第九話 王都
私が話し終えますと、ケダブさんは「なるほど」とつぶやいて、しばし考え込みました。反応が反応なだけに効果が分からないので、私も困ってしまいます。
鼓動が早くなっているのを感じました。この反応に私の命がかかっているのですから当たり前です。凛さんに再会できないまま、死んでしまうのは絶対に嫌です。そんなことになってしまったら、私の生まれてきた意味すらなくなってしまいそうです。私が殺してきた人たちも、自分の生まれてきた意味を問うてきたかもしれませんが、嫌なものは嫌なんです。
「祐樹がそんな奴だったとはな。正直驚いている。彼はもっとまともな人間だと思っていた。リーベルテの先王もそうだったが、何がためにそんなに他国の領土を欲しがるのか理解不能だ。思い出したら身震いがするな」
そういえば、ケダブさんはリーベルテ軍に当時いたトナミさんが闇覚醒を発動した際に攻撃を受け、敗北を喫したのでした。しかし――もちろん、聞いた話なので確証はないのですが――トナミさんの闇覚醒後の固有スキルは衝撃的な強さを持つものだったと記憶しています。もし湊さんが闇覚醒をしていたらそうなってしまっていたのかと考えますと、身震いがします。それだけの強さを持つ者と相対したケダブさんが身震いするのも仕方のないことではありましょう。まあ、私が闇覚醒を使えたとしてもケダブさんに勝てる気はしませんけど。
「シュワイヒナ。君の願いはなんだ?」
ケダブさんが唐突に尋ねてきました。
「私の願いは……愛する人ともう一度会うこと、それからシュワナ王国を取り戻すことです。そして、そのためにシュワナ王国に戻らなきゃいけないのです」
自分が招いたことだとしても、私は文句を言って生きていきたい。貪欲に生きていきたいのです。だから、こんな願いだとしても胸を張って言うことができます。
「……僕にサポートできることは少ないかもしれない。だが、できる限りのサポートをしてあげよう。明日、僕とともに王宮に来なさい」
優しいことを言ってくださいました。なんのために王宮に行かなければならないのかはよくわかりませんが、きっと大丈夫だと信じたいです。
その晩のこと。私とテールイは二階の寝室を貸していただき、ふかふかの布団に包まれ、眠りにつくことになりました。すると、テールイが、
「いやあ、シュワイヒナさんが王女だったなんてびっくりです」
と話しかけてきました。そりゃあびっくりでしょうよ。私の振る舞いは少しも王女らしくありませんし、逆に私のことを王女だと見抜く人のほうがおかしいというものです。
「元、ですけどね」
と私は一応訂正しておきました。
「いいですよねえ。私憧れてたんですよ。王女ってやつに」
「へえ」
「国の一番奥の裕福な場所で甘やかされて、かっこいい王子様にもらっていただいて……」
かっこいい王子様にもらっていただけるもんでもないでしょって突っ込みたくなりましたけれども、やめました。夢をつぶすのはよくないことです。
「あっ……気悪くしたらごめんなさい」
やけににこにこしながら、そう言いました。あくまで口だけの発言なのでしょう。会話におけるテンプレは学んでいると言うことですか。やはりテールイの親はそれなりの良識人だったようにも思います。普通の人って感じの人が描く普通の生活。そこから、こんな非リアルな生活を送らせているのは私の所為じゃないにしろ、少し心が痛みます。
「別に、そんな悪くしてませんよ」
「じゃあ、本当にそんな感じだったんですか!」
「うん、まあ大体間違ってないよ」
テールイの顔がぱあっと明るくなります。しかし、すぐにそれは花がしおれていくかのように暗くなりました。
「ごめんなさい、私だけで盛り上がってしまって……」
テールイもさっきの私の話は聞いていました。魔王軍が襲来したこと。祐樹のこと。そして、私が王宮を離れたこと。そんな私に王女の話をするのは酷だと思ったのでしょう。別に私は王女として甘やかされていた時代のことを懐かしくは思うのですが、戻りたいとは思っていません。母や父のことは考えてしまいますが、だからといって、それを取り戻したいとは、思っていません。執着などとうの昔に捨てたのです。鮮明に頭に浮かんできたとしても、それは私の行動原理にはなりえません。
だから、別にどうでもいい。
「ううん、少しも気にしていません」
と私が言いますと、テールイは「そうですかあ」と心配そうな声を上げました。
やはり、テールイの思考は「恐怖」が最も大きなものを占めている。そう私は確信しました。人間なんてみんなそんなもんでしょうけど、テールイの恐怖感情は大きい。そりゃああんな体験をしていれば、そうにでもなるでしょうけど、それだと前に進めません。
「ねえテールイ。安心できる場所ってどんなところですか?」
「……」
わからない、と言った感じ。
理解しました。
彼女の安心と言うのは両親がいる幸せな場所。だから、いくら安心できる場所に連れて行こうと私が思ったところで、彼女は安心しないのです。だって、彼女を安心させられるような人は既にこの世にいないのですから。
詰み。薄々分かっていたことですけれども、この問題は事務的に解決できるようなものではありません。一体どうすればいいのか見当もつかなくなってきました。
「一緒に安心できる場所探していきましょう」
私はそう微笑みかけました。思惑が叶わなかったいら立ちを隠して。
テールイは突然私から顔を逸らし、
「……おやすみなさい」
と言って眠ってしまいました。
凛さんなら、どうしたのだろうと不思議に思うところかもしれません。しかし、テールイ、ちゃんと見えていましたし、気づいているんですよ。あなたが頬を赤く染めたことに。
面倒くさい。
朝は案外気持ちよく目が覚めました。支度をして、おばあさんとおじいさんに礼を言い、私たちはケダブさんとともに家を出ました。
「ここからは大体丸一日はかかると思うけど、大丈夫?」
とケダブさんに聞かれましたので、
「少なくとも、私は大丈夫だと思います」
「シュワイヒナさんがいるから大丈夫だと思います」
とそれぞれ答えました。
やっぱり人の心というのは難しすぎて、いくら気を付けようともどうしようもならないものです。いや、しかしやはり私や凛さんのような性質はマイノリティーだと思うのが当然ではないでしょうか。それがテールイにもあり得るとは考えが及びませんでした。とはいっても、そのような感情よりかは家族愛的な感情だと思うほうが自然だと思います。それでも、やはりテールイが私から離れられなくなっているというのは現実の話で、そうなってしまうと凛さんを探すたびに支障をきたすことに……。
「どうした、シュワイヒナ?」
ケダブさんが私の顔を覗き込んで、心配そうに話しかけてきました。私は笑って
「いいえ、何もありません」
と答えました。しかし、ケダブさんは確実に何かある、と確信した目で私を見ます。それもそのはず。こういった場合、何もないわけがなく必ず何かを隠しているはずなのです。そういうのは長年の勘と場のお約束的にそうなのは誰でも分かってくださるとは思うのですが、テールイは何にも気づいていないようでした。それに、ケダブさんもその様子を見て、「そうか」と言うだけで、それからは何も言いません。何かを察しているようでもあります。ありがたいですね。
途中途中休憩を挟みながら――私には必要ないのですけれども、ケダブさんが気遣ってくれているようです――空が淡い赤に染まってきたころに私たちは都にたどり着きました。
都はそれはもうとんでもない大きさの街でした。大きな建物が立ち並び、どこに何があるのかよくわかりません。しかし、街の並びはよく整備されていて、空から見下ろしてみると、幾何学的にきれいな形をしていそうだと思いました。
「すごい……」
テールイが感嘆の声を漏らします。お世辞などではなく、心の底から思っているときの声でした。リーベルテの首都も大きな街ではあったのですが、それよりもさらに一回りくらいは大きいようです。
「お、ケダブ。馬車用意しとるから、乗れや」
街に入ってすぐの施設に入ると、ケダブさんがそう声かけられました。
「うん、ありがとう」
ひひーんという高い鳴き声とともに、馬が姿を現しました。
「シュワイヒナさん! なんですか! この生き物!」
テールイが何やら興奮した様子でそう尋ねてきました。
馬を知らない人間がこの世にいたということに驚きしかありませんが、庶民と言うのはこういうものなのでしょうか。
「あれは馬と言う生き物です」
と答えますと、
「へー、ウマっていうんだ!」
と嬉しそうに言いました。安心の上で作られる微笑み。それになぜだかゾッとしてしまいました。
私たちは馬車に乗り込んで、街の中を進み始めました。道を見渡せば、大量の馬車が走っています。いえ、馬車だけではありません。見たことのない生き物も多数いて、私も世界の違いを思い知らされてしまいました。
「ああ、あれは竜人族だ」
「竜人族ですか」
「ああ、獣人族の一種でね。その中でも特に竜の影響を強く受けたものたちのことを言う。機動力に優れているから、ああやって、車を引く仕事をよくしているんだ」
「へえ」
「珍しがるのも不思議はない。この世界で竜人族と共存している国なんてここくらいだからね」
やはりテールイを預けるにはふさわしい国ではありませんか。このチャンスを逃したくはありません。
車に揺られること二時間。空は暗くなりましたが、街は明るく、さらに市場はにぎわっていました。そして、王宮へとたどり着きました。
「ありがとう」
とケダブさんが馬の頭を撫でると、嬉しそうに馬は鳴き声を上げました。随分となついているようです。
王宮は豪華絢爛という言葉がよく似合う巨大なものでした。しかし、汚い裕福さではなく、装飾などもきれいにまとまっていて、胸やけを起こすようなものではありません。
「さあ、中に入って」
連れられ、私たちは王宮の一室に案内されました。部屋は目に優しく、かつ美しいものでした。どこか落ち着いて雰囲気を持っていて、疲れを癒せそうな場所でした。
「ここは客人の宿泊施設だ。君たちは国賓級の扱いをさせていただく。ディナーの用意が出来たら、迎えに来るから待ってて」
そう言って、ケダブさんは部屋を出ていきました。つまり、部屋には私とテールイの二人っきり。切り出すならば、ここしかありません。
しかし、
「シュワイヒナさん、話しがあります」
とテールイが先に話を切り出して来ました。
「奇遇ですね。私もです」
ととりあえず返しておきます。先に喋ったほうがいいと直感が告げていました。
「いや、私に先に話させてください」
いつになく、強気な口調でテールイは言いました。それに押されてしまい、話をさせてしまいます。そして、その先に出た言葉はある意味では私の予想通り、私の考えていたことを一瞬で打ち破る一言でした。
「シュワイヒナさん! ずっと私と一緒にいてください!」
眩暈がしました。苦悶の表情がテールイの瞳に映ってしまいました。それでも、テールイは続けます。
「私はもうあなたなしの生活は考えられないんです。私の一番安心する場所はあなたの隣なんです。お願いします。ずっとそばにいさせてください」
テールイの瞳が潤み始めました。心の奥底から出ている感情。
私に拒むことはできない。
いくら追い詰められようとも私は強引に突破してきました。それらは全て肉体の力だけでどうにかなるものだったのですから。そのためにいざ、心の、感情の問題を突き付けられてしまうとどうしようもありません。
私が凛さんに抱いた感情は押し通すことができました。それらは全て私主体でしたし、それに運がよかった。
好かれる側の感情と言うのを考えたことがありませんでした。
受け止める、しか道が思いつきませんでした。私が安心させてあげると誓ったから。
突き放すこともできます。突き放して、ここに置いて行ってしまえばいいのです。でも、それだとテールイがかわいそうなんです。本当にこれでよかったのかと後悔してしまいます。
「私はシュワイヒナさんの力になれます」
テールイが自信たっぷりに言いました。一体何の証拠があってそんなこと言えるのか不思議でたまりませんが……。
「私には奥の手があるのですから」
奥の手――それはいったいなんなのだろうかと気になりますし、実際何か恐ろしいもののような気がしてなりませんでした。




