第二十三話 中心
「えっ……」
先ほど、殺したはずなのに空から飛んできた少年の姿に思わず困惑してしまいます。
「いいよ。君の実力はわかったし、僕だってむやみに自分を消費したくない」
その言葉を聞いた瞬間に、私の頭の中にあった疑念は確信に変わりました。
「あなた、人間じゃありませんね」
「うん、そうだよ」
「あなた自体はただの人形と?」
「ああ、そうだ。僕はただの人形だよ。本当の、僕はここにいない」
「ようやく、分かりました。あなたは、ドラゴンですね」
「遅いなあ。そう、僕こそ、この村を焼き尽くしたドラゴン、名はフレイム」
「じゃあ、お前がこの村を焼き尽くしたと言うのか!」
と、後ろから、いきなりアレウスさんの叫び声が聞こえました。そして、彼はこちらへ、大股で歩いてきて、少年――フレイムの胸倉をつかみます。
「お前が俺の親を、家族を、友達を殺したっていうのか!」
「まあまあ、そんな怒らないでよ。世界のために必要な犠牲だったんだ」
「世界のためだと?」
「いいから、離してよ。話しづらいんだ」
「うっ……」
アレウスさんは嫌そうな顔をしながら、手を放しました。
「ほら、シュワイヒナも闇覚醒解除して。もう戦わないんだから」
完全にフレイムにペースを取られていました。
「話を始めようか。この辺り一帯に人間が住めなくなってしまったわけを」
少年はまた、瓦礫の上に行き、そこに腰かけました。
「まず、佐倉凛がこの世界に来て、魔王化し、この世界を滅ぼすというのは、もうずっと前から決まっていたことだ。しかし、この世界の人間の、もしくはあちらの世界の人間の抗いを見ようと、いくつかのステージを用意していた。その一つがこの辺り一帯だ」
少年は顔色一つ変えずに、話を続けます。
「この世界は佐倉凛のためにある、そう言っても過言ではないかもしれないね。なんせ、この世界のほとんどすべてが彼女に関することだから。そして、少年祐樹は、真の意味での救世主になる予定だった。なのに、話しは変わった」
あっちこっち飛ぶけど、許してね。そう言って、少年はさらに話を続けます。
「佐倉凛がこちらの大陸に来るのは確定事項だった。そして、彼女を救おうと思うものは何人も現れるはずだったんだ。それの選別のための、このステージ。魔獣が辺り一帯をうろつきまわり、ただの人間には、いや、腕の立つ人間でさえも通ることの許されない場所。でも、ワープ能力を持つ者は葦塚桜しかおらず、大陸の端に飛ばされたものは、必ずここを通らざるを得ない。そう、ここみたいなステージはこの大陸のそこかしこにたくさんあるんだ」
「何を言っているのかさっぱりわからない」
アレウスさんは頭を抱えました。何も知らない彼ですからね。無理もないでしょう。正直、私も頭が追い付いていませんでした。
「僕は、それのための存在。魔獣を率いる生物だからね。そして、祐樹のみがそれを突破できるはずだった。なのに、事態は急変した」
「一つ。祐樹が独善的な性格であったこと。そして、想像以上のヘタレだったこと。それから、シュワイヒナ・シュワナ。お前の存在があまりに予想外だったんだよ」
私のほうをまっすぐ指さして、少年は言いました。それが、あまりに怖い顔だったので、思わずぎょっとしてしまったのですが、彼はすぐに元の優し気な顔に戻りました。
「神はシュワイヒナ・シュワナはあくまで、祐樹を王にするためだけの存在としか思っていなかった。でも、お前の行動の全てが予想を外れていた。佐倉凛に恋心を抱いてしまったこと、彼女と一緒に、シュワナ王国を抜け出したこと、思いが募りに募り、ついには佐倉凛を落としてしまったこと、そして、闇覚醒に適応してしまったこと。そのすべてが完全な予想外だったんだ。そもそも、佐倉凛を復活させるための、お前の闇覚醒の力だったのに、それを利用され始めるだなんて、神は思いも寄らなかったようだよ。闇覚醒に適応できる人間なんてこの世にいるはずがなかったんだ。なのに、お前はその前提すらも書き換えてしまった。しかも、神にすら、操ることのできない初めてのこの世界の人間。それが、神にとって、どれだけ嫌なことだったかはわかるだろ?」
自分の作った世界が、その世界に生まれた者の力によって、ゆがめられてしまった。それが、彼にとっての屈辱だった。
それで私への当たりが強いのでしょうかね。比較対象がないので何とも言えませんが。
「だけど、今、最も大賢者様に近いのは君だ。なんだけど、君に佐倉凛を救うことはできない」
唐突にフレイムはそう言い切りました。
「お前はどんどん、悪魔に近づいてきている。お前は、世界の終焉を助長する。それをお前は自覚している?」
少年はただただ、率直に事実だけを告げていきました。全てを知る者の使命として。
「あらゆる例外を生み出すお前なら、もしかしたら、さらに例外を生み出せるかもしれない。だけど……。神や大賢者様はこう推測している。お前が闇覚醒を制御できた原因は悪魔との接触にあるはずだと」
「……」
「悪魔と戦闘に陥った際に何かが起こったと思われる。だけど、神ですらわからない事態なんだ。これといった結論を出すことはできていない」
「……」
「だけど、これだけははっきりと言える。悪魔に近い君に世界を救うことはできない」
フレイムはそう言い切りました。
「なんでですか? なんで悪魔に近ければ凛さんを救えないんですか?」
「お前が魔王化した佐倉凛の影響を受け、悪魔化するからだ」
「絶対、ですか?」
「お前は自分なら悪魔化しないとでも言うの?」
「しません」
「逆に尋ねるけど、なんでお前はそう言い切れるの?」
「……私は私です。シュワイヒナ・シュワナという『人間』は私しかいません。それだけが私の信用できることなのです」
「……わかった。いいよ。僕はお前の可能性を否定しない。じゃあ、チャンスをあげよう。竜王山の頂上へ登るそれが、君に課される最初の試練だ。そして、そのあと、大賢者様に会えば、また試練が課される。その試練をクリアすれば、君には世界を救うチャンスが与えられる。それと、もう一つ。大賢者様に会おうとしているのは君だけじゃない。三人の転生者がそこに向かってる。佐倉凛のことをよくは知らない彼らに任せたくないと言うのならば、彼らよりも自分のほうが適任者だと示すことだね。応援してるよ」
「ありがとうございます」
そのあと、少年はこう言いました。
「まあ、君の命は誰にも保障されないけどね」
そう言ったかと思いますと、次の瞬間には、空から紅蓮の炎を吐き出すドラゴンが飛来しました。全長は二十メートルを優に超え、意外にも引き締まった体をしており、目は力強く、羽は大きくごつごつとしていました。
「じゃあね」
そう少年が言うと、彼の姿は消え、それとともに、ドラゴンはまた、空高く飛び立ちました。
それからは特に何かをすることもなく、私たちはまた、旅を始めました。そして、その日の夜のことです。
いつものように、テントを張り、安全地帯であることを確認してから、私たちは寝床につきました。
突然ですが、殺意というものは意外とわかるものです。例えば、魔獣などが私たちへと向けてくる敵意が彼らを見らずとも、分かるように、今自分が対峙している相手がどれだけの覚悟をもって、殺意を向けてきているかというのは論理的な思考の元でわかるのではなく、直感的に、また、本能的に相手の表情を見らずとも、わかるのです。それを隠せるものが暗殺者と呼ばれるのでしょう。
その点で言えば、凛さんからは殺意というものがまるでなく、逆に祐樹からは憎しみなどをもって対峙しているのではなく、遊び感覚で人を殺せる、というのが分かります。
そして、アレウスさんが少年――フレイムの話を聞いてから、ずっと何かを考え続けていました。様々な感情が彼の中で渦巻いていたのでしょう。そして、それは、突然爆発しました。
「なにやっているんですか?」
私は激しい殺意と憎しみを感じて、目が覚めました。そして、案の定、私の目の前には短いナイフを握って、私に馬乗りになるアレウスさんの姿がありました。その刃先は私の喉元へと向けられ、今にも振り下ろされようとしています。
「――ッ!」
まさか私が目を覚ますとは、とばかりにアレウスさんは驚き、それから、私を睨みました。
「……うわあああああ!」
アレウスさんは叫び、ナイフを振り下ろしました。
しかし、私が反応するよりも先に、そのナイフは止められました。いつの間にかテールイが目を覚まし、アレウスさんの手首を握っていたのです。
「何を考えているんですか。シュワイヒナさんを殺したら、あなたも死にますよ」
「だって……だって」
アレウスさんの握っていたナイフは彼の手から離れ、私のすぐそばに落ちました。
「もうなんにもわかんねえよ。俺は……俺は」
いつもの体裁を取り繕うとする姿勢は消え、アレウスさんはただただ素直に泣きじゃくっていました。
この世界は佐倉凛のためにある、少年はそう言いました。そして、アレウスさんの家族などは凛さんのためだけの物語の犠牲となったのです。
残酷な世の中だとは思います。一人生き残ったアレウスさんはもしかしたら、その事実を知らないほうが幸せだったのかもしれません。
「俺たちはみんなみんな、お前らのためにいるっていうのか! 俺たちの生死すら、お前らに利用されて! どうなってんだよ、意味わかんねえよ。おかしいだろ……」
私すらも、凛さんのために存在している。
そもそも神は世界を滅ぼしたくないのでしょうか。フレイムの言うことだけを聞くと、そう思えてきました。
違う。世界はそもそも滅ぼされるはずだった。なのに、転生者にのみ世界を救うチャンスが与えられていたのではないでしょうか。私がイレギュラーであることを加味すれば、この世界に本気で世界を救おうとしているのはフレイムの言っていた転生者三名だけになります。そして、本来は、私ではなく、祐樹が。
まるで、この世界の人々が皆蚊帳の外ではないですか。
アレウスさんの気持ちもわかってきました。
「俺はなんのために生きていけばいいんだ。俺は何を考えて生きていかなきゃいけないんだ」
だからって、私にはアレウスさんを勇気づけるような言葉が浮かびませんでした。そういうのは私の柄ではありません。
「とにかく、そんなナイフじゃ私を殺せやしませんよ。諦めて離れてください。いい加減重いんです」
アレウスさんはそれを聞いて、何も言い返せず、私から、離れ、だるそうに横になりました。
静かな夜に、すすり泣く声が響いていました。それは、本来なら、木々の騒ぐ声にのまれ、聞こえないような大きさなのですが、なにもない、場所ではそれが物悲しく響いていたのです。
「……きっと、いつか幸せになれますよ」
私は、向こうを向いてしまったアレウスさんの背中へそう、一言だけ言葉をかけました。
失意の感情は、旅を止める理由になることはできず、私たちは来る日も来る日も進み続けていました。しかし、ただでさえ、言葉の少ない旅で、ついには、一言も発せられなくなり、息苦しさだけが、旅を支配していました。
「私は私が誰かのための生き物だとしても、それでいいと思いますけどね」
と、夜、アレウスさんやセバスさんなどが寝静まったとき、テールイは私にそう言いました。
「どうして?」
「誰かのために生きていけるってそれはそれで幸せなことだと思うんですよ。私の存在が誰かの幸せになっているって、いいことじゃないですか?」
「そうかな」
私は私のために生きていきたい。
そう、私は心に固く決意していました。しかし、私がどう思ったって、私は凛さんのために、祐樹のために、外の世界からやってきた転生者のために私は生きています。
テールイの言う通り、それはそれでいいのかもしれません。私が凛さんの幸せを作り出すことができるのならば、それは私にとっての幸せなのですから。
なんだか、新しいことを知ったのにわからないことが増えた気分ですが、依然として私の目的は変わらないので、特段、変化はない、ということで、私の中では割り切っておきたいものです。




