第六話 災厄
さて、テールイを安心させるためにも、港のある国へ行って、定住するのがよさそうですね。いつしかアンさんが言っていた国――そうリーベルテと戦争をしていた国、あの国ならよさそうな気がします。というのも魔王襲来以前に私たちの国と貿易をしていた国はおそらくその国――リンバルト王国でしょう。たしか、この大陸上にある国の中でリデビュ島と一番近いのがリンバルト王国であったはずですし、通商の人も十年と少し前に戦争があったという話をしていました。もっとも、私はその国の人々にはあまりいい気持ちはしていなかったのですが、別にそれを伝えていたわけではありませんし、その感情もあくまで感覚的なものであるため、大した問題ではないでしょう。ここにきて、頼らなければいけないと思うと、なんだか嫌な感じですが、しょうがないと割り切るほかありません。
そして、東へ歩き始めて二週間が経ちました。その間、特に面白いことはありませんでした。歩いて、ときどき川を見つけたときに男たちから奪った水筒に水をついで、歩いて、獣を狩って、肉を補給し、歩く。それだけの二週間でした。ですが、その間もテールイは実に楽しそうでした。私が獣を狩るたびに、パチパチ手を叩いて、嬉しそうに尻尾を振っていました。小動物的何かを感じます。悪いものではありません。
ところで、テールイに全くと言っていいほど戦闘能力がないのは少し不思議な感じがします。私と違って年齢詐欺の幼い少女ではなく、本当に幼い少女――今はまだ九歳と言っていました――でありますので、戦闘能力がないのは自然に思われるかもしれませんが、世間一般の九歳というのはもう少ししっかりしているように思います。それに、彼女の体つきと言うのが不健康な細身で、そんな体にしている私にも責任はありますが、筋肉が全くないというわけではありません。さらに、突然獣が襲い掛かってきたとき、私が助けようとするよりも前に、驚異的な反射神経を見せるのです。また、昔、獣人族と言うのは生まれながらに持つ戦闘能力が非常に高いという話を聞いたことがありました。ですから、全く戦えないと言うのはおかしな話であるような気がします。実はそれなりに強いのではないのかと私は勘ぐっています。……だから何だと言われればそれでおしまいですけど。
さて、真東に進み続けていた私たちが二週間後にたどり着いたのは小さな村でした。木製の小さな柵に囲まれており、それらが獣からの攻撃を防いでいるものと思われます。しかし、ところどころ破壊されている箇所があり、どこか頼りないような気がします。
「伝令! 旅人だ!」
物見やぐらから私たちを見つけたと思われる人が村の方々に対して、大きな声で叫びました。
「開門!」
村の人たちが来て、同じく木でできた門を開けました。そこから私とテールイは村へ入っていきます。
「ようこそ、旅人ですか?」
がっしりした男の人が意外にも優しい口調で話しかけてくださいました。ですが、質問の意味がわかりません。さっき、物見やぐらにいた人が旅人って叫んでたじゃないですか。
「はい、そうです」
意味の分からない質問をされたという不満は胸の奥に詰め込んで、私は笑って答えました。
「長老のところへ行きましょう。ついてきてください」
ぎぎぎと音を立てながら門が閉じていきました。
移動しながら、全体図を眺めますと、どうやらこの村は大体半径五百メートルほどしかなく、家自体もぽつぽつと十ほどしかなく、残りは大体農地が広がっています。各家には槍のような武器がたてかけてありますが、それらもきちんとこしらえたようなものではなく、長い木の棒の先に尖った石をくくりつけたようなものです。その石も無理矢理削って尖らせたようで、決して出来が良いものとは言えません。住民の着ている服も表現が悪いとは自分でもわかっていますが、ぼろ雑巾のようです。
総じて豊かな生活のようには見えません。もちろん、放浪を続け、眠る場所にも困っている私たちに比べればましではありますが、ここだけ文明が遅れているかのような印象を受けます。シュワナ国内にこんな場所はなかったはずですし、リーベルテ国内にもこんな場所はないイメージでした。さっきのボリチェたる無能な首脳が支配していた場所ですら、ここよりかはましな場所だったような気がします。確かにここは想像を遥かに絶する広さを有する大陸です。ですから、その中に何百年前のような生活をしている場所があったとしても不思議ではありません。しかし、さきほどの国から歩いてたった二週間の距離ですよ。自分の歩くスピードがどれくらいかはわかりませんが、おそらく八百キロほどしかないはずです。確かにシュワナとリーベルテの間に広がる巨大な森を突っ切ったときの長さよりかは長いかもしれませんが、人間が動くのに考えられない距離ではありません。つまり、この場所に来ている人がいるはずなのです。そして、他国からの支配を受けているはずです。支配は必ずしも良いものとは言えませんが、文明の発達に貢献するものではあります。
考え得る可能性としては、この場所自体、既に支配を受けていて、外の世界の豊かさを知ってしまった若い住民は外に飛び出したまま、帰ってきていないというものになるでしょう。
「久しぶりの客人だ」
長老は私たちに歓迎の意を示しました。
その長老は典型的なおじいちゃんのようでした。いかにもな民族衣装を身にまとっていて、それなりにはいい雰囲気です。
「さて、名はなんというのかな?」
と尋ねられましたので、
「シュワイヒナ・シュワナです」
「テールイです」
と答えましたところ、長老はうんうんと頷いて、
「いい名前だ。ところで、君たちはなぜ旅をしているのかな?」
と聞いてきました。
「私は、人探しです」
と答えまして、テールイは
「私は……住む場所を探して」
と答えました。その声色は淡く弱弱しいものです。
長老はその声を聞いて、慈しむかのような表情を浮かべた後、ため息をつきました。
「佐倉凛と言う人をご存知ですか?」
あまり期待はしていませんでしたが、一応、私は尋ねてみました。
「サクラ・リンだと?」
空気が一変しました。付き人は驚愕の表情を浮かべ、長老は顔をしかめました。しかも、テールイまでもが目を見開きました。
「ああ! 破滅の時が来る!」
周りにいた一人の男が発狂し、他の人から追い出されました。
「え、ええ」
私はそれを無視して、質問に答えました。
「君はそのサクラ・リンを探しているのかね?」
「はい」
「なぜだ?」
「私の愛する人ですから」
「つまり、サクラ・リンというのは既にこの世にいると?」
「何が言いたいんですか?」
「お前は何も知らないんだな。シュワナと言う名前もだが、リデビュ出身か?」
「はい。そうですけど?」
「何も知らないリデビュ島民なら仕方がない。帰ってくれ」
付き人が私を掴んで、無理矢理外へ追い出そうとしてきました。私はその手を振り払って、
「なら、いいですよ。勝手に帰りますから!」
凛さんのことをまるで災厄かのように言われ、イライラしていました。私は捨て台詞のような言葉を吐いて、外へ飛び出しました。
「シュワイヒナさん、待ってください!」
テールイが後から走ってついてきます。
「テールイ、あなたも驚いていましたけど、何を知っているんですか?」
「本当に知らないんですか?」
「だから、何も知らないって言ってるじゃない!」
「うっ……ごめんなさい」
テールイが今にも泣きだしそうな声を上げました。私も思わず声を荒げてしまったことを後悔してしまいます。
「いや……うん。私も悪かったから……知っていること話して?」
自分でも嫌なほど甘ったるい声を出して、慰めようと思いました。
「いや、私が悪いんですから、シュワイヒナさんは何も悪くありません」
……なんだか心の奥底を覗かれているような気がしてしまいました。
「サクラ・リンと言う名前はスーコント神話に出てくる名前です――」
テールイが語り始めました。
この世界は神イラクサによって作られました。神イラクサはこの世界の住民へマジックポイントを与え、魔法を使えるようにしてくれました。また、人族、獣人族、魔人族、妖精族などの複数の人に関する種族を作りました。そのほかにもたくさんの動物、自然を生み出し、この世界を豊かなものへとするために尽力したそうです。
それから千年が経った頃、力の少ない人族は獣人族、魔人族、妖精族から迫害を受け、数を減らしていき、ついには一万を切りました。そこで、神イラクサは人族へ力を与えました。それが固有スキルです。心優しき百人の人族へ固有スキルを与え、その力を上手に使った人族は他の種族からの攻撃を防ぎ、和解に成功し、仲の良い世界へと変わっていきました。
現在も固有スキルは全部で百あると言われています。誰も数えたわけではないので、本当はもっとあるかもしれません。えっ、もう二十以上も知っているんですか? 随分と多くの固有スキル使いと出会ったんですね。私はボリチェの「バインド」しか知りませんよ。
神話ではこの間の千年についてもいろいろと記述があるんですが、ここでは特に大事なことではないので省きますね。
さて、例の和解の後、遺伝で受け継がれていく固有スキルは当然心優しい人だけじゃなくて、悪い人にも受け継がれていきました。また、圧倒的な力を持つようになってしまった人族は次第に力を広げていき、他種族を見下すようになってしまいました。それを鎮めるために、神は他の世界の人間を連れてくるようになりました。
えっ、他の世界の人間にも会っているんですか? 確かに私も聞いたことはありますが……。
ほかの世界の人間はみな強力な固有スキルを持っていました。ですから、固有スキルを持つ悪しきものを罰し、人をまとめ上げ、良い世の中へと変えていきました。
これが五百年前に起こったとされている話です。この神話が最初に伝わり始めたのはそのころとされています。だから、これから話すことは未来を予言している内容になります。
いつか、神はこの世界に見限りをつけるようになるそうです。それが何を条件とするものかはわかりません。ただ、神話にはこの世界が悪しきものに覆われ、これ以上の発展を望めなくなる時と言われています。
さて、神がこの世界に見限りをつけるようになったとき、この世界にサクラ・リンと名乗る少女が現れるそうです。彼女は圧倒的な力を持っていて、世界を滅ぼすそうです。神話にはこのときのことについて、こう書かれています。……ええ、あまりに強く印象に残っているシーンでした。
「覚醒した少女を止められるものはいない。漆黒の闇に世界は包まれ、終わりへの意識は強くなる。孤独を感じる暇などは与えられない。汚いものから殺される。森の中でそれは起こるだろう。能力は世界を奪うもの。助けを呼ぶ必要はない。夜が世界を支配する。冷酷な悪魔はそれに似ている」
この「闇」。さっきのシュワイヒナさんの力を見ていれば、それが世界を滅ぼすと言うことが現実の内容に思いました。しかし、シュワイヒナさんは私に優しくしてくれました。本当に世界を滅ぼす力なのでしょうか。シュワイヒナさんのことを知らずに、あの姿を見ていれば、そう思っていたかもしれませんが、あなたの心を知った今、そうは思えないのです。
テールイはそう話を終えました。私の心を知っている、何も知らないくせに軽々しくそんな言葉を言われ、反吐が出そうな気分です。
そんなこと気にしていたって何もないから忘れることにするんですけどね。
凛さんは神の加護を受けています。しかし、それが世界を滅ぼすためだと言われても納得は行きます。ですが、凛さんが世界を滅ぼすなどと言ったことが微塵も想像できません。そもそも安易に世界を滅ぼすなどと言われても困ります。一体どんな固有スキルを身に着ければそんなことができるのでしょう。
所詮は神話。
安易に信じるものではないですし、それに振り回されるべきではありません。この世界はあまりにも神を信じすぎているような気がしてなりませんが、私はまだそんな人にはなっていないつもりです。やはり一番信用できるのは自分自身であって、仮に自分自身を信用できなくなってしまったらそのときが終わりだと思っていますから。
私が信じているのは私と凛さんだけ。凛さんが正しいのですから、神話は間違っているに決まっています。
大体、あまりに纏まりのない文章です。こんな文章でよく覚えられているものだなと不思議に思いますし、たいして怖くもありません。これをまともに信じていられるだなんて、こっちの大陸の人たちは頭がおかしいのでしょうか。何かに取りつかれている、あるいは操られているような気味の悪さを感じます。
「話してくれてありがとう」
私はそうテールイに声を掛けました。すると、彼女は嬉しそうにほほ笑みました。
いくら純真無垢な笑顔を見せたって、私の信用を勝ち得ることなどできないのに。




