第二十六話 心中
少女相手に剣を振るうと言うのは傍から見れば大人げないように見えます。実際に、男は剣を構えているだけで、そこに剣を振るうと言う意思は見えませんでした。
が、
「本能覚醒」
そうテールイが言ったとたんに大広間はとてつもない緊張に襲われました。テールイの発したオーラがあまりにもその見た目に反していたのです。しかし、そう思っていたのもつかの間のことで、テールイの見た目は一気に凶暴性を増していきました。爪は伸び、全身の血管は浮き出て、目は充血していきます。しかし、完全に制御下に置くことができたのか、見た目はいつもの幼い姿のままで、非常に相手の懐に入りやすそうに見えました。
「……ッ! 君、やるね。いいよ、面白くなってきた!」
と、男は言いますが、私に言わせれば、彼は何もわかっていません。
男は剣を握り、駆けだしました。相手は剣を振るわなければ勝てない相手だと思ったようです。
テールイは、右足を後ろに引き、男が正面から走ってくる姿をじっと見つめました。その距離は三十メートルにも満ちません。
「ごめんなさい」
テールイはそう言葉に出しました。そして、次の瞬間、
「――ッ!」
衝撃波が発生しました。それにより、王は転げ、テールイの進んだ場所の下にある地面にひびがはいりました。
そして、男の握っていた剣は砕け、テールイの拳が、男の目前に迫っていました。その衝撃と恐怖からからか、男はへろへろとその場に倒れ、気絶してしまいました。
勝負あり。
そう、実力があまりにも違いすぎたのです。例えるならば、アレウスさんと同じレベルの人間と魔獣ほどの差があります。どう抗ったところで、あの男がテールイに勝つと言う未来は存在しません。それは、最初から分かっていたことでした。
最強の獣人に少し鍛えたくらいの人間が敵うはずもないのです。
広間はしばしの静寂に包まれました。この一瞬のうちに起こった出来事を理解したものはほとんどいません。ただ、分かるのは男の敗北のみ。テールイは、その男よりも強いと言うこと。
「い、一体何をしたんだ!」
王は叫びます。
テールイは首をかしげ、何も発しません。しょうがないので、
「気絶させただけですよ。心配はいりません」
と私が代わりに答えました。
「い、意味がわからない」
私も意味がわかりません。どうして、テールイがこんなに速く動けるのか、どうして、あんなに速く動いて、体にダメージが入っていないのか。
「とりあえず、決着はついたので、私たちのこと認めてくれますか?」
「あ、ああ」
そうして、倒れた男は救護班かなにかに引き上げられ、私たちはまた、王の前にひざまずくように座りました。
「さ、さて、相当の実力があるようだ。それで、君たちは用心棒になるつもりはないかね」
「用心棒、ですか」
「ああ。うちには娘がいてな。隣国エゴエスアの王子と結婚が決まっているのだ。その用心棒を君に頼みたい」
「わかりました。それとは別に質問をさせていただいてもよろしいですか?」
「よろしい」
「戦争は終わったんですか?」
「終わったよ」
「何が起きたんですか?」
「非常に恥ずかしい話だがの、風魔法使いの剣士が助けにはいったようじゃ」
風魔法使いの剣士。おそらく、あの村で炎魔法使いと戦闘を起こした人物。
大した実力を持っているようです。もしかしたら、大賢者様の元に向かっている転生者の可能性もあります。
しかし、あまり関係はないでしょう。あまりに、距離が離れすぎています。
それでも、どこか気になるところがありました。理由はわかりませんが、心のどこかで何か直感的なものが囁いているように感じるのです。
そんなこと考えたって意味はない。そうやって、私は無理矢理その思考を頭の中から切り離しました。
「もし、君たちが娘に何かをしようものなら、神はお前を許さないだろう」
「はい」
「ふん、不思議なものだ。君たちが悪いものには見えない。いや、そりゃそうか。君たちほどの実力があれば国を落としたほうが早いもんな。まあ、いい。面白い人たちだ。よろしく頼むよ」
その後、言われた宿に向かい、私はベッドに横になり、天井を見上げました。すると、
「シュワイヒナさん」
頭上に、テールイの顔がひょこっと現れました。
「どうしたの?」
「何か言うことあるんじゃないんですか」
「なんだ、ありがとう。強くなったね」
「えへへ、ありがとうございます」
テールイは、私の体をぎゅーっと抱きしめました。胸に顔をうずめ、尻尾は嬉しそうにゆったりと横に揺れています。
「ずっと、こうしていたいです」
「ずっと……ね」
最近、テールイが私のことをどう思っているのか、わからなくなってきています。やっぱり、私は人のことがわからないのかあ、と少し悲しくもなってきますが、しかし、彼女から向けられている感情の正体を掴まないことには不都合が発生します。
と、
「シュワイヒナさん。私、シュワイヒナさんのことが好きです」
突然、彼女の口から発せられた一言に一瞬、頭が真っ白になりました。
「変な話ですよね。私、獣人で、しかも、女の子なのに……。でも、シュワイヒナさんも、女の人が好き、なんですよね?」
「それは、そうだけど……」
「まあ、だからといってって話ではないんですけど。でも、シュワイヒナさん。あなたのことを大事に思っている人がいること、忘れないでください」
「…………」
「シュワイヒナさんは、シュワイヒナさんでいてください」
「……私はあなたが思っているような人じゃ」
「分かってますよ。シュワイヒナさんは、自分のことが一番大事だって思おうとしているくせに、本当はサクラ・リンのことが一番大事だってこと。本当は、たくさんの人に幸せになってほしいって思ってること」
「違う」
「違いません」
「私には、あの力しかないんです。わかってください」
「分かってますよ。でも、私も力になれますから。私も、戦えますから。シュワイヒナさんが戦わなくたって、大丈夫ですから」
「そんな、任せるだなんて……」
「任せてください」
テールイは何にも染まっていない純朴な瞳で見つめてきました。どれだけ辛い目に逢おうとも、絶望など微塵もない瞳でした。
初めて会ったとき、彼女は間違いなく何かに怯えたような瞳を持っていました。それなのに、たかが数か月で人はこうも変われるものでしょうか。
私が変えてしまったのでしょうか。私が、彼女の考えを、彼女の価値観を――。
「わかった。任せるよ」
私は微笑んで、言いました。
「わー! ありがとうございます」
そう言って、また、もう一度強く私を抱きしめて、
「今夜は、このままでいてくれますか」
そう言いました。私は答えず、瞼を閉じます。
任せるつもりなんてないのに。私はまた、うそをついてしまいました。
わかっている。シュワイヒナさんが嘘をついたことなんて、わかってる。だけど、私はシュワイヒナさんを問い詰めたりなんてできない。
だけど、使わせたくないから、私は使えないようにしようと思う。どんなに強い敵が現れたって、私が絶対にすぐに倒してみせる。それが、私にできる精一杯のことだと思うから。
この温もりが冷たくならないように。この幸せを失わないように。
この恋が叶わなくたって、その人の幸せを願うことはできるから。
夜が明け、目を覚ますと、テールイは幸せそうに、私を抱きしめたまま、まだ眠っていました
なんだか、申し訳なく思ってきます。
「ほら、テールイ。起きて」
そう言うと、
「はにゃ! も、もう起きてるんですかあ」
と何やらかわいらしい声を上げました。これだけ見ると、ほっこりするんですけどね。
なんだか、心の奥が苦しいようなそんな感じがして、私はテールイから目を離して、彼女の手を引き、
「とりあえず、会食に行かなきゃ」
そう言いました。
朝食会場にはアレウスさんと王、そして、王女と見受けられる少女が座っていました。少女は金髪で赤い瞳を持っており、私たちの姿を見ると、小さくお辞儀をしました。
「あなたたちが用心棒なんですね。お世話になります」
にこっとほほ笑んだ姿はまさに美少女といったところでしょうか。育ちの良さがうかがえます。もしかしたら、私も普通に育っていたらこうなっていたのでしょうか。
それから、アレウスさんが
「ああ、約束のものだが、これを渡しておこう」
そう言って、金色に光るものを渡して来ました。
「これは、平民の三年分の年収とほぼ同額だ。ここまで、連れてきてくれたことへのお礼も含めてだ」
「ありがとうございます」
本当にそうなのか気になるところではありますが、今は王の前ですし、もし私に嘘をついたらどうなってしまうかなんてアレウスさんが一番よくわかっていることでしょう。
「それ親の形見なんじゃないのか」
王が口を挟んできました。
「……もういいんです」
アレウスさんは悲しそうな顔をほんのりと見せましたが、すぐに笑って、
「もういいんです」
もう一度、言いました。
会食が始まりました。
「まさか、私と同年代の女性の方が守ってくださるなんて、旅路も安心ですね」
王女――プリンシアは少しも微笑みを崩さず、言いました。
「いやあ、やはり、隣の国までは治安が悪くてな。それに王女という地位ある人間を狙って襲いに来るならずものもいるのだよ。かなりの実力があるという君たちに守ってくれるとはわしも安心じゃ」
王も笑って言いましたが、その笑顔は若干ひきつっています。どこか、私たちのことを怖がっているようです。私たちも、もう何も思わなくなっていました。
「ありがとうございます」
「従者にはもう話を通してあるから、プリンシアのほかに二人の従者を連れていくことにしてある。二人は現地で引き続きプリンシアの世話をするから、君たちもこの国に戻ってくる必要はない。代金も前もって支払っておこう。どうだね、うちの料理は?」
「とてもおいしいです。よほど素晴らしい料理人がいらっしゃるんですね」
「ああ、うちの料理人はな――」
と他愛もない会話をして、朝食は終わりました。
どうやら、本来はテールイに一瞬でやられた男が護衛につく予定だったらしく、準備はほとんど済んでいたようで、直前になって用心棒が変わってしまった、という形になっていました。
というわけで、出発までもう三日しかありません。それでも、私たちからしたら余裕があるほうなのですが、親子の別れと言うのはそう簡単に行えるものではなく、パーティーが三日に渡って行われた後に、出発のようです。
正直、どうでもいいので、私はまた、部屋にこもり、テールイがやりたいことがあると言ったら、それに付き添って街に降りると言うのを三日間していました。
実を言えば、一刻も早く、大賢者の元へ向かいたいのですが、土地勘もなく、その国、国の情報を知らない私たちがなんのつてもなく、行動をするのはそれだけ危険なことですし、まさか、設定されている試練を受けるよりも前に破滅が訪れるなんてことはあり得ないと思います。
これらの考えは全て希望的観測に塗れてはいますが、そうせざるをえないのが、厳しいところです。なかなか、到達できないことにいら立ちは加速していき、時々、発狂しそうになってしまうことだってあります。
しかし、今信じられるのは、フレイムの言葉しかありません。
もし、間に合わなかったら――そんなネガティブなことは考えず、ただただまだ破滅は訪れないことだけを信じて、私たちは行動しなければいけないのです。
そんなことを考えながら、三日間の停滞は終わり、私たちはかなり豪華な大きい馬車に五人で乗り込み、二人は馬の操縦、そして、私とテールイ、プリンシアの三人が馬車の中に乗り込みました。
王とプリンシアの涙の別れがあり、馬車は動き出していきます。
プリンシアはまるで、王が一つの小さな点になるまで、手を振り続けていました。その光景に少し胸を打たれ、じーんと来ていたところ、唐突にそれは壊されてしまいました。
「あーあ、ようやくあのくそじじいともお別れだわ」
えっ、と私は自分の耳を疑いました。
「いーや、用心棒もあのイケメンじゃなくて良かったかもなあ。こんな姿見せれねえし」
プリンシアは足を大っぴらに広げ、寝ころがり、言いました。そして、呆気に取られている私たちの姿など気にせず、言葉を続けます。
「ふん、あんたたちも道中よろしくねえ」
ニヤッとプリンシアは心底嬉しそうな表情を浮かべました。




