第0話 腐女子はコミケのせいで異世界に転生してしまうのだ
コミケだー、あと二週間でコミケなのだー。
追い込みなのだー、漫画の原稿が遅れに遅れて、印刷所に特急料金を払わねばならないほど切羽詰まっている。
切羽詰まっている。
切羽詰まっている。
ので、必死にパソコンに向かってペンタブを動かすのだ。
画面の向こうにはイケメン二人が、こう、ベッドの上でくんずほぐれつ、ボーイズラブの限りを尽くしている。
エロい。
うむ、エロい。
だが、官能にひたる暇はないのだ。
高瀬真琴、花の女子大生はコミケの私のブースにいらっしゃるお客様に夢と勇気と劣情をお届けするために、ペンタブレットで下書き線を清書する機械になるのだっ。
ショキショキ(ペンタブをこする音)
うー、目がかすむ。
コーヒー飲もう。
椅子をずらして、横の棚にあるコーヒーメーカーから、コーヒーをたぷたぷとマグカップにつぐ。
うわー、作り置きが酸っぱくなってるなあ。
だが、飲む。
体にカフェインを入れないと線がヘロヘロになる。
豪快騎士カーチス兄ちゃんのお尻と太ももの線がよれてはならない。
陰険メガネのジェラルドさまの細い腰の線が目立たなくなるしっ。
そして、やはり、気合いをいれるべきは筋肉描写だ。
全裸の男の美しさを醸し出すには筋肉の流れだ。
ゴツイ細マッチョのカーチス兄ちゃんと華奢な文官ジェラルドの体型と筋肉をかき分けるのだ。
クッキーをかじり、コーヒーを飲み干すと、天井に向けて「ほうっ」と一声息をつく。
私は、せっかく大学に入ったというのに、何をしているのだろうか、と、思う時はある。
食事も睡眠も削ってBL同人を描いている。
漫画制作は過酷な趣味だ。
シナリオ力も画力もいる。
たぶん、俳句を作る趣味よりも、五千倍ほどの手間が掛かっていると思う。(当社比)
小説とか楽だろうなあ、とか思う時もある。
まあでも、ゲームとかアニメ作りに比べたら、まだましかなあ。
最近、コミケで、ちょっと売れてきて、島のお誕生日席に配置されたりして、うれしくて手応えがあるんだけど、反面、変なファンにツイッタで絡まれたり、ブログで酷評されたりして、漫画やめようかなあ、と、思う時もあるんだ。
でもなあ。
でもなあ。
コミケとかで、新刊を買ってくれるときに、
「前巻のケビン×エルマーは良かったですっ! 秘められた愛にわたし感動しましたっ!」
と言ってくれるファンの人とか来てくれると疲れが吹っ飛び、謎の高揚感に包まれ、もっと頑張ろうと思ってしまうんだな、これが。
あと、お友達と大井町あたりの安酒場での、コミケの打ち上げも楽しいし。
これだから、腐女子はやめられねえぜ。
げへへ、現実の男性とは何の接点もないけどなあ。
愛も筋肉もパソコンの画面の向こうにしかないのだぜ。
ぐらっ。
ぐらぐらっ。
んん、地震?
ぱたぱたと短パンの先の私の生足に何か水分がはねるのを感じる。
赤い。
んんん?
口元に手をやると、べったりと血が付いているのが見えた。
鼻血……?
ぐらぐらぐらぐらりぐらり。
ぶよぶよぶよん。
視界がぐねぐね渦巻き、暗くなったり、明るくなったりする。
え、え、これ、やばい、なんかやばいやつ?
脳がやばいやつ?
いや、その、ちゃんとしたご飯も食べないで、貫徹三日目ですけど、椅子に座りっぱでずっと作業ですが。
ああああ、やばいやばい、こんなところで入院なんかしたら、コミケがコミケが!
いや、病欠は届けを出せば、次回コミケの抽選には影響しないけど、しないけど、私の新刊を待っているお客さまがっ。
あれ、壁?
あ、違う違う、床だ、私倒れてるっ!
床冷たいっ。
やばいやばい、救急車!
救急車をだれかーっ!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
がばりと起きると日がサンサンと部屋に入り込んでいた。
「うわあ、コミケに間にあわないーっ!!」
寝てしまった、寝てしまった。
昨晩中に印刷所にデータ入稿しなきゃならないのにっ!
私の馬鹿っ!
コピー誌、コピー誌しかないのかっ。
だけどなあ、コピー誌はなあ。
なんか安っぽいし、製本が地味に大変だし、ううううっ。
せめてオンデマンド印刷で……。
「マコト、うるさいっ」
なんだよう、お兄ちゃんめ、妹の危機なのに怒鳴りつけるなんて……。
あれ??
兄?
そんな存在はおりませんが?
高瀬真琴は一人っ子でござる。
田舎から出てきて、夢の東京で一人暮らしでござる。
たまに、お母ちゃんがやってきて泊まるのでウザいでござるよ。
華やかにしなさいとか、早く彼氏を作りなさいとか、うるさくて閉口するのだな。
いいじゃんか、人の人生だろう、沼に沈めようが、ドブに捨てようが、私の勝手です。
あれ、なんか室内が違う。
どこ、ここ?
木造建築で日は入り込んでいるけど、うすぐらい。
あれ、肌が白いぞ、手がちっちゃいぞ。
なんぞこれ?
なんだか、パンを焼いたようないい匂い。
「寝ぼけてんのか、バカマコト」
二段ベットの上にいるらしい私の視界に、金髪碧眼の見慣れぬショタが顔を出した。
見知らぬお兄ちゃんだ。
名前を……。
どくん、と脳内にたくさんの記憶が流れ込んできた。
彼はクリフ兄ちゃん。
私の一歳年上だね。
私はマコト、十三歳、パン屋の娘。
パン屋の名前はひよこ堂、王都のメインストリートから一本外れた路地裏にあって、けっこうな人気店だ。
「クリフ兄ちゃん、おはよう、その……、へんな夢みちゃって」
「早く起きろよ、飯をくって、朝の仕事だ」
「う、うん」
「それに、今日は、神殿に行って、おまえの魔力鑑定式だろ」
なんだこれー、なんだこれー?
ひよこ堂?
ここの国はアップルトン王国で……。
近所には王立アップルトン魔法学園があって……。
お昼にはきれいな制服を着た貴族のお姉さんお兄さんで店がいっぱいになって……。
ひー、ここは乙女ゲーム「光の空へ祝福を」の世界……?
そうすると、私は、今日、魔力鑑定式で規格外の光魔法の属性を発見されてイケメンの巣、アップルトン魔法学園へ入学するという、ゲームの主人公……。
マコト・キンボール(ディフォルト名)だというの?
ああ、ああ、何という事だろう。
噂に聞く異世界転生が私にふりかかるだなんて……。
というか、昨晩まで私が描いていたのは、ヒカソラ(略称)のBL本だったんだよ。
え、生ケビン王子とか見れるの?
うわ、生ジェラルドとか、生エルマーとか!
まじかっ。
わああ、生カロルとか萌えすぎる。
みたい見たいっ!
うわ、すごい、無料で海外旅行な感じで、イケメン見放題!
攻略とかもできるのかー。
主人公だしなー、イケメンと結婚!
わああ、夢がひろがりんぐっ!
剣とか、魔法とかも使えるぞっ。
このゲームRPGパートあるしね。
ダンジョンに潜って、金儲けとかもありだねっ!
あ、でも……。
「これじゃ、コミケ、絶対間に合わないじゃんっ!!!!!」
パン屋の二階、子供部屋に、私の絶叫が響いたのであるよ。