第十九話 魔獣
魔獣の黒い眼をじーっと見つめると、魔獣も私の目を見つめてきました。
「ぐるああああ!」
もう一度、大きく吠え、それは走り始めます。こちらを捕食対象とでも見ているのでしょうか。それとも、自らの住処を荒らす侵入者とでも?
どちらにしろ、こちらに敵意を持っているのは変わり有りません。ですから、その敵意に応えてあげる必要があるように思います。
「まあ向こうから見れば、私も敵意むき出しに見えるんでしょうけど」
銀の髪を宙に浮かせ、全身から力が溢れている少女など初めて見たでしょうし。
肉はかなり厚そうに見えます。おそらく、一撃で首を切り落とす、などと言ったことはできないでしょう。しかし、後ろにいるみなさんのことを考えますと、できるだけ早く決着をつける必要があります。
手っ取り早くダメージを与えるにはやはり、防御が薄い部分を狙うべきでしょう。例えば、目に剣を刺せば、そのまま脳みそをかき回し、簡単に相手を殺すことができます。
これで決まり。突進をそのまま受けて、剣を相手の目めがけて刺す。
難しい話ではありませんでした。実際、うまくいったのです。それだけは。
魔獣と接触してから一秒も経たないうちに私はそれの目へ剣を刺しました。そして、信じられないものを見たのです。
「がらああああ!」
痛みに悶えた魔獣は、条件反射的に行動を起こしました。簡単な話です。実際に、目の前に何かが迫ってきたら、目を瞑るでしょう? それと全く同じことを魔獣もやっただけの話です。しかし、目を瞑っても間に合いません。私の突きの速度は動物の反射神経の速度を遥かに超えています。では、何が問題なのか。答えは簡単です。
魔獣は目を瞑って、その瞼で、私の剣が自分の脳みそまで到達するのを防ぎました。まるで、何かにつかまれているかのように、剣は動かなくなってしまったのです。
どこにそれだけの力を生み出す筋肉があるというのでしょうか。
ただただ驚愕。しかし、驚いているだけではどうにもなりません。すぐに次の策を考えなければ。
そう思っていた時、また信じられないことが起こったのです。
「――ッ!」
私の剣はみるみるうちに押し返されていきました。まるで、その魔獣の眼が外部からの侵入を拒むかのように、剣は全て吐き出され、次の瞬間、私の体は宙を舞っていました。
まさに驚きの連続。しかも、まだまだ続きます。
今度は魔獣の切り裂かれた目がみるみるうちに治癒されていくではありませんか。
それを見たとたん、私は何かを悟りました。
「魔獣――魔法が使える獣」
確実に体内に自分自身で使えるマジックポイントをため込んでいる。そう、私は結論付けました。魔獣はマジックポイントを用いて、剣を吐き出し、肉体を治癒し、自らの体へ異物が入り込んでくることを拒んだのです。
どうやって戦えばいいのかわかりませんでした。一生耐久し続けて向こうの体力が尽きるのを待つと言う方法もあります。しかし、今後もこのような魔獣は複数出現すると考えられ、その度に長い時間をかけて、戦うと言うのはあまり良いものとは言えませんし、第一、そんな戦闘スタイルは私の好むところではありません。
無理矢理、分厚い肉体を貫通して殺す。それをするならば、それ相応の力を一度に叩き込まなければなりません。
無事、地面に着地した私のほうへ魔獣は向き直りました。震えてしまいそうな強い眼光です。誰とも戦ったことのない人ならば、この目だけで、怯み、そこから動けなくなってしまうでしょう。――いえ、戦闘経験を積んでいる人でさえもそうさせてしまうほどの鋭い眼光です。
私は睨まれたくらいで止まるようなタイプの人間ではありませんが、鼓動が早まるのを感じました。全身がまるで風邪でも引いてるみたいに熱くなっていきます。
「さて、次の一撃で決めますか」
瞬間最高火力を叩き込む技。これは玲子さんや、ジョイマスに放ったものとはわけが違います。
目を瞑り、精神を集中させました。意識を研ぎ澄まし、マジックポイントを足と、腕に集中させていく。時間を使って、できるだけ濃く、濃く、濃く。
簡単に闇覚醒の力に頼るわけにはいきません。あの力はバンバン使っていいものではないということは玲子さんの話を聞いてわかりました。しかし、闇覚醒の力を使っているとき以上の力を使わなければならないのです。
そのためには私の最高火力を試しておく必要もある。あまり実戦で使えるものではありませんが、今度の敵は対人間を経験していないように思われ、また隙は多大にあります。その場に止まった私を見て、突っ込んでくるようなことはしてきませんでした。
行ける。最高火力を放てば、あの鎧のような肉体すら貫通できる。
「王流剣術第壱法超加速」
これが私の最高速度。
轟音とともに、私は走り出しました。いえ、走ったのではなく、跳んだのです。間の距離を一度地面を蹴るだけで詰めれるほどの脚力を一時的に与えました。私の反射神経の処理速度を大幅に超えるその移動は私の目の必要性を失わせます。
だから、自分の居場所を予想して、剣を振ります。踏み出した時には既に剣は振るわれ始めていました。そして、まるで、腕にとてつもない力がかかるのを感じます。腕が消し飛んでしまいそうなその力を押し出して――
獣の強い匂いが鼻腔を刺激するのを感じました。それから、激しく腕が痛むのも。
私は魔獣の首を一撃で切り裂いていました。
周りの木々は倒れ、何か大惨事が起こったかのようです。
「腕も足も破裂しそう」
私は回復魔法をかけながら、馬車のほうへ戻っていきました。
「これが君の実力か」
「まあ、はい」
「僕は少し君のことを侮っていたのかもしれないよ」
「それはいいんですけど、さすがに休ませてください」
馬車に乗り込み、座り込みます。さすがに疲れてしまいました。マジカルレインがあるから、マジックポイントが空になってしまったってわけでもないんですけど、足にも腕にもおかしくなるくらいの重圧をかけてしまい、とても痛みます。回復魔法は痛みを取り除く魔法ではありませんし。ただ、さっきの回復魔法がなければ、私は歩き出した途端に、冗談ではなく、体が崩れてしまっていたでしょう。
やはり、命を賭けて戦うのはしないほうがいい。極論言えば、一方的な戦いのほうが楽しいですからね。自分の優位を確かめられて。
「シュワイヒナさん。随分疲れたみたいですね。ゆっくり休んでください」
そう言って、テールイが尻尾を巻き付けてくれました。
「うん、ありがとう」
温かみを感じられて、少し幸せな気持ちになります。
しかし、休息は一瞬にして終わりました。
「ん? 地震か?」
馬車が出発間近になって異変が起こりました。地面がぐらぐらと揺れ始めたのです。しかも、さっきの魔獣が現れたときよりもずっと強く。
地震ではありません。これは――
「まずい……ですね」
現れたのは先ほどの魔獣よりもさらに一回り大きな魔獣。
「化け物……じゃないですか」
迫力が違いました。その目つきは先ほどの魔獣よりも強く、明確に「怒り」が見て取れます。先ほどの魔獣の家族でしょうか。
申し訳ないことをしました。家族を殺される痛みというのはいくら魔獣だって同じはずです。
だからって、みすみす殺されるわけにはいきません。生きたいのは私たちだって一緒なのですから。
痛みでおかしくなりそうな体を無理矢理動かして、私は剣を握りました。ふうと息を吐いて、構えます。
相手が大きくなったからと言って、やることは構いません。それが私の限界なのですから、これ以上などできないのです。
もう一度、さっきと同じことをしないといけないと思うと、戦闘後の自分の体が大変なことになっていそうで、憂鬱な、逃げ出したいような気分になります。
「マジカルレイン。肉体強化」
髪をもう一度浮き上がらせて、戦いの準備を、たったコンマ一秒のための準備を始めました。
また一撃で終わらせるだけ。
「王流剣術第壱法超加速」
同じように動き、同じように斬る。剣撃は生物に受けられるものではなく、視認も到底不可能。極限まで練り上げられた速度には誰もついてこれない。それは自らの肉体までも削る技だから、受けさせるわけにはいかない。
感覚は先ほどの一撃で身に付きました。時間を経てずとも放てます。
意識が飛んで、何度も、何度も死んでしまいそうな痛みに耐えながら、私の体は宙を舞い、一種運にして、魔獣へ肉薄しました。既に振られていた剣を上向きに魔獣の首へ接触させます。
しかし、
「――ッ!」
かけられた力は阻まれ、行き場を失い、ついには私のほうへ跳ね返ってきました。力の大部分は魔獣の体をすり抜け、内部を破壊していきましたが、切断することは適わず、剣は途中で止まってしまったのです。
こうなってしまうと大変で……いえ、大変なんて言っている場合ではありません。
極端に負荷をかけられた私の体は崩壊が始まっていました。まずは、足と腕、次いで全身へと。
その場に立っていることなどできず、剣を握っていることすらも現実味を帯びなくなっていきます。
痛みには慣れていました。苦しみなんて何度も、何度も味わってきました。
しかし、今回ばかりは話が違います。目の前に死が迫ってきていると言う状況が、なにより、回復魔法が間に合っていないと言う状況が信じられず、呼吸はさらに荒くなり、意識は消えかかっていました。
魔獣も攻撃に耐えきれず、その場に倒れ、私もその場に倒れこんでしまいました。
ああ、倒れたのではなく、脚は文字通り崩れてしまったのです。
「シュワイヒナさん!」
テールイが目いっぱいに涙を浮かべていました。
「安心して、こんくらいどうってことないから」
昔の私なら。
「だって、脚が、脚が……」
「まあまあ」
呆然としたまま見つめるアレウスさん。呼吸すらも忘れてしまったかのように見えます。
腕が、肉体が戻ってきたのを感じました。しかし、下半身は戻ってきません。
ここまでのダメージを受けてしまった体を短時間でもとに戻すにはもはや手は一つのみ。
「闇覚醒……か」
魔法などと言った概念を超越した存在である闇覚醒ならば、崩れてしまった体をもとに戻すことなど他愛のないことです。
しかし、それを使うことはできません。なぜなら、今の私には闇覚醒が使えないのだから。
あの力の感覚をどうしても思い出すことができないのです。あの怒りが、憎しみが、今の私にはなぜだか到底湧いてこないのです。
力を無理矢理使おうとすると、意識は遠のき、思考することがままならなくなってしまいます。
きっと自分勝手に人を憎むと言う感情が欠落してしまったのでしょう。日々、自責の念に駆られていてはそうなるのは当然ともいうことができますが。
そう、逃げてしまうという選択肢があったにも関わらず、周りの人のことを考えて、立ち向かってしまった、人のために戦ってしまった私に、自分のための力である闇覚醒は使うことができないのです。それも強い憎しみも、怒りもないのですから、尚更です。
口では、こんくらいどうってことない、なんて言っておきながら、内心はとても焦っていました。マジックポイントが体のどの部分を流れているかどうかが分からない時点で、対策の練りようがないのです。そして、止血もできません。血が流れて死んでしまおうとしているのです。
しかし、状況はそんなに悪くもなく――そうでなければ、死を覚悟して、焦りどころではないのです――私の脚は確かに再生が始まっていました。もうないはずの脚の感覚がまた生まれ始めていたのです。回復魔法は、完全に失ったものは再生できませんが、脚は完全に失われてしまったわけではなく、崩れた脚は徐々に元の形に集まってきていました。
緑の光に包まれたそれは、絵面だけ見たらかなり気持ち悪いものではありますが、さして問題はありません。かなり時間がかかりますが、一時間もあれば、元通りになっていることでしょう。
「テールイ、ちょっと食べ物取ってくれたりしない?」
そう口に出したとき、私は一つの異変に気付きました。そして、戦慄し、事態の悪化を、状況がおよそ考えられ得る最悪の方向へと傾いてきてることを察しました。
目の前に倒れた巨体が大量の血を流しながらも、動き始めたのです。
少しずつ、少しずつ、体は持ち上がっていき、剣が地面に落ち、からんからんと場にそぐわない軽い音を出し、砕けました。
それから、自らを傷つけた、満身創痍の少女のほうへ向き、
「ぐるあああああ!」
大きく咆哮しました。




