第十三話 帰郷
目を覚ましますと、空は既に暗く、月が出ていました。満天の星空が暗闇を照らし、案外明るいものです。
体を起こし、辺りを見渡しますと、そこには見渡す限りの大海原。どこをどう見ても、穏やかな海が広がっていました。
「あっ、シュワイヒナさん。おはようございます」
テールイが私の顔をみて、にっこりとほほ笑みました。
私の隣で気絶しているシトリアはテールイによって縛られているようですし、商人の方々もテールイによって救出されたようです。
「さすが、テールイ」
「いえいえ。シュワイヒナさんがいなかったら、私たちみんな死んでましたから」
「兎にも角にも、大変なことになっちゃったね」
「はい……どうやって上陸しましょうか」
そう大問題なのです。
私の正体がシトリアにばれてしまったという現実は覆しようがありませんので、私がリデビュ島に上陸したということは間違いなく祐樹にばれてしまいます。
祐樹が一緒に逃げた私の仲間たちではなく、私と凛さんだけを追っているのは何か理由があるはずです。それを知りたい気持ちはやまやまなのですが、わざわざ追うくらいですから、私が祐樹につかまるのはおそらく凛さんにとっても、桜さんにとっても不都合なことになりますので、これは私だけの問題ではありません。ですから、なんとしてでもそれは避けたいのです。
「私とテールイだけ離れるってのは……あり」
「でも、別の船もないですし、そもそもシュワイヒナさん泳げるんですか?」
「うー。怪しい」
「危険行為はやめたほうがいいですよね。うーん、港に船をつけたあと、どうしましょうか……」
「シトリアが祐樹に伝えるよりも先に降りて、あとは顔見られなければ大丈夫だとは思うけど」
「顔見られないようにしたらなおさら怪しくないですか?」
「それは……はい、そうですね」
「じゃあ、シュワイヒナさん。船がないなら作ってしまえ作戦! とかどうですか?」
「この船を削って?」
「……まあ、それしかないですね」
「じゃあ削ろうか」
「いや……でもそれで航海不能になってしまったら……」
「冗談だよ」
と口先だけでは言いましたが、正直冗談ではありませんでした。しかし、船の仕組みなど当然知っているわけでもなく、どのパーツなら削ってもいいのかとかはわかりませんし、仮に最適化されていたら、どこを削ってもよろしくない結果を生みかねません。逆に、それしかないくらい何も思いついていないのです。
普通に降りるしかないのでしょうか。しかし、港に誰がいるのかわからない以上、それは危険です。
「いや、逆にシトリアを捕まえた状況があるんだから、船ごと別の場所に行こう」
「今からルートを変えるってことですか?」
「うん。そのためには……あれ、風魔法使いたちは?」
「えっと……シトリア……ですっけ。あの人を助けようとしていたので、気絶させて、下の部屋に置いています」
ん? テールイが発した言葉が一瞬理解できませんでした。私が抱いていたテールイのイメージに噛み合っていません。テールイがある程度強いのはこの間の話を聞いていたので分かってはいましたが、一人で十人ほどいたはずの風魔法使いを相手できるほどの力とは思っていませんでした。
「うん、ありがとう。じゃあそこに案内してくれる?」
「喜んで!」
テールイは嬉しそうに答えました。
テールイに連れられて、向かいますと、そこには確かに十人ほどの風魔法使いがいました。彼らは既に目を覚ましていて、私たちが入ってくるのを見ると、ぎろりと睨みつけてきました。
「こんにちは。シュワイヒナ・シュワナと申します」
そう私が言いますと、彼らは驚いて、
「あの王の娘か……」
と声を漏らしたものもいました。
「みなさんにお願いがあります。お願いをのんでくれれば、この紐も外して解放しましょう。しかし、了承しないのであれば、解放しません。よろしいでしょうか」
「脅しのつもりか!」
「はい」
「仮にも元王女だろ!」
「だからなんですか?」
「くっ……国の裏切者め!」
何が裏切者なのでしょうか。まさか私が祐樹に従わなかったことを裏切り行為だと思っているのでしょうか。
まあ、そんなことはどうでもいいです。
私はため息をつき、話を続けました。
「お願いは簡単なことです。行先を変更してほしいのです。もちろん、私たちを下した後は港に向かっていただいて構いません。もしお願いをのめないというのならば、死んでいただきます」
「ちょ、シュワイヒナさん。それは……」
私は手でテールイを制し、続けます。
「さあ、選んでください。ここで、死ぬか、少し行先を変えるだけか」
沈黙が広がりました。それから、一部の者の泣き声が聞こえました。
「うっ……分かった。飲もう」
おそらくリーダーと思われる男が答えました。
次の日、私が指示した場所――シュワナ国最東端の街でおろしてもらいました。ここは森にも首都にも近いので、ある程度目的地をごまかせますし、早く島におりたかったという気持ちもあります。
しかし、彼ら風魔法使いは終始おびえた様子で、それを見ていると、私とて少し心が痛みます。まあ脅しているのは私なんですけど。
さて、私たちは船から降りた後、船がこちらの姿が見えなくなるのを確認し、森の中へ入ろうとしたのですが、
「ねえ、君」
と話しかけられました。振り向くと、そこにいたのは黒髪黒目の女性でした。髪は長いのですが、あまりきれいにそろえてはいません。遠めに見ればわからない程度なのですが、近くで見ると、目立ちます。私もそんな感じなので人のこと言えませんけど。
それに服もぼろぼろでところどころ破けています。
総じて荒れているような印象がありました。それに話しかけられた私の心象もある程度わかるでしょう。不安やら恐怖やら――好奇心やら。
「なんですか」
「君、シュワイヒナ・シュワナだよね」
それを聞いたとたん、私は腰にぶら下げていた剣に手をかけました。この距離なら一秒あれば殺せます。
「安心して。私は君の敵じゃない。とにかく、今からする話をするには場所が悪い。ついてきて」
「安心して」という言葉は人を安心させるものではありません。さらに言えば「私は君の敵じゃない」というセリフも信頼度はゼロです。
しかし、それはついていかないという選択を生むものでもありません。
「分かりました」
私はそれだけ言って、彼女についていきました。
森の中に入っていき、しばらく歩きました。一時間ほどです。その間、全くの無口でしたので、場の悪いことこの上ありません。テールイも嫌そうな顔をしていましたし、私も嫌です。「ついてきて」でついていかれる距離ではありません。
「まだですか?」
「まだよ」
このやり取りを十分おきくらいにやりました。もうすぐ六回目を言おうかと迷っていたところでしたが、目の前に現れた人の姿を見て、そんな考えなど吹き飛びました。
「桜……さん?」
「久しぶり……と言っても一か月くらいね。で、玲子。シュワイヒナも来たことだし、いい加減話してちょうだい」
玲子、そう呼ばれたさっきの女性は
「そうね。ここじゃないほうがいい。桜。私たちを魔王城に連れてって頂戴」
と答えました。
「魔王城? まあいいわ。行きましょうか。ワープ」
実に一か月ぶりの感覚が押し寄せてきました。
目を開けると、目の前にあったのは禍々しい姿をした一つの城でした。激しい雨が降り注ぎ、雷鳴が私の耳をつんざきます。
「ついてきてちょうだい」
玲子さんは表情を一切変えず、私たちにそう言いました。でも、その後ろ姿は少し悲しそうでした。
魔王城に入ろうと、歩き始めましたが、体の自由が効きません。まるで、私が本能的にここに入るのを拒んでいるようでした。そして、それらはテールイ、桜さんも同様で、だらだらと汗が流れ始めました。
「ここ、入っちゃいけないような気がします」
テールイが私に強い目で訴えかけてきました。
「ええ……なんなのこれ……」
桜さんもまた同じように言葉を出します。
「やっぱそうなるか……」
玲子さんは私たちを少し小馬鹿にしているような目で見てきました。それから、
「もっと気合入れなさい。この中には誰もいないんだから」
誰もいない、その言葉になんだか緊張の糸がほどけてきました。恐怖が消えたわけではありませんが、多少軽減され、私たちはまた歩き始めます。
「なんだ、簡単にできるじゃない」
依然止まったままのテールイの手を引いて、私は魔王城の中へと入っていきました。
中に入ってまず感じたのは鼻が壊れそうなくらいの悪臭でした。この中を進まなければならないかと思うと、なんだか気が引けてしまいます。
そしてその悪臭の原因はすぐにわかりました。そこらに転がっている無数の腐った悪魔の死体です。原形が分からないほどには腐敗が進んでいました。以前祐樹たちがここに訪れた際に殺された悪魔たちでしょう。
また、進むにつれて、禍々しいオーラは一層強くなっていき、また先ほどのような恐怖が押し寄せてきました。何度も何度もここにはもう何もいないんだということを自分に言い聞かせなければ、歩くことすらままなりません。
そんな中でも玲子さんは何かに憑りつかれたかのようにひたすらに進み続けました。それの原動力など私たちにはわかるはずもありません。ただただ、ひたすらに進む玲子さんに私たちは何も言わず、ついて行きました。
そして、ついに私たちは魔王城の最奥へとたどり着きました。巨大な玉座がそこにはありましたが、もはやそれに座るべき魔王はこの世にはいません。それでも、その玉座の放つオーラは私体を怯えさせるには十分すぎるほどでした。
玲子さんは玉座を一分ほどぼーっと眺めたあと、その部屋を探索し始めました。
どれくらいの時間が経ったでしょうか。それはとても長い時間のように感じられましたが、それが緊張感がもたらしているものだと分かっていますので、実際はもっと短い時間だったのかもしれません。
「あった……」
玲子さんがそう言葉を漏らし、そのまま泣き崩れました。人目をはばかることもなく、泣いていました。それまでの玲子さんの姿からは到底考えることができないような姿です。
まだ目を赤くはらしたまま、玲子さんは私たちの元へと戻ってきました。それから、手に持っている一枚の紙を私たちへと見せてきました。
それは「絵」でした。そこに描かれているのは玲子さんともう一人、男性の姿です。何やら玲子さんは豪華な白いドレスを身にまとっており、もう一人の男性は紳士服を着ていました。また、その後ろには教会のような建物がそびえたち、祝いのムードが表現されています。一つ違和感と言えば、それは絵というよりかは実際にあった場面をそのまま切り取ったかのように精巧に描かれていたことです。
「私はこの写真を探していたの。あの人が生きていた証明だから。そして、あの人がああなってしまったことの証明だから」
写真……?
「ああ、写真というのはね。ある風景をそのまま切り取ったものだよ。こうやって一枚の紙の中に収めることができる」
と桜さんが説明してくださいました。
「ああ、そうか。君とそこの獣人――テールイだったかしら――はこの世界の住人だから、知らないわよね」
「あっ……もしかして、玲子さんも桜さんや凛さんと同じように他の世界から来たんですか?」
「ええ、そうよ。さて、私はシュワイヒナ。君にどうしてもある事実を話しておかなければならなかったの。聞いてくれる?」
「はい」
玲子さんは気持ちを落ち着かせるかのように深く息を吸い、吐きました。
「まず、闇覚醒ってのは知ってるわよね」
「はい。よく知ってます」
だって、私自身も使っている力なのだから、とは言い出せませんでした。
「じゃあ、次に向こうの大陸の西の方で伝わっている神話は知ってる? サクラ・リンの話」
「……ええ、知ってます」
「それなら、話しが早いわ。いい、よく聞いて。悲しいことだけど、あの神話はほぼ間違いなく現実のものとなるわ」
「えっ……なんで……」
「私にはサクラ・リン――佐倉凛の身に何が起こるか、なんとなくわかるの。だって、それは私の夫の身にも起こったことだから」
「そんな間違いなくって……どうして」
「順を追って話すから、よく聞いて頂戴。それはある日、突然起こるの。何の前触れもなく。だから、防ぐことすらできない。防ぐことすらできないから、ほぼ間違いなく起こる」
「『それ』って……」
「闇覚醒フェーズ4。魔王化よ」
 




