第八話 現実
私は部屋を出た。後ろからシュワイヒナがついてくる。
「凛さん、人のことなんか気にしてる場合じゃないんですよ」
「そんなこと言われたって……」
「まあ、いいです。まだ、大丈夫だから」
「何が?」
「この国に守られてるならまだ自分の命を自分で守らなきゃいけなくはなりませんよ」
「まあ、確かにそうかもしれないけど……」
「それより、この世界じゃ、ってどういうことですか?」
「え、あ……」
さっきの湊さんの台詞が気になっているのだろう。喋っても信じてもらえそうな内容だし、私も自分で全然よく分かっていない。
「実は、私が生まれたのはこの世界じゃないんだよ」
「それはうすうす思ってはいましたけど……」
「本当に?」
「はい。だって、凛さんと祐樹さん、なんか違いますもんね。湊さんも、桜さんも。まず、こんな名前の人いないですし。ていうかどこから来たんだよって内心ずっと思ってましたよ」
まーじか。
「あんなにニコニコしてたのにそんなこと思っていたんだ……」
「あれは初対面の人用の顔ですから。そういう教育を受けてきたんですよお」
と言って、笑った。どこに笑うポイントがあったのかよく分からないが、多分私はそこに理由を考えてしまうのがよくないんだろうなって思っているのが、一年前からずっとだ。
「で、なんで、というかどうやってこの世界に来たんですか?」
「え……それはちょっとわかんなくて」
「なにか、使命があって、この世界に呼ばれたとかそんなんじゃないんですか。実際、祐樹さんは魔王を倒しちゃったわけですし」
「そんな、使命とか私には多分ないよ。大体、私に何が出来るっていうの」
「だから、言ったじゃないですか。死者が出ないようにするんでしょ?」
「まあ、そうは言ったけどさ。そんなの無理だよ。だってまだ始まっていないのにもう人が死んじゃったし……」
「あの人が自分で死んだんじゃないですか。そんなこと気にしてるだけ無駄ですよ。それにあの人は人を殺しやったし」
「それなんだよ。村の人たちも私は守れなかったし……」
「まあ、守れなかったって言ってもあれを守るのには無理があります」
「でも、そんなこと言ってたら戦場でもあれは無理があるってなるじゃん」
「うーん、そうなんですかね」
シュワイヒナは腕を組んで考え込む。
「まあ、確かにそうかもしれませんね」
「「はあ」」
溜息をついた。
「人の心配をするより、自分の心配をするべきじゃないか」
唐突に響いた声にびっくりして、後ろを振り返るとそこには、アンさんがいた。
「なんですか?」
意味もなく、尋ねる。
「修行をしようか、ついてこい」
答えてくれた。そういえば、この人、人の心読めるんだったなと、普通に暮らしていたら分からないもんだからついつい忘れてしまいそうになる。ということは私が今嫌悪感というか、嫌と思ったのが分かっただろう。正直今はそんな気分じゃない。
「とりあえず、ついてこい。君には教えなければいけないことがある」
それを具体的に言われず、人についてこいと言われておとなしくついていくほど私はこの人を信用していない。
「そんなことは知っている。君に信用してほしいとも思っていない。ただ、黙ってついてきてほしい」
アンさんがいつになく、必死のようだった。なんだかんだ気にかけてくれるアンさんは優しいのかもしれない。
「そんなことない。ただ、これは軍のこれからに関わることなんだ」
よく分からない。だが、仕方がない。私はシュワイヒナに別れを告げ、アンさんについていった。
広場には木刀と例の剣がおいてあった。
「その剣をとれ」
アンさんがそういうので仕方がなく、それをとる。アンさんは木刀を持ち上げて、距離をとり、
「さて、私と戦え」
そう言った。
「は?」
声に出てしまった。心の中読まれているから、声に出て「しまった」っていうのはなんだかおかしい気がするが、気にしてはいけない。ただ、そんなことは忘れてしまうくらいに意外なことだったと言うだけだ。
「戦えと言っているのだ」
「いや、そんなこと言ったって私は真剣で、アンさんは木刀なんですよ」
「なんだ、私のことを心配しているのか?」
確かにそうだ。私の剣がアンさんの体に当たれば、体が傷つく。いくらこの世界に回復魔法だあると言ったってそんなこと出来るわけない。
「自惚れるな!」
アンさんが叫んだ。その言葉に体をびくっと震わせる。
「考えても見ろ。君の攻撃が私に当たるわけないだろ」
「確かにそうかもしれませんけど……」
「だったら、構えろ。俺を殺すつもりで来い」
そんな。殺すつもりだなんて出来ない。一応、仲間なんだし、今まで結構世話になったし。
「そうか。殺すつもりだなんて出来ない、か。じゃあ、もし君が今私を殺せなかったらシュワイヒナが死ぬ。そう言ったらどうだ?」
戦慄した。冗談とかそんなのではない。「シュワイヒナが死ぬ」 その言葉は私の心を激しくかき乱した。言葉にならない怒りが込み上げてくる。その感情に支配されそうになるが、理性で抑え込み、
「……そんなこと出来ないですよね。仲間ですもの」
そう言った。アンさんはそれを聞いても表情を全く崩さず、
「なぜ、そう言い切れる?」
と言った。
「さっき言ったじゃないですか。仲間ですよ」
「ほお、君は仲間だったら傷つけないというのか?」
「まあ、普通そうじゃないですか?」
「なら、知るがいい」
アンさんは構えた。そして、そのままゆっくり歩き出す。一歩一歩こちらに近づくたび、得体の知れない恐怖と怒りがなぜか湧き上がってくる。
「やはり、君はそういう人だったのだな」
そう言って、アンさんは走り出した。距離が一気に縮まり、アンさんの体がもう手を伸ばせば触れるくらいの距離に近づいた。
気づけばアンさんの木刀は私の視界の中になかった。そして、私の脇腹を鈍い痛みがおそった。
私の体は加えられた力の方向に従って、横向きに倒れた。何が起こったか理解できなかったが、倒れる間際、痛みを感じた方向に目を向ければ、そこにはアンさんの木刀があった。
どさっと私は芝生の上に倒れこんだ。
「君にとって私は仲間か?」
彼はそう言った。私は首を縦に振った。
「そうか……」
アンさんは物悲しそうな顔をした。だが、それもすぐなくなりいつもの表情に戻った。
「立て、立たねば、君は死ぬ」
「死にません、あなたは私を殺せないのですから」
私は手をつき、上半身を起こしながら言った。痛みには慣れてきた。
アンさんは私の顔を木刀で殴りつけた。
「あ……」
痛みに悶え、私は倒れる。女の子の顔を木刀で殴りつけた人は初めて見た。しかもその被害者が私だなんて本当に信じられなかった。
「なにするんですか!」
私は頬を手で押さえながら言った。
「私は本気だ。君が今私を殺せなかったら、君は死ぬ。そしてシュワイヒナも死ぬ。あの少女は私には勝てない。君にだって分かるだろう」
冗談を言っているような顔ではなかった。だから、二回殴られたことと、その言葉が私の心を刺激した。もう我慢が出来なかった。危機感。それの前に正義も何もない。ただ、生き残るためにどうするか、それだけだった。
私は正義の味方にはなれない。私は自分に湧き上がる欲望をいつまでも抑えていられない。
「アンさん、私があなたを殺しても、文句は言えませんよね」
自分のものとは思えない声だった。ああ、もう後戻りは出来ないんだと察した。
「ああ、そうだ。文句ない」
そう聞いた途端、私の心は、理性は弾けた。
私は立ち上がった。そして、剣を両手で持ち、アンさんをにらんだ。
「ようやくやる気に――」
全てを言い終わる前に私は既に芝生を蹴っていた。アンさんは驚いたような顔をした。そんな顔は初めて見た。私は自分がニヤリと笑っているのを感じた。それは不気味だったけれども、そんなことどうでも良かった。
思考が止まっていた。何も考えていなかった。それでも体は動いていた。殺したいという欲望のままに。
私の剣はアンさんの木刀を二つに分けた。それを見たアンさんは私の腹をおそらく本気で蹴り上げた。
私の体が宙に浮いた。そして、重力に従って落ちていく。腹に強烈な痛みが残っているが、気にならない。
アンさんは上部が欠けている木刀で落ちてくる私の体を今度は横向きに吹き飛ばした。どれだけの力を加えればそうなるのか分からないくらいに私の体は跳んでいき、柱にぶつかった。
「さすがに勝負あったか。その感覚を忘れるな。戦場で人を殺す行為を躊躇われたら困るのだ」
そう言って、アンさんはその場を去ろうとした。だが、
「まだ、勝負はついていない」
私はそう言った。
「まだ動けるのか」
私の体は既に全身がぼろぼろだ。しかし、体は勝手に動いていた。意識を持って動かしているわけではない。なんで動いているかは分からないが、そんなことを考えてはいられなかった。ただただ殺したいという一つの欲望に、今まで幾度となく抱き、そのたびに我慢し続けた欲望が感情のすべてを支配されていた。
地面を蹴り、走った。低い姿勢のまま、アンさんの方へ向かう。
「止まれ! 凛!」
アンさんが叫ぶが、当然そんな言葉に耳を傾けられるような状態ではなかった。
「がああああああああああ!」
雄たけびを上げながら、私の体はアンさんの足へ剣をふるった。それをアンさんは上に跳び、避ける。その直後、私は剣を芝生に突き刺し、それを支柱として、回転し、アンさんの降りてきた肉体を蹴り飛ばした。だが、攻撃は浅く、アンさんはバランスを崩さず、その場に着地する。その間に私は剣を抜き、芝生の上に立った。
「凛、待て。落ち着け。私は誰も殺さない。ただ、君に覚悟を決めてほしかっただけなんだ」
アンさんは相当焦っているようだった。
「あああああ、があああああああああ!」
何もかもが分からなくなった。聞こえているのに、私はもうやめたいのに感情はそれを許さなかった。
アンさんの方へ剣を振った。アンさんは私の動きに合わせて攻撃を避けていた。
気づけば痛みは消えていた。神経がおかしくなったのか、それとも治ってしまったのかは分からないが。
アンさんは私の右足を蹴った。嫌な音が響いた。おそらく骨が折れる音だった。痛みを感じたということはやはり、さっきの傷は治っていたのだろう。
私の足はそのままあらぬ方向に曲がり、私の体は崩れた。それでも私の体は立ち上がろうとする。しかし、骨が砕けてしまったのか、右足は全く動かない。
私はアンさんを睨み付けていた。
そして、私は左足で地面を蹴り、動き出していた。一歩が踏み出せないのだから、アンさんに距離を取られれば、すぐに倒れてしまうはずだ。
なのに、私は右足を踏み出せていた。そして走り出せていた。剣はアンさんの右腕を瞬きの間に吹き飛ばす。血が噴き出し、剣が血に塗れ、人を傷つけた証拠を残した。さらに私の顔にも血がかかり、汚いなと思ってしまっていた。
この頃には私の意識は欲望から離れ、元に戻っていたが、体は止まらなかった。これまでの人生で経験したことのない以上な事態に冷静ではいられなかった。肉体だけが勝手に動いている、まるで違う生き物であるかのように。
「くっ……」
アンさんは痛みに顔をしかめたが、すぐにまだある左手で私の右の手首を殴った。それで剣は芝生の上に落ちた。
「すまない」
アンさんのそういう声が聞こえたかと思った途端、耳のすぐそばで鈍い音がして、強烈な痛みが私を襲った。誰かの声が聞こえる。それに反応するまもなく、私の意識は虚空の中に吸い込まれていった。
声がした。笑い声だった。例の「神」を名乗る者の声だった。
「何の用ですか?」
私は言った。
「君に大事なことを教えておこうと思ってね」
「なんですか? それ」
「君の欲望が解放された時、君は暴走状態に入る。君の意識が途絶えるまで、君の肉体がどうなろうと動きを止めることはない。自然治癒力も上がり、肉体が傷ついてもすぐに回復する。つまり、君の欲望は君を戦闘マシーンに変えてしまうんだ」
「え……」
人は言ってることを理解していていても、頭が理解したくないときというのがある。今がまさにそれだった。
「それを伝えておくことで君の欲望が大変なことになることを防いであげようと思ってね」
そう言った直後、それが私から離れて行くかのような感覚に襲われた。それがどういうものかというのは言葉では説明できない。そんな不思議な感覚だった。
「待って!」
真っ暗闇の中、私は叫んだ。その声は消え、代わりによく聞きなれた声がした。
「凛さん!」
シュワイヒナの声だった。目を開くとシュワイヒナの顔が真ん前にあった。
「もう心配したんですよお……」
そう言って、シュワイヒナは私の胸元で泣きじゃくっていた。
「どうしたの……」
「どうしたもなにも……」
アンさんは溜息をついた。腕はいつの間にか治っていた。
「まさか、あれほどとは思っていなかったんだ」
自分のしたことを思い出すと途端に申し訳なくなって、
「あ……ごめんなさい。体の制御が効かなくて……」
と、私は謝った。
「いや、いいんだ。君をその状況にしたのは私が悪いんだ。君は闇覚醒のフェーズワンに入っていた」
知らない単語が出てきた。名前は一見こじらせているタイプの人間が好きそうではあるが、それを実際に体験してしまったものとして、そんなことは言ってられなかった。
「なんですか、それ?」
「君の体には黒い線が浮き出していた。それが闇覚醒フェーズワンを指す。激しい欲望や憎しみ、怒り、悲しみなどに感情が支配された時に固有スキル使いが稀に陥る状況のことだ」
「え……でも、私、固有スキル使えませんよ」
「いつかは使えるようになるということなのだろう。よく分からないが」
「ていうか、詳しいですね」
「まあな」
そう言ってアンさんは溜息をついた。そして、こう言った。
「君たちには私たちの過去を話さないといけないのかもしれない」
次回九月二十七日更新です