第三十二話 到着
エゴエスアを出発してから、既に一か月以上が経過し、来る一月二十一日。そう私の誕生日です。
ついに、私も十八になりました。いやはや時の過ぎるのは早いもので、凛さんと出会ってからは一年以上、リデビュ島を最初に出発してからはもう半年が経過したことになります。
しかし、旅の経路で迎えた誕生日は良いものではありませんでした。
理由一つ目。
いつもの私の誕生日は寒いものでしたが、今、私たちがいる場所は暑くも寒くもなく、それが誕生日が来たんだなという実感を消しています。
とはいっても、そんなことは些細なことで、本当に大事な方は理由二つ目に。
というわけで理由二つ目。
ずっと馬車の中の雰囲気が悪いのです。あの暗い山脈を抜けてもう一週間は経ったような気がしますが、あそこで神の使者を名乗る獣と戦い、私の悪魔化が進行していることがばれてしまった後、テールイは私の言うことに対してもどこかぼやけたような返答ばかりしていますし、しかも、一日のほとんどを寝ぼけたような顔をして過ごしています。
それにより発せられている負のオーラはすさまじく、こちらも嫌な気分になってしまいます。
モイメさんも随分と疲れているみたいで、最初の元気よさは失われ、ついには黙りこくってしまいました。
テールイはちょうど私が凛さんに命を大事にしてほしいと思っていたように、私に命を大事にしてほしいと思っているのかもしれませんが、闇覚醒の力を使わなければ生き残れないのは間違いない話ですし、悪魔化も部分的にしか進行しておらず、まだ後戻りはできると信じておきたいものです。
どうやって戻るかはわかりませんが。
手、顔、テールイの話によれば背中も。
発現する紋様が残っているという話です。背中やら顔やらの紋様は自分で見るものでもないので、どんなものかはわかりませんが、手に限った話をすれば、こうやってまじまじと見てみると、自分で言うのもなんですが、とても美しく見えます。
黒い鳥。
今にも飛び出しそうでした。本当にそうなる日は来るのでしょうか。
「今日、私、誕生日なんですよ!」
あまりに暗い感じなので話題を振ろうと、そう言ってみました。すると、モイメさんが
「へえそうなんだ! いくつになるの?」
「十八ですね」
「えっ!」
と随分と驚いたような声を上げました。
「私、十三くらいだと思ってた。私よりも年下かと」
「私が小さいのは見た目だけですからね」
「本当にー?」
「本当です!」
と話してみても、テールイはずっとそっぽを向いて、話しに入ってこようともしません。
しょうがないので、
「テールイは誕生日、いつなの?」
と尋ねると、
「えっ……あっ……確か八月の二十とかだった気がします」
「ていうかテールイはいくつなの?」
とモイメさん。
「十四です」
「えっ、私の一個下じゃん」
「そうなんですか」
「そうそう、私は十五だよ。誕生日は知らないけど」
その一言で微妙な空気が流れました。
「あ、ごめんね。気にしないで」
大賢者様の正体を解き明かしたい。そう願って、私たちとともに竜王山へと向かっているモイメさんですが、はっきり言って、私はそれだけが彼女の願いではないと思っています。じゃあなんだと言われれば答えることはできませんが、全てを捨てて竜王山へ向かうなんてよっぽどの思いがなければできないことです。そこでどんな暮らしができるかなんて全く想像できません・
一体、何がそんなに彼女を突き動かしているのでしょうか。
それとも、何も彼女を突き動かしてなどおらず、神による現実介入か。
後者が十分あり得る話である以上、もう何も信じられないような気がするので、その可能性を排除したい気もします。
わかんないんですけど!!
「ていうか誕生日なら誕生パーティしようよ!」
とモイメさんが話を切り替えたさそうにそう言いました。
「パーティって何するんですか?」
「パーティと思えばパーティなんだよ」
「意味が分かりません」
「私もわからない」
「あなたが言ったんでしょう」
「てへっ!」
ポーズを決めるモイメさんの様子は失礼ですが滑稽そのものでした。思わず吹き出し、笑い声を立ててしまいましたが、それと同時にテールイも笑っていました。
それを見たモイメさんが恥ずかしそうにしながらも満足そうに笑いました。
そのテールイを見つめる視線は柔らかく、どこか姉のような雰囲気さえあります。そこでようやく私はモイメさんが本気でテールイのことを気にかけていたことに気づいたのです。
さて、それからさらに一か月半が経ち、私たちは二つ目の難所へと入っていました。ここは抜けるのに一か月がかかります。また、ここを抜ければほとんど竜王山へ到着したことになり、そこを登ることが第三の難所になるので、ここからは厳しい旅路になることが予想されます
で、なんでここから先が難所かというと、それはずばり、戦争が起こっているのです。
また戦争かって感じですけど、まあ大陸の竜王山よりも西は随分と情勢が不安定なようなので、しょうがないと割り切るほかありませんが、規模が桁違いなのです。
確かにレベリアとヴァルキリアの戦争は大国間同士の戦争ではありましたが、魔獣の巣食う森がある時点でレベリアは首都に攻め込まれる心配はなく、また、向こう側にある街の兵力のみを使っていましたから、あの部分的な場所を抜ければ安全でした。
しかし、今度の場所では二つの国による激しい戦闘が連日行われており、戦況は膠着状態。さらには周辺小国まで巻き込んで、そこら中で戦闘が起こっているというわけです。
安全地帯なんてほとんどないようで、距離にすれば大したことありませんが、戦闘地帯を避けながら、あちらこちらで停滞し、進むことになるので、時間がかかるのです。
ようやく、私たちの提示している条件を無視して、護衛を頼みに来た者たちの考えていたことがわかりました。戦闘中の場所にいつまでもいたいわけありませんからね。
長い停滞に鬱憤がたまり、またもや私たちは微妙な空気に包まれていました。たまに笑顔がこぼれることはあっても、それがずっと続くこともありませんし、テールイに至っては時々涙を無意識のうちに流しています。
どうやら戦争で人々が傷つけられているのを見ると、悲しくなってしまうようです。優しい人ですね。
しかし、それと言って何かが起こることもなく、私たちは戦争地帯を通過しました。
それからさらに一週間。
私たちはついに竜王山ふもとの村へとたどり着いたのです。
見上げても、一番上は雲の向こうに隠れ、全く見えず、まるで世界の一番端のように思えてきます。今からこれを登るのかと思うと、気が滅入りますが、一番上には大賢者と竜王がいるという話ですから、行かないわけにはいきません。
さて、村は戦時中の国が近くにあるとは思えないほど、活気にあふれていました。というのも、推測の人口を遥かに超えた数の人々があちらこちらでせわしなく支度をしていたのです。
みな屈強な男で中には女の人も数人いましたが、女だけのグループは一つもありません。
これらの人々はこの辺りで採れるという珍しい植物や、動物の肉などを採りに来た者たちでしょうか。それとも、竜王山頂上を目指す者たちでしょうか。
どちらにしろあまり関わらないほうがよさそうですね。
そう思っていましたら、向こうから話しかけてきました。
男が一人と女が一人の二人組です。どちらもとても若く、美男美女のお似合いカップルという雰囲
気でした。私たちと同じようにこの中では明らかに浮いています。
「ん? 銀髪に黒……」
私のほうを向いて、そう声を発し首を傾げました。それから、私たちの元へとやってきます。
「君、シュワイヒナ・シュワナだよね」
「そうですけど」
そう答えると男はびっくりするくらい爽やかな笑みを見せました。正直、気持ち悪いくらいです。
うがった見方をしなければその表情に裏表などは見えず、信頼に値する人間だと思えるのですが、逆に裏表があるようにも見えるのです。
すると、
「シュワイヒナさんに何をするつもりなんですか?」
そうテールイが私と男の間に立ちはだかって言いました。男はさも心外だという風に
「別に何をするつもりも――」
「嘘ですよね」
そう否定しようとした男の言葉をテールイはばっさりと切り捨てました。
「その右手。明らかに剣をつかもうとしていました。しかも、あなたからはただならぬ殺意を感じます」
その場の異様な雰囲気に周りの人も集まってきました。
「テールイ、場所を変えましょう」
村の外れ。誰もいない場所に私とテールイ、そしてモイメさんに例の男女、その五人で集まってきました。
「で、私に何の用があるんですか?」
「ふん。わかったよ。話そうか。僕の名前は天上翔真。こっちは美月だ。他の世界から来たから転移者ということになるのかな。よろしく」
そう言って、彼は手を差し伸べてきました。その手を取ろうとすると、
「待ってください」
そう言って、私の手はテールイの手によって払いのけられました。
「ダメですよ。そんな簡単に手なんて出したら」
そう言って、天上さんに向き合って、
「あなたみたいな人と仲良くする気はありません。せめて、なんでそんなにシュワイヒナさんを殺したがってるか話をしてもらわないと」
「まあいいや。神に、殺せと言われてるんだ。僕はこの世界でもトップクラスの実力を持ってるから、化け物も殺せると」
「神が……」
そう聞くと、テールイは途端に下を向いて、泣き出しそうな顔をしました。けれど、それを振り払ったように、また前を向くと、
「とりあえず、あなたたちはもう私たちに近寄らないでください」
そう言い切りました。
「わかったよ。うん。ただ一つだけ言うと、君たちも竜王山の頂上を目指すんだよね。だったらそこでまた会うことになるよ」
そう言って、天上さんは美月さんを連れて、立ち去っていきました。
また、凛さんと同じほかの世界から来た人間。そして、神から私を殺せと言われていた。
遂に神は世界トップクラスの実力を持つという転移者の力を使って、私を抹殺しようと動き始めたということですね。
さすがに闇覚醒なしに対抗するのは不可能ですが、闇覚醒を使えば使うほど、悪魔化は進んでいきます。
面倒くさい。
相手の手の内もわかりませんし、相手がいつ襲ってくるかもわかりません。しかも、今殺しに来ないというのも何かを考えているような気がしてきます。
しかも、テールイはますます精神的なダメージを負ってきています。
はたまた困ったものです。戦いを避けることなんてできるわけありませんし、かといって、テールイを守ると宣言した以上、私としては彼女が帰らぬ人になってしまう事態は避けたいのです。不都合なことにテールイは圧倒的な俊足を持っていますので、戦闘中に乱入されて、そのまま死んでしまうということが起こる可能性があるのです。
果たしてどうしたものでしょうか。
「お、どっちも生きてんじゃねえか」
「じゃあぷらまいなしで」
「ちっくしょー!」
そんな声すら飛び交う村にまた戻ってきて、私たちは宿を探すことすら諦め、村の外れで馬車の中で眠ることにしました。
「やっぱりいないんだね」
モイメさんがため息をついて、ぼそりとそう言葉を吐きました。
三十ほどのカップルなんて村には全くいませんでした。しかも、聞いた話によると山は大量の魔獣がいて、とても一般人には登れないということです。
なんなら、竜王山の頂上を目指していたのは私たちと天上さんたちだけだったようです。
過去に何人も頂上を目指したが、一人も帰ってこなかった。そのために、二千メートルを超えてさらに先の場所の情報は何もない。
そのエピソードだけでこれから私たちがしようとしていることがどんなに大変なことかがわかります。モイメさんの両親は固有スキルなど持っていなかったそうですから、やはりここには確実にいません。
「別に最初からわかっていたことだもん。うん。とにかく、大賢者の姿だけでも見なきゃ」
彼女の瞳は何かに憑りつかれたみたいにぎらぎらと光っていました。
もう私はこの車内にいる人間の気持ちが少しもわかりません。
この状態が早く終わればいいと、早くこの人たちと別れて、凛さんと二人きりになりたいと、心の底から思ってしまいました。
 




