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その日の午後はとにかく眠気がひどく、結局夕飯はみんなと食べずに部屋に帰ってきた。
昨日まで人型を置いていた懐紙が机の上に広げたままになっていて、昨夜の悲惨な頭痛を思い出した。
痛かったなあ、としみじみ思い返す。
騎士殿が私を尾行してくれてなかったら、本当に一晩あの場で過ごす羽目になっていたかもしれない。誤解を受けていたことは愉快ではないけど、後をつけてくれてラッキーだった。
ちゃんとお礼をしなければ。何がいいだろう。
これまで騎士殿の個人情報と言えば、本名と勤め先くらいしか知らなかったが、知れば知るほど謎の多い人だ。
なぜか独身を貫く決意を固めていたり、ダンスが異常に上手かったり。物腰も所作も、代々武官のお家柄出身の腕白坊主、というイメージからほど遠く、ノーブルな雰囲気さえ漂わせている。どこであの優美な身のこなしを覚えたのだろう。
本当に謎の人物だ。
◆
次の日の放課後。体調はすっかり元通りだった。
風紀委員のメンバーとは研究棟の入り口で待ち合わせして、先生の研究室に向かう。
私以外のメンバーはキース先生の研究室には初めて入るはずなので、あのトンチキなヘルメットや、モノで溢れかえった研究室にびっくりするかもしれない。
歩きながらパティがキース先生情報を教えてくれる。
「今週、先生の授業があったんですけど、この前買ったシャツを着てきてて、生徒から『えー誰!?』って言われてましたよ。それで、授業後女子に囲まれてました。」
そりゃそうだ。一見別人だもん。私には、初対面のころから先生のイケメンぶりはお見通しだったけど。
私たちはキース先生の舞踏会でのハプニングを面白おかしく想像しながら研究棟の長い廊下を進み目的地である研究室にたどり着いた。
ふと気になって後ろを振り返り見渡すが、騎士殿の気配はない。今日は私達を尾行しているわけではなさそうだ。毎日様子を見ているという訳ではないのかな。
「ここが先生の研究室よ。ちょっと先生が変な被り物で迎えてくれるかもしれないけど…
先生、失礼します」
声を掛けつつ扉をノックして、今日はこのままドアノブに手を掛け開ける。
「あれ?」
扉を開け、中を見ると以前訪れた時より広くなっている室内。と言うか、モノが少なくなって床面が見える部分が広がっている。部屋の奥は変わらず混沌としているが、なんと、扉のすぐ横に、応接スペースができていた。
小ぶりな応接テーブルと、その上に広げられた様々なお菓子、少々安っぽいけど十分使えそうな一対の長ソファ、テーブルを囲むように簡易で小さい椅子がニ脚並べてある。
そして、新設された応接ソファに座っているのは、キース先生と、マクアダムス卿だった。
新しい騎士殿の戦法。先回りして見張るスタイル。騎士殿は私と目が合うと、少しだけ目礼したように見えた。
キース先生と騎士殿。この二人が視界を独占すると、まさに美の競演だった。溢れ出るイケメンオーラで目がつぶれてしまいそう…! 二人は長い足を組んでリラックスした様子だ。
「あ、皆さんいらっしゃいましたね。お茶でも入れましょうか」
そう言って立ち上がるキース先生は、白いスタンドカラーのリネンシャツを着ている。先日買ったものではないが、清潔感がありよく似合っている。やはりイケメンは何を着ても着こなしてしまう。
今日は変なヘルメットをかぶっていないし、これまでのギーク感漂う先生ではないことに安心した。足元はいつも通りの便所スリッパだが、もうこの際靴はどうでもいい。
風紀委員会のメンバーが「おじゃましま~す」と声を掛けながら研究室に入ってくる。私は新設された応接スペースについて先生に聞いてみる。
「先生の研究室、応接スペースなんてあったんですね」
「さっきマクアダムスさんに手伝ってもらって上に積み上がってた資料とが器具を片付けたんです。椅子、足りてますかね、適当に座ってください」
騎士殿が立ち上がって、ソファを私達に譲ってくれる。私たちは二脚の長ソファに分かれて座った。
「お湯を沸かしてきますので、ちょっと待っててくださいね」
キース先生がポットを持って研究室を出ていく。騎士殿は椅子には座らず立ったままだ。
みんなは、初めて来るキース先生の研究室の、「ザ・研究室!」というゴチャゴチャ感に圧倒され、キョロキョロと周りを観察している。
ふとテーブルを見やると、色々なひと口サイズのお菓子の包みの中に、見覚えのあるピンクの包み紙のキャンディを発見した。
一粒摘み上げる。
コーラルピンクのシンプルな包み紙。小粒で、大き目の飲み薬のようなこのサイズ。中身の飴玉よりも大きすぎる包み紙が若干もたついているように見えるこの飴。
大きさも、包み紙も、多分、間違いない。
これは、パティと閉じ込められた部屋にあった箱から出て飴玉と同じものだ。
「ねー、パティ、これ」
テーブルをはさんだ正面に座っているパティに飴玉を差し出すと、パティもピンと来たようだ。
「あら、これって!?」
「やっぱり見覚えある?あの時の飴玉よね」
パティは大きく頷く。
「箱の中に入ってた飴ですよね。このピンクの紙、覚えてます!」
二人でぐっと顔を近付けて飴玉を観察する。
「なになに、どういうこと?」
ミシェルが身を乗り出して聞いた。パティが要領よく説明してくれる。
「この前私とレイラ様が閉じ込められた部屋に、これと同じキャンディが入った箱があったんです。
私、とてもお腹が空いてたから食べちゃおうかとも思ったんですけど、さすがにダメだってガマンしたから覚えてます、これと同じです」
「へーー!なんでそんな飴がキース先生の研究室にあるの?」
ミシェルの問いには答えられない。なぜだろう。誰にもその答えが分からず私たちはお互いの顔を見合わせた後、なんとなく騎士殿を見てしまう。視線を感じた騎士殿が言う。
「そこにあるお菓子は、生徒からの差し入れだと言っていました」
「生徒からの…?」
「人気の飴なのかしら」
包みを開け、中身の飴玉を取り出してみる。オーバル型でピンク色が付いた、一般的なキャンディに見える。
「私は見たことないわ、この包み紙」
ローラも一粒摘み上げ、包みを開けるなり口に放り込んでしまう。
「味は普通ね」
「…ローラったら!」
そこに、トレイに乗った食器とティーポットを持ったキース先生が帰ってきた。両手がふさがったキース先生から騎士殿がポットを受け取り、先生はテーブルに茶器を広げる。
「お揃いの感じのいい食器はないですが」
色も柄もそろっていない、ティーカップとソーサーを並べていく先生。私たちも手伝いながら先生に話しかける。
「先生、この飴は、どなたからいただいたものなんですか」
「それがあんまり覚えてないんですよね。たぶん、一年生の誰かだと思うんですが」
「へー…一年生かあ」
パティが何かを想像しているように目をくるっと回している。思い浮かぶ面子がいるのだろうか。
「今週はまだ『魔道具基礎』の授業しかやってないんですが、その授業後に色々質問攻めに合いまして」
パティがさっき言っていた「女子に囲まれた」というアレだな。キース先生が続ける。
「お菓子を食べることが趣味ですと言ったら、その時の生徒たちが色々とここまで持って来てくれて…ありがたいんですけどね」
先生がカップとソーサーを並べ終わったところに、マクアダムス卿がポットをテーブルに置き、先生がそのポットに茶葉を入れる。気の合った動作に微笑ましい気持ちになる。二人は立ったままだ。
よく考えたら、あの小さい椅子に長身の二人が座ったら、かなり座り心地が悪いに違いない。
「そこお菓子、自由に食べてくださいね」
何も言われていないのに、食べている人もいました! そう思ってローラを見ると、ニヤニヤと笑っている。
「あ、じゃあ先生、この飴を一粒いただいてもいいですか」
先生の、どうぞ、という言葉に、私はさっき包み紙を開いた飴と包み紙をハンカチに包んでポケットにしまった。意外な言葉が続く。
「私にも一つ取っていただけますか」
マクアダムス卿だ。キース先生が驚いたように尋ねる。
「ロメーシュ、やっぱり甘いものが平気になったんですね」
「いや、少し気になるので」
「飴が!?」
これまでの会話を聞いていなかったキース先生に、パティが、なぜ今みんなが飴玉を気にしているのかをが説明している。私はマクアダムス卿に飴玉のことを尋ねた。
「これ、どうされるのですか」
「警察に提出して、押収しているものと照合させようかと」
「なるほど…」
あの部屋にあった飴玉ということだから、何か事件と関係があるのかもしれない。
それよりも重要な話題があったことを思い出した私は、キース先生に質問する。今日ここに来た目的。キース先生の舞踏会について聞かないと。
「それより先生! 夜会はどうだったんですか?」
「いやあ、それが…」
キース先生は、例の小さい椅子に長い脚を投げ出すように腰掛け、昨夜王宮で起きた事を話し始めた。
私達はまだ見ぬ王宮の華やかな内装を想像しながら、話を聞く。
キース先生の話は面白い。一同大爆笑しながら聞いた。大いにモテまくった夜だったようだ。
キース先生と踊った令嬢の一人が、キース先生にもう一曲踊ってくれないかねだったところ、キース先生が持ち前の記憶力で完璧に暗記した例のカードを切った。
「あなたのように美しい人の誘いを断る僕は愚か者ですが、少々疲れていまして」
これでもう踊らなくても良いと安心したキース先生だったが、移動しても立ち止まっても、そのご令嬢が付いてきて次の曲中、話しかけてきたそうだ。同じ人とばかり話しているのもよくないと聞いていた先生は、困って同じく夜会に参加している研究所の所長に助けを求めたところ、そのご令嬢は所長の娘さんで、結局その方ともう一曲踊ることになった。
そして、その後は次々と先生の前に女性たちが現れ、何曲踊ったか分からないらしい。
「参りましたよ、本当に」
そう言って前髪を掻き上げている先生には、気のせいかモテ男の色気が漂っていた。




