第七話 悪夢
その晩のことです。私たちは適当な木の上で眠りにつきました。
そして、私は夢を見ました。
真っ白な世界。私はその中に一人座り込んでいました。意識ははっきりしていたのに、不思議と世界がぼやけて見えました。
ふと、前のほうを見ますと、何かがこちらへ近づいてくるのが見えました。人のように見えます。
「こんにちは、シュワイヒナ・シュワナ」
低い男の声です。くぐもった声でしたが、なぜだか何を言っているのかわかりやすいものでした。それでいて、声自体にフィルターのかかっているようなイメージを受けました。
「どうして、私の名前を知っているのですか?」
初対面の相手にフルネームで呼ばれたことが気持ち悪くて仕方がありませんでした。
「どうしてそんな質問をするのかな?」
優しい声色でした。しかし、汚い優しさでした。寒気がします。
「気持ち悪いんですよ――」
その時でした。頭の中に電流が走ったような感覚がしたのは。まるで「知」が空の上から雷のように降り注いできたかのような感覚でした。
「あなたが……神、イラクサ」
「そうだ」
肯定の意を示す答え。それを受けた途端に目の前の存在が今までに出会ったことのないような尊い存在のように思え、私はそれを振り払うために、深呼吸をしました。その考えが、あまりにも自分には似合っていない考え――他人の考えのように思えたからです。考えを無理矢理頭にねじこまれているようでした。
「おっと、君は随分と心が強いようだな」
「あなたが攻撃したんですか……?」
「攻撃じゃない。プレゼントだ」
意味の分からない返答をされて、私はどう返せばいいか困ってしまいました。プレゼントとかふざけているのでしょうか。そうとしか思えません。
きっと狂っているのでしょう。神なんて、そんなものだと鼻からわかっていました。凛さんを英雄に仕立てあげようだなんて、凛さんのストレスがたまっちゃう原因になっちゃうじゃないですか。それに、あの化け物――祐樹をこの世界に連れてきた野郎だとしたら、許せません。……そう言いたいのはやまやまなんですが、彼がいなかったら、魔王が倒されることもなかったかもしれないと考えることもできるので、難しいところです。この神様は、事態を最善に持っていくことはできないのでしょうか。
「おっと、困らせてしまったかな?」
悪いとは少しも思ってないくせに。隠す気がないことが口調だけですぐにわかってしまいます。
「まあ、そうイライラするな。君は凛以外には心を開く気はないのかな?」
「凛って呼ばないでください」
「ふん、その凛にも心を開いてないくせに」
「自分で矛盾して、頭悪いんですか?」
「神にその態度はよくないなあ。そもそも、君は人への敬意がない。人への敬意がない人間は成長しない。ですます口調で喋ればいいってもんじゃないんだ」
「そんなこと分かってますよ……でも、私に言わせれば、敬意を表させてくれない相手が悪いと思うんです」
「そうかなあ、湊は良い人だったろう。彼の功績はたたえられるべきだと思わないか?」
「でも、死者です」
「死人が悪いわけじゃない」
はあ、とついついため息をついてしまいました。確かに私の人を尊敬しようとしないところは褒められるところではありません。それが原因で成長がないと言われても私に言い返すことはできません。できるわけがありません。それは私の悪いところでしょうし、反省すべきところでしょう。
ですが、人の欠点と言うのはどうしても目立ってしまうものだと思います。そこが目についてしまうともう抜け出せなくなってしまいます。祐樹は戦争を起こし、多くの国民を傷つけました。桜さんは私を、そしておそらく凛さんも大陸のほうへ飛ばしてしまいました。確かに愛する人を亡くした痛みによるものは大きいでしょう。私とて凛さんを失ってしまえば、どういう行動に出るか想像ができません。
また、湊さんはさっき言ったように敗者です。それにアンさんも、ラインさんも、ネルべさんも事態を止められなかったのです。――そして、それは私も含まれる。もちろん、凛さんも。私の人を評価する基準と言うのははっきりとしてはいません。ですが、それは多くの人にとって共通することでしょう。「愛」が一番上に来るのは必然です。だから、私は自分の愛のために、命を賭けれる。一番愛が大事だから、それを邪魔する相手を殺せる。敬意がない相手にそれを行使できるというのは意外にも間違ったことではないのかもしれません。例えば、ごみみたいな相手を殺すことをためらいますか? もちろん、人を殺しちゃいけないだとかそういうことは無視した上です。殺すか殺さないかという選択肢があるときのみです。共感性が高かったり、人を殺しちゃいけないと言う共感性が心の奥底に深く染みついている人は殺せないかもしれませんが、殺せる人だって少なくないはずです。そう考えれば、私とて取り立てて変だとは言えないはずです。
「私とて批判されるべき人間ではないと思いますけどね」
「君は激しすぎるんだよ」
「言われ慣れました」
「せめて、神を蔑むのくらいはやめてほしいものだ」
「自分が蔑まれたくないだけじゃないんですか? 心の狭い神ですね」
「君は敵に回す相手を間違えているよ。僕には神としての権限があるんだ。君の力を失わせることだってできるんだよ」
「…………」
「返す言葉もないようだね」
頭では理解していたことですが、実際に言われるとどうしようもないことでした。「神」というのはそういう存在だと体に染みついていなかったせいもあるのでしょうか。
「私は何をすればいいんですか?」
「せめて、私の言うことには反対しないでくれないかな?」
「……約束はできません。凛さんを殺せと言われれば、私は自分で命を絶ちます」
「もちろん、その辺は自由さ。ちゃんとその辺は僕も理解しているよ」
夢にまで現れて言いたかったことがそんなことでしたか。それとも、この夢自体私の神を冒涜した罪の意識が生み出したものでしょうか。
いや……違う。
頭がぐるぐる回って、何かが降ってきました。
凛さんが本当に災厄になる。そういうことをこの神は言おうとしている。それは避けられない未来だということを。
「希望を持っても意味はない。神の力に抗うことはできない」
イラクサはゆっくり言いました。
「神……あなたは本当に神なんですか?」
「ああ、神だ」
「あなたが本当に神だとしたら、お尋ねしたいことがあります」
「なにかね?」
「どうして、この世界を滅ぼそうと思ったんですか?」
「必要でなくなったからだ」
「何に必要でないんですか?」
「君がそれを知ったところで意味がない」
「じゃあ、もう一つ質問させていただきます。――どうして、今滅ぼさないのですか?」
「……」
「あなたは、滅ぼそうとしているんじゃなくて……本当はもっと別の何かを……」
「君は人だろ?」
「突然、なんですか?」
「人の考えが神に及ぶと思うな!」
イラクサは急に怒鳴り始めました。
「図星だから、怒鳴るんじゃないんですか」
「違う。君にはわからない。分かることなどできない」
彼がそう言ったとたんに世界はぐるっと回り始めました。神のシルエットもぐるぐると回り始め、何かに吸い込まれていきます。
「シュワイヒナ。君は世界を救えるかい?」
「世界……」
意味がわかりません。どうして、私が世界を救わなければいけないのですか。それに、その質問は神と敵対しろということじゃないですか。さっきは蔑むな、なんて言っていたのに言っていることがくるくる回りすぎだと思うんですけど。
白い世界が消え、次に瞬きをしたときには既に元の世界へと戻っていました。
微塵も眠った気がしません。それどころか全身が戦った後のようにどっと疲れています。
雨が降りはじめていました。しかし、夜のようではなく、既に雲の向こう側では日が昇っていることでしょう。また、テールイが私よりも一足早く目を覚ましていました。
「シュワイヒナさん、どうしたんですか? 顔色悪いですよ」
テールイが私にそう話しかけてきました。本気で心配しているように見えました。
「ううん、別に大丈夫ですよ」
私は木から飛び降りました。
やらなければならないことがたくさんありすぎて、頭がおかしくなりそうです。テールイを安心できる場所に移動させて、凛さんと再会して、そして――世界を救う。何をどうすれば世界の破滅を防ぐことができません。凛さんが世界を終わらせるだなんてやっぱり信じることはできませんし、そんなこと起こりえないとは思っているのですけれども、あの神ならやりかねません。あいつは私たちには想像もできないような特別な力を使って、世界を破滅させようとしてくるでしょう。それも、凛さんを使って。
もうわかりません。私の頭の中でも意見がごちゃごちゃしてしまいます。
「テールイ、世界は滅ぶんですか?」
「俄かには信じることはできません。本当にサクラ・リンがこの世界にいるんですか?」
「だから、凛さんが世界を滅ぼすような存在になるわけがありません」
テールイは信じていないようでした。そりゃあそうでしょう。今まで長い間信じ続けていたものを簡単に破壊することはできません。
神と実際に相対してしまった私も、実は凛さんが世界を滅ぼす存在になるということが絶対にないと信じることはできません。一か月ほど前、凛さんはアンさんに対して闇覚醒フェーズワンを発動させています。それに、凛さんの闇覚醒したときに発現する固有スキルが世界を滅ぼすレベルのものではないと言い切ることはできません。神は私たちの固有スキルまでも操る力があるとみて取れるでしょうし。
神はいる。
どこかで認めていた事実に証拠が付随してきたせいで、私は信じざるを得ない状況に陥ってしまいました。
世界が滅んでしまうかもしれないということはやはり想像のできないことですが、得体の知れない悪寒がします。
自分でも思考に整合性が伴わなくなっていることには気づいています。また、それが感情と理性の違いによって生じているっていうことも分かっています。
凛さんが世界を滅ぼすなんていうことはあり得ない。だって、あんなにやさしい人なのですから。しかし、それは感情的な理由で、神がいて、それが全能である時点で、その理由は意味を成しません。神の力で凛さんが世界を滅ぼす存在になると言うことは避けがたいもののように思います。
少しずつ思考がすっきりしてきました。
神のあのセリフ。
君に世界を救えるかい?
あのセリフは裏を取れば、世界を救う方法があるということだと思うのです。どこかにヒントが転がっていて、どこかに解決策がある。今まで私はそうやって乗り越えてきました。もちろん、それは凛さんも。もしかしたら、凛さんが世界を滅ぼす存在にならずにハッピーエンドを迎える方法があるかもしれないのです。
しかし、今のところ解決策は全く思いつきませんし、ヒントだって見つけられていません。そもそも本当にあるとは限らないのですから、全くの先が見えない状況に置かされています。
絶望的状況。
燃えるじゃないですか。絶対に乗り越えてやる。私ならできる。魔王の襲撃にも耐えました。そもそも今生き残っていること自体奇跡のようなものでもあるのですから。
力はあります。未だその闇の力を完全な支配下に置くことは叶っていませんが、あの力がある限り負ける気はしません。
神に会って滅茶苦茶にかき回された頭の中を整えて、また今日も、そしてこの先も頑張れそうな気がしてきました。やることは今までとは変わりません。
凛さんに会う。
これが最大の目標です。世界なんてどうにでもなります。どうにでもしてやります。
見たか、神。
私は簡単には挫けません。あなたがどう思っているかなんて知りませんけど、それが凛さんを傷つけると言うのなら、私は依然としてあなたの邪魔をし続けますよ。私の命に代えてでも。




