第三十話 暗闇
何もなかった。
そのまま、旅は再開される。
今回は馬を操る人はいないので、私とシュワイヒナさんとモイメさんの交代ですることになった。モイメさん以外は完全に初心者だし、モイメさんとて達人というわけではない。私はシュワイヒナさんや、モイメさんよりかは幾分か馬に近いがために、操りやすいが、今回の馬は一番丈夫な奴を買って、そいつがどうも頑固な奴なので、なかなか言うことを聞いてくれない。
しかし、シュワイヒナさんはいとも簡単に乗りこなしてしまった。おそらく、天から与えられた才能だろうが、それと同時に彼女に乗られているときの馬は蛇に睨まれた蛙のように言うことを聞くしかなくなっているような気がする。
旅は流れるように進んでいく。
盗賊からの襲撃もほぼなく、何の問題もないまま、既に一か月が過ぎていた。
私はシュワイヒナさんに力を使わせないように、いつでも戦える態勢でいた。しかし、一度も戦うことはなく、ただただ、神経をすり減らしていくだけだった。
夜も満足に眠れない。つい、今襲撃を受けたらと考えてしまう。そうすると、自然と五感が研ぎ澄まされるがために、草の擦れる音、雨の音、虫の音などに気を取られ、眠気が急速に覚めてしまう。だからといって、昼間眠るわけにもいかないしで、なんだかぼーっとした毎日を過ごしていた。
まあ、こんなこと吐露したって無駄だし、モイメさんの話でも纏めるとしよう。
モイメさんの両親は大賢者様の持つという無限の力に惹かれ、また、毎日農作業をするだけの生活に飽き飽きして、自分たちだけの幸福を手に入れるために、まだ幼かったモイメさんを置いて、旅だったという。
正直なところ、全く信じられない。この世にそんなバカげた理由でいなくなる人がいるのかと驚いた。
ただ、モイメさんの話だと、村でもその二人は頭のおかしい人だと言われていたらしく、モイメさんは早々に自分の両親について諦めていた。
けれども、心のどこかでなぜ、そんな意味の分からないことが起こるのか疑問に思っていたらしく、大賢者様とはいったいどういう存在なのか不思議に思っていたそうだ。
それを佐倉凛に救われた。
悲劇のヒロインでいるのではなく、自分から動けと。
悲劇のヒロインでいたかった自分を見抜かれた。そして、そのままでいても、何も変わらないと。過去にしがみつくのではなく、過去を未来に活かすべきだと。
それで、モイメさんは大賢者様の正体を解き明かしたいと思ったそうだ。壊滅した村にもう未練はなく、彼女は一人で旅立った。
そして、私たちに出会った。
シュワイヒナさんは神による現実介入が行われている可能性があると言っていたけれども、それはよくわからない。
というか、シュワイヒナさんは神にしろ、大賢者様にしろ、敬意のかけらもなく話をするので、私はびくびくしている。
だってそうだろう。
私たちが長年崇めるものだと刷り込まれていたものを雑に扱われると腹が立つというより、そんなこと言っていいの? と驚いてしまう。それと同時になんだか申し訳なくなってしまうのだ。
さて、それから、さらに二週間後。私たちは一つ目の難所へと到達していた。
モルト山脈。通称、光のない山。
ほとんど陽の差さない森が続いており、道は奇麗に作られているがために迷うことはないが、あまりに長い暗闇に多くの人が発狂するという。さらには、大量のオオカミがいるという話もあり、多くの旅人がここを嫌っている。
しかし、シュワイヒナさんはここを通るのが近道なので、すぐにここを通ることを決めた。
モイメさんはシュワイヒナさんに絶大なる信頼を寄せているから、少しも不安がっている素振りは見せないが、私は心配だ。
好きイコール信頼ではない。私はそこまで盲目的な獣人ではないのだ。
大体、精神にダメージが来るような場所は私がどうにかしてダメージを防ぐことはできない。私だけならともかく、シュワイヒナさんが発狂するような事態になればほぼ確実に闇覚醒は発動するだろう。
それが不安で不安で今から私が発狂してしまいそうなくらいだ。
「ただの暗闇なんか、大丈夫でしょ」
「だよね、シュワイヒナちゃん」
「…………」
しかも、この旅、なんだか私だけが別の場所に切り離されて存在しているみたいでずっと疎外感を感じている。だから、私がやめたほうが良いと言っても、誰も私の言うことなんか聞かないし、誰も私を気にはかけない。
馬車は永遠を思わせるような暗闇に入っていく。
三十分が経過したはずだが、わからない。
馬車の音だけが響く森。鳥のさえずりすらも聞こえない。まるで、山全体が死んでいるみたいだ。
ただでさえ、退屈な旅の中で太陽の動きすらわからないため、今何時かなんてわかるはずがない。しかも、いつオオカミの群れに襲撃されるかわからないので、いつでも戦えるようにしておかなければならない。
少しも落ち着いていられない。なんだか熱が出てきたような気もするし、このまま果たしてどれだけ持つだろうか。
そう思っていた時だった。
「ぐるあああああ!」
そう叫び声が聞こえた。それとともに激しい足音。
「本能覚醒」
全神経を研ぎ澄まし、方向を確認し、飛び出す。
敵の姿はすぐに捉えられた。比較的小さなオオカミだ。
が、すぐに別の事態にも気づく。
足音が二つになった。と思うと、三つになる。そして、四つ、五つ、六つと加速度的に増加していく。
囲まれている。
きっと、彼らは明るい場所から入ってきた旅人を集団で囲んで襲っているのだろう。視界の慣れない旅人たちに不利な状況で戦わせ、食料としているのだ。
だが、それは私には通用しない。私の五感は普通の人間のものではないし、オオカミの群れにも対応しうるスピードを持っている。それにみすみす食料になることもしない。
命を奪うのは少し申し訳ない気もするが奪われるよりはましだ。
地面を蹴る。視界が高速で動き、一瞬にして一つの命を奪う。
何が起きたかわからぬままに死んでいく。
二秒。
十三匹のオオカミを始末するのにかかった時間だ。私の動いた衝撃波で木々は倒れ、少しだけ太陽が顔を覗かせている。
馬車に影響がなくてよかった。いつも最優先で気にしていることだが、少しのミスで馬車は壊れかねない。
私の状態を除けば、今回の戦闘は上出来だ。
というからには私がダメージを受けているわけだが、気にするほどではない。ただ、未だに心臓がバクバク鳴って少し苦しいくらいだ。シュワイヒナさんに力を使わせてはいけない、力を使わせてはいけないと思えば思うほど、私は焦り、そのために力を出しすぎた。それは反省するべきところだろう。
「テールイちゃんって強いんだね」
とモイメさんが驚いて言う。
「テールイはとても強いですよ。少なくともいつもの私よりかは強いです」
とシュワイヒナさんも言ってくれた。
素直に嬉しい。それで勝手に尻尾を振ってしまい、シュワイヒナさんに撫でられた。
恥ずかしい。
一週間後、私たちは未だ山越えの中にあった。予定では四日で終わるはずだったのに、である。
理由はシンプルで、馬が言うことを聞いてくれないのだ。
何かに怯えたかのように歩みが遅くなっている。
まさか精神的ダメージを負ったのが馬だったとは。まるで予想外だった。今まで自分たちがどれだけ馬を道具扱いしていたかというのがよくわかる。
しかし、今更それに気づいたところでどうしようもなく、私たちは一日十キロも進まない馬の上でただひたすらに鬱憤をため続けていた。
それでも、もうすぐこの山は抜けられる。おそらく、明日で最後だ。
そう言い切れるのには理由がある。
今、私たちは入り口辺りで遭遇したオオカミの群れと再度遭遇しているからだ。
数は十八匹。少し多い。
そもそも、モイメさんはこの山脈の中で気が狂いそうになりずっと眠っているし、シュワイヒナさんは戦ってはいけない。
やはり、私が戦うことになるわけだが、かくいう私も正直疲れていた。
最初に「一週間後」といったが、それもただ私が空がさらに暗くなる時間を数えていただけで、信用できるものではないし、進まない馬に対してずっとイライラしていた。むしろ、疲れない人がいるというのだろうか。
そのいら立ちをこのオオカミにぶつけることになるのも、命に申し訳ない気がする。大体シュワイヒナさんみたいに戦ってもすかっとしたりすることはほとんどない。
半ば機械的にオオカミを処理する。敵意をもって、殺しに来るのならばそれに応えねばなるまい。
「本能覚醒」
鼓動が早くなる。なんだか気分が悪くなってしまいそうだ。疲労が明らかに体に出ている。
走り出す。やることは変わらない。
はずだった。
十二匹目。攻撃は受け止められ、私の体は突然の軌道変更に耐えきれず、とんでもない速度で投げ出された。鬱蒼と木々が生い茂る森の中に衝撃を消せる場所があるはずなく、私は固い木に体を打ち付けられる。
全身に感じたことのないような痛みが走った。あまりの苦痛で何も考えることができない。
「あ……」
声も出ない。呼吸ができない。
おそらく、内臓もいくつかつぶれているし、骨だって折れてる。
大体、本能覚醒を使っている分、痛覚も鋭くなっている。そんな状態で意識をまともに保てているだけで奇跡のように思える。
私が倒れてはシュワイヒナさんに力を使わせてしまう。
その一心だけで私は意識をつなぎ留めていた。
けれども、動くことはできない。体が、言うことを聞かない。
「あ……ぐるあ……」
情けない声が私の口から零れ落ちた。
敵は動ずることなく、私を見つめ、少しずつ近づいてくる。
よく見ていなかったが、大型のオオカミだ。
「テールイ!」
シュワイヒナさんが私へと駆け寄ってくる。動けなくなってしまった私に回復魔法をかけていく。
痛みが急速に和らいでいく。さすがはシュワイヒナさんだ。さっきまでの激痛が嘘のように消えていく。
が、気分の悪くなるような鼓動は止まらない。ずっと、ずっと吐き出しそうな感覚が抜けきらない。
「テールイはここにいて」
そうシュワイヒナさんは優しく言う。が、それは私の最もかけられたくない言葉。
「ダメ……です。私がやりますから」
体は動く。大丈夫。次はもっと速度を上げて、相手が反応できなくすればいい。
と、意を決し、立ち上がった瞬間、私は信じられないことを聞いた。
「強きものよ。もうやめろ」
間違いなくそれはオオカミの発した言葉であった。が、口を開いた様子もない。しかも、シュワイヒナさんはおどろく私の顔をみて、首をかしげている。
私にしか聞こえていない。
それを裏付けるように、オオカミは続ける。
「お前がその横にいる少女を殺せ。それだけでいい。悪魔を生み出すな。化け物を生み出すな」
言葉が出てこない。
「殺したくないのか。まあそうだろうな。ならしょうがない」
オオカミはそう言って、大きな声で鳴いた。
静かな山の中に声が響き渡ったかと思うと、瞬間、オオカミの体は変化を始めた。
ちょうど背中にあたる部分に突起が生まれる。かと思うと、その突起から、翼が飛び出した。そして、頭の上には光り輝く輪っかが現れる。
暗い山の中を進み続けていた私たちの目がそれに対応できるわけもなく、思わず目を背けた。
その間に、もう一度、高く大きく鳴く。
「私は神の使者だ。シュワイヒナ・シュワナを殺すために現れた。今、その役目を果たす」
「神の使者……、またイラクサですか!」
今度はシュワイヒナさんにも聞こえているようで、シュワイヒナさんは怒ったように声を荒げた。
「また、現実に干渉してきてる……なんでもありですね。テールイ、こいつは私がやります。テールイじゃ相手できません」
「私がやるって言ってるじゃないですか!」
神だかなんだかわかんないけど、戦わなきゃいけないなら、私が戦わなくちゃいけない。私がやらなくちゃ、本当にシュワイヒナさんが悪魔になってしまう。
「本能……覚醒!」
もう一度、私はシュワイヒナさんをかばうように、オオカミの前に立ちはだかった。




