第三十三話 登山
ついに竜王山登山が始まりました。とりあえず、初日は二千メートル地点まで。馬は麓の村に放置して、私たちはとりあえず、安全地帯の前で止まりました。馬を放置してきたがために、荷物はとても多く、かなり体が重く感じます。さらにはこの地点までは来る人もかなりいたので、登山ルートをほかの人を待ちつつ、ゆっくりと登っていったために、一千五百メートル登るのに丸一日を要してしまいました。
そこで小さなテント――麓で優しい人がくれました、どうも転移してきた人間が作ったのだとか――を立てて、私たちは一夜を過ごしました。
そして、朝ごはんを済ませると、
「お前ら、本当に行くんだな」
と話しかけてきた男たちがいました。昨日、私と天上さんで賭けをしていた人たちです。ちなみにその天上さんは昨日のあのあと、既に出発し、上まで行っています。
「はい」
「お前らみたいな若い女たちが行っていいところじゃねえ。お前らには未来があるんだぞ」
「行かなきゃ未来がないんですよ」
あなたも含めて。
それを聞いて首を傾げた男たちに背を向け、歩き始めました。
やはり、勾配は急で、とても人間が登れる場所じゃないということが嫌でもわかりはじめてきました。当然、道などありませんから、ほとんど岩しかない場所を登っていくことになります。テールイの「本能覚醒」により、強化された彼女の力を借りながら、進まなければならない場面が多々ありました。当然、それらは全て、彼女の申し出で行ったことですが。
私やテールイはまだいいのですが、モイメさんはなかなか進めず、それが時間のかかる最も大きな要因となっています。
さらには気温も下がっていき、頭は痛いし、手は凍えるわで状況はどんどん厳しくなっていました。
結局、一日目は四千メートル地点まで登ったところで、テントを張ることになりました。
そして、私たちは本当に恐ろしいのはここからだと思い知ることになるのです。
目を覚ましたのは騒音によるものでした。テールイは同じように目を覚ましていますが、モイメさんはというとまだ寝ています。
テントの外に――出れませんでした。それはそう、騒音の正体に気づいたからです。
ゴーゴー。
そして、急激に下がっていくあたりの気温。テントは揺れていました。
吹雪。
それが真夜中に起こっていたのです。
結局ほとんど眠れず、私たちは次の日も出発しました。しかし、激しく変わる天候の前では進み続けることは命の危険に直結し、停滞を繰り返しながら進んでいくことになります。
特にモイメさんの身に起こっていることは大きな問題でした。
彼女が言うには、吐き気はするし、まっすぐ歩くことも難しいというのです。
正直なところ、モイメさんはついてくるべきではありませんでした。もっと言えば、テールイも。
私一人ならば、なんせ死なない闇覚醒の力があるのですから、時間はわからずとも、確実に登頂できるはずなのです。
だから、モイメさんは率直に言えば、邪魔なのです。
「モイメさんは降りませんか?」
そう尋ねると、
「いや……私は行かなきゃ」
とまっすぐな目をして言うのです。こう言われると、私としても、無理に降ろさなきゃとは思わなくなってきます。
しかし、高度四千五百メートル地点に達した時点で、ついにモイメさんは倒れてしまいました。
「あ……あ……」
声を途切れ途切れにしか出すことができないようで、それが限界状態であることははっきりと見て取れます。
そして、同じように私もテールイも体調が急速に悪化していました。
もちろん、いつもなら問題ないと言って、そのまま進むところですが、ここはまだ全体の半分なのです。
呼吸は高度が上がるにつれて、苦しくなっていっています。このまま、私たちが問題なく進むにはどこかで順応しなければなりません。
これらの点から、一旦、私たちは下山することにしました。
下るのは簡単で、一日もかかりません。テールイの力はどっちかというとこちらのほうが便利です。
そして、麓の村につき、モイメさんを村の優しそうな夫婦に頼んで――そこそこの金額を払いました――、私とテールイはもう一度出発しました。
ここまでで既に四日が経過していました。
「時間かかってますね」
「うん」
久しぶりにテールイと二人っきり。テールイは随分と嬉しそうで、前よりかは幾分か明るくなっています。明るい人と一緒にいると、それだけで気分はよくなりますが、それは、繰り返す吹雪によりたまっていくストレスとで相殺され、結局ほとんど無感情で私は登り続けていました。
「しっかし、本当に寒いですね」
「うん」
そう私たちが会話しているのは魔獣の死体の近く。いつか遭遇した魔獣と比べると弱く、闇覚醒を使わずとも、倒すことができました。ここは高さ三千メートルで、四千メートルより上はさらに寒さが厳しかったので、その対策に服を作っているのです。
あとは普通に、上が吹雪で進めません。
本当に、天気がめまぐるしく変わって、安定しません。吹雪が来そうだなと思ったらすぐに風を避けれそうな場所にテントを張って待機する。この行動もいい加減疲れてきました。
「収まったみたいですし、行きますか」
獣臭い毛皮を纏って、歩き始めました。
吐く息は白く、また、酸素が薄い。しかし、最初よりは慣れてきて、速いペースで進むことができています。そして、五千メートルまで達したところで、私たちはとんでもないものを見ました。
「これ……どうやって登るんですか?」
テールイが発したその疑問は私が思っていたことと全く同じでした。
それもそのはず。おそらく百人の人が見れば百人が同じようにそう思うでしょう。
壁、でした。何かの隠喩などではなく、本当に壁だったのです。
無理に登ろうとすれば、それこそ魔法で攻撃されているのではないかと錯覚するほどの強風で体は揺らされ、安定せず、落下してしまう恐れもあります。
いえ、それ以前に、その無理に登ろうとする方法すらわかりません。
しょうがないので、私たちはそこから、ぐるっと回って、どこか登れそうな場所を探すことにしました。
そして、五、六時間ほど歩きましたが、そんな場所、少しも見当たりません。しかも、最悪の遭遇を果たしてしまいました。
「天上……さん」
天上翔真さんと美月さんが、私たちと同じように困り果てて、立ち止まっていたのです。
それはつまり、私たちよりもずっと早くこの辺りに到達していたにも関わらず、彼らはこの壁を登れずに困り果てていたことを指しています。
「君たちもここで止まってたんだ」
「はい。あなたたちも、なんですね」
とテールイが受け答えます。
「うん。ほんっと、どうしたもんかな。これも『試練』の一つなのかな」
「でも、翔真あ。大賢者様はこの上にいるんでしょ。ってことは何か登る方法あるんでしょ」
「けどなあ。とりあえず、他の問題から片付けるか」
そう言ってから、翔真さんは私たちのほうを向きました。
「ねえ、ここってさあ。大賢者様を除けば、前人未到なんだよね。ってことはここで起こることなんて大賢者様を除けば誰もわかんないんだ」
「シュワイヒナさん。下がってください。殺意を感じます」
ゴーゴーと、風がどんどん強まっていました。その音だけが一瞬の静寂すら与えてくれません。
そして、翔真さんは続けます。
「それに大賢者様もこれは許してくれるはずだ。だって、神様の御意向なんだから」
剣を抜きました。
胸がざわつきました。息が止まりそうになります。それから、鼓動が早くなり、手の先が震えてきました。今から、絶対に起こってはならないことが起きてしまいそうな気がしたのです。
まずい。この相手は本物の強者だ。
そう直感的に感じました。
「本能覚醒」
「アブゾーブユー」
美月さんとテールイの言葉は同時に発せられ、その場は異様な雰囲気に包まれました。
特にテールイの発していた殺気は今までのそれとはまるで違います。その殺気だけで人を殺してしまうようなものでした。
その殺気を前にしてもなお、翔真さんは満面の笑みを浮かべ、立っていました。
刹那。
勝負が決まる。
「既に決着はついている」
地面が勢いよく蹴られるのと、翔真さんが言葉を発したのはほぼ同時。
人間には出せない速度で飛び出したテールイの攻撃を避けられるはずはありません。どのような形で、テールイが翔真さんを始末するかはわかりませんが、明らかにテールイが勝利するはずでした。
なのに、
「は……?」
私の体に、激痛が走りました。まるで、一瞬で命を刈り取られたかのような錯覚すら覚えました。
わけがわからない。
それもそのはず、私の首に翔真さんの剣が刺さっていたのです。
瞬きの暇とかそういう次元の話ではありませんでした。時間という概念を超越したかのようにすら感じます。
剣は抜かれ、私の首から激しく血が噴き出しました。
白く染まった足元が赤く彩られていきます。
翔真さんは美月さんの元へと戻りました。そうすると、私の視界にはまた先ほどの光景が映るわけで。
「――――」
ひゅーひゅーと喉から空気が発せられ、言葉を発することなどできやしませんでした。
いえ、原因はそれだけではありません。目の前の景色が信じられなかったのです。
獣の耳を生やし、大きな尻尾を持つ獣人が、倒れて行く姿でした。
闇覚醒。
「なっ……」
勝手に発動したその力により、痛みは消え去り、驚く敵を無視して、私はテールイの元へと駆け寄りました。
「テールイ! テールイ!」
彼女の体を抱きかかえると、すぐに、胸にできた傷跡が目に入りました。剣により、心臓を刺されていたのです。
「あ……」
ほとんど虫の息の彼女は私の姿を見ると、
「よ……うやく……解放……される」
そう嬉しそうに、微笑み、瞼をゆっくりと閉じました。
「駄目! 逝かないで!」
回復魔法をかけようとするも、自分だけのための悪魔の力ではそんなことできません。
動かない彼女の体が少しだけ軽くなったような気がしました。
絶叫。
「解放されるって……なんなの! 駄目だって、逝かないで。逝かないで! 約束、したんだから!」
気が狂ったみたいに叫ぶ私でしたが、内心は落ち着いていました。
だって、私には『死の雨』があるんですから。死者を他者の命をもって復活させる力があるのですから。
しかも、私の目の前には二人の活きのいい人たちがいます。こいつらの命を使えば、テールイを復活させることなんて容易いでしょう。
解放される、ですか。まだ、テールイには生き残ってもらわないといけませんから。私は、テールイを守ると約束したのですから。
少し強迫観念のような力が私に働いていました。
そして、ようやく私は気づいたのです。
自分に思いを寄せ、そして、長い間ずっと一緒にいた大切な「仲間」が死んだにも拘わらず少しも悲しんでいない自分がいることに。
ただただ、約束したことだけ果たそうとしている自分がいることに。
私は人ならざる者になるのではなく、既に人とは呼べなかったんだと。
おそらく、私は凛さんが死んだ時しかもう悲しむことはできないのでしょう。
けれど、それでもいいと思いました。私にとって、本当に大切なのは凛さん一人でいいと。
「お前、なんで死なねえんだ。おかしいだろ!」
「残念ですね」
いつからでしょうか。私が人の命を奪うのに抵抗がなくなってしまたのは。
気にすることではありません。所詮、命なんてすぐに消えてなくなったしまうものなのですから。
私以外は。
「私は死にませんよ。そして、あなたたちよりも確実に強い。相手にもなりませんよ」
続けます。
「テールイは死にました。天上翔真さん、あなたが殺したんです。ということは、あなたとお仲間の美月さんに責任を取ってもらわないといけません」
「何言って……」
「わからないでしょうね。私があなたたちの固有スキルがわからずに、テールイを死なせてしまったのと同じように」
おそらく、二人が震えているのは単に寒さのためだけではないでしょう。
始めましょうか。
「今から、あなたたちを殺し、その命をもって、テールイを蘇生させます。覚悟、できましたか?」




