第38話 ヒールという魔法を超えた奇跡への考察
しかし、貯蔵焼けした押し麦しかないのか。
「他に押し麦はないの?」
「上級貴族食用にほんの少しだけあるだけです」
メリサさんの返事に私は頭を抱えた。
朝ご飯できないやん。
いや、塩泥ポリッジはできるけどさあ。
さすがにアレは人様に出せる代物じゃない。
「ユリーシャおねえさまのお家に、ちゃんとした押し麦は置いてありませんの?」
メリッサさんが、ユリーシャ先輩に聞いてくれた。
ありがとうー、それ聞きたかったんだ。
「タウンハウスは倉庫ではありませんわよ、知り合いの穀物商に連絡をすれば入手は可能ですけれど、こんな時間ですからね」
そうだよねえ、穀倉地帯が領地とはいえ、公爵家が穀物を王都の公邸に備蓄しないよねえ。
「だめだ、マコト、ひよこ堂でパンを焼いて貰ってもってこよう」
「実家も小麦を備蓄してる訳じゃないんだよねえ」
結局、貯蔵焼けした押し麦が、ちゃんと食べられるようになれば良いわけで。
私は貯蔵庫のドアを開けた。
しっかし、量が多いなあ、カマスで三つもあるぞ。
「い、一ヶ月分のポリッジを作るだけの分量があります」
「まったく、恥知らずの仕入れ業者だなあ」
私はカマスからお椀一杯分の押し麦を取った。
ところで話は変わるのだが、私は光魔法のヒールは治癒魔法では無いのでは? と疑っている。
水魔法の癒やしの水や、土魔法のアースヒールに比べると、威力が強すぎる上に、作用が早すぎる。
光魔法のヒールというのは、実際は治癒とは別系統の魔法じゃないのかという疑問だ。
私は、お椀一杯の押し麦にヒールをかける。
『ヒール』
「「「……?」」」
「マコト、貯蔵焼けは怪我じゃないから、直らないわよ」
「だいたい押し麦は植物ですわよ。回復魔法は人体に掛けるものですわ」
ヒールの残滓がキラキラと光って消えた。
やっぱり。
光魔法のヒールは回復魔法じゃない。
時空間魔法なんだ。
私の持つお椀には、見慣れたクリーム色に変わった押し麦が一杯に入っていた。
「メリサさん、ちょっとこれを使ってポリッジを作ってみてください、できたら甘いの」
「え、えっ、これ、ちゃんとした押し麦ですね、悪くなったものじゃなくて」
「貯蔵焼けを治療してみました、上手くいったみたいです」
「そ、そんな事が」
「すごいですわ、さすが未来の大聖女さまっ」
「マジなのかい、植物を治療するだなんて、エルフでも出来ないよ」
光魔法のヒールは、治療してるのではなくて、効果範囲の生物の時間を逆行させているのだな。
言ってみればタイムふろしきだね。
だから、効果が早くて、威力も高い。
そりゃ、時間を戻して怪我を元より無かった事にしてるんだから、他の治癒魔法とは桁がちがう威力だろうさ。
たぶん、生きている物限定じゃないかな。
押し麦君たちは、変質したとはいえ、まだ生きているのだろう。
……しかし、どこから生命で、どこからが物質なのだろうかねえ。
ポリッジを作るのは簡単だ。
前世の袋ラーメンを作るぐらいの手間で、メリサさんの作るポリッジ(押し麦粥)はできあがった。
ふんわりとミルクの良い匂い。
「甘いポリッジということなので、ミルクポリッジにしてみましたけど」
「蜂蜜はありませんの?」
「ナッツ、ナッツをいれてくださいっ」
ユリーシャ先輩と、メリッサさんが、トッピングをメリサさんに出して貰っていた。
そのすきに、小鉢に盛られた、ミルクポリッジを口に運ぶ。
「甘うま~~~~」
口の中でほろほろと押し麦がほどけて、ふんわりとした甘みが一杯に広がる。
さすがプロの料理人、メリサさんは料理が上手いなあ。
「これは美味しいね、素晴らしい」
「僕は諜報貴族で、食通でもあるんだけど、これは五つ星」
「これこれー、こういうポリッジを待ってたんだ、おかわりしていい?」
「おいしいですわっ」
「おいしいですっ」
メリサさんは、お玉を持ったままホロホロと泣き始めた。
「ちゃ、ちゃんとした食材さえあれば……、イルダさんのポリッジはもっと美味しいんですよ」
「イルダさんのポリッジ、食べたいねえ~」
「そうだなあ~、彼女が、いろいろごまかそうとしていたのも許せそう~、おいしーっ」
「やれやれ、みんな、美味しい物に弱いな。イルダさんの責任は逃れられないとは思うが、事情が事情だ、処罰が軽くなるように、僕も働きかけよう」
「あ、ありがとうございますっ、ありがとうございますっ」
うむ、なんとか落着しそうだね。
「あとは、元凶の大貴族だが、名前は解るかね」
「い、いえ、でもイルダさんは知ってます」
「大貴族、現在、食堂で上級貴族食を取る娘がいる、前舎監生と連なっている。で、だいたい絞れるけどね。出入り業者から逆にたどって行くこともできるさ」
「ヘザー君、君は調査してくれる気はないかな」
「どうしようかなあ、家の家訓として、ただ働きはしないってのがありましてねえ」
「何が欲しい? 僕の家の後ろ盾かい?」
「アップルビーも絶賛寄子権をばらまき中ですわよ」
ヘザー先輩は、悪い顔をして笑った。
が、三角巾とエプロンを装備中なので、なんだか可愛い。
「マコトちゃんの作ったポリッジの朝食、五日分で手をうとうかな」
「そんなのでいいの? なら即決だけど」
「今回も面白い物を見せて貰ったからね、これ以上欲張ると収支が良くない。欲望はほどほどにする、これも家訓さ」
「では、お願いします」
諜報系の貴族さんが知り合いにいると、なにかと便利だなあ。
ヘザー先輩とは今後とも友好的な関係を築こう。
そうしよう。
明日の朝ご飯用に、カマスいっぱいの押し麦にヒールをかけた。
ためしに悪くなっている鶏肉にもヒールをかけた。
鳥が生き返ってしまうかも、と、思ったのだけど、限りなく死にたてに近づくだけっぽいな。
蘇生の魔法があるのだから、ヒールでは生死の壁は越えられないのだろう。
でもまあ、とても新鮮な鶏肉になったので良しとしようか。
「じゃあ、明日から朝、厨房に入ります、何時からですか?」
「六時からですが、だ、大丈夫ですか、聖女さま」
「平気です、パン屋時代はもっと早く起きてましたよ」
「で、でも良いんですか、お貴族さまなのに」
「問題無いです、その代わり、料理をいろいろ教えてください、メリサさん」
「はい、明日からおねがいしますね、マコトさま」
「立場的には監督者となりますが、現場では一番下っ端なので、マコトで良いですよ」
「そ、そんな、恐れ多いっ」
「平気平気、じゃあ、また明日」
よっしゃー、これで食堂の厨房に入り放題だぜー。
実家から酵母を取ってきて、パンも焼こうっと。
テンション上がるぜー。
ペントハウスに向かう舎監、副舎監組と、低層階の私とコリンナちゃんと、メリッサさんの階段組に分かれる。
「朝から美味しいポリッジが食べられるのは助かる」
「がんばって作るよ、コリンナちゃん」
「お晩餐も美味しくなるのですわよね、マコトさま」
「まかせてー、メリッサさん」
メリッサさんは悲しそうな顔をして、視線を落とした。
「本当に……、マコトさまは凄いですわ」
「そんな事はないよ」
「聖女様派閥に入れていただいて、私は天にも昇るようなうれしさを感じてましたの、そして、新しい目で聖女さまを見て、自分がどれだけ物を知らないか、どれだけちっぽけなのか、気がつきましたの」
「そうなの?」
「はい、勉強も出来ないし、勇気もありませんし、本当に駄目な子で、逆に聖女派閥におられる方々は綺羅星のような輝きを持っていて、恥ずかしくなりましたの」
「気にしない、私もいるしさ」
「コリンナさまも凄いですわっ! お勉強して文官になって立身出世したいだなんて、そんなご令嬢初めて見ましたわ。それに、計算もお早いですし、考え方も大人っぽくて、しっかりなさってらっしゃって……、それに比べて私は、何もできなくて、ご迷惑をかけるばっかりで……」
私は、踊り場で立ち止まり、メリッサさんを抱きしめた。
「マ、マコトさま?」
「メリッサさんも偉いよ、今日は怖いことが一杯あって、悲しい事も一杯あったのに、今、自分の足で歩いていて、色んな事に気がついて」
「そ、そんな、こと……」
メリッサさんの目がうるんだ。
声も震える。
「メリッサさん、派閥のみんなと一緒に育って行こうよ、見えない物を見えるようにお勉強を頑張ろう、どこまでも歩いても疲れないように体を鍛えよう。学園生活は始まったばかりだよ、これから学んで成長していけば良いんだよ。大丈夫、メリッサさんなら出来るよ」
「はい……」
メリッサさんは私の胸の中で泣いた。
うんうん、今日は、怖かったね、悲しかったね、辛かったね。
いっぱい泣いても良いんだよ。
「そんな事ばかりしてるから、マコトは、まだ聖女候補生なのに、聖女さまよばわりされるのだ、まったく」
「うむ、コリンナちゃん、毒吐きありがとう」
「ふん」
しばらくして、メリッサさんが泣き止んだので、一緒に手をつないで二階まであがり、ごきげんようの挨拶と共に分かれた。
うん、別の集団を攻撃して大きくなる派閥じゃなくて、みんなで育って大きくなる派閥、それはなんか前向きで良いな。
聖女派閥はそんな場所を目指したいね。




