第十七話 犠牲
「男ってどういうこと、ですか?」
「どういうこともなにも男だったってだけだよ。何か問題あるのか」
大あり、なんですけど、この人にはそれが関係ありません。それを失念していました。
いえ、しかし……私はあの村にいたと思われる風魔法使いは凛さんだと確信していましたから、その前提が崩れるとなると、なんだか胸が締め付けられるような気がしました。希望はただの妄想で、それを信じ切っていたなど、哀れともいえません。
「まあいい。君が来てくれたことが一番大切だからね。さて、結局君は私の申し出を受けてくれるのかな?」
そう、今はショックを受けている場合ではありません。そもそも本当に優先すべきことは大賢者を探すことで、仮に凛さんを見つけたとしても、それは私の幸せってだけで、何も解決していません。ですから、本当は大事なことではないのですが……。
無理やりにでも切り替えて、話を進めましょう。
「それはもちろん、受けますが、条件付きでお願いします」
「条件?」
「はい、そうです。私たちに善良な国民たちを見捨てて、自分だけを助けろと言っているのですから、少しの条件くらいならのんでくれますよね?」
「……条件を聞かせてもらおうか」
「今後二年分の生活費と、大賢者について知っていることを洗いざらい吐いてください」
それを聞いてアレウスさんは顔をしかめました。
「二年分の生活費、か……。それを準備するのは時間がかかる。それこそレベリア首都リバルにたどり着かなければそれだけのお金を工面すること自体難しい。だが、いい。約束しよう。必ず保証する。しかし、大賢者、か……」
「何も知らないのですか?」
「いや、何も知らないわけではない。だが、長い旅だ。賢者のことについてはその中で語ろう」
そういうんじゃないんです。あなたがどれだけ有益な情報をつかんでいるか、それが大事なんです。しかし、ここの場所的にももはや彼を頼る以外に他はありませんし、状況から私たち優位で交渉が進められているので、この機会を手放すわけにはいきません。長い旅ですから、印象を良くするのは大切なことですし。
ですから、私は何の文句も言わずに、頷きました。
「では、交渉成立、と」
それから、私たちはその家で泊まらせてもらうことになりました。食事は普通って感じで、特別豪華ってわけではありません。この壁に囲まれた街のどこかでは家畜を飼っているところも野菜を育てているところもあるのでしょう。
その街が住民ごと放棄される。何人死ぬかなんてわからない。仮に生き残れたとしてもここよりも安全な場所に行くことなんてできない。それが彼ら彼女らに突き付けられた現実。
そう思った時に、私たちだけ生き残るのも少し申し訳ないような気がします。ただ申し訳ないって気持ちだけで死ぬような性質ではないんですけど。
「出発は明後日にしよう。ついてくるのはこの家の使用人たちだけだ。彼らはもう二人しかいないし、五人くらいならある程度の期間、養える。それじゃ自己紹介と行こうか。僕の名前はアレウス。この街生まれだ。君たちの名前はさっき聞いたな。出身はどこなんだ?」
「私はリデビュ島シュワナ王国です」
「……東の獣人村」
「ほう。そういえば、リデビュ島は災難だったな。魔王は倒れたが、問題は山積みだろう」
魔王よりやばい王が誕生してしまいましたからね。とは言えず。
「しかし、なんでこっちに来たんだ?」
「人探しです。大賢者のところへ行かなければならないんですよ」
「それで大賢者様の情報を欲しがっているんだな」
「ええ」
「どうやって来たんだ? 東からは遠いし、海を渡るにしても距離がありすぎるだろ? しかも少女二人で……」
「まあいろいろあったんですよ」
「それに間違ってたら悪いのだが、君のその名はシュワナの王女の名じゃないか。なぜ、その名前を騙る?」
「別に騙っているわけではありませんよ」
「僕とて藁にも縋りたい思いだ。だから、君たちを受け入れた。しかし、あまりに現実味がなさすぎるとは思わないか?」
「不安がるのは別にいいですが、仕事はちゃんとしますよ」
「そうか」
私たちがヴァルキリア出身だとしても、死ぬ時が変わるだけ。それだけわかってくれていればいいんですけどね。
「テールイ、だったかな。君はなんでこっちに来たんだ?」
「えっ……わ、私は――」
「それはそうとして、明日私たちでかけてもいいですか? どうせ私たち一日暇ですし」
「ああ……それはいいが……」
彼の目を見つめました。どうして、私が今、話を無理矢理切ったかをわからせるために。
テールイは自分の昔の話をするのは好きじゃなさそうです。それでも、人の記憶にはだしで踏み込んでいく人もいますし、実際私もそれをやらないとは言えないので、こうやって牽制するのは必要なのです。
「わかった。じゃあ、明後日よろしくな」
そう言ってから、その日の晩はお開きになりました。
寝室へ行き。
「シュワイヒナさん、あんな仕事受けちゃってよかったんですか?」
「むしろ、好都合まであるわ。だって、お金も手に入るし、情報も手に入るし、戦地から逃れることもできるじゃん」
「そうですけど……あっ、さっきはありがとうございます。さすがシュワイヒナさん。私のことよくわかってくださっているんですね」
「別にお礼を言われるほどじゃないよ」
「明日、本当に出かけるんですか?」
「ああ、適当に行っちゃったからな……」
「街の人々に情が芽生えてしまったら、困りませんか?」
「それは……そもそも救える命じゃないから。この世の仕組み的にもしょうがないのよ」
弱きものから殺される。弱肉強食の世界は文明が進んでも変わりません。なくならないのです。それに文句を言ったって意味はありません。
「でも……私はもう寝ます」
「テールイ……」
あなたの気持ちもわかります。私だって罪のない人が殺されるのを黙って見過ごせるわけではありません。解決できることならば私だって解決したいのです。しかし、戦争に関与するのも、どっちみち死にゆく人たちを助けるのも私にとっては意味のないことのように思えて仕方がありません。今度ばかりは飲み込んでください。
きれいごとだけで解決できる世の中じゃない。時には妥協も必要だ。
なんだか胸が苦しくなりました。
テールイは目はつぶっていますが、寝息は立てません。きっと眠れないのでしょう。
「ごめん」
私は一言だけ、つぶやいて、横になりました。
次の日、結局私たちは外に一切出ることなく、ほとんどをベッドの上で横になるだけで過ごしました。昨日の夜はほとんど眠れませんでしたし、今日もやることがなかったので、久々の休憩にはなりましたが、いやはや私の性分からして、このような日があるだけでなんだかやりきれないような思いがするのです。
しかし、高級なベッドの上で眠ると言うのは非常に心地の良いもので、仮に私の身に何も果たさなければいけないことがなければ、一生このままでもいいような気もします。無論、そのときは凛さんと一緒に、ですけど。
と、「仮に」と言ったと言うことは、果たさなければならないことがあるということですが、それはもう十分お判りでしょう。それとは別に私にはこの事態を素直に楽しめない理由があります。
一つは、私の心の中を覆い隠すどんよりとした雲のこと。
もう一つは、昨日からテールイの機嫌が悪いことです。
テールイもきっといろいろ思うところもあるのでしょう。それと同じように私も思うことがあるのです。
夜、体が睡眠を欲しつつも、これから先に起こることを考えると、落ち着けず、私はこの街の人々のことを考え始めていました。
この戦争はおそらくヴァルキリアからレベリアへの侵略戦争です。そして、侵略の際に起こることは大体決まっています。
男は殺されるか、奴隷にされ、女は性処理に使われる。
無論、これが全てではありませんが、生活が変わらないと言うことはほとんどありえないでしょう。
どちらにせよ、この街の人々は今はあんなにも幸せに暮らしていますが、近いうちに地獄へと叩き落されます。そして、それが終わる日が来るとは私は思えません。なぜなら、私にはこの国がこの戦争で勝てるとは到底思えないからです。
きっとそれはアレウスさんもわかっているのでしょう。だからこそ、逃げたい。
あまり褒められた話ではありませんが、この街の人以外、いえ、この街の人々でさえも、彼を非難することはできません。生きることを求めるのは人間のあるべき姿であり、他を差し置いてでも生き残ると言うのは当然のことです。それが悪いだなんていうことはできません。
それでも心に傷は残ります。それが見捨てる、ということのもたらす影響なのです。
そして、それを私たちは助けなければなりません。
頭の中ではそれが一番いいとわかっていても、どうしようもない。
テールイ、そう思っているのは、あなただけではなく、私やアレウスさんもなのです。
だから我慢しろというわけではありません。文句があるなら好きなだけ言っていいのです。でも、最後にはこの選択を取らないといけないのですけれども。
そんなことを言っても、意味はないので、テールイには黙っていました。
テールイは今日一日ただただ、ベッドの上で眠り、時折、シーツの端をぎゅっとつかんでいました。どこか苦しそうな彼女の寝顔が私の心をさらに締め付けるものとなったのは言うまでもありません。
どれだけ悩んでも結果は変わらないのですが、その時、既に私たちには悩むだけの時間が残されていませんでした。
日は沈み、言い表しようのないやるせなさの中に沈んでいた私たちの元へそれは突然襲い掛かりました。
ふと、窓の外を眺めると、遠く城壁の方で、煙が上がっているではありませんか。
それとともに、アレウスさんが私たちの部屋へ飛び込んできました。
「二人とも! 出発だ!」
ついにその時が来た。それを理解した私たちはすぐに支度をはじめました。
外に出ると、既に馬車は用意が済んでいて、いつでも出発できるという状況でした。しかし、すぐそばには無数の街の人々が集まっています。
「おい! どういうことだ!」
「俺たちはどうなるんだ!」
「まさか、逃げる気なのか!」
だれかがそう発したとたん、街の人々たちは顔色を変え、押し寄せてきました。
「ひっ……」
テールイはその様子に怯え、私のすぐ後ろに隠れました。
「なあ……助けてくれ……」
アレウスさんは弱弱しい声で、そう泣きついてきます。
「さっさと出発しましょう」
私は力強く言い切り、荷物を馬車に乗せ始めました。
押し寄せる人の荒波に馬が甲高く鳴きました。
「出て!」
そう私が叫ぶと同時に馬車は出発しました。しかし、速度は思っていたほどは出ず、人々は後ろからどんどん追いかけてきます。
人が、今にも泣き出しそうな声で、叫びました。もはやなんと言っているか聞き取ることができません。
あちこちで火の手があがり、夜の街は一瞬にして地獄へと変わっていました。暴徒化した人々が暴れているのです。
あれが、昨日まできれいだった街。あの悲鳴を上げている人も、一時間前までは幸せだった。あの泣きそうな顔をしている人も、あのたいまつを持って暴れている人も、みんなみんな、こうなるとは思っていなかった。
「シュワイヒナさん、これが私たちが生き残るってことですか! 私たちが逃げるからこうなるんですか!」
テールイが目いっぱいに涙を浮かべ、訴えかけてきました。
「違う、私たちが戦っていてもこうなっていた」
「でも……」
返す言葉もないようです。
私たちの力くらいじゃ、この街の人々は救えません。それでも、救いたいと思うのは傲慢だからでしょうか。それとも、ただの優しさなのでしょうか。
もはや私にはわかりません。
アレウスさんすら、泣いていました。テールイも涙が止まらないようでした。
私は――。
私は、泣かない。この旅を後悔の旅にしたくないから。
私は馬車を掴んでいる人の、手を引きはがしました。それから、私は前を向きました。行く手を阻む大勢の人たち。ただ一言、これだけ言えば十分だと。
「この馬車へ近づけば殺す。分かったら、道を開けろ!」
光り輝く銀色の剣を引き抜き、構えました。それから、どかない男の首にその剣を突き付けました。
「殺しますよ」
私の目を見た男はその場を逃げるようにいなくなりました。そして、他の人々も次々と道を開けていきます。
絶望に満ちた街の人々の顔が見えました。
あなたたちの力になれなくてごめんなさい。
そんな言葉は吐かずに、私はただただ毅然とした振る舞いを演じるほかありませんでした。




