第二十五話 本能
繰り返す戦いの中で、シュワイヒナさんは、私から、どんどん離れていっているように感じていた。闇覚醒を使えば使う度、シュワイヒナさんの黒い部分は大きくなっているように感じていた。
シュワイヒナさんは闇覚醒を使うとき、いつも笑っていた。一方的な虐殺を心の底から楽しんでいるように見えた。
けれど、それはきっとシュワイヒナさんにとっての幸せではないだろう。きっと、いつか大変なことになる。
フレイム――そう名乗った少年は彼女は悪魔に近づいていると言った。全く持ってその通りだと思う。彼女を纏う黒はそれだけ目に見えて悪魔的な何かになっていた。体から噴き出す闇だって、人間や、獣人といったこの世界に普通に暮らしている種族が発することのできるものではないと、断言できるほどおぞましく感じるし、逆に悪魔のものだと言われれば、納得することができる。
それに、リデビュ島で出会ったお姉さんは闇覚醒は魔王に繋がる力だと言っていた。
シュワイヒナさんは魔王へとなると言われているサクラ・リンを救うためにこんな戦いをしていると言っていたけど、このままじゃシュワイヒナさんが魔王になってしまいそうだ。
そのことがおそろしく怖い。知っている人が黒くなってしまうのは怖い。
これが、シュワイヒナさんが抱いている感情なのだろうか。それとも、もっと違った感情なのだろうか。
私にシュワイヒナさんの気持ちはわからない。何を思って、何を考えているのか、さっぱりわからない。どんどん不思議な人になっていく。どんどん、知らない人になっていく。
それに、シュワイヒナさんはいつも苦しそうだ。いつも何かを抱えている。それを解放できる時が闇覚醒を使い、虐殺をしているときなんだろうけど、そんなことで解決してほしくはない。
だから、シュワイヒナさんにはもう戦ってほしくなかった。一人で戦ってほしくなかった。闇覚醒なんて使わずに、向こうの世界に行かないように。
だから、私はシュワイヒナさんの力になりたかった。私の元の肉体にあった潜在的な能力はシュワイヒナさんのそれと比べても圧倒的に高い。だから、私のような血筋しか使えない『本能覚醒』を今のような不安定な形ではなく、もっと戦闘に特化した形に改良する必要があった。
本当は、私は戦いたくない。ずっと、ずっと穏やかな暮らしをしていたい。けれども、それはシュワイヒナさんも同じだと思う。それならば、私が戦えるようにならなきゃいけない。誰かを殺すためではなく、誰かを守るための力が必要だった。
『本能覚醒』は使う度、動悸が激しくなって、意識が飛びそうになる。それに、聴覚や視覚などの五感が通常よりもずっと研ぎ澄まされるためか、周りの音がうるさくて、周りのにおいがくさくて、周りの景色が気持ち悪くて、口の中が気持ち悪くなって、皮膚が違和感を訴えかけてくる。
だけど、使うしかないのだ。もっと、ちゃんと使えるようになって、私が戦える相手を増やして、シュワイヒナさんの闇覚醒を使う回数を減らさなければならないのだ。
そう思って、私は毎晩、夜にこっそり起きて、何度も使う練習をしていた。シュワイヒナさんは勘づかない。自分が戦えばいいと思っているから、代わりに戦おうとしている人の存在に気づかない。
別にいい。シュワイヒナさんに私の頑張りを認めてもらおうとは思っていない。私が自分で始めたことなのだから。
そして、突如として現れた盗賊たち。彼らには私の特訓の成果をぶつけるにはちょうどいいと思った。だから、私は一人で全部倒そうとしていたシュワイヒナさんに、私が戦うと言った。
結果は成功だった。私の本能覚醒は確かに進化を遂げていたのだ。動く速度は圧倒的に増加し、それでいて、研ぎ澄まされた視覚はちゃんと、高速で動く世界をとらえてくれていた。
私は戦える。私はシュワイヒナさんのためになれる。
そういう確信がついに私の中にもたらされたのだ。
そして、盗賊の本拠地。
四十人を相手に一瞬で片をつけたとき、私は自分の力が自分の想像していた自分の限界を既に超えていることに気が付いた。
さらには見たこともない武器を使ってきた男。銃と言う、その武器から放たれた弾の速度を見たとき、私は確かにこう感じた。
「遅すぎる」
それぞれの軌道が手に取るようにわかり、どこへとどう動けばその弾を避けられるかどうかがわかった。
そして、そのためにはさらに動く速度を上げ、また、『本能覚醒』使用時に起こる肉体の成長を抑え、その分のエネルギーを脚に回す必要があると感じた。
そういったことは後でわかったことだけど、このとき私は本能的にそのことを理解したのだ。
あとは簡単だった。自分のさらなる限界に挑戦するだけだったから。
駆け出した。
弾は私の動く速度よりも速かった。けれど、それは最初だけだ。速く、速く、そう思えば思うほど、加速していき、もはや、弾を避けることなど人ごみの中で人を避けるのと同じことのように感じられた。
男のすぐそばに来て、動きを止めたとき、私を中心として、衝撃波が起こった。そのとき、私は初めて、自分が獣人としての頂点へとたどり着いたことを知った。
「ぐるあああ!」
そして、自分の喉から絞り出された声。それは獣のものと、全く一緒で、自分でもびっくりした。
男は吹き飛び、城の壁に叩きつけられました。城に傷が入り、男は地面へと落ちていきます。
そして、テールイのほうを見ると、彼女の姿は今までの『本能覚醒』とは全く違った姿をしていました。
前のめりな姿勢は変わっていませんが、体は小さいままで、全身に血管が浮き出ており、目は真っ赤に充血していました。そして、爪は長く伸び、獣とも人間とも言えないような姿でした。
しかし、その姿もすぐに元通りになっていきます。いつもの、小さくかわいらしい姿をしたテールイの姿へと。
「カシラが……」
と遠くから見ていたほかの盗賊たちが驚いたように声を上げました。やはり、これで決着はついたようです。
「シュワイヒナさん。私どうでしたか?」
テールイはそう尋ねてきました。
「格好良かったよ」
そう答えると、テールイは嬉しそうに、それから恥ずかしそうに笑いました。
輝かしいほどの才能。あれだけの動きに耐えられる肉体。生まれながらにして戦う力を持っている少女。生まれながらにして誰かを守ることができる力。
少し羨ましく感じました。
と、
「……お、い。ま、てよ」
男はなおも、私たちのほうをきつく見つめてきました。あれだけの衝撃を受けて、まともに立つことができるはずもないのに、彼は私たちを見つめていました。
「ま、だ、戦える、戦える!」
男は這いつくばり、落ちた銃を取ろうとしました。
最後の最後まであがこうとする。
その姿勢には素直に好感が持てました。だから、
「いいよ、テールイ。汚れ仕事は私がやる」
私は剣を握り、彼の元へと歩き始めました。
「やめろ!」
そう叫んで、襲い掛かってきた男の首を刎ねました。
容赦のない斬撃を見たほかの人はもう戦う気力もないようです。
「俺には、まだ未来がある。俺にはまだ……」
男は私の足元で泣きながら言いました。
「俺があんな獣人に負けるなんて」
「私は、あなたがどれだけの悪行を重ねてきたかどうかは知りません。あなたがどんな思いで、こんな場所に根城を作って、生活してきたかも知りません。けれど、これだけはわかります。あなたは、テールイには勝てません。私たちに抗うのは時間の無駄です」
「いやだ! 俺はまだ死ねねえ!」
「そのままじゃ苦しいままでしょ? 今救ってあげます」
「な――」
私は剣で彼の喉を刺しました。彼の喉から鮮血が噴き出し、そして、ヒューヒューと音を立て、ついにはそれも消えてしまいました。
「終わったよ」
私はアレウスさんたちに言いました。
「シュワイヒナさん、また……」
テールイは何かを言おうとして、それから、諦めたように口を閉じました。彼女のうつむいた顔がなぜだか、目に焼き付いて離れませんでした。
それから、私たちは危険地帯を抜け、予定よりも五日ほど遅れてレベリア首都リバルにたどり着きました。盗賊たちとの遭遇は危険地帯を抜けてきた、というだけであって、実際は首都まで少しかかり、完全に危険地帯を抜ければ旅は終わりと思い込んでいた私のテンションが下がり、しばらく鬱のような気分を味わっていたのは言うまでもありません。
それでも、
「アレウスさん、これでお別れですね!」
「そんなに嬉しそうにされると、なんだか複雑な気分だな……」
首都リバルは大都市で、いかにも強そうな兵士たちが門の周りを守っており、そして、中に入れば、それはもう眩しいほどの活気に包まれていました。
忘れがちですけど、この国、戦争中なんですよね。まあ、自然の砦がありますから、余裕なんですかね。
にしても、この活気は正直気持ち悪いものです。なんだか変な違和感がこびりついたような感触がします。
さて、アレウスさんはこの国の王に挨拶をしてこないといけないと言うので、私たちはしばらく街をぶらぶらすることにしました。
「もしかして、戦争、もう終わっちゃったんですかね」
「うーん、そうかもしれない」
そう薄々感じてきていました。これは、戦勝ムードだと。それならば、納得がいくような雰囲気がこの街にはあるのです。
しかし、そう考えるとおかしな点はいくつもあります。
そもそも、この首都からは兵士は送られていないと言う話です。だとするならば、向こうの現地住民が戦って倒した、ということになりますが、そもそも、負けを重ねてきていたので、そんなわけはありません。
ならば、どこかの国が戦争に協力して、兵を送り込んだという可能性が考えられますが、それができたら、早くやっているでしょうし、大陸の端にいてあの辺で接している国はそれこそ相手の国ヴァルキリアしかありません。あの森が普通の人間に超えられるわけはありませんし。
しかし、助けがなければ、あの状況から勝てるだなんて、ありえないでしょう。それこそ、今のテールイと私なら、ひっくり返せるかもしれませんが、私たちほどの戦力があんな僻地にいくものでしょうか。
アレウスさんに聞いておかねばならないようですね。
そのあとは、久方ぶりのちゃんとした食事を店でとり、宿を探していました。と、
「あ、二人とも。探したぞ。とりあえず、王宮に来るんだ」
アレウスさんが何やら急いでいる様子でそう言いました。
私たちは言われた通り、王宮に向かいました。
そして、王宮にて。
「君たちがシュワイヒナ・シュワナとテールイかね」
白いひげを長く伸ばしたおじさんが王座に座っていました。豪華な衣装がきらきらと輝いて、なんだか眩しく感じます。しかし、その衣装もなんだか豪華なものを雑に選んできた、といった感じの有様ですので、正直ダサく見えます。
「あの森を突破し、盗賊すらも破った幼い少女か……。俄かには信じられんな。どうだ。うちの手練れの者と手合わせをしてみるか?」
「別に私は構いませんけど」
「手合わせなら、私がやります!」
テールイが声高に宣言しました。
「君は獣人だったな。いいだろう」
私を蚊帳の外にして、話しが進んでいきます。大体、なんでテールイはこんなにやる気になっているのでしょうか。
「シュワイヒナさんには戦わせませんから」
私が戦うことに何か不都合でもあるんでしょうか。まあ、テールイは十分強くなっているので、心配はいらないかもしれませんが。
そして、王に呼ばれ、ひょろ長の剣士が現れました。顔立ちはびっくりするほど、整っており、立ち振る舞いなども、考えるとかなりモテそうな見た目ではあります。
「まだ幼い少女じゃないですか。僕は女の人に剣なんて振るえませんよ」
なんだかイラっと来ました。
「この二人の少女はあの森からやってきたというぞ」
と王が言いますと、
「ほう。つまり、それが本当かどうかここで確かめようとわけですね」
「ああ、そうだ」
「分かりました。それならば、手合わせしましょう。全力では行きませんけどね」
私たちのことを詐欺集団とでも思っているのでしょうか。大体、すんなり信じてくれてもらえれば、こんな戦いなんて必要ないのに。
そんな、私のいら立ちなどよそに、戦いの火ぶたが切って落とされました。




