第八話 王国
さて、それからさらに二日ほど歩き続けますと、また人の住みうる場所を見つけることができました。今度は先日の小さな、本当に小さな村のようではなく、それなりに人の住む街のようです。情報の入手と言う点で期待はできそうです。
城壁はなく、森から出れば、すぐに住宅のようなものが広がっていて、地平線のところまで続いています。どうやらこの辺りは農民などが住む場所のようで農地が広がっていたり、牧場があったりと、緩やかな風景が続く場所です。悪い場所ではありません。むしろのんびりと暮らせていそうで少々うらやましくもあります。私のような性格ですとのんびりと暮らすのはすぐに飽きそうな気もしますけど。
道を歩く年老いた女性の方が、
「おや、旅人かね」
と話しかけてきました。
「はい、まあそんなところです」
と多少曖昧な返事をしますと、
「ほう、そうかい。ここから街までは遠いよ。今夜はどうするつもりだい?」」
「……まだ決めていません」
「なるほど。野宿できるような場所もないし、旅人なら栄養も偏っているだろう。どうだい、うちに泊まっていかないかい?」
と優しいことを言ってくださいました。この間の宿での二の舞となることは避けたかったので、少し迷いましたが、のどかな風景が広がる場所でその手の人も来そうではありませんでしたし、逃げること自体はそんなに難しいことではないので、私たちはついていくことにしました。
空は橙色に染まり、一日がもうすぐ終わることを一方的に告げてきています。人々も農作業をやめ、家へと戻り始めるころ合いでした。
さて、そのおばあさんの家へは徒歩十分もかからない場所にありました。景色は一向に変わりません。
家は一階建てでレンガが積み立てられて作られており、外観だけ見ればかなり丈夫そうでした。この間の文明が停滞していた地域と比べると一千年も時代が進んだように感じられて、強烈な違和感がします。
どうしてこうもちぐはぐなのでしょうか。心と言うか、外部の生活様式を感じる器官のようなものが風邪をひいてしまってバカになってしまいそうです。そのくらい激しい文明の違いでした。
家に入ると、中は奇麗に片付けられており、中にはその女性の夫でしょうか、年老いた怖い顔立ちのおじいさんがいました。
「また、旅人連れてきたのかい」
「ええ、若い子には栄養が必要だし、温かい布団で眠ってほしいじゃない」
「そんくらい覚悟して旅してるだろうよ。まあいいさ。来てくれたんだったら、精いっぱいおもてなししなきゃいけないな」
顔に対して優しい性格のようです。
言い方が悪いですが、当たりを引いたようです。運がいいと諸手を上げて喜びたいところですね。
三十分もしないうちに食事が出されました。野菜てんこ盛りのスープです。それと小さなパンが一つ。
「こんなのしか出せないよ、ごめんね」
とおばあさんは謙遜しますが、私たちはちょうど野菜も炭水化物系統も足りていなかったところなので、むしろ一番適していると言えます。
「いえ、最高です」
人を褒める機会と言うのが私には少ないのでこのようなコメントしか残せないのですが、とにかくうれしいという気持ちは示せたと思います。
なんだかんだ言って私はコミュニケーション能力が低いような気がしてならなくなってきました。こういう状況ではこういうこと言ったほうがいいとか、そういうのが私には全然わかりません。
しかし、私の一言におばあさんもおじいさんもそれなりには気を良くしたようで、
「そうかい。それは良かった。うん、本当によかったよ」
と言ってくださいました。本心で言っているように見えたので、私は少し安心しました。
さて、例のスープですが、これはお世辞抜きで本当においしいです。私は肉料理が好きなタイプの人間なのですが、そんな私でもおいしく食べることができます。この野菜が何という種類の野菜で、ということはわかりませんが、体に栄養がぎゅーっと入ってくるような感じがして、しみわたります。また、スープも温かく、まだ季節は暑いとは言えないような感じなので、嫌な感じもしません。
総じて人が大切に作った料理であるということがよくわかるものでした。
満腹感やら幸福感やらでいっぱいです。やはりまともな食事が一番おいしいですし、一番安心します。
と、そのとき、
「ん? そういえば、今日はあの子が帰ってくる日じゃなかったか?」
とおじいさんが言い出しました。すると、おばあさんが、
「いや、あの子はなんだかんだ忙しいらしいからねえ。帰ってこないわよ」
と言い返します。そして、私たちに
「ああ、気にしないでいいのよ。私たちのことだから」
と言いました。
そんなことを言われるとさらに気になってしまいます。「あの子」と言うあたり、子供でしょうか。彼らの子供と言うと既にかなりの年のように思います。何歳ごろかは私にはよくわかりませんが、少なくとも既に世帯を持っていてもおかしくない年でしょう。里帰りでしょうか。特別な日とか、何か長い任務から戻ってきたとか。
考えれば考えるほど気になります。
と内心わくわくしながら、食べ進めていますと、玄関の方で扉の開く音がしました。そのあとに、「ただいま」と男の声が聞こえました。それは柔らかく、幼いとまでは言いませんが、十代後半の若者の印象を与えます。
そして、男は居間へと姿を現しました。
「――!」
体がびくっと震えるのを感じました。こいつはやばいと体中が訴えかけていました。
彼は少年と呼ぶほうがふさわしいかもしれません。見た目はまだ十代後半と言った感じでしょうか。最初の想像とは全く違った外見に驚きました。声に合っていると言えばそうかもしれませんが……。しかし、大事なのはそこではありません。
ただものではないというオーラがありました。この私が戦ったら簡単に負けてしまうことを一瞬で察してしまうほどです。
「お、また旅人?」
「うん、そうだよ」
「まったくいっつもいっつも飽きないねえ。いくらお金があるからって……」
声は優しく彼の放つオーラとは全く違うため、同じ人とは思えません。しかし、テールイも彼の強さには気が付いているようで、体を震わせ、縮こまっています。
「ん? 君たちはそんなに僕のことが怖いの?」
そう話しかけられてしまい、返答に困ってしまいます。怖いと面と向かって言うのははばかられますし、だからといって、怖くないと言うと嘘になってしまい、見抜かれてしまうような気がしてなりません。
「……あなたはいったい何者ですか?」
この発言は心の中で思っていたことを我慢できずに口をついて出てしまったものでした。普通の生活を送っていてはこれほどまでに強くなることはありえません。持っている力はおそらく湊さんや、ファイルスさん、ラインさんすらも大きく超えているでしょう。さすがに祐樹とまでは言いませんが、今までに見た人の中では二番目に強いと思います。
「おや、知らないのか。知らないで怖がっていたのか。ということは僕の強さ見えているね。うんうん。いいよ、教えてあげる。僕の名前はケダブ。ここリンバルト王国の将軍だよ」
その一言を聞いた時、記憶が繋がっていくのを感じました。リンバルト王国……昔、リーベルテと戦争をしたという国。その国の将軍と言うことは何かしらの戦績を上げていることでしょう。いや、それならこの見た目と言うのは不自然では……。人違いでしょうか。
「今、何歳ですか?」
私はあまりに気になったためにそう尋ねました。すると、ケダブは笑って、
「それを聞いてくると言うことは君はあの戦争を知っているようだね。君がどこ出身か尋ねてもいいかな?」
「シュワナ王国です」
「やっぱりリデビュの子か。君の名前も当ててみていいかな?」
「どうぞ」
「シュワイヒナ・シュワナ。元シュワナ王国王女だね」
「えっ」
テールイが驚きの声を上げました。それからおばあさんやおじいさんも同じような声を上げました。
「シュワイヒナさん、王女だったんですか!?」
テールイが何やら興味津々で尋ねてきます。王女と言う言葉に反応したのでしょうか。確かに王女と言う言葉の響きはいいものですが……。今はそれどころではありません。
「じゃあ、私も一つ当ててみていいですか?」
「うん、いいよ」
「あなたの固有スキルは『ミリタリーオブデッド』ですね」
「そうだ。さっきの質問にも答えておこう。僕はこんな見た目だが、三十だ」
大方予想通りと言ったところでしょうか。大体頭の中にあった疑念と言うか、そうなのではないかという予想が当たったと言う形になります。
やはり、この人はアンさんが話していた固有スキル使いでした。あの戦争で、リーベルテに決定的な敗北をもたらしたというあの人です。当時は十四歳だったようですが、リンバルト王国は十四歳の少年を動員しないといけないほど追い詰められていたのですね。確かに国家の威厳を考えれば、当時の王も引き下がれなかったでしょう。それに結果としては戦争に勝利しているので、「よかった」と割り切ることができたのでしょう。
結果論でしかないので、是非の判断なんてできっこないんですけどね。
で、その話が何に関係あるかと言いますと、この国が安全な場所であるか、ということになります。この国にテールイを預けてもいいのだろうかと言う問題がわたしには残されていました。しかし、例の戦争時、追い詰められて、最終手段として十四歳の少年を戦争に使ったと考えれば、この国はそこまで危険な国ではないように思います。それにこの人――ケダブさんが将軍ともあれば戦争で負ける、もしくは負けそうになるといったことが考えられません。
テールイを預ければやらなければならないことが一つは減ることになりますし、心の余裕が生まれます。
さて、それはまた後において一つ聞きたいことがあります。
「ケダブさん。どうして、私の名前を知っているんですか?」
そう、おかしいのです。確かに私は王女であり、またリンバルト王国はシュワナ王国と国交がありました。しかし、当の私の方はケダブさんと面識はないのです。私はなんだかんだ言って甘やかされて育ちました。所謂箱入り娘と言うやつです。他の国の人とは会ったことなんてありませんし、外の話など人づてで聞くものでした。それに私はこの大陸から見れば海の向こうである島にいるはずのものです。国交が魔王襲来以降、完全に途絶えているのですから、おかしいではありませんか。
「……そういうことか。完全に理解したよ。どうして、あの時、彼があんなことを言っていたのか、ずっと意味が分からなかったんだよ」
「彼って……まさか!」
「そう。祐樹だ。一か月ほど前、この国にシュワナ王国から使者が来て、言ったんだ。魔王は、すでに倒れた、と。そして、僕たちは国交を結んだ。そして、つい昨日のことだ。彼の使者がこの国にやってきて、シュワイヒナ・シュワナとサクラ・リンについて見つけたら、情報をくれということだった。その他にもいろいろな名前を言っていたのだが、特にその二つの名前は記憶に強く残っている。そして、それぞれの特徴について話したのだが、その中の一つが君に合致したというわけだ」
「なっ……」
それほどまでに早く行動が済んでいたとは思いもしませんでした。いくらなんでも行動が早すぎるように思います。
「僕は別に君を捕まえようとは思っていないから安心したまえ。しかし、王女たる君がこんなところにいるだなんてあまりにも不自然すぎるし、あの神話にも出てくるサクラ・リンという名前を伝えられたなんて日には頭がおかしくなってしまいそうだ。何があったか教えてくれるかい?」
ケバブさんの言い分はよく理解できます。しかし、「君を捕まえようとは思っていない」というセリフが信用なりません。事情を話すこと自体、あまり好きではないですが、できるだけ同情を煽るようなことを言って、私を引き渡すわけにはいかないということを確固たるものにしていただかないといけません。
「去年の八月のことです――」
私は語り始めました。目を見て。慎重に言葉を選んで。まるで、刑を軽くしてもらおうとするし囚人のように。




