第三十四話 悪魔
計り知れない恐怖を感じているであろう天上さんは、しかし、それでも、剣を持ち、構えていました。
「既に決着はついている!」
そう天上さんが叫んだ瞬間、全身に違和感を感じました。
それもそのはず。自らの身体を見れば、四肢および、首を切断されていました。しかも、自分の脳みそがしたたり落ちるのすら確認することができます。
反応することすらできませんでした。それはすなわち、音速などとは比べ物にならないほどのスピードで動かれていることになります――が、切られた感触すら存在せず、衝撃波も発生しなかったのを鑑みると、その固有スキルがなんなのかが見えてきます。
時間を止める能力。
体が繋がっていきました。その間はわずか一秒にすら満たず、当然そもそもはそんなに速く動けるわけではない天上さんが追撃できません。
まあ、もちろん追撃できたところで意味はないんですけど。
「なっ……どうなってんだよ……。首落とせば死ぬんじゃねえのかよ!」
「私は死にませんよ」
能力もわかりましたし、もう怖いものはありません。この辺りに心配しないといけない仲間もいませんからね。
「じゃあ、時間かけても仕方ないですし、それではお二人とも、さようなら」
手を真上に上げました。勝ちを確信した私の今の気持ちなんて想像に難くないでしょう?
「死の雨」
真っ黒な雨が白い吹雪に塗れながら静かに降り始めました。それらの範囲はおおよそ半径百メートル。限界まで広げた状態のそれが彼らを覆うのは当然です。
「なんだ……これ」
上を見上げ、何が起こるのか、どう対処するのかを真剣に見極めようとしている天上さんの姿は隙だらけでした。
そして、雨は地面へと達していきます。
瞬間、私の真後ろで悲鳴が聞こえました。それに反応して、私が振り向くよりも先に天上さんが
「美月!」
と叫びます。
見れば、彼女の体は死の雨の効果を受け、消え始めていました。
「嫌! 嫌!」
そう単調に叫ぶしかない彼女の側に、天上さんは駆け寄り、彼女の心配をします。
「もう手遅れですよ。ていうか、あなたは効かないんですね」
死の雨の条件である「自分よりもレベルが低いこと」を満たしていないんでしょう。
まあ、それはそれで普通に殺せばいいだけですので。
「手遅れってどういうことだよ!」
「だから、そのままの意味ですよ。この雨に触れて、そうなった時点でその人は死ぬことが確定するんですよ」
「な……んだと」
「翔真……翔真!」
耳が痛みました。随分と甲高い叫び声です。
「俺がなんとか……俺がなんとかしなきゃ……」
口調すら変わり、相当焦っているようです。しかし、現実は彼らにとってあまりにも残酷で、ついに美月さんの姿は消えてなくなってしまいました。
「あ……あ……あ!」
黒と白が入り交ざる雨の中で、まるで時間でも止まってしまったかのように翔真さんは全く動かなくなってしまいました。
吹雪はさらに強まり、寒さも強まってきました。
その中で。
「あああああーーーーーー!」
長い長い絶叫が響き渡りました。そして、ついに天上さんは立ち上がります。
背中に積もっていた雪が落ち、すぐにまた積もり始めました。
「美月を、美月を返せ!」
がむしゃらに走り始めた天上さんの目はもう正気ではありません。これを殺すなど、一般人を殺すのともう何も変わりないでしょう。
闇が天上さんを飲み込みました。ただそれだけでその命はテールイのための命へと代えられるはず。
なのに、
「……は?」
闇は、弾き飛ばされました。まるで、それが自然と天上さんの身体に反射したかのように。
「許さない。許さない許さない許さない!」
瞬間、天上さんの体からは闇が噴き出し、彼の体を纏っていきました。
顔に、手に、闇の紋章が浮き出ていきます。
雰囲気は一瞬で禍々しいものへと様変わりし、元々あった優しそうなイメージを消してしまいます。
そう、闇覚醒が目の前で起こっていました。
「ぐあああん!」
私のそれとは違い、彼は完全に正気を失っていました。
こんなの獣を相手にするのと同じ。
私は跳びかかる敵の攻撃を真上に跳ぶことにより避け、さらに真下に来た相手へと闇を放出しました。が、やはり、闇は弾き飛ばされます。
なんでも飲み込むはずの闇なのに、同族は飲み込めないということでしょうか。
しかし、彼は私に向かって闇を噴き出すこともせず、魔法も使わず、固有スキルすら使用する素振りを見せません。
ただただ突っ込んでくるだけ。
「なめてるんですか……!」
それともそんなこともできない能無しなんでしょうかね。
首を落としましょう。
剣を抜きました。そして、また同じように突っ込んでくる敵に対して構えます。
動きは完全に読めますし、私のように回復系の能力を持っているわけでもありませんから、首を落とせば死ぬはずです。
という思考をしたとき、ふと気になりました。
時間を止める能力が闇覚醒化したとき、どんな能力になるのでしょうか。
考えてしまいました。
瞬間、敵は猛スピードで走り始めました。肉体強化を強引に使って、限界まで身体能力を高めているように見えます。
考え事などしていた私にそれに反応できる時間などあるはずもなく、私の体はまっすぐ吹き飛ばされ、岩に激突しました。
しかし、それは同時にチャンスでもありました。なぜなら、相手の体は私の目の前にあり、既に間合いに入っていたからです。
勝った。
確信し、剣を振るった時、私の先ほどの思考がもう一度蘇りました。
今の、彼の能力は何?
剣が彼の首を吹き飛ばす直前、彼の口からは確かに言葉が発せられました。
「もう一度、始めよう」
あまりにはっきりした言葉に驚き、そして、その手に確かな手ごたえを感じた瞬間――
「お前ら、本当に行くんだな」
と男が話しかけてきました。
時間は朝。テントの中には未だ眠っているモイメさんと、そして、既に準備を始めていたテールイの姿がありました。
「ん? どうしたんだ?」
ついついぼーっとしてしまった私に男はそう言いました。
「い、いえ……」
そう生半可な返事をして、私はその場を後にしました。
夢、ではありません。間違いなく時間が巻き戻っています。
おそらく、闇覚醒した天上さんの能力でしょう。
いろいろ考えてみますと、この結果は悪いものではありません。むしろ、とてもいい方向に転がっています。
というのも、まず、私は天上さんの能力を知ることができました。そして、上の方で普通では登れないような場所があることも。さらには、高い方へと行けば行くほど、苦しい思いをしないといけなくなることもわかりました。
とりあえず、テントに戻って。
「ねえ、テールイ。例えばの話だけど、垂直な壁があったとき、どうやって登ったらいいと思う?」
「そうですね。全速力で駆け上がるとか」
「そんなことできるの、テールイだけだよ」
「じゃあ、ナイフみたいな刃物使って、その壁を刺しながら、そのナイフを支点にして登るのはどうでしょうか」
「たかだかナイフ一本で体重なんか支えられるの?」
「それは……。もう私にはわかりません」
「まあ、普通そうだよね」
「モイメさんにでも聞いたらどうですか? ていうかなんでそんなことを?」
「いや……。それとは別にさ。テールイ。死にたいの?」
「えっ?」
テールイと言葉を交わすたび、テールイの顔を見るたび、「解放される」という発言が脳裏をちらついて仕方がなかったのです。
「死にたいんでしょ」
まっすぐ彼女の瞳を見つめ、そして――
「はあ」
テールイは静かにため息をつきました。
「なんで?」
そう、テールイは呟くように言いました。その言葉はどこか冷え切っていて、私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと察しました。
テールイは適当な場所に腰かけて、私の目を見ずに、言いました。
「悪魔化、進行してますよね」
「……」
「今度は足に紋様が出ていますよ。気づきませんでしたか?」
時が戻ったのに、私の変化は戻っていませんでした。そのことに、私は全く気付かなかったのに、テールイは気づいたのです。
優しく、そして刺すような声は続けます。
「また、私の知らないところで戦ったんですね。……いえ、今のシュワイヒナさん。シュワイヒナさんじゃありませんよね。そうですね……まるで、しばらく違う世界にいたかのような別の世界のシュワイヒナさん、って感じですね。時でも遡ってきたんですか?」
なんで、わかったんですか? その質問を遮るようにテールイはまだまだ続けます。
「当たりみたいですね。またなにかの固有スキルですか。変なの持ってる人もいるもんですね。で、そいつと戦って、私が死んだんですか? それで私が変なこと口走っちゃったから、そんなこと聞いてきたんですよね。ええ、そうでしょうね。でないと、鈍感で、自分しか見えていないシュワイヒナさんにわかるわけありませんもの。顔色一つ変えないんですね。そうでしょうとも。ええ、ええわかっていますよ。シュワイヒナさんのことならなんでもわかりますよ。今、何を思っているのかも。今、誰を想っているのかも。それに……、私のことをどう思っているかも。わかるんですよ。あなた、とってもわかりやすいから」
泣き出しもしません。そのうえ、虚ろな目でこんなことを言うものですから、時間が巻き戻ったときよりも、私は唖然としていました。
言葉は止まりません。
「地獄ですよ。こんなの。人の気持ちなんてわからないほうがいいんです。そう、わからなければ、私がこんな風になることもなかったでしょうし、ずっとずっと希望的観測を抱き続けて、旅を終えられたんですから。突然、終わりが来て、泣きじゃくって、しばらく病んで、それから立ち直って独りで生きていく。そんな風に過ごせた方がまだ楽ですよ。こうやって、ただただ疲れる旅に付き合ってるよりかは。はいはい、わかっていますよ。私が言い出したことだって。私がシュワイヒナさんと旅をしたいって願ったんだって。そうですよ。だって、私はあの時はまだ希望があると思っていましたから。でも、どこかでおかしくなって。どこかで振り向かないなってなって。私がどれだけ頑張っても絶対に届かない世界も見えてきて。シュワイヒナさんが戦う度、どんどん悪魔になっていって。私が苦しむだけならまだいいんですよ。でも、悪魔になっていくシュワイヒナさんなんて見てられないんですよ。わかりますよね」
何も言えませんでした。私にできることは何もありませんでした。
「死にたくもなりますよ。だって、生きている価値ないですもの。こんなの、いつまで続ければいいんですか。だって、神も、悪魔も、魔王も、ドラゴンも、賢者も私の世界にはいないんですよ。神に祈ったり、悪魔を恐れたり、そんなこと普通の人でもあるかもしれませんけど、実際にそれらと関わることなんてまずありえませんし、ましてやそれらと戦うだなんてありえないんですよ。確かに、この十四年間は地獄みたいな日々でした。親を気持ち悪い奴に殺されて、三年間、逃げ続けて、そして、黒く、白い美しい人に救われた。その人すら、悪魔なんですから、これを地獄と言わずして何と呼びましょうか。つくづくついてませんよ」
と、突然、テールイは私のほうを向いて、笑いました。
「びっくりしますか? 私、まだ笑えるんですよ。なんだか、おかしくってですね。全部、全部、全部。だから、シュワイヒナさん」
まっすぐ私の目を見つめる彼女の瞳は不気味なほど輝いていました。まるで、今から救われることを確信しているかのように。
「本能覚醒」
ゼロ距離。瞬間、鋭い痛みが体を貫きました。
「選んでください。今から、死ぬか、私を殺すか」
長く伸びた爪が私の体に突き刺さっていました。口からあふれ出た血が、テールイの顔を汚します。
そして、その一撃は十分に、命を奪えるほどで、自然と、悪魔の力が発動しました。
「自分勝手ですよね。分かっていますよ。でも、シュワイヒナさんのその姿を見ながら、死ねたら幸せだなって思うんですよ。私が最初に見惚れた、私の世界で一番好きな姿なんですから」
そう言って、微笑む彼女の顔に狂気の姿なんてありませんでした。これが、彼女の心から願っていたことなのだと。
けれど、
「テールイ。私はあなたを殺せません」
そう言って、きつくきつく彼女の体を抱きしめました。
「やめて……いや……」
爪が私の体の中をかき回して、かき回して、何度も何度も私の命を奪っていきます。
「私、悪魔ですから、そんな願いも叶えられないんですよ」
あなたを殺してしまえば、私はもう戻れなくなるってわかっていましたから。




