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私たちが閉じ込められていたのは、研究棟の一階の一番端の部屋だったらしい。部屋を出ると、研究棟の長い廊下を進む。
私たちの前を歩くパティが時折振り返って、楽しそうにこちらを見ている。パティ。そんな愉快そうな顔をしないでほしい。
私の心臓が早鐘を打っている。これは、見目麗しい男性の腕に抱かれているからではない。自らの危険を予知して、極度に緊張しているのだ。
私を「お姫様抱っこ」してくれている騎士殿を見やると、硬い表情で歩みを進めている。
眉から鼻筋は凛として直線的。薄い唇とつながる顎から首のラインは筋肉質で精悍だが、無骨というわけではなくシャープで凛々しい。切れ長で少し険のあるサファイアのような青い瞳。この至近距離で見ても、忌々しいほど整ったこの顔だ。見忘れるわけがない。
彼に名前はなかったが、原作ゲームでは「美貌の騎士」、と呼ばれていた。
彼が近衛師団にいるとは知らなかった。そこは、騎士団内でも先鋭部隊であり、実力も家柄も秀でた者しか所属できないと聞いたことがある。
なぜそんな人物が、今ここで私を抱えているのだろう。
もし原作ゲームどおりの展開を迎えると、約二年後、私はこの騎士の一太刀によって絶命する。
ゲームで私を執拗に追い詰めて殺した不倶戴天の敵…それが、今私をお姫様抱っこしている人物なのだ。
「――そのように見られると、歩き辛いのですが」
「あ、すみません、つい」
謝って目を伏せる。ジロジロ見ていたのがばっちりばれていた。指摘は恥ずかしいが、でもどこを見ていればいいのかわからず困っていると、また声を掛けられる。
「そうやって上体を起こしておられるのは辛いでしょう。手を首に置いて掴まっていただけると安定します」
「でも、そういう訳にはまいりません」
確かに、上体を支えるものがないこの状態でどこにも掴まれないのは、かなり大変だ。しかし、肩に手を乗せると、当然この騎士殿にしがみつく形になってしまう。
医務室まで運ばれるのはミラー先生の指示だから不可抗力だとしても、自ら肩に捕まるのは…かなり抵抗がある。
「私も、そうしていただけると助かるのです」
そう言って立ち止まり、ずり落ち気味だった私の体勢を整えて、持ち直す。
「そうですか…では。失礼します」
首はちょっと、と思い、肩に片手を添えて掴まると、上体が安定して少々楽だ。
恐らくこの「お姫様抱っこ」は、首に両手を回して、しっかり体を密着させると、運んでいる方も運ばれている方もかなり楽で正解のポーズだと思う。
さすが、新郎新婦がよくやるわけよね。それくらい密着が自然な二人しか、やるべきじゃないんだわ。
研究棟を出ると、もう日が高く昇っている。あの部屋で始業のチャイムを聞いてからどれくらい時間が経ったのだろうか。
「…今、何時ごろなんでしょう」
あ、しまった。考えていたら、うっかり話しかけてしまった。騎士殿は私のそんな「しまった顔」には一瞥もくれず、短く回答する。
「十時を過ぎた頃かと」
「そうですか。ありがとうございます」
沈黙が気まずい。
あと、この体勢にとてつもなく疲れてきた。お互いの上半身がくっつかないように上体を起こして、片手でなるべく体がずり落ちないように肩を掴んでいるのだが、そろそろ限界かもしれない。
「あの、やはり両肩をお借りしても…?」
「どうぞ」
表情を変えずに美貌の騎士殿が答える。
えーい、もうこうなったら仕方がない。この先、医務室までは恐らくまだ五分以上あるし、肩も腰も慣れない体勢で限界…!ということで、結局、騎士殿の首に両手を回してしっかり掴まる、「ザ・お姫様抱っこ」の体勢で運んでいただくことになった。
もうこれってば本当に、超らくちん。
騎士殿は私が気張ってようと、首にぶら下がってようと気にしていなかったのだから、最初からこうすればよかった!
少し、緊張が解けてきたようだ。早起きしたせいか、怖い思いをしたせいか、未来の死刑執行人とは言え人肌に抱えられぽかぽかして暖かいせいか、少々眠たくなってくる。騎士殿の胸に頭を預け、ぼんやり景色を眺めていると、どんどん警戒感が薄れてくる。
近い将来、この人が私を殺しに来るかもしれない。でも、それはもう少し先の話だ。
医務室は広いグランドを横切り、噴水広場を抜けた先にある。先を歩くミラー先生とパティは、先ほど悪党を部屋から追い出したパティの武勇伝を面白おかしく話している。
パティは本当に勇敢だった。それに比べて私は足手まといな上に何もできず、パティに助けられなければきっとあのまま人相の悪い男にミンチにされていただろう。
「さっき、パティはすごく勇敢だったんです」
うっかりまた話しかけてしまった。なんだか、聞いている相手が誰かなんてどうでもよくなってきて、騎士殿の胸に頭を預けたまま、思っていたことを話してしまう。
「私は、あのおじさんが部屋に入ってきたとき、何もできずに固まってしまって。ダメですね。私のほうが年上なのに。」
「足が動かなかったのでしょう。それでは仕方がなかったのでは」
「いえ、いつもと同じように動けていたとしても、私はあんな風にできなかったと思います」
予想外の事態に、パティは勇敢に立ち向かった。絶対に私はあんな風には振舞えなかったはずだ。彼女は本当にすごい。
「生まれながらに、危機に強い人と、そうでない人がいます」
騎士殿が言葉少なに話す。表情は硬いまま、目線は真っすぐ前を向いている。
「そうでない人は、どうすれば良いのでしょう」
「危機に備えて、鍛錬するしかないですね」
「そうですか」
グランドを横切り、医務室が見えてきた。この騎士殿もようやく私から解放される。最近全く体重を気にしていなかった私は、おそらくベスト体重から三キロは太っているはずだ。騎士殿がいくら日頃から鍛えているとはいえ、この距離を一人で運ぶのは骨が折れただろう。
もう一度、私を運んでいる美貌の騎士殿を無遠慮に見つめた。
彼と次会う時はきっと、私を殺しに来る二年後のあの夜になる。その時のために、何か言っておいた方がいいのではと思ったからだ。
じっと見ていると、目が合ってしまった。青い瞳。ガスバーナーの炎みたい。整った顔面が私を見やる。
「…何か」
「いえ…」
何か言わなきゃ、何か言わないと。焦って、咄嗟に私が口にした言葉は
「重たくてすみません」
だった。美貌の騎士殿は、口にかすかな笑みを浮かべたが、何も言わなかった。




