第721話 毒蜘蛛令嬢は警戒しながら買い物につきそう②(ヒルダ・マーラー視点)
脱出経路を探る。
三人を連れて外に出て、馬車に乗り込む。
今は建物の三階だ。
素直に下ろしてくれるだろうか。
と、ここまで考えたあと、ある事に気がついて私は肩の力を抜いた。
ジーン皇国じゃないわ。
いくらなんでも、そんな短期間にここに罠は張れないし、ケンリントンを選んだのもわたしの思いつきだ。
今年になってから、アランド王国の諜報組織が『軍港』から名称を『百貨店』に変えたのを思いだしたのだ。
「なぜ『百貨店』なのか疑問でしたわ」
支配人のケチャックさんはにっこりと笑った。
「お気づきになりましたか、お嬢様。百貨店にそぐわない方々は我々の『猟犬』が対処いたしました。穏便、とは言いませんが死なない程度にお引き取りねがっております」
諜報員独特の呼気だけで他には漏れないしゃべり方だ。
彼もかなりの手練れね。
「海洋国家らしいやり方ですわね。交易しながら情報も取るとは」
「百貨店でございますから、手広くやっております」
「お近づきのご挨拶として取引がしたいわ」
「何か対価はございますか?」
ふむ、あの生地はまだ在庫がある。
「マーラー外套を一着、女王さまのサイズでいかがかしら」
「それはすばらしい、希少なマーラー外套とは、女王陛下もお喜びになることでしょう」
支配人は私と呼気話を交わしつつ、お洒落組とグレーテ王女の相手もしている。
よほど頭の回転が速いわね。
「では、とっておきの情報をお渡しいたします。『城塞』のアーチャーですが、ナージャ・キルヒナーが来ております。ナンバー2とは皇弟も張り込みましたね」
!
ナージャが来ているのか。
キルヒナー本家の跡取り娘の凄腕だ。
「極大射程のエーミールと一撃必殺のナージャとの戦いは見物でございますな」
「余所の国の人は気楽で良いわね」
「さようでございますとも」
アランド王国は何枚舌か解らないぐらいの信頼の置けない国だけれども、諜報に関してはレベルが高い。
ナージャが来るというのも確度が高い情報だろう。
「マーラー外套の方、よろしくお願いいたします。それとマーラー領のお店をケンリントンに出しませんか?」
「それは良いお話ですわね」
王都の一流百貨店にお店を出すと領の名も上がるだろう。
とても良い話だ。
グレーテ王女がドレスを買うことにしたらしい。
テーラーがサイズを測っている。
お洒落組もあれこれとグレーテ王女のお世話をしている。
「聖女さまにもよろしくお伝え下さい。アランド王国にご訪問いただければ国民が喜びます」
「伝えておきますわ」
「あの素晴らしい飛空艇ならば、ドーリア海峡も一っ飛びでございますね」
やれやれ、あの素晴らしい飛空艇は各国の垂涎の的ですわね。
領袖が各国と交流を持つのは卒業後に聖女を襲名してから、と思っていたのだけれど、意外に外国の手が早かったようね。
だいたいジーン皇国のせいだわ。
なるべく領袖には和やかな青春を送っていただきたいのだけれど、他が放っておきそうもない。
非公式だけど旧サイズ王国の遺児たちの後ろ盾になってしまったから、大陸の各国が色めき立つのも無理も無い話だわ。
ケンリントン百貨店をだいたい一回りした。
「ああ、楽しかったですわ、少し休んで行きましょうか」
「「まあ、嬉しい」」
百貨店の最上階はパーラーになっていて、お茶や甘味を食べる事が出来る。
支配人のケチャックさんは優雅にお辞儀をした。
「今日はご来店ありがとうございました。当店自慢のパーラーで一時をお過ごしくださいませ。それでは失礼いたします」
私たちはパーラーに入った。
「一度来てみたかったんですのーっ」
「そうですわ、ケンリントンのパーラーは、今、王都淑女の憧れのお店ですわっ」
「まあ、それは良かったわ」
お洒落な内装のパーラーだった。
甘い匂いが立ちこめていて、お客さまは上流の女性ばかりだわね。
「まあ、アイスクリンがありましてよ」
「さすがですわね、ケンリントン」
素晴らしい、メニューに値段が書いていない。
コリンナさまのようなお値段が気になる方はもとよりお客様ではないのでしょうね。
「珈琲をいただけるかしら」
「わ、わたしはアイスクリンで」
「わ、私も」
「私もアイスクリンをいただきたいわ」
「かしこまりました」
女給さんは一礼して去って行った。
「ヒルダさまは甘い物は苦手なのですか?」
「嫌いではないですけれど、今日は皆様と一緒ですから、冴えていませんと」
「まあ、申し訳ないわ」
「特に何も無さそうでしたから大丈夫だと思いますわよ」
「そうですわね、何もありませんでしたわ」
私は微笑んだ。
水面下で何があろうと、このお方たちには知られてはならないのですわ。
それが毒蜘蛛のお仕事なのですから。
アイスクリンが来て、みな甘い甘いと大盛り上がりでしたわ。
珈琲も良い味わいでした。
アイスクリンも気になりますが、まあ、また今度来た時に試しましょう。
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