第850話 爺さんスパイと毒蜘蛛(人差し指視点)
Side:人差し指
思えば遠くまで来た物じゃな。
王立魔法学園の西塀を乗り越えながらそんな事を考えた。
ワシは、ジーンの平民の鬼子として生まれた、魔族との不義の子だったのか、先祖返りかは知らぬ。
母は殴り殺された。
ワシは父に殴られて過ごし、少年になった頃、『城塞』の貴族に奴隷として売られた。
奴隷だった頃は、必死に平工作員の仕事を見て盗み、なんとかいっぱしの工作員として過ごす事ができた。
あんなに憎んでいた魔族の血が、隠行に最適であったのが皮肉と言えば皮肉じゃの。
いやいや、この歳になるまで生きてこれたのは奇跡みたいなもんじゃな。
沢山の戦いで、内戦で、暗闘で、人間の闇の部分を沢山見た。
それと同じぐらい、人間の光の部分も見てきた。
ワシは『城塞』と共にあり、栄光の頂点も見たし、没落していくのも見た。
前の聖女さまも見たし、英雄ポッティンジャー公爵も見た。
暗闘により、現皇帝が成り上がるのも見た。
前皇帝がひっそりと滅びていくのも見た。
ワシを買った貴族の旦那様は、長年の忠勤に報いようと奴隷解放をしてくれた。
あの時は嬉しかったのう。
まあ、良い厄介払いだったのかも知れんがのう。
ワシはわずかな貯金を持ってスラムに居を移し、ブルーノたちと知り合った。
孫ぐらいの初めての仲間達は何とも仕事が大雑把でな、見ておられんかったのじゃよ。
同じ半魔という仲間意識も確かにあったのう。
これが最後の仕事になるじゃろうなあ。
だがまあ、あいつらと一緒に滅びるなら、それはそれで良い人生だったと思うのう。
楽しい事もあった、他の四人も欠点はあるが悪い奴らでは無かった。
老いぼれになって初めて出来た、本当の仲間だったような気がする。
さて、西の壁を乗り越えた。
ワシは戦える戦力がない。
だが、忍び込み隠れるのは得意じゃ。
聖女さまの寝所に忍び込み、首を刈ろうかの。
まだ、子供の聖女さまを殺すのは切ない事じゃが、これも世間の事情という物じゃな。
ふわりと腐敗臭がする。
む? 近くに死骸が埋まっておるな。
暗闘警戒網がありそうじゃな。
ワシは藪の中で背を丸めて気配を探る。
サヤサヤと虫が動くぐらいの小さな気配がする。
気取られたか。
勝ち気そうな女生徒が歩いてくる。
背に大きな剣をしょっておるな。
ふむ、西壁から侵入してくるのを察知された感じじゃな。
おお、おおっ。
彼女の後ろに途轍もない奴がおった。
黒髪、真っ白な肌、唇だけがどこまでも赤い。
これは難敵じゃな。
その後ろには銀の弓を持ったメガネの小さい背の娘がいる。
これは蛇メガネのコリンナじゃな。
ナージャに一矢当てたという評判の射手じゃの。
ワシは音を立てないように、藪から藪へと移動する。
「ようこそ魔法学園へ、人差し指さま、わたくしはヒルダ・マーラーと申します」
「いますか? ヒルダさま」
「ええ、カトレア。『城塞』の歴史の生き証人みたいな手練れだわ。素敵ね」
おやおや、名高いマーラー家の女当主様ではないか。
何と言う美しさか、何と言う威圧感か。
彼女を何とかしないと、女子寮には忍び込めんな。
ヒルダ・マーラーは目をつぶって指だけを動かしている。
糸じゃな。
糸で辺りを探っておる。
勝ち気そうな娘は大きな剣を肩から下ろして構えた。
エストックかのう?
コリンナ嬢は銀の弓に矢をつがえた。
さて、あと一人おるな。
多分諜報メイド。
怠惰のマルゴットでなければ良いのだがな。
どこかに潜んでおる。
「暗闘の戦いは、身を隠した相手との読み合いよ、相手の武器には毒が塗ってあるからかすり傷でも即座に動けなくなると思いなさい」
「ふ、面白いっ」
「普通に怖い」
山鳥の鳴き声が聞こえる。
学園の西側は林になって身を隠す所が多いから助かるのう。
「くそう、マコトさえ居れば、感知してくれるのに」
「領袖の能力はちょっとずるいから、暗闘家としては趣が無いのよ」
「で、出てこいっ!!」
勝ち気そうな娘が、じれて藪を突いた。
そんな所にはおらんぞ。
ワシは四つん這いになって肘と膝を使い、音を立てずにゆるゆると移動する。
林の中はしんとして、緊張感だけが張り詰めている。
姿を見せておらん諜報メイドはどこにおる?
ヒルダ・マーラーは糸をあちこちに飛ばして探っている。
さすがに先々代ほどの糸使いではないな。
奴には仲間を何人も殺された。
手練れの暗闘家じゃった。
ヒュッ!
気配を読んでワシは体をずらした。
脇腹すれすれを重りを付けた洗濯ロープが襲う。
木の上にメイドだ!
怠惰のマルゴット!!
すかさずヒルダ・マーラーの糸も飛んで来る。
身をかわして跳躍し、木の枝を握り反動を使ってさらに飛ぶ。
途中でマルゴットに向けて針を打つ。
奴は包丁を抜いてはじき返す。
おお、伝統的な諜報メイドの技!
あれで我流というのだから才能とは恐ろしい物だ。
ビッと赤い光線が走り、ワシが掴んでいた枝を焼き切った。
なんじゃ?
魔剣か?
「くそっ!! 素早いっ!! 人間の動きかっ!!」
『それは地の力、鉄を引きつけ流星のごとく我が敵を討て』
コリンナ嬢が詠唱をすると足下に黄金色の魔法陣が広がった。
ぬっ、何の魔法陣か。
藪の中に着地する。
とっさに足下の石を放り投げ、石と反対側に素早く移動する。
矢が蛇のようにくねりながら地表すれすれを石を追って飛んでいった。
誘導する矢か!
なんというやっかいな射手か。
さすが聖女さまの近くには、一癖も二癖もある奴が集まっておるのう。
おもしろいのう。
よろしかったら、ブックマークとか、感想とか、レビューとかをいただけたら嬉しいです。
また、下の[☆☆☆☆☆]で評価していただくと励みになります。




