第十四話 魔王
魔王化。玲子さんの口から飛び出したその言葉に私は衝撃を隠しきれませんでした。
「じゃ、じゃあ、あの魔王は……」
「そう。あの魔王は私の夫よ。大陸から、こちらへと渡ってきたとき、彼の体は突然黒く輝き、一瞬にして魔王化した。言葉なんて通じなかった。けど、魔王化する直前に逃げてって言われて、私はまた、大陸に戻った。怖かったのよ。そのあと、落ち着いて頭の中身を整理していってもやっぱり何が起こったのか分からなかった。それから、忘れて過ごそうと思ったのよ。で、魔王が討伐されたって話を聞いて、私はこの島に戻ってきた。いつか失ったことにも向き合わないといけないと思っていたし、それに、神話のことも気になった。あれは間違いなく、魔王化だって。それから、島に戻って、偶然桜と会ってね。桜からいろいろ聞いて、あなたにこのことを伝えなければいけないと思ったの。ここに来たのはただ向き合わなきゃ話せないっていうただのけじめよ。付き合わせちゃって申し訳ないとは思ってるわ」
また、随分と長々と話されましたが、それよりも魔王が元人間で、しかも突然魔王化が起こるなんて話を聞いて、なんだか脳を直接殴られたみたいで、後半の話はよく聞けませんでした。
突然何の前触れもなく、魔王化が始まるだなんて、止める手段なんてないじゃないですか。
「じゃあ、何その神話……だっけ。それが現実のものになるっていうの」
桜さんが尋ねました。
「ええ。おそらく、ね」
「じゃあ、凛は救世主などではなく、世界を滅ぼす災厄だっていうの」
「……ええ」
「災厄なんかにはさせません!」
思考を挟むことなく、その声は私の喉から出てきました。
「きっと……きっと何かあるはずです! 凛さんを世界を滅ぼす存在になんかさせません。そんなこと絶対凛さんは望んでないから……絶対……望んでないから!」
玲子さんは叫ぶ私の目をじーっと見つめてきました。
「なっ、なんですか」
「間違いだったようね」
それだけ言って玲子さんは桜さんのほうを見ました。
「で、魔王化した凛を止める方法だけど祐樹の力を借りるほかないでしょうね」
「だが、祐樹は湊を……」
「そんなこと言ってる場合じゃないわ。魔王化した存在を止めれるのは――」
「何言ってるんですか!」
叫んだ私のほうをちらっと見た玲子さんはため息をつき、話を続けました。
「魔王化した存在を止めれるのは祐樹しかいない。神話に載っていない魔王であれだけの強さを持っていたのでしょう。神話に載っているほうが強いと思うのは当然のことでしょう」
「……しょうがないわね。力を借りなきゃ」
「黙ってください」
「いや、むしろ、魔王との戦いで弱った祐樹を仕留めることができるかもしれない」
「それができるのが一番おいしいっちゃあ、おいしいんだけど……」
「黙って」
「まあ、祐樹が勝てるともわからないし、魔王化する前に凛を殺すと言うのも……」
「黙れ!」
「シュワイヒナさん!」
怒号は魔王城に響き渡りました。
テールイが私の手を握りますが、私はそれを振りほどき、玲子さんの襟を掴みます。
「凛さんは魔王化させないし、殺させもしない!」
しかし、玲子さんは私の顔を見下ろし、ため息をつきました。そして
「ふんっ!」
横腹に鈍い痛みが走りました。体は吹き飛び、壁に激突します。全身が激しく痛みますが、それも直に消えていきました。――闇の力に飲み込まれて。
「肉体強化」
凛さんを殺すよう画策する人間は先に殺しておかなければならない。それが、凛さんの身の安全につながるから。
「王流剣術第壱法超加速」
ほぼ不意打ちのように、私は至近距離でこの技を使いました。
絶対に避けられない。ジョイマスなどでも、この至近距離で放てば、殺せていた。それに、今の私は闇覚醒の力で、身体能力は向上している。
いける。
しかし、
「舐めないで頂戴」
放った剣撃は剣が砕け散る形で防がれました。
目の前で起きた信じられない状況に思考が停止します。
その間に私の腕は引っ張られ、地面に叩きつけられました。両腕を押さえつけられ、玲子さんは私に顔をぐっと近づけます。
「やっぱりあなた闇覚醒、使えるのね。あなたも化け物なのね」
「化け物……なんて」
「いい、よく聞きなさい。魔王化は止められないの。いい加減現実を見なさい。あなたにはあまりにも現実が見えてない。止められないものは止められないの! 佐倉凛は世界の敵なのよ!」
「まだ、分からないじゃないですか。止められるかもしれない。あなたが止められなかっただけでしょ!」
その言葉を聞いて、玲子さんは舌打ちをして、私の顔を殴りつけました。
「闇覚醒の力って、すごいらしいわね。なんせ殺しても殺しきれないっていうしね」
「何を……」
玲子さんは私の荷物に入っていたナイフを取り出しました。それから、私の首筋へと一発。そして、もう一発。鋭い痛みが首筋に走り、血が抜けていくのを感じました。しかし、自然と傷口は塞がっていきます。
それでも、玲子さんはひたすらに私の首を刺し続けました。何度も、何度も、何度も。意識が遠のきそうになっては闇覚醒の力で戻され、また、同じ痛みを受け続ける。
それがどれだけの時間続いたかはわかりません。しかし、気づけば終わっていました。玲子さんが私の視界から消えたのです。
「シュワイヒナさんにそれ以上すると言うのなら、私が相手です」
「テ……テールイ?」
私をかばうように立ったテールイの姿は私のよく知るテールイの姿ではありませんでした。
口からは牙が飛び出し、爪は長く伸び、顔つきは幼さなど消え去り、野性的なものに変化していました。
「ほう。獣人の本性というわけね。いいわ」
玲子さんは立ち上がりました。そして、
「ねじ伏せてあげる。グラビティクラッシュ」
ちょうど私も立ち上がろうとしていたころでした。
「えっ……」
立ち上がれませんでした。テールイもその場に座り込んでしまいます。
まるで、上から、とんでもない重さの空気がのしかかってきたかのようでした。体の自由が効かないばかりではなく、地面が窪んでいきます。
「さあ、動いてみなさいよ」
玲子さんは私たちを見下し、冷酷な笑みを浮かべました。
「殺しに来た相手を殺しにいったって、文句は言えないでしょう」
「あなたが凛さんの敵をするというのなら、殺しておくしかないんですよ!」
固有スキル「ワープ」を持つ桜さんがいる時点で、危険性はアキラさんよりもずっと高い。ですから、排除しておかなければならないのです。
「凛さん、凛さんって。いいわ。地獄で待ってなさい。そこに佐倉凛も送ってあげるから」
「なめるな……っ!」
多少体が重いだけ。そんな状態で、私が負けるわけがない。
条件を満たせば、最強の固有スキル。相手に理不尽を押し付け、抗う間も与えず、殺す。それが闇覚醒の特権なのだから。
「デス――」
使えませんでした。邪魔が入ったのです。口を塞がれ、固有スキル名を発することができなくなりました。
「やめなさい。シュワイヒナ。それに、テールイ、玲子も」
桜さんが私の口を塞いでいました。そして、私たちにそう諭します。
私たちの感じていた重力は弱まっていき、ついには消えてしまいました。
そうだ。なぜ、私はこうもすぐに手を出してしまうのでしょうか。凛さんは平和を望んでいたと言うのに私が争いを生み出しています。
でも、凛さんを守らなきゃ。大事な人を失いたくはありません。そのための力なのですから。どう考えても使うべきではない闇覚醒の力――憎しみの力。凛さんを守るために神から与えられた力なのですから、私だけが制御できている力なのですから。
だからって、いつでも殺すことは解決策でしょうか。殺すほかの解決策を模索しないで、殺すことが果たして凛さんのためになるのでしょうか。
ならない。とっくの昔に分かっていたことでしょう。それなのに、また一人殺そうとして……。
私は凛さんを守ると言うことを言い訳にして、気に入らない人を殺していただけでした。だから、守るための力ではなく、憎しみがトリガーとなる力を持っていたのです。
こんなのただの力を与えられた子供じゃないですか。
体を覆っていた闇は消え、そこには力を失った十七の子供がぼろぼろ涙を流してうずくまっていました。
現実が見えているつもりでした。私はできるかぎりのことをしているつもりでした。――凛さんのためだけを思って、動いているつもりでした。
でも、本当は自分のことが一番大事で、凛さんが大事で戦っていたんじゃなくて、凛さんを失うことが怖くて、戦っていました。
もう失うことのないように与えられた力が闇覚醒の力だったのです。そして、それを私は兄を殺すために使い、私の邪魔をした王様相手に使い、凛さんを殺す話をしはじめた玲子さん相手に使おうとしました。全部自分のために使っていました。その力の行きつく先があの魔王だと言うことすらも知らずに。
「……ごめんなさい」
「全くシュワイヒナも子供だけど。玲子も大人げないわね」
桜さんがため息をつきました。
「あなたたちにはわからないでしょ」
玲子さんがぼそっとつぶやきました。
「わかるわよ。大事な人を失った時の気持ちくらい」
「わからないでしょ! 突然いなくなっちゃうの! 助ける方法があるだなんて信じたくない。そんなのあったら、どうして海斗は犠牲に……」
「同じ思いをほかの人にやらせるわけにはいかないでしょ」
「そうかもしれないけど……大体、どこに方法があるっていうのよ」
「それは……」
「……神話」
テールイのその一言にハッとしました。
そして、夢の中でイラクサが私へ言った言葉を思い出しました。
『シュワイヒナ。君は世界を救えるかい?』
それは抗うことを決めた私を嘲笑うだけの言葉でしょうか。
私にはそうは思えないのです。世界を救う方法があるから、そう尋ねたとしか思えないのです。
しかも、やけに凛さんのことを親しそうに呼ぶあの神が凛さんの死を願っているでしょうか。
世界を救う方法がある。どこかにある。
神の提示した情報があちこちに散らばっているではありませんか。それらを繋げて、考えて、答えを導き出す。
「テールイ。神話は、スーコント神話の出どころはわかる?」
「えっ……出どころですか?」
「仮にその文章自体を神が考えたものだとしたら、もしかしたら、もしかしたら答えにたどり着けるかもしれない」
「シュワイヒナ。その質問には私が答えよう」
玲子さんがそう言ってきました。
「あの神話の文章は神が書いた文章だ。彼はそう私に直接言った」
「ほかに裏付ける情報は……桜さん。何かないですか?」
「……これにはあまり触れたくなかったんだけどね。私がシュワイヒナを大陸へと送ったとき……私、そのときの記憶がないの」
一瞬何を言っているのかわかりませんでした。
「ただ、私はあのとき夢を見ていたの。神が私のことを見てただただ微笑むって夢。そのあと、アンに聞いた話なんだけど、アンは神から、凛は君たちの希望だから、大陸に行かせてやりなさいって」
「……やっぱり」
「でも、神がこの世界を本当に滅ぼすつもりなら、大陸に行かせるほかないんじゃないの」
玲子さんがそう指摘しました。でも、
「いえ、話しが繋がってきました。真実を知ると思しき人が一人いるんですよ」
情報はそろいました。あとは違和感の元を探るだけ。
「テールイ。あの神話、私に教えてくれた一節を言ってください」
「えっ……あれですか。『覚醒した少女を止められるものはいない。漆黒の闇に世界は包まれ、終わりへの意識は強くなる。孤独を感じる暇などは与えられない。汚いものから殺される。森の中でそれは起こるだろう。能力は世界を奪うもの。助けを呼ぶ必要はない。夜が世界を支配する。冷酷な悪魔はそれに似ている』ですよね」
「そう。おかしいとは思わない?」
「えっ、おかしいですか」
「確かにおかしいわね」
桜さんが答えてくれました。
「文章の順番もめちゃくちゃだし、そもそも神話にある文章とは思えないわ」
「ですよね。じゃあ、逆にそのおかしさが必然だったらどうですか?」
「必然……まさか!」
「そうです。この文章に神からのメッセージが残されているのです」
「だから、神が書いたものがどうかを確認する必要があったのね」
玲子さんが納得したように言いました。
「なるほど。シュワイヒナの言いたいことが分かったわ」
「私も分かった」
桜さんも玲子さんも分かったようです。
「えっ……みんなして何が分かったんですか……」
テールイが困ったように言います。
「そうね。小さいころから親しんでたテールイにはわかりづらいだろうね。でも、逆に他の世界から来た桜さんや玲子さん、それにこの神話を全く知らなかった私だからこそ、分かった。この文章は暗号になっている。それぞれの文章の最初の一文字を繋げてみて」
「あっ!」
『かしこきものたよれ』
「この世界で『かしこきもの』なんて一人しかいないな」
そう、私たちの頼るべき人間はただ一人。神にも近いとされる老人。
「大賢者」




