第二十二話 少年
旅ももう一週間が経ちました。残り二か月。そう考えると、案外早く終わりそうな気もしますが、最終目的地が大賢者のいる竜王山であるので、まだまだ先は遠いものです。
しかも、この一週間で、魔獣を十二匹殺しており、頻繁に戦闘が起こっているため、気は抜けません。闇覚醒の力で簡単に倒すことはできるのですが、それでも、毎日のように戦っていれば、疲労はします。けれども、テールイと二人で歩いていた時ほどは疲れていませんので、全く馬車様様と言った感じです。
さて、その日、私たちはついに物が残されている村へたどり着くことができました。
実を言うと、元村や町には幾度か立ち寄っているのですが、そのすべてが完全なる廃墟で魔獣に荒らされていたのです。ですから、比較的元の形が残されている村というのは非常に珍しいものだろうなと、アレウスさんは言っていました。
さて、その村に入りますと、やはり、魔獣の手によって破壊されたところがありました。なんなら、ほとんどです。しかも、死体が数多くありました。ほとんど、骸骨なのですが、布が残っているのはありまして、骸骨を二十体も漁れば、そこには良い感じの下に履くような服もあるわけです。もちろん、サイズも合いませんし、血で塗れていたり、泥で汚れていたりするので、きれいなものではありません。しかし、寒さをしのぐことは可能ですし、アレウスさんの私の脚を見る目を防ぐこともできます。正直、アレウスさんの視線は本当に気持ち悪いので、それだけでも得と言えます。
そのアレウスさんは私が死体を漁っている間、一人、遠くを眺めていました。何かを探しているかのように。
その服は、洗ってみると、案外いい感じだったので、しばらくはそれを着て過ごすことになりそうでした。そして、着てみて分かったことがあります。
「やっぱり寒い」
それから、さらに一か月。魔獣の襲撃はさらに多くなり、一日に五体、六体と相手にすることがざらとなってきており、それとはまた別に旅の疲れも出てきました。長い間、馬を操り続けているセバスさんやもう一人の従者の方――未だに名前は知りません、聞く気もありません――はもちろんのこと、アレウスさんやテールイは座っているだけなのに疲れています。
それもしょうがないことでしょう。実際、私も戦闘よりも、座っているだけのほうが疲れます。
しかも、話すこともないので、ただただ静かに旅は続いていました。テールイがあまり人と話せないのは言わずもがなですが、私も会話は苦手で、アレウスさんも苦手なようなので、誰も話せないのです。それだけで地獄のような有様ですが、それが少なくともあと一か月は続くのです。
さすがにこの間の対魔獣の初戦闘時までとはいきませんが、絶望的状況ではあります。人間を最も殺しているのは暇なんじゃないかなと錯覚してしまうほどです。
冗談ですけど。
「テールイ、肩揉んで~」
テールイは少し困ったような顔をしましたが、言うとおりにしてくれました。やはり、とても従順でかわいらしい子です。
そんな私たちを眺めながら、アレウスさんは一人、暗い表情をしていました。
テールイが少し心配そうな顔をしたのが見えます。私は興味ないんですけど。
「もうすぐ、私の生まれ故郷へ着く」
突然、彼はそう言いました。
「思ってたより、遠かったんですね」
と口に出すと、
「ああ、そうだな。それよりだ。おかしいとは思わないか? 君たちはもうあんなにも魔獣を殺しているのに、未だにその親玉であるドラゴンに遭遇していないじゃないか」
「そんなにおかしいですかね? 私はドラゴンたるものを全く知らないので何も言えませんけど」
と、テールイが口を開きました。
「ドラゴンって、人間に干渉したがらないって聞いたことあります」
「じゃあ、なんで僕たちの村を襲ったんだ?」
「それは……」
言われてみれば、不思議ではあります。なぜ、わざわざ人間のいる村を襲って、そこを根城としたんでしょう?
「まあ、人間の思考の及ぶところではないんでしょう」
と、早くも思考を放棄しようとしますと、
「いや、僕は大賢者がけしかけたんじゃないかと、睨んでいるんだ」
とアレウスさんは突拍子もないことを言ってきました。
「どういうことですか?」
「大賢者の目的は知らない。だが、今こうして、圧倒的実力を持つ君が大賢者に会おうとしている、そのことはかなり特殊なことに思われるだろう? そして、何の情報も知らなかった君に、僕が大賢者についての情報を与えた。思えば、ドラゴンが現れた村に、大賢者がやってくることも何か裏があるとしか思えない」
「裏、ですか」
「もしかしたら、僕は今日、この時のために生かされ続けていたんじゃないかと思うんだ。すべては君と大賢者を会わせるために」
「でも、それはおかしいですよ。だって、大賢者が私に会いたいと言うのなら、折角便利な能力があるんですから、それを使えばいいじゃないですか」
「それもそうだが……」
しかし、本当だとしたら……、そう考えたとき、少しだけ希望が持てます。ひどく遠いものに思われていた到達点がぐっと近づくような気がしたのです。
そんな話をして、二日が経過したころ、ついに私たちはアレウスさんの故郷へとたどり着きました。近いとか言っておきながら、全然近くなかったことはさておき――そこは私とアレウスさんの感覚の違いです――その村は思っていたよりはずっと広く、そして、奇妙な雰囲気を纏っていました。
それもそのはず。私たちは村に会ってすぐ、そこに一つ、人影を見たのです。
「誰かがいる……?」
おかしな話です。ここの近くでも魔獣には会いましたし、何より、もうすっかり荒廃した村。人などいないはずなのです。
中に入っていきますと、私たちはとんでもないものを見ました。
村の中心、そこにいたのは一人の少年でした。
年のころは十七といったところでしょうか。特徴的なのは真っ白な髪。私のは銀髪ですが、彼のは完璧な白なのです。顔は幼いもので、どこか優しい瞳を持っていますが、彼は私たちの姿を認めると、口元を歪ませ、嗜虐的な笑みを浮かべました。その表情に思わずぞっとしてしまいます。
しかも、彼は異常なほどの存在感を放っており、その傍に座っていた魔獣たちの存在に気付くのに時間がかかるほどでした。
「時間ぴったりにここに来てくれるとは。元シュワナ王国王女シュワイヒナ・シュワナと他数名」
「時間ぴったり? どういうことですか?」
それを聞いた少年はさらに、笑い、私たちへと近づきました。
「さあ、どういうことだと思う? わからない? わからないよねえ」
にひひと笑い、彼は私たちに詰め寄りました。
その姿を見ているだけで、イライラしてきます。何も知らない、何も知ることのできない私たちを笑っている様子そのものが気に食わないのです。
「やだなあ、そんな怖い顔で睨みつけちゃうの? やだな、やだなあ。まあいいや。そこに魔獣が三体いる。彼らと戦ってよ」
「理由を聞かせてください」
「戦わなければならないからだよ」
そう言って、少年はさっと跳び、瓦礫の上に立ちました。
まるで、それが合図とでも言うかのように、魔獣たちはそれまで大人しく座っていたにも関わらず、ぐるると牙を剥き、私たちに敵意を向けてきます。
どうやら、本当に戦わなければならないようです。
時間の無駄だと言うのに。
「闇覚醒」
私が、そう呟くだけで全身から、暗闇が溢れだしました。未だ正体のわからぬ闇。きっと、いつまでも正体のわからぬ闇。それは、私の全身を覆い、私の体を徐々に黒く染め上げてきました。
脳みそが壊れてしまいそうな快感が私の全てを支配し、全身が戦いに飢えていくのが身に染みてわかります。
まず一匹。私のほうへ襲い掛かってきました。しかし、その姿そのものが、私の体から噴き出した闇によって、飲み込まれてしまいます。
あとには何も残りません。
異常を察知した魔獣は私のほうを見て、震えました。最近の魔獣の群れとの戦いではいつもこうです。
「逃がしませんよ」
闇はさらに、加速し、魔獣たちをあっという間に飲み込んでしまいました。
時間にして、三十秒足らず。たったこれだけの戦闘で、どこかの誰かさんの寿命が二年と半年縮みました。
魔獣を食べてしまった充足感に酔いしれる時もなく、私は闇覚醒を解除しました。闇がすーっと抜け落ちて、少しの疲労感が残ります。
「ふーん、これが闇覚醒。まさか、使いこなせる人間が本当にこの世にいたとはね」
少年は私のほうを見下ろし、独り言のようにつぶやきました。それから、
「ねえ、悪魔さん。僕と戦おうよ」
そう言いました。
「は? 今の見てて、言うんですか? それなら、随分と腕に自信があるんですね」
「へえ、自分なら、僕に勝てると思ってるんだ? でもねえ、良いことを教えておくと、僕は君よりも弱いけれども、君には絶対に負けないよ」
「本当ですか?」
「ああ、本当だとも」
「試したくはありませんね」
「ふーん」
少年はつまらなそうに、どこか遠くを向きました。それから、
「僕と戦わなきゃ世界は救えない、と言ったらどうかな?」
とニヤリと笑って言いました。
嫌な気がしました。信じたくはないことなのに、それが真実であると確信してしまうような感覚に襲われたのです。
この男、何かを知っている。
「どうやら、僕の正体もつかめてきたようだね」
「いいえ、ふと思いついた私の考えには致命的な欠陥がありますからね」
「そうなんだ。つまんないの。で、戦うの? 戦わないの?」
「戦います」
「やった! テールイには悪いね。君はもう闇覚醒を見たくないようだけど、シュワイヒナはまだ使うようだよ」
「そんな……」
テールイはそう口に出しましたが、すぐに首を横に振って、
「シュワイヒナさん。頑張ってください」
そう言いました。
「ふう」
もう一度、あの感覚を取り戻していきます。すぐに、言いようのない感覚が私の全てを支配し、
「闇覚醒」
全身が闇に包まれたかと思うと、次の瞬間、私の体は力にみなぎっていました。
「やっぱり、とんでもねえ。本当に意識があるんだな」
と少年は驚いて言いました。
「計画壊れそうだけど、大丈夫かなあ」
瓦礫の上から、降りてきた少年は改めて私のほうへ向き直ります。
「まあいいや。殺すつもりで来なよ」
少年は指をくいっと自分のほうへ向ける仕草を取りました。
「殺すつもりですか? 後悔しても知りませんよ」
「大丈夫さ。僕は死なない」
「さっきも、負けないとか言ってましたよね。何を隠しているんですか?」
「戦いの中でわかるさ」
やはり、鼻につきます。
思い知らせてやる。
私の全身から、闇が噴き出しました。そして、それらは一つの束となり、少年へと襲い掛かっていきます。
しかし、
「舐めてんのか!」
少年は軽々と、それらを避け、闇に食われる様子は少しもありません。
「それじゃ、僕は倒せないよ!」
ひひゃははと、笑い、少年はこちらへ詰め寄りました。
確かに、闇の動く速度は遅いものです。それは、私もとうの昔に分かっていたことでした。ですが、圧倒的な攻撃力を持つそれを真っ先に使ってしまうのです。そして、
「ちっ」
それを突破された時、どんな行動をとればいいかわからなくなってしまいます。
目前に迫った少年はまっすぐ私の体へ拳を向けていました。
パン!
破裂音とともに、防御のために出した手が吹き飛びました。しかし、そのとき、既に私の頭の中に起こっていた焦りは消滅していました。
私は余った右手を前に突き出し、目の前の少年の顔を掴みました。
「なっ!」
一時的に肩から腕にかけて、大量のマジックポイントを送り込み、半ば瞬間移動のような動きを実現して見せたのです。
そのころには、既に吹き飛んだ腕は再生しており、戦闘の優劣は誰の目にも明らかでした。
「あなた、さっき、殺すつもりで来い、って言ってましたよね。それに、私の闇を見て、それじゃ、俺は倒せない、とも。悪く思わないでくださいね」
圧倒的優勢に立った満足感だけが私の脳みそを支配し、彼の存在の必要性などすっかり忘れていました。だから、
「死んでください」
私の掌から、闇は噴き出し、少年の顔を包みました。次の瞬間には、彼の頭はなくなっており、切り離された胴体は糸が切れたみたいに崩れ落ちました。
完全勝利。そう思い、私はそこから、去ろうとしました。しかし、その瞬間、とんでもない轟音があたりに響き、振り返ると、
「やべえな。お前」
少年が五体満足でそこに立っていました。




