から馬車で一時間弱くらいの距離にある。ファレル・エドマンドの唯一の観光資源は、まさに今日開催の、毎年夏に行われている大規模な花火大会だ。この日の前後だけは観光客が爆増して町中が人であふれ返る。
今年の花火大会も、大盛況だ。いつもは人通りがまばらな道沿いに賑やかな出店が並び、庶民的な軽食やスイーツ、飲み物や子ども向けのおもちゃが売られている。お祭り気分の開放的な夏の装いに着飾った大勢の人々が楽しそうに行き交う。人の波は町の中心の広場に向かって流れているが、私はその人の流れから離れ、どうしたものか一人考えあぐねていた。
今年の夏休みは、一週間前までは文句のつけようがないくらい最高に楽しい時間だった。
我が家に遊びに来た風紀委員のメンバーと、領地内の渓谷に行ったり、海に行ったり、毎日遅くまでお菓子を食べながら雑談したり、ダイエットのためにランニングをしたり、乗馬をしたり。あとは、たまーに勉強して過ごした。
最初は緊張気味だった友人たちも次第にリラックスして過ごしてくれるようになって、パティはうちのことを『第二の我が家』と呼んで、父と母を大いに喜ばせてくれた。
ミシェルは我が家の図書室の大ファンとなり毎日通いつめ、ローラは料理長のグレイブスの腕にほれ込んで度々調理の見学に行っている。シャローナは、兄のヒューより父の方がイケメンだと言って、我が家ではもう誰も相手にしなくなった父の若い頃の自慢話を事あるごとに熱心に聞いてくれている。
家族と楽しい友人に囲まれた、夢のように楽しい一か月だった。
この穏やかな休暇に暗雲が垂れ込めたのは一週間前。父が血相を変えて、私たちがダラダラしていた図書室に入ってきたのがきっかけだった。
「大変だ、レイラ。殿下が、我が家にいらっしゃる…!」
父は絶望とも興奮とも取れる妙に昂った口調でそう告げて、私の返事を聞かずに図書館を後にした。それからの我が家の騒動と言ったら、後にも先にもこんなに慌てる両親と兄を見ることはないのでは、というくらい慌ただしいものだった。警護のために人を雇ったり、おもてなし料理の手配や家じゅうの掃除など、お母様は寝込む寸前くらいまで準備に撲殺されてしまった。
一方、私たちは、休みの最後にして最大の楽しみだった、ファレル・エドマンドの花火見物がアルバートの登場によって水を差されてしまったことにげんなりしていた。
急にアルバートが我が家を訪れるなんて、婚約した十一歳以来一度もない。どうして我が家を訪れることにしたんだろう。
「たぶん、前期の悪行のもろもろをレイラに直接謝りに来たんじゃない?」
というのがミシェルの予想するアルバート来訪理由だ。悪行、というのはセシリアとの行き過ぎた交流のことや学園内での品位を欠いた素行のことだろう。
セシリアとの関係は謝って済まされるものではない気がするし、ご機嫌取りに来るにしてはタイミングが悪すぎる。今まで何の音沙汰もなかったのに、夏休みに入ってから一か月以上経った今、突然家にやってくるという自己中心的な訪問スケジュールも憎たらしい。
花火大会は日曜日で、友人たちは翌日の月曜日の朝にそれぞれの家に帰ることになっていた。残り僅かな滞在の貴重な土曜日の夕方、アルバートは我が家にやってくるという。
そしてやってきた土曜日。私と友人達が乗馬を楽しんで、汗と馬場の土でドロドロになって戻って来ると、アルバート御一行様が我が家に到着していた。
急いで私たちは、シャワーを浴び夕食用のドレスに着替えて応接室にスタンバイした。今日はみんなお揃いで仕立てた水色の小花柄のドレスを着ている。襟や袖のデザイン、ドレスの長さは少しずつ変えてもらって、自分好みに仕立ててもらっている。父や母からは、「みんな妖精のようにかわいい!」と褒めちぎられた自慢の一着だ。
「ね。レイラがアルバート殿下と会われるのって、いつ以来なの?」
シャローナの耳打ちに、しばし考える。最後にアルバートを見かけたのは前期の最終日だけど、その日は特に会話を交わすことはなかったし、その前に見かけたのは、例の図書館の古書室。しかしあの時もアルバートの後頭部を私が一方的に目撃しただけだったから…。
「えーっと、私が頭痛くなって医務室にいた日、かな?」
「てことは、二ヶ月近く会ってないのね」
そうなるか。最後に会った時のあの気まずい沈黙を思い出して、ますます気が重くなってしまう。
アルバート一行は馬車四台でやってきていた。護衛の騎士三名と世話係二名、なぜかクリムト宰相を伴って現れた。さらに困ったことに、護衛の騎士の中にマクアダムス卿の姿もある。最後に会った際の「逢引き部屋押し込み事件」――と、勝手に命名している例の古書室での事件――を思い出し、これは自業自得だが、更に気まずさが膨れ上がってくる。
アルバート、クリムト宰相、マクアダムス卿、おそらく護衛の騎士の二名、世話係の二名が続々と応接室に入り、父と母、兄のヒューと挨拶を交わしている。彼らを笑顔で見守りながら、ミシェルが囁く。
「マクアダムス様もいるわね」
「かなり気まずいわ…」
「図書館の件は、謝ったら許してくれるんじゃないかしら」
「やっぱり謝らないとダメかしら」
「悪いのは殿下とセシリアだったとしても、タックルの件だけでも謝っておいたほうがいいんじゃない?」
私は笑みを顔に張り付けたまま、「そうね」とだけ返す。
か弱い乙女のタックルなんて、騎士殿にとってはコバエが止まったようなものですよ! イメージでは力いっぱい部屋に押し込んで騎士殿にはカーテンから転がり出てくるはずだったのに、彼は少々よろめいた程度だった。確かに非常に失礼なことをしてしまったけど…自分から謝るのはすごく気が進まない。
憂鬱な気分で到着した一行を見守る。父と母はマクアダムス卿はこれまでに親交があったらしく、アルバートとクリムト宰相よりも特に騎士殿に嬉しそうに話しかけている。こちらで並んでいる私たちに気付いたクリムト宰相が人の好さそうな笑みを浮かべて近寄ってきた。
「これはこれは、皆さま本当に可愛らしい。お嬢様方が楽しんでいる中、お邪魔をして申し訳ありませんな。どうぞよろしくお願いいたします」
以前会った時よりも、クリムト宰相はぽっちゃり感が増し、頭髪が後退している。人の好さそうな笑顔はこれまで通りだが、今日は完全にお邪魔虫だ。笑顔のままお辞儀をするが、心の中で「申し訳ないなら来るんじゃねーよ」と毒づいた。
アルバートは私の存在に気付いているはずなのに、父と挨拶を済ませた後、こちらを一瞥もせずに客間の長椅子に腰掛けて暗い表情をしている。今日は白いシャツにジャボ、紺のパンツに濃紺のコインローファーというカジュアルな出で立ちだ。
虚ろな表情。相当我が家に来たくなかったと見える。
どうせ、前期の粗相を聞いた王后陛下かクリムト宰相から「ご機嫌取りに行ってこい!」と言われて、嫌々訪問しているのだろう。夏休み期間中はセシリアとも会えていないだろうから、それで気分が沈んでいるのかも。いずれにせよ、アルバートの表情は見たことがないくらい空虚だ。
とりあえず、歓迎の言葉くらいかけるのが礼儀だ。向こうは私をガン無視だが、アルバートに近付き、声をかける。
「アルバート、遠路にも拘らず今日は我が家にお越しいただき、ありがとうございます」
私の言葉に、少し顔を上げて「ああ」とだけ言うアルバート。少々様子がおかしい気がする。
「お疲れですか」
私の言葉にもう一度顔を上げて、かぶりを振る。
「いや、そんなことはないよ」
アルバートにしては、動作も緩慢で声にも張りがないが、王宮から我が家までの長旅のことを考えると、車酔いなどの疲れが出ても仕方がない。今日は早く休んでもらった方が良さそうだ。
我が家の客間は私の友人が使っているもの以外にあと三部屋あり、アルバート、クリムト宰相、マクアダムス卿が客間を使い、それ以外のお供の皆さんには、我が家のスタッフルームで寝泊りしてもらうことになった。
この日の夕食は、風紀委員のメンバー、我が家の父、母、兄、アルバート、クリムト宰相という構成でテーブルを囲んだが、思い出したくもないくらい、白々しい笑みに包まれた夕食となってしまった。アルバートが殆ど夕食に手を付けていなかったことも気になった。父の問いかけにも、力なく答えるのみだ。もしかしたら、本当に体調が悪いのかもしれない。
アルバートの体調が心配だったが、翌日のファレル・エドマンドの花火大会には、アルバートも同行することになった。私たちは、花火大会に行けない最悪の可能性を予想していたので、少しだけほっとした。
昨夜は恒例だった深夜の雑談を中止して早めに就寝した。
不穏な予感を感じつつも、翌日花火を見ながらアルバートと話せば、何かが好転するのではという淡い期待があった。アルバートもあの花火を見ればきっと感動するに違いない。話し合っても分かり合える気がしないが、あの花火を見せれば、何かが共有できるかもしれない。花火には、そんな力がある気がするのだ。




