第39話 女同士、夜の錬金室、何も起きないはずがなく
205号室に入った、と思ったら出る。
「どこへ行く、マコト」
「カロルの所、アンヌさんに仕事を頼んだって伝えてこないと」
「ああ、なるほど」
まだ八時過ぎだから、カロルは起きているだろう。
テレビも、インターネットも、スマホも無いこの世界の夜は早い。
起きててもやることはないし、光源は魔石灯で薄暗いし、夜更かししても何も良いことが無い。
みんな十時には寝ている。
そのかわり、朝が早いけどね、太陽が昇ると同時に起きる人が大半だよ。
五階まで階段を一段飛ばしで昇っていく。
わっせわっせ、と。
夜の女子寮の廊下を行くのは嫌いでは無い。
静かな廊下をコツコツと足音を鳴らして歩く雰囲気は悪くない。
前世の夜の学校みたいな匂いがするよ。
カロルの部屋の前である。
ノッカーをこんこんと鳴らす。
返事が無い。
もう一回。
「あ、ごめんなさい、ちょっとまってください」
遠くからカロルの声がする。
かすかに水音、きゅっと水栓を閉める音。
がちゃがちゃがちゃっ!!
「ちょ、ちょっとまってて、今着替えてますから」
「私、気にしないから、開けてっ、今すぐっ」
がちゃがちゃがちゃっ!!
「マコト? わ、私が気にするから、ドアノブをガチャガチャしないでよっ」
「ガチャガチャしてないっ! 気のせいっ!!」
「まってまっててっ、もう、せっかちね」
待てないっ! カロルのおヌードが、おヌードがっ、私を呼んでいるんじゃいっ。
どうしてアンヌさんは、うっかり鍵をかけ忘れてないかなあっ。
せっかくのラッキースケベの機会がああああ。
がちゃり。
「おまたせー。な、なんでそんなに悔しそうな顔なの」
「くやしくなんてないんだからねっ」
いいよ、お風呂上がりで上気したカロルの顔と、パジャマ姿が見れたからっ。
いいんだよっ!
パジャマが可愛いしっ、石けんの良い匂いがするしっ。
ああもう、カロルの裸を見損ねたーっ。
くやしいくやしい。
「どうしたの、とにかく入って。夜にお友達が訪ねてくるなんて、初めてよ」
パジャマ姿のカロルはにっこりと笑った。
つられてふにゃりと笑ってしまう。
「きっと、これからは沢山あるよ」
「うん、そうかも」
カロルはお花の匂いをさせて私を部屋の中にいざなった。
良い匂いだなあ、シャンプーの匂いかな?
私は錬金室のソファーに腰掛けた。
カロルは、魔導コンロにかかっていたケトルでお茶を入れてくれた。
ふんわり良い匂い。
「カモミールよ、安眠に効果があるの」
「おいしい」
「お茶菓子は我慢してね、アンヌが夜食べると太るからと言って隠してしまったの」
「大丈夫、お茶だけで美味しいよ」
カロルはもう少し太っても良いと思うんだよ。
今は精悍ロリって感じの体型だしね。
あー、カモミールティー美味しい。
……。
って、違うわ、お茶しに来たわけじゃ無いよ。
「今、アンヌさんにお仕事を依頼しちゃったので、今晩は帰ってこないかも」
「あら、そうなんだ、今日は遅いと思った、何があったの?」
私は食堂での出来事をかいつまんで話した。
「なるほど、下級貴族食が酷いって噂になっていたけど、そういう事だったのね」
「勝手にアンヌさんを使ったので、報告にきたんだよ」
「いいのに、自分のメイドだと思って、なんでも言いつけてね」
「ありがとう、カロル、助かるよ」
でも、自分の諜報メイドも欲しいなあ。
ハウスメイドと戦闘メイドはいらないけど。
諜報メイドは、どこで雇うのかなあ。
「カロルはアンヌさんをどこで雇ったの?」
「え、えーと、その、子供の頃から一緒なのよ」
「諜報メイドなのに?」
「なんだか私の為にと言って、メイドの里に諜報の修行に行ったのよ」
あるんだ!! メイドの里!!
メイドたちが投げナイフとか、格闘術とか、聞き耳、観察眼とか修行してるのかなあ。
なんだか、それは普通に忍者の里ではないかなあ。
「初めて会った頃は、口調も荒っぽかったのに、メイドの里から帰ってきたら、きちんとしたメイドさんになっていてびっくりしたわよ」
礼儀作法もやってくれるのか、メイドの里、あなどりがたし。
メイドの里に、いっちょスカウトに行きますか。
でも、メイドを置く場所が無いなあ。
二人部屋を取ってもいいんだけど、205号室にも愛着があるし。
ぐぬぬ。
「明日、食堂に行くと、マコトが作ったポリッジが食べられるのね」
「え、あ、うん、そうだよ」
「食べにいくわ、美味しそう」
「あれ、下級貴族食取ってない人は、どうなるんだろう、別料金かな?」
「おいくらぐらいかな?」
「日割りするとー、五百ドランクぐらいかな?」
「小銀貨を持っていくわね」
沢山ポリッジ目的のお客さんがきたら、押し麦間に合うかな?
「ちなみに、甘いのが好き? しょっぱいのが好き?」
「しょっぱいのが好きよ。ソーセージエッグとか付いてたら最高ね」
「しょっぱいのだと、そうか、副食もいるのね」
明日、メリサさんと要相談だな。
ガチャリとドアが開いて、アンヌさんが入ってきた。
「ただいま戻りました、お嬢様。おや、マコトさま? いらっしゃいませ」
「アンヌさんの手を借りたのを報告に来たんだよ」
「ご足労ありがとうございます」
「アンヌ、現場はどんな感じなの」
アンヌさんはカロルの真後ろの定位置に付いた。
「はい、マルゴットと三時間交代で見張る事となりました。護衛対象は、尋問も終わり、護衛女騎士の詰め所の代用監獄におります」
「そう、ヘザーさまのメイドなら安心ね」
「敵は動きそうかな?」
「先の毒殺未遂の一味とは、別の稚拙な横領事件なので、即座に暗殺とはならないと思われます」
ポッティンジャー公爵家派閥の二軍の荒事組よりも、何段も落ちるのか、横領大貴族さまは。
「とはいえ油断は禁物ね、しばらくイルダさんをどこかに隠したほうがいいかもしれないわ」
「ふむ、安全なかくまえる場所ねえ……。あ、一カ所ある、相当堅固な場所」
「あ、そうか、マコトのつてだと大神殿ね、良いかもしれないわ、明日の放課後に移送しましょうか」
「大神殿の奥深くなら、よほどの手練れでもないかぎり手は出せないでしょう。良いお考えです、マコトさま」
リンダさんがいる場所に殴り込んでくる命知らずは、まずいないだろう。
そして、どんな敵が来ても、リンダさんなら笑いながら切り伏せてしまうだろう。
人間性はどうあれ、リンダさんは、この国の五本の指に入る剣客だ。
人をかくまうには絶好の場所だなあ、大神殿。
「アンヌさん、メイドの里ってどこにあるの?」
「北方の山岳地帯ですが、どうしてですか?」
北の山の中かあ、移動に時間がかかるなあ。
この世界には個人が乗れる飛空艇とか無いから、旅行は馬か馬車になる。
北の山岳地帯に行くには二ヶ月とか掛かるね。
「いやあ、自分の諜報メイドをスカウトに行こうかと思って」
「アンヌを自由に使っていいのよ」
「カロルもメイドさんが一人だからさあ、悪いじゃん。こっちの用で使いっぱなしだと、カロルも困るだろうし」
「いつもずうずうしいのに、たまに謙虚よね、マコトは」
「ずうずうしくないもんっ」
ふむと、アンヌさんはうなずいた。
「メイドの里とは、言ってみればメイド学校です、学校出たての諜報メイドなど、使い物になりませんよ」
「そうかー、実戦経験がないと、やっぱり駄目か-」
「私の同期の手練れが、大神殿に行ったと聞いた事がありますよ」
「諜報系の神官侍女かあ」
大神殿関係者は聖女愛が重いから近くに置きたくないんだよねー。
でも、まあ、明日、イルダさんを移送する時にリンダさんに聞いてみるかな?
「参考になったよ、アンヌさん、ありがとう」
「本当に遠慮なんかいらないのよ。アンヌは、私たち二人のメイドと思っていいから」
「うん、わかった、カロルもありがとう」
カロルの気遣いは嬉しいけど、あんまり甘えてもなあ。
ちょっと大神殿で探してみるか。




