38 図書館にて
とうとう、試験勉強を本格化する必要が出てきた。これまで放課後はダラダラ過ごしていた私は、そろそろ本腰を入れて全ての教科の勉強を始めなくてはいけない。試験の開始は7月1日からなので、試験開始までは約三週間だ。
これから三週間は、明けても暮れてもガリ勉!
今回の試験では、セシリアが学年トップに躍り出ることになる。貴族出身でない彼女がこの学園に入学できた理由の一つが、学力が卓越していたからと原作ゲームでは説明されていた。平民出身で、且つ二年生からの編入にも関わらず学年トップの成績を収めるには彼女自身の努力が必要なはずだ。
これまでは、セシリアのあざとい笑みと巨乳しか目に入っていなかったが、陰では相当の努力と苦労を重ねているのだろう。
一方私の成績は中の上、上の下程度で、要するにそこそこ。学年トップが狙えるレベルではない。でも、今回の試験では、私も本気で勉強をするつもりだ。少なくとも、努力をしているセシリアに対して、私も恥ずかしくないよう頑張ろうと思っている。
セシリアよりいい成績を取りたい、という訳ではなく、密かに努力をしている彼女に、努力で負けたくないというしょうもない対抗意識だ。
原作ゲームの中では、この試験勉強中にアルバートとヒロインがまたしても急接近するイベントが発生する。
二年生から編入となったヒロインは、他の生徒が一年生に修了している科目も履修していて、試験科目が多い。試験勉強に必死なヒロインを見かねたアルバートが、理解度が足りない科目を手伝う約束をする。試験勉強のため二人は毎日図書館に通い詰め、ある雨降りの日、二回目のキスをする、というものだ。
こうして思い返すと、本当に短絡的なストーリー。どうしてあんなゲームに夢中だったんだろう。
このイベントの舞台となるのは、図書館の一番奥に位置している貴重な古書が収められた部屋だ。蔵書を太陽光から守るために窓がないため常に薄暗いと聞く。この部屋にも自習用に大きな机と椅子が並べられているらしいが、図書館にはこの「古書室」をわざわざ使わなくても、自習のためのスペースはたくさん存在するため、この部屋を試験勉強に使う生徒は殆どいない。
ちょっと前までは、試験勉強と称してイチャつく二人の現場に踏み込んで、アルバートの浮気の証拠固めをしてやろう、と思っていた私だが、今はそのモチベーションが全くなくなってしまった。
最近色々なことが起き過ぎて、どうでもよくなってしまったのだ。
何より、自分の勉強も心配。
ただ、一度くらいは原作ゲームのイベントの舞台となった場所に立ってみたいという好奇心はある。
ということで、「勉強は明日から本気出す」と決め、今日は一人で図書館の例の「古書室」の見物にやってきた。
学園内の図書館は広大で、国内外からもその蔵書の閲覧を求めてやってくる人がいるらしい。学園では、敷地内の一角に建つ石造りの小ぶりな古城の城内を図書館として利用している。かつてはこの古城が
学園の校舎だったらしい。
鉄の重々しいゲートを抜け、石畳の中庭を越えて、古城のエントランスから大きな木の扉をくぐると、そこには幻想的な本だらけの空間が広がっている。
城内は、入り口から奥に向かって色あせた赤い絨毯が真っすぐに伸びていて、その左右に自習や蔵書を読むための机と椅子が点在している。壁には高い天井まで本棚が据え付けられており、整然と様々な本が収められている。マホガニーの木材で作られた棚や机、椅子、手元を照らすランプなどは歴史を感じる装飾が施されており、重厚で幻想的。おとぎ話の世界に紛れ込んだようだ。
広い空間を横切る壁のように設置された書架。この書架を抜けるための通路は、蔦と花の装飾の施されたアーチとなっていて、赤い絨毯はこのアーチの下を真っすぐ伸びている。
高い天井近くの壁には、クラシカルなデザインの釣り鐘型の飾り窓がある。夕方近いこの時間帯は陽光が差さないが、昼間はここからあたたかな光が差し込み、図書館の中は、静謐と光に満たされて、ため息が出るような美しい空間になる。
高い天井から百合の花を模した可愛らしいランプシェードが等間隔に吊り下げられているが、この時間帯だと、図書館の中はほの暗い。
古びた絨毯を踏みしめ、本棚のアーチをくぐっていると、それだけでアカデミックな気分が高まり、少し賢くなったような気がする。
今日は期末試験が近いせいか、いつもより机に向かう生徒が多い。本棚のアーチを抜けて奥へ進むと、古書室の扉にたどり着いた。
この先にはまだ入ったことがない。
なんとなく気味が悪くて敬遠していたが、うん、今日もやっぱり気味が悪い。
でも、ここを見物するためにわざわざ来たんだから、引き返す訳にはいかない。
重い鉄の扉を開けて中に入ると、その先にさらに暗い廊下が続く。絨毯はなくなり、板張りの床だ。廊下の壁にも所狭しと本が並べられているが、その本の表紙に書かれているタイトルがいちいち物騒ものばかりで、人気がないのも当然だ、という気がしてくる。
「毒草活用辞典…毒物毒薬全集。うわ…こっちの棚は怖い兵器系かあ」
タイトルを読みながら進むと、突き当りの扉に辿り着いた。扉には「古書室」という小さいプレートが付いている。ここが、例の部屋だ。
何の変哲もない鉄の扉だが、なんだかいやーな予感がする。こういう時のモヤモヤ感は、気のせいではないことが多いのだが、大事なのは勢いと度胸! 私は扉に手を掛けた。
音を立てないようゆっくりと扉を開けると、内側から光が差している。誰かが明かりをつけているようだ。真っ暗だったら嫌だなあと思っていたので幸いだ。古書室の入り口には、黒いカーテンが掛けられていて、その向こう側から明かりが漏れている。
誰かが試験勉強をしているのだろうか。
そっと黒いカーテンの向こう側を覗き込む。奥にはずらっと並ぶ本棚。先ほど通ってきた広い部屋にあったものとは異なる背の低い本棚に、いかにも古そうな本が並んでいる。
部屋の左手には自習用の長机と椅子が並んでいて、その机の上には、教科書やペンやお菓子の包み紙などが散乱している。
そして、机の手前側には一つの椅子に座って異常に密着している男女。
こちらに背を向けて座った誰かの上に、向かい合う形で跨っている金髪の女の子。嫌な予感がした瞬間から分かっていた気がしたが、セシリアだ。私に背を向けているあのプラチナブロンドは、顔は見えないがどうせアルバートだろう。
セシリアはアルバートの座る椅子に跨るように座って、片腕をアルバートの首に絡ませ、もう片方の手でアルバートの髪を撫でている。
どう見ても試験勉強じゃありませんよね! これ。
状況が分かった瞬間、なぜか咄嗟にカーテンに隠れてしまったが、せっかくなら一矢報いてやりたい。再び黒いカーテンの間から顔を出すと、こちら向きに跨っているセシリアと目が合った。
目が合った、気がしたが、彼女は変わらずアルバートの髪を梳いている。びっくりして再びカーテンに隠れてしまう小心者の私だが、彼女は私に気付いていないのだろうか。
動悸が急に激しくなる。
カーテンから、「アツアツですわね! 」などと嫌味の一つでもいいながら登場すべき?
黒いカーテンに隠れて固まっていると、
「ねえアルバート。私のこと、どれくらい好き?」
セシリアの尋ねる声がする。ここで隠れている私にも聞こえるくらいの声量だ。
「――大好きだよ、セシリア」
アルバートが小さな声でそう応じて、急に静かになる。
あーこれはやっているな、と確信があったが、念のためカーテンをかき分けて覗き見ると、二人は熱烈な口付けを交わしていた。アルバートは彼女の肩と腰に手を回して、セシリアを抱きしめている。
このイベント、今日だったんだ…。
自分の不運を嘆きたくなるが、目の前の二人から目が離せない。嫉妬でも嫌悪でもなく、敢えて言うならば無我の境地で、私はその場に凍り付いてしまっていた。
恐らく、私は今、カーテンからしっかりはみ出た状態で棒立ちとなっている。
しかし、そんな私をお構いなしに、甘い口付けを交わしている二人。時折微笑み合っているようだ。アルバートはどんな顔をしているのだろう。
セシリアは、やっぱり気のせいではなく、こちらに気が付いていて、見えていないふりを決めこんでいるようだ。惚けたような甘やかな表情のまま、彼女は確実に、私を認識していた。
なるほど、なるほど。
動転していた私だったが、徐々に気持ちが冷徹に冴えわたって来る。
セシリアは私がここで見ていることを知っていながら、アルバートと言い逃れができないほどイチャイチャしている。私が怒り狂って押し込んでくることを覚悟の上で、アルバートとキスしているに違いない。
そうであれば、敢えて彼女の思惑通りに行動しない方が得策だろう。
またしても胸糞の悪いものを見てしまった。しかし今は怒りを抑えつつ、努めて冷静に行動しないと。
私はカーテンの陰に戻り、開いたままの扉にそっと体を滑り込ませ、音をたてないように扉を閉めて部屋を出た。暗い廊下に戻ってくると、あんなに不気味に感じていた場所だったのに、ほっとする。
すーっと深呼吸をし、暗がりに目が慣れてくると、暗い廊下に、いつもの人物が立っていることに気が付いた。数日前、感じの悪い言い逃げをしてしまったマクアダムス卿だ。いつも通り、騎士の制服を着て居住まいを正して立っている。
今日も、私を尾行していたようだ。
マクアダムス卿の涼やかな瞳と目が合う。その瞬間、以前の計画を思い出した。
なんという思し召し。今日も騎士殿が来てくれるなんて本当にラッキーだ。
ありがとうマクアダムス様。ありがとう神様!
今日は早速、アルバートが普段何に夢中になっているか、騎士殿のその目で確かめていただきましょう!
思わず顔がほころんでしまう。にっこり、ではなく、にんまり。
私の突然の表情の変化に訝し気な表情を見せる騎士殿に対して、私は人差し指を立てて「しー! 」と騎士殿に静かにするように促した。
もとより無口な彼は何も言わない。不思議そうな表情のまま、私を見つめている。私は人差し指を立てたまま足音を潜め、騎士殿に手招きし、古書室の扉の前まで彼を連れてきた。ますます不審そうな顔の彼を扉の前に立たせ、更に「しー! 」とウィンク。
よおし。準備は整った。
私は、思い切って勢いよく扉を開け、背後から力の限り騎士殿をタックルして、部屋に押し込んだ。
私の渾身の体当たりに少しだけ体が傾いた騎士殿。カーテンの向こう側で何が行われていたか、しっかり見てくれただろうか。
それを確認できないまま、私は先日同様、猛然とダッシュしてその場を走り去った。
キャーーーーー、という金切り声が背後から響き、続いてアルバートのものか、マクアダムス卿のものかわからない男性の声が聞こえた。
たぶん、目論見通りにマクアダムス卿は二人のイチャコラ現場を目撃したに違いない。
ふっふっふ、ざまーみろ! みんなまとめて、ざまーみろだわ!
一気に走り抜けて廊下の先の扉を突破し、美しい古城の図書館に戻った私は、何事もなかったかのようにその場を後にした。
図書館を出ると、いつの間にか雨が降り出していて、エントランスを冷たく濡らしていた。外はもう真っ暗だった。




