第十六話 戦時
「あ……えっと、本当に何も知らないんですか?」
「何も知らないです」
「ひっ……わ、わかりました。お話します。まず、私たちの国レベリアは隣国ヴァルキリアと戦争をしているんです。それがもう二年も続いていて、レベリアはなんとしてでも勝つために国に入った人たちを問答無用で殺害、もしくは連行しても良いと言うレベリア軍事令を出したんです」
なるほど。戦いが長く続いて、軍部は新兵を訓練する暇さえなくなったために、あれだけ弱い軍隊を投入して、さらには少年兵までも投入していると言うことでしょう。余裕がないのですね。こんな国にいたら安心して眠ることもできませんし、だからと言って、その隣国に行くのも……。
まったく面倒くさい場所に来てしまったものです。それに、
「もう一つ質問です。佐倉凛という名は聞いたことありますか?」
「佐倉凛……し、知りません」
「そうですか。じゃああなたたちのボスのところに連れて行ってください」
「えっ!? ボ、ボスのところに……ですか」
軍隊の支部ならば参謀があるはずですから、地図もあるはずでしょう。安全地帯に行きたいと思っているのは凛さんだって同じはずですし、そちらのほうが良いとは思います。
しかし、凛さんも他国の戦争に関与するのはその国らに何ももたらさないということはわかっているはずですが、目の前で住民が傷つけられているのを見てしまうと、大した力もないのに助けようと思ってしまうのでしょう。神の加護についても正直信用ならないと言うところもありますし、やはり大賢者を探すよりも凛さんを探すことのほうが優先順位は高いのでしょうか。
行動がある程度は読めるだけ悩ましいところではあります。あれやこれやとやりたいことをならべるよりも一つに絞るほうが良いとは頭の中ではわかっているのですけれども。
さてさて、それからまた歩いて二十分もしないうちに私たちは軍の地方拠点にたどり着きました。
「ん? 迷子の案内なんてうちは担当していないぞ?」
「迷子……間違っていませんけど。この辺の地図を見せてくれませんか」
「ちっちぇえ女が二人でよくこんなところ来れるな。それにお前はなんでこんな女を連れてきてんだ」
「それは――」
さっきの男の人がボスらしき人物に説明しました。
「先に襲ってきたのあなたたちですからね」
と一応言っておきましたが、彼らの敵意が明かに増していきました。ただ、この辺りに戦闘特化のような人たちはいないようなので、もし戦う事態となっても大丈夫だとは思いますが、あまり強引な手は使いたくありません。仮に私よりも格上の相手がいた場合が怖いのです。
「まあいい。ここのメンバーじゃかなわないんだろ。わかった。わかった。地図くらいもってけ」
「ありがとうございます。あと、私たちのこと軍が襲わないようにしていただけますか」
「……わかった。できるだけ、な」
飲んでくれましたが、おそらくそんなに効果はないでしょう。こんな僻地に配備されている軍がそんな効力を持っているとは思えません。あくまで保険程度のものです。
「では、ありがとうございます」
そこからさらに一キロほど歩いた場所で、野宿場所を確保して、地図を開きました。字はまあぎりぎり読めます。そして衝撃的な事実が待ち受けていました。
ここからこの国と戦争をしている隣国ではないほうの国に行く際の最短距離は三千五百キロメートル。
思わず頭を抱えました。
全速力で一時間四キロ、十四時間ぶっ通しで歩き続けて、五十六キロ。それを二か月以上続けて、ようやくこの国を出ることができるのです。あまりに、現実味がなさすぎます。というかこの国の領土が広すぎますし、それとずっと戦争を続けることができる隣国の国力も計り知れないものでしょう。シュワナやリーベルテなど比べ物にもならないような大国に来てしまったようです。
しかも、最短経路中にある山の数も数えるのも面倒なほどの量です。正直、徒歩でこの行程を超えられる自信がありません。むしろどのような体力をしていたらこんな行程終えられるのでしょうか。街も、一つは近くにあるようですが、他の街はかなり遠いところにあるようで、そこまで行くのもまたかなりの苦労を要するでしょう。
そもそも凛さんはどうしたのでしょう。まだ国を超えている途中なのでしょうか。それとも、また別の方の国に入っていったのでしょうか。大賢者を見つけるのが先決だということはなんとなく理解してきましたが、それでも心配なのは変わりありませんし、「神の加護」もいくら目にしたといっても到底信じられるものではありません。
結局モチベーションがあまり上がらないと言うのが現実です。賢者が本当に助けてくれるかどうかもわかりませんし。
困難に当たった瞬間、こんなことを考え始める私の性格も性格ですけど。
「シュワイヒナさん、どうですか?」
「うーん、どこかで馬車かなにか借りない限りは厳しい……ね」
「厳しいんですか……」
「明日街で馬車を貸してくれる人を探す、うん、そうしよう」
次の日のことです。街は歩いて三時間のところにありました。大きな壁に囲まれていて、それなりに強固な場所ではありそうです。門のほうへ行くと、
「おや、お母さん、お父さんはどこだい?」
と聞かれましたので、
「いえ、私たちは旅の者です」
と答えると、
「それは信じられないな。一応、上のものを呼んでくる」
と待たされ、一時間以上検査されました。
どうやら、体に流れているマジックポイントの量を検査する鉱石があるようで、それを使われたところ、私は危険人物と認定されてしまいました。
「というわけで君たちの入国は認められない。君たちの力がこの街で行使されれば多数の死者が出る可能性がある」
「待ってください。別に私たちはこの街を壊すために来たわけじゃないんです」
「本当にそうか? 旅の者というのも怪しいし、君たちはヴァルキリアの方からやってきたではないか」
「そんな……」
「それなら、どうすればいいんですか。私たちだって戦争から逃れたくて、ここに来たんですよ」
「くっ……。まあいい。どうせ終わるんだから、君たちがそれができたとしても、いいだろ……それに……」
何やら老いた検査官は考え込み始めました。それから、
「シュワイヒナ、だったね。これを渡すからこの都市の中央にいる地主様、アレウスのところへ行きなさい。あと、この国が戦争中であるということは誰にも言わないように」
と言い、私に一枚の紙を渡しました。私が例の地主様と謁見するのに必要な許可証のようです。
「えっ、じゃあ私たちが国に入るの認めてくれるんですか?」
「ああ」
なんだかいきなり通されて拍子抜けですが、とりあえず入れるようで安心しました。ただ、何か裏があるような感じがして、少し不安な気もしました。
さて、中に入ると、それはもう「大都市」という言葉がよく似合う街で、夥しい数の家が立ち並んでいました。
「とても戦争中とは思えませんね」
「ほんと」
そう奇妙なほどに平和でした。ここからそう遠くないところに軍の地方拠点があるというのに。まるで戦争なんてないかのようにここの街の人々は呑気に暮らしていました。
なんだか状況が大体読み込めてきました。
それから中央まではさすが大都市なだけあって、それなりに時間がかかりました。途中ご飯を食べたり、テールイの見たいところを見に行ったりして、結局中央の地主様の家というところにたどり着いたのはもう空が紅に染まったころのことでした。
「ん? 君たちは?」
「シュワイヒナ・シュワナと申します。で、こっちはテールイ。地主様のところへ行くように言われたので」
「ふーん、わかった。じゃあ許可証を見せてくれるかな?」
「どうぞ」
「うん、ありがとう。いいよ、入って」
表にいた執事のような人とこのような会話をして、私たちは家の中へと入っていきました。
家は豪華な場所ではありましたが、行き過ぎるものではなく、地位を感じさせる作りではあるのに謙虚さも感じさせるバランスのいいものでした。将来、凛さんと二人で住む家のモデルにしたいくらいです。
「ついに現れたか……ああ、神は私を見放さなかったのか」
そう感嘆の声を漏らし、私たちの目の前に現れたのは一人の若者でした。無論、私たちよりも若い、なんていうことはないのですが、予想していたようなおじさんといった風貌ではなく、年頃は二十五ほどでしょうか、黒い髪と、黒い目をもつ者でした。
「少女か……男ではなかったのか」
なるほど。思っていた通りのようです。
「シュワイヒナ・シュワナと申します。こちらは獣人族のテールイです」
「よろしくお願いします」
「君たちが本当に強いのかい?」
「まあ、それなりには」
「まああの人のいうことだから、間違いはないのだろうな」
あの人、というのはおそらくあの検査官のことでしょうか。
「さて、君たちが聡明な人物であるのならば、この街がどういう状況なのか、そして、僕が君に頼みたい事とはなんなのか、がわかるんじゃないのかな」
「あくまで予想なので確実とはいえないのですけれども。それに、私の予想が当たっていたら、あなたは……屑と呼ばれてもしょうがないのかもしれませんね」
「痛いところをついてくるな。そうだ、僕は屑と呼ばれてもしょうがないと思う、なんせ街の人々を盾に逃げようとしているのだから」
やっぱり。きょとんとしている――とは言っても理解は進んでいる――テールイを置いてけぼりに、私はこの街が陥っているであろう状況について私の推測を語り始めました。
「ここに来る途中、この街にほど近い場所に軍の宿営地がありました。長く続いた戦争は実は向こう側有利で進みつつあるのですね」
レベリア軍事令、あれも証拠の一つに入るでしょう。
「ああ、認めたくない事実であるが、そうであろう」
「次に、一度崩壊し始めた戦線は再度組みなおすのにかなりの時間がかかるでしょう。その時間を稼ぐためには戦線を後退させる必要があります。だから、あそこの宿営地も直に後退し、態勢を立て直すために、さらにはこの街までも放棄する必要がある。それほどまでに追い詰められているのでしょう」
「……続けてくれ」
「しかし、街を放棄するためには住民を逃がす必要があります。しかし、これほどの大都市なのですから、人口も途方もない数になっているのでしょう。だから、全員を逃がすことはできない。でも、敵国の兵隊がここに来ます。しかし、あなたたち全員を逃がすことはできません、なんて暴徒化されたら大変ですから、自らの保身のためにも街の人々に言えるわけがない。それでも、あなたは死にたくないから、逃げたい。だから、同じく事情を知っている検査官に頼んで、自らが逃げるのを手助けしてくれるような強い人間を待っていた、合っていますか?」
「うん、合ってるよ」
「じゃあ、一つ質問です。たまたま私たちのような人がこの国を訪れたからいいものですが、それが本当に起こる確率はひどく低いはずです。なんで、そんなことに賭けたのですか、そして、私たちが来なかったらどうするつもりだったんですか?」
「ん? 来なかったら、大人しくこの街の人々とともに運命を共にするつもりだったよ。この街最強の人物でも道中の魔物や盗賊には勝てないと言われていたからね。しかし、確率が低いということはそんなでもないぞ。僕はある程度の打算があるから期待していたんだ」
「打算……?」
私たちの動きが筒抜けだったとでもいうのでしょうか。いえ、しかし私たちがこっちに来たのはつい昨日のことです。それを聞いて期待するのはあまりに速すぎると言うものでしょう。ですから、彼が言っているのは私たちのことではないはずです。
散らばった短い線が繋がって、長い線へと変わっていく。
「君たちではないのか。あれは」
「もしかして、村で、戦闘をしたうちの勝者がこちらへ来ると踏んでいたのですか?」
「ああ、そういう情報が入ってきていたんだ」
でも、実際には来なかった。
「それは! あっ、えっと……その戦いで勝ったのは風魔法使いの女性ですか?」
もし凛さんがこちらへ来ると言う情報があったとするならば、ここで待てば凛さんに会えるかもしれない。これまでにない大きな希望がついに私の目の前へと現れました。その高揚は例えようがありません。
しかし、今まで私が考えていたことを根底から覆すような、私の確信を消し飛ばしてしまうかのような一言が彼の口から放たれました。
「女性……? いや、風魔法使いの男だと聞いているが」




