第三十七話 佐倉
「いい加減にしなさいよ! 悪魔だとかなんだとか、そんなのどうだっていいの! 私が好きだったのはシュワイヒナ・シュワナであって、それ以外の何物でもない! だから、だから……自分のことを悪魔だとか言わないで。もう人を殺さないで」
ほとんど泣き出しそうな訴えはそれこそ見てられるものではありませんでした。
私は凛さんにこんな顔をさせるために、悪魔になったんじゃない。いや、違う。私はもともと悪魔なのだから、私が責任を負うことはないはず。
――見たくない、こんな顔。こんな顔させた私が悪い。
違う。違う。私は悪くない。私は何も悪くない。
「お願い……」
凛さんは私の体をきつく抱きしめました。肩が少し湿ってきました。
「私は止めなきゃいけない。こんなこと終わらせなきゃいけない。けど、シュワイヒナとは戦いたくない。わかるでしょ」
わかりますとも。
「でも、もう私はいっぱい殺しちゃったんです。もう戻れないんです」
私は生きててもいいのでしょうか。
その疑問が頭の中をぐるぐると回って、吐きそうな感覚がずっと押し寄せていました。
いいえ。私が生きてても良いような世界に作り変えるのが私のするべきことなのです。私は殺して、殺して、殺して、最後に幸せな世界を手に入れることができればそれでいいのです。
「凛さん。私の元に来てください。二人だけの世界を作りましょう」
「二人だけ、それもいいかもしれない」
凛さんは私の肩を掴んで、涙で腫れた目で見つめ、言いました。
「けれど、私は英雄にならなくちゃいけない。人を殺す悪魔にはならない。シュワイヒナ。あなただって、悪魔じゃないでしょ」
「違います。私は悪魔なんです。どれだけ凛さんが否定したとしても、私は悪魔なんです。これだけは違えようのない事実なんですよ」
「違う。シュワイヒナは悪魔じゃない。もうやめて」
「違います。私は凛さんのお仲間を皆殺しにしたんですよ」
凛さんは長く息を吐きました。
「けれど――」
「凛さん。私はこの世界の凛さん以外の人を全員殺します。その世界を作れば、凛さんもわかるでしょう。どれだけそれが素晴らしいことか」
「知ってる? シュワイヒナ。みんなみんな必死で生きてきたんだよ。足掻いて、もがいて、どれだけ苦しんでも、きっといつかは救われると信じて今まで生きてきたんだよ。それをあなたが奪っていいと思っているの? あなたが、希望をなくしてしまっていいと思ってるの?」
「はい。私の運命ですから」
「そんな運命、捨ててしまいなさいよ!」
「……捨てれるのなら、とっくの昔に捨ててましたよ」
「今、捨てれる」
「もう無理です。私がたくさんの人を殺したという事実は消えません。失われた命は元には戻らないんですよ」
「だから、失わないようにするんでしょうが。これ以上、犠牲者を増やさないで」
話は平行線をたどり、ちっとも進みやしません。
もういいや。
「凛さん、どうせ、凛さんが何を言おうとも、私の意思は変わりません。一年もしないうちに、この星の陸地に立っている人間なんて私と凛さん以外いなくなりますよ。凛さんも死んでしまうよりかは、私と一緒にいるほうがいいですよね。だから、無駄なことなんてやめて、私についてきてください」
それだけ言って、私は歩き始めました。しかし、私に続く足音は聞こえず、代わりに剣を引き抜く音がしました。
「何やってるんですか?」
「見たらわかるでしょ」
凛さんは銀色に輝く剣を引き抜き、自分の首へとあてがっていたのです。
「つまらないことはよしてください」
「つまらなくなんてないよ。ねえ、シュワイヒナ。私はね、もちろんシュワイヒナと一緒にいれればそれ以上の幸せはないと思っている。けれど、それは昔のシュワイヒナの場合だよ。それに、私は多数の幸せを奪ってまで、自分の幸せを手に入れようとは思わない」
「…………」
赤い線が凛さんの首から落ちていきました。
そうだ。凛さんは、人のために命を捨てることのできる人間でした。自分の存在価値もわからずに、ただただ周りの人間たちを生かそうとする。
英雄になるべくして世界へと放り出された人間の姿。
本気だ。凛さんは自分の命をもって私を止めようとしています。。
そんなこと意味なんてないのに。凛さんが死ねば、私は周りの人間の命をもって凛さんを蘇生させます。凛さんが死んでもそれはさらに犠牲者を増やすだけであって結果は何も変わりはしません。
――そんなこと重要じゃない。最愛の人が私のせいで死のうとしている。それを止めるべきだろう。
私は悪魔だから。悪魔に人間性など、ない。
――生き返るからって、元に戻せるからって壊していいわけじゃない。
わからない。私は、凛さんが嫌だと言っているのにそれでもなお人を殺すのか。なぜ、なんのために。人なんか殺して、何が良いんだ。何が満たされる。自分が強いことの証明か。自分が悪魔であることの証明か。自分が生きていることの証明か。
視界がぐらつく。まともに立っているだけで辛い。
心臓が自分の存在を主張するかのように何度も、何度も大きく早く響き続け、吐き気を催す。さらには呼吸までもが苦しくなっていく。
全部、全部私が生きているからだ。それこそが生の証明だった。
私を覆う闇が一瞬消えた。一秒もしないうちに戻ってくるものも、それを見た途端に私は恐怖で叫びだしそうになってしまった。
死にたくない。そのためにはこの力をこの身に宿し続けなくてはならない。だから、私は悪魔である必要があるのだ。
そう。私は自分が生きていくために人を殺すのだ。私にだって生きていく権利がある。
違う! 私は何人も何人も殺してきた。そして、これからも殺そうとしている。それは生きていくためではなく、ただ自分の望む世界を作りたいからだ。生きていくためじゃない。
ただの殺人鬼。そんな人間、生きていく価値などない。
違う! 楽しくて殺しているんじゃない。
違う! あの高揚感を思い出せ。あの神にも等しい力を手に入れ、他人を見下しているときの快楽を。あんな感情抱いていること自体、ただの悪魔だ。
違う! 何が違う。
違う! 私は私が分からない。もう何もわからない。
「死の雨。殺した人間のエネルギーから生命エネルギーを作り出し、人間を蘇生させる。それが、あなたの能力でしょ。私がここで死んでも私を生き返らせることができる。だから、止める必要なんてないんじゃないの?」
「……無理、無理ですよ。そんなの。私は凛さんの死ぬところなんて見たくありません」
「そ、うん、そうだよね」
足音が近づく。グラグラと揺れ、ぼやける視界に確かに影が映りこみ、少しずつ、少しずつ大きくなっていく。
「やっぱり、シュワイヒナは悪魔じゃないんだよ」
「でも――」
しかし、言葉は遮られ、気づけば私の唇には細く、また美しい指が当てられていました。たったそれだけで、頭の中にあった大量の泥は消え、曇った心に恒星の光が当てられていきます。
そして、頬には柔らかく温かい感触が。凛さんの掌が当てられ、そして、唇に当てられていた指はゆっくりと移動し、私の目の下をなぞりました。
「悪魔は涙を流さない、私はそう思うけどね」
「……」
「シュワイヒナだって見たことあるんでしょ、本当の悪魔。それが今のあなたみたいな姿してた? あの化け物たちには自我があるようには見えなかった」
「……」
「誰に何を言われたか知らないけど、シュワイヒナは絶対に悪魔じゃない。私が保証する」
本当は苦しいはずです。仲間を全員失い、私に対して怒っていても不思議ではありません。
それでも凛さんは私の瞳をまっすぐ見据え、微笑みかけてくれました。まるで、私の今までの行い全てを許すかのように。
「私……私、死ぬのが怖くて、死にたくなくて、だから、この力で殺して、殺して。死にたくなかったから。でも、そのうち……慣れていく自分が怖くて」
初めて殺人という最悪の罪を犯した時から、既に私の中の常識というのは壊れはじめ、次第に生へ執着するようになっていきました。人の命が簡単に消えてしまうことを知ってしまったから、人の命がまるで触れた途端に崩れてしまうガラスのように思えてしまったから、そのために近づく危険なものを排除するしかないと思うようになっていました。
あまりにあっけなく消えていく命を見る度、自分はそうはなりたくないと強く願うようになって、逆に自分は今生きているのだという快楽にも似た実感を覚えるようになって、そのうち何も信用できなくなって、周りのものを壊したいと願うようになっていました。
あの時から私は「闇覚醒」へと人を導く黒い心を育て続け、そして凛さんの死によって発現した私の力は、なるほど、確かに生へとしがみついているようなものです。
簡単に人の命は奪えるくせに自分の命は失わせない力はあの時、本当に私が望んでいた力でした。そして、それを望んでしまったことが、私を悪魔たらしめた本当の原因だったのです。
「大丈夫、もう大丈夫だから」
その彼女の言葉は私に闇の力を発現させた原因から発せられているにもかかわらず不思議な力がありました。本当に凛さんなら守ってくれそうだと心の底から思えました。
安心。
私の最も求めていた感情でした。
涙が拭われ、視界がはっきりしました。
「シュワイヒナ」
超至近距離で見る凛さんの顔はあまりにも美しく、破壊力は抜群で、この人が私のことを今この瞬間心の底から私のことを思ってくれることにより生み出される幸福感は計り知れないものがありました。
そして、感情がきれいに棚にしまわれていき、散らかっていた脳みそがきれいに整頓されていきます。さらに、そのことは私の体に変化をもたらしていきました。
黒い翼は消え、体中を覆っていた闇の紋様から闇が噴き出し、体は元の姿へと戻り、噴き出した闇は空中で消えていきます。
力が抜け、全能感は完全に消え去り、細く、弱い肉体だけがそこに残りました。
しかし、嫌な感じは全くしません。
空を覆っていた暗雲も消え、黒い雨もやみました。太陽が顔を覗かせはじめ、ほとんど廃墟と化した街に光が降り注いでいきます。
「凛さん、ちょっと寒いですね」
「そうだね。そんな格好だし。ほら、この上着貸す」
「ありがとうございます。これから、どうしましょうか」
世界をやり直したい。しかし、それができる力を持つ者すら私は殺してしまいました。
「大賢者」
「呼んだかね」
「は?」
凛さんの言葉に対し、一瞬で大賢者はそこに姿を現しました。
白髪に、長く白い髭を貯えており、その姿は完全に老人のそれでした。が、その存在感は今まで出会ったどんな相手よりも圧倒的なもので、信じられないほどの力を持っているのだろうと予測することができます。
「ようやく、シュワイヒナが正しい道へと進み始めたようでわしも満足じゃ。試練は合格じゃの」
「えっ……」
「悪魔の力をその身に宿し、操れたもの。その素質は間違いなく、簡単に生れ出るものではない。つまり、シュワイヒナ・シュワナ、おぬしが悪魔ではなくなった途端に、おぬしに世界の全ては託されるのじゃ」
「何が何だかよくわからないけど、あのオオカミの言っていたことは間違いないわけね」
「オオカミ……?」
「こっちの話。まあこれでとりあえずはひと段落」
「そうじゃの。ま、全部なかったことになるんじゃがな」
「なかったことって……、まさか、大賢者は最初からこうなるよう予期していたってことですか?」
「どうせおぬしがそう長くはもたぬことはわかっておったからなあ。世界を正しい方向に、そして、本当の人が苦しまぬような世界を作るためにはこの方法をとって、わしの力を使うしかないからの」
「んな、無茶苦茶な」
「私にもさっぱり何言っているかわからない」
「安心せい。シュワイヒナ。おぬしの記憶とわしの記憶だけは引き継がれる」
「もう何がなんだか。時間が巻き戻って、その記憶を有するのがあなたとシュワイヒナだけってこと?」
「そうじゃの」
「頭痛い。じゃあ、あなたに教えてもらった記憶も私は引き継がないのね」
「そうじゃの」
「ふーん」
「教えてもらった記憶って……なんですか?」
「それもこっちの話。いつか、話すよ。きっと」
「隠し事しないでくださいよ」
「無理。ま、そんなことはどうでもいいからさ、ちゃんと頑張ってね。いつか、また会えるって……ううん。迎えに行くから」
「凛さん……」
迎えに行くのは私なんでしょうけど。
「さあ、シュワイヒナ・シュワナ。時間を巻き戻すぞ」
本当は凛さんとずっと一緒にいたいです。けれど、私の破壊活動をなかったことにできるのならば、私はこの時間を捨て、そして、次の世界では胸を張って凛さんと再会できるようにしなければなりません。
凛さんに救われたのですから、今度は私の番なのです。
「思い出の中に私はある、あの日は程遠く」
瞬間、世界は光に包まれました。




